第6話 天恵・後編

 薬草問屋の渡辺さんと相談した結果、義介は大谷の依頼を引き受けることにした。理由は大きく2つ。1つは、ここで断ると彼が呪術師の元へ行ってしまう可能性が否定できないこと。もう一つは、多少効果があるかもしれない花が見つかったことだった。

 菊である。黄色の菊の花言葉は「失意」。そこにエキザカム「復帰」の花言葉と彼の髪の毛を一本。菊の「失意」をエキザカムの「復帰」に乗せ、彼の髪の毛の「元の場所」、つまり彼自身に回帰させる。循環の祈りと義介が呼んでいる祈りである。

 小さな理由としては、これらの入手が比較的容易であったことだ。エキザカムは他の祈りに応用がきくから在庫があるし、菊の花であればスーパーで買ってきてそこから花墨を作ることもできる。仮に失敗したとしても、菊の花墨程度であれば大きな損失にはならない。故に、義介はこの依頼を引き受けることにした。

 だがそれは義介にとって、ある種の悪夢の始まりだったのかもしれない。


~~~


 ある良く晴れた日も。


「今日は3台契約してきました」


 ある風の強い日も。


「今日は2台と、新しいお客さんを紹介してもらいました」


 ある雨の日も。


「今日は4台です。月間最優秀営業になりました」


 そんな日々が義介を襲う。


「今日はあいつ来ないな」

「毎日来られたら堪ったもんじゃないですよ。まったく」


 いつもなら温厚な義介が、ボンには少々いら立って見えた。まあ、それも仕方ない

 なにせ、大谷の依頼を受けてからというもの義介は大谷の依頼にかかりきりだったのだ。循環の祈りを施して、一時はその効果が見られた―――と言っても1、2台は契約していたが。だがそれも一時のこと、すぐに彼の調子は元に戻ったのだ。

 そうなると彼は祈りの内容を見直さなければならない。だがそもそもが祈祷師の範疇を外れた依頼だ。大谷の成績を落とす、というネガティブな呪いを無理やり祈祷師のやり方に落とし込んだようなものなのだ。

 さらに言えば、義介の扱う祈りは本来はそう強いものではない。悪霊となりかねない霊を払うときなどの例外はあれど、基本的には「依頼主の祈りを増幅する」と表現ができる程度のもの。具体的にプリンターが売れなくなるようにする祈りなど聞いたことがない。


「どうにかなるのか」

「わかりませんよ。もう花墨の濃度は最大限ですし、髪の毛もパンパンに詰めてますよ」


 義介側の努力、と言えば既に祈りという繊細なものではなくゴリゴリのパワープレイの域に入っていた。

 花墨というものは義介独自の配合で、墨に花の灰を混ぜて作られる。その花の種類に応じて発現する祈りを変えている。単純な話、水に粉を溶かせばいつかは水分を吸収しきってしまいべとべとした塊になる。しかし花墨は花の灰を混ぜた墨で祈りを「書く」必要があるため、筆に乗らないと使えないのだ。既に書けなくなるギリギリまで灰の濃度を濃くしている。

 加えて、大谷の髪の毛も束で護符に入れてある。エキザカムの「復帰」の道筋を増やすためだ。薬品の濃度を最大限まで高めて注射針も太くしました!みたいなのが現在の大谷の持ち歩いている護符である。


「そもそもですね。はなから矛盾してる祈りなんですよ」

「それは今に始まったことじゃないだろ」

「だって、彼どんな気持ちで報告しに来てるんですかね。あれじゃ喜んでるのか悲しんでるのかわかりませんよ。普通はお祝いするような内容ですし、彼だって内心嬉しい気持ちは否定できないはずです。大体ああも頻繁に来られちゃ、まるで私の祈りを疑われているようで嫌になりますよ」


 溜まってるなぁ。ボンはそう思わずにはいられない。別に義介にストレスが溜まろうとボンには関係がない。彼は決してボンに当たろうとはしないのだ。ただ自責の傾向があることを少しだけボンは心配していた。本当に少しだけ。それよりも心配していることは今日のおやつが買い置きのパッサパサのささみフレークオンリーになることだ。できれば今日は角っこのコロッケが食べたい。故に、ボンは行動する。


「もういっそ灰のままぶち込んでやれば?」

「それも思いましたけど………ちょっとリスクがあるというか」

「………もう十分無茶苦茶してると思うぞ」

「濃度を濃くするのと、その物自体を入れるのではやっぱり違うんですよ。たぶん、やったことはないのでわかりませんが」

「でももう濃度も限界なんだろ。それ以上濃くって言ったら灰そのものだろ」

「まぁ、そうなんですけど………祈祷師としてなんだかなぁ………」


 パワープレイは性に合わない、だろうか。

 義介が根負けしたのは彼が次に来た時だった。


「今日は6台契約しました」

「それは………その。なんと言ったらいいのか」

「なかなか、祈りというのは難しいものですね。私も毎晩、明日は売れませんようにと祈りを捧げてから眠るのですが」


 難しいのは祈りではなく、そのスーパー営業マン体質ともいうべき大谷の方だ。と言いたいのをぐっとこらえて、義介は提案する。


「これ以上祈りを強く、となると副作用が懸念されるのです。具体的には、恋愛関係で上手くいかなくなることが増えると思われます」


 黄色の菊の花言葉には「破れた恋」などの失恋系統の言葉が多い。特定の作用を狙うあまり副作用が出るというのは、現代医学の薬に似たところがある。


「構いません。今付き合っている人はいませんし、特に結婚の予定もありません」

「では、今回は強めにしておきますね」


 大谷から護符を預かる。中には髪の毛の束と、祈りを込めた紙。その間を埋め尽くすように義介は灰を入れる。そして口をしっかりと閉めて、大谷に手渡した。


「強い祈りはそれだけ強い副作用をもたらすことがあります。もし生活で何か異変がありましたら、すぐにお知らせください。命にかかわるようなことがあればその護符はすぐに捨ててくださいね」

「はい。ありがとうございます。吉報を持ってきますよ」


 意気揚々と帰る大谷。意気消沈の義介。


「どうした」

「ついにやってしまったなぁと。聞いたことないですよ、花の灰を直接だなんて」

「まあこれも依頼主のためなんじゃねえの」

「そうなんですけど………そうなんですけどね」


~~~


 結論から言うと、一定の効果はあったらしい。プリンターの契約台数は減り、成績は良いほうではあるものの突出しているわけではないらしい。社内では「長いビギナーズラックだった」という評価で落ち着いたようだ。彼はその点では満足していて、やっとやっかみを気にする生活から解放される、と喜んでいた。


 だがはっきりと副作用が出ていた。副作用が出ること自体は予想されていたことだったが、それは大谷にとっては軽微な損害に過ぎないとされていた。はずだった。付き合っている相手もいない、結婚の予定もない。はっきり言って女っ気がないと思われた大谷だったが、それは大きな誤算だった。

 大谷の第一印象は大柄だが怖さを感じさせない温和な男性、だ。優しい、背が高い、スポーツをやっている(バスケ部だったらしい)、営業成績が良い、ルックスも悪くないとなれば、大谷はともかく周りの女性たちが放っておかないのだ。聞けば、何度もデートに誘われたこともあるし、逆ナンパされた経験もあるという―――それを循環の祈りが「破れた恋」の方向にひっくり返してしまったらしい。

 要するに、大谷に好意を持っていた女性たちが大谷のことをフリ始めたのだ。彼曰く、前々からアプローチをしてきていた同僚社員に留まらず、苦手だった女上司や営業先の受付嬢にまで、アタックしていないのにごめんなさいと言われ始めたのだという。今度は社内で「大谷が手当たり次第に手を出してフラれている」という噂が流れ始めたという。


「と、いうわけなんです」

「それは………ご不快な思いをさせてしまい本当に申し訳ありません」

「いえいえ、こちらとしても難しいことをお願いしていますから。ですが、これ以上悪評が広がるのは何とかしたいと思っています」

「ええ、とりあえずこの祈りは中断しましょう。また営業成績が上がってしまうかもしれませんが、背に腹は代えられないですよね」

「ええ、変な噂を立てられるのは困りますから」


 義介としても予想外の結果だった。いくら花の灰を直接入れたからといって、他人の心に影響するほどの祈りにはならないはずなのだ。明らかに何か違う力が働いている。が、それが何なのか義介には見当がつかなかった。


「とりあえず今後の方向性ですが、もう一度弱い祈りを作成しますのでしばらくはそれで過ごしてみてください。まずは悪評がこれ以上広がらないようにしていきましょう」

「ええ、そう思います」

「私の方で、他の方法がないか探してみます。見つかるまでの間、大谷さんには苦労をおかけするかもしれません。本当にすいません。私の力不足です」

「いえいえ。私も祈りを絶やさないようにします」


 大谷の言葉に何か違和感がある。引っかかるような、何かを見逃しているような感覚。

 ふと、ソファーの方に目をやる。いつものようにのんびりしているはずのボンが―――明らかにこちらを見つめている。何かのメッセージを込めるように。

 すると、やはりこの違和感は嘘ではない。何か見落としていることがあるのだ。祈りを絶やさない―――祈り?


「つかぬことをお伺いしますが、大谷さんのお知り合いに教会の方はいらっしゃいますか?」

「………?ええ。います。我が家は教会を信仰していますので」


 それだ。義介はすかさずボンの方を見る。ボンもしっかりと頷く。


「大谷さん。私はもっと大谷さんの話を聞くべきだったかもしれません」

「はい?確かに私の両親は神を信仰していますが、それが何か関係が?」

「ええ、恐らく神の加護と私たちの祈りがぶつかっていたのだと思います」

「ええ?そんなことがあるんですか?」

「はい。恐らくそれで間違いないと思います」


 大谷は目を丸くして義介を見ている。まさか自身の信仰が原因だったとは、という表情だ。


「ですので、最寄りの教会に行って全部話してください。恐らくそれで解決すると思います」

「わ、わかりました―――では今までの分のお支払いを」

「まだ解決していませんので、今は結構です。教会に行ってからの結果を教えていただけると幸いです」

「………わかりました。ではお言葉に甘えます」


 大谷を見送って、ボンの一言。


「なんでえ、そりゃ」


~~~


 いつもと変わらない、客のいない本町商店街。その一角にある革細工店、「結び屋百八」。店主を苦悩へ陥れていた原因は無事に解決されたそうだ。


 事の発端は、彼の家は敬虔な教徒で、毎日の祈りや週末の礼拝を欠かさない家だったことだ。そのような教徒に対して、神は天恵を与えた。それがどうやら「営業成績が上がる」天恵だったらしい。厳密にいえば対人スキルが上がる、人に魅力的に見られるといった類の天恵だったようだ。義介が最初に好印象を抱いたのも、それが原因らしい。 

 義介の作った護符が効果が無かったり、副作用が目立ったりしたのは神の力とぶつかったからのようだ。一介の祈祷師である義介と唯一神、どちらが強いかは言うまでもない。最後に花の灰を入れたときに他者へ影響したのは、恐らく神が大谷に自身の行いを再考させるよう仕向けたためだそうだ。神からすれば、大谷がやったことは神のご加護への冒涜である。神父の執り成しで、何とか事は収まったそうだ。


「というのが、神父の見解だそうですよ」

「つまりなんだぁ。なんというか、その」

「私たちは無駄な努力をしていたみたいですね」

「そんな言い方はねぇんじゃねえの」

「最初から祈りを捧げる対象があったとは………気づきませんでしたよ」

「しっかしなんであいつも気づかないかねぇ」

「大谷さん自身はさほど信仰に興味はないみたいですよ」


 正確には、信仰に意味を持っていないという方が正しいかもしれない。日々の祈りや礼拝は言わば習慣である。大谷にとっては習慣を続けることはしても、習慣から何かを意味を見い出そうとはしなかったらしい。両親は熱心だというから、恐らく親について行ってずっと教会へ通っていたのだろう。

 しかし神からすれば他と同じ、敬虔な教徒である。故に、天恵を与えた。それは具体的に目で見えるものではないから、神のご加護だと実感する場面は少ない。神に信仰を捧げる意味を理解していない大谷ならなおさらだろう。


「なんでうちに来たんだろうな」

「それはまあ、この国の宗教観によるものかと」


 この国ではお正月とお盆とクリスマスが1つの家庭内に共存する。大谷の家ではお盆はなかったと思われるが、それでも夏祭りに行ったり地蔵の掃除をしたりということはあっただろう。教会で祈ることに意味を見い出していない以上、街で見かける祈祷師の元に来ても不思議ではない。


「この国のやつらは祭りが好きだからな」

「それはボンさんも一緒でしょう?」

「まぁな。騒がしいのは楽しいからな」

「私はしばらく静かなところにいたいです」

「そうかい」


 ボンの周りの輪郭がゆがむ。義介への計らいらしい。


 この国には様々な神が存在し、様々な宗教が存在する。それらの知識は祈祷師を志すときに学んでいたはずだし、知り合いにも様々な宗教家がいる。祈祷師にだって様々な流派が存在するし、それらを科学しようとする魔術師だってこの町にはいるのだ。

 それらのことを、少し忘れていたのかもしれない。自分と、ボン。たった2人のこの店内では世界は狭すぎるのかもしれない―――いや、どうだろうか?

 私には君のようにはできない。君のように、たくさんの知識を得ようとして、様々な文化に触れて、それら全てを肯定し、否定せずに選択する。そのような聖人のような行為が、とても私にはできるとは思えない。


 ―――少し疲れているらしい。思えばここ最近、空回りの方がずっと多い。単純な収入以上にダメージのある、心の空回り。空回る心と向き合う時間を作ってくれたボンさんには、あとでコロッケでも買ってこよう。


~~~


 その後、大谷は転職したらしい。営業成績というより、女性関係でトラブルが増えたためだ。結果的に、その選択は正しかったようだ。

 新しい企業でも営業になったが、成績はそこまで伸びていないらしい。神父いわく、プリンター販売に特化した天恵としか言いようがないだそうだ。「なんだよそれ」とはボンのコメント。成績は落ち、手取りも減ったそうだが大谷は満足そうだ。


「神はいるということを実感できた気がします。これからはもっと祈りを捧げるつもりです」


 とのこと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

結び屋百八 立花僚 @lemeriod

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ