第17話 悩み

 長岡と金沢のツアーから帰ってきた二人は、翌日の育子いくこの仕事にさわらないよう、別れをしみながら駅で別れた。金曜日に『悠愛ゆうあい』で落ちあい、閉店後に拓斗たくとの家で次の旅行の計画を立てることを決めた。


 帰宅した育子は、拓斗との旅行は最高級の現実逃避であったが、今後が不安になってきたのと、もしも拓斗が結婚の申し出をしてきた際には、面倒くさいと思っていた協議離婚もありかもしれない、と思い始めていた。

 とにかく、癒されるし楽しい。


 初めは歳の差が一番気になっていた。男性は歳を取ってもそれなりだが、女性はそうはいかない。どんどんみにくくなってきてしまう。抗えないエイジングを取りつくろうことにも徐々に疲れてくる。ありのままの歳を取った中年女性など、本当は相手にはしていないはずだ。ホストとして、あのホストクラブで上り詰める夢を見ている男の子を応援したいだけだった。

 本気になってはいけないし、離婚は面倒くさいから、ホストクラブに押しかけていって、そこで会えるだけでよかった。


 拓斗に誘われて、拓斗の自宅でデート、しかも何度も性交してしまった。

 そのことについて、こだわりはない。そんなに若い男の身体を求めたりはしていない。してもしていなくても、身体の事なんかはどちらでも良いのだ。


 懸念しているのは、性格的な相性の良さである。旦那と結婚する前にも味わったことのないような安心感と心地良さを、今回の旅行でより深く感じ取ってしまった。


 こんなつもりじゃなかった。もう一人の架空とも言える自分が、もう一つの架空の夢の中で楽しめればそれでよかったのだ。

 拓斗の人間性・・・日本史が好きな男の子だったこと・・・本当は拓斗の人格も過去もどうでもよかった。どこまでも、相手の言動を尊重して傾聴けいちょうして話を合わせてくれることによる心地良さと優しさ・・・それはホストとしての作られた人格かもしれない。本来の拓斗の性格でなくてもいいのだ。


 学生時代、友達との関係、それこそ、家庭環境がどうだったのかだとか・・・海外旅行で、より深く拓斗という人間について知ってゆくことになるのかしら。人格を知ってゆくにつれて、自分との相性の良さをより深く感じたとしたら、それは辛いことなのかな、と育子は思い始めていた。


 だからといって、約束した海外旅行をキャンセルしたくはなかった。人生、生きている間に、出来る限り幸せな体験を積んでいきたい。拓斗といる時間は、今の育子にとっては貴重であると言えた。拓斗が一緒に居てくれるから、育子の世界は、拓斗と出会う以前に比べて、色彩しきさいあざやかに光り輝いている。この輝きを、失いたくないのだ。


 旦那とは、もう二度と会えなくなってもいい。離婚が面倒くさいのと、公然と浮気をしているがゆえに頭が上がらないことを利用して、金銭的にはつながっている必要があるから別れないだけだ。拓斗との時間には、ノーリス化粧品の給料だけでは足りないほどのお金がかかるのである。自分のような中年の女が、あんなに優しくてイケメンの若いホストをつなぎとめているのは、金だけである。しかし、さほど金があるわけではないので、旦那の金が必要だから、離婚しないのだ。

 旦那とは離婚しないから、拓斗とこれ以上深くなるのが怖いのである。


 しかし、育子は気がついた。

 旦那と離婚したら、拓斗とは金銭的に足りなくなるので付き合えなくなる。

 拓斗と付き合う金を捻出するために、旦那とは離婚できない。


 旦那と別れて拓斗と付き合いたいのだが、その場合は、自分の稼ぎを倍以上にするか、拓斗がホストクラブに行かなくても会える『彼氏』になってもらって、安価な付き合いができるようになるか、もしくは・・・

 これ以上、思考を深めてしまっていいのだろうか、と育子は躊躇ちゅうちょしたが、今後、どうすれば良いのか、思い切って、その『解答』を頭の中で言語化してみた。


 拓斗と結婚することである。


 経済的には、拓斗が大黒柱となり、育子は今まで通りノーリス化粧品で薄給を稼ぎ、住居も同じところにすれば、今の幸せを維持することが出来る。

 居心地が良過ぎて、一度会うと別れたくなくなる拓斗と、二度と別れない関係になれる。

 そんな夢も浮かんでは来るが、鏡の前の中年の自分が、そんなこと、叶えられるはずもない。育子が『ホスト通い』することが前提なのだから、そんな夢は叶わないだろう。

 しかし、面倒くさいから離婚はしない、という選択肢が消えていた。

 どんなに面倒くさくても、拓斗が結婚したいと言ってきたら二つ返事でプロポーズを受け入れよう、面倒くさい離婚を乗り越えよう、と思い始めていた。

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