第8話 疲労と衝動

 約束した金曜の夜、育子いくこが店に入ると拓斗たくとがチーフから、もっと売り上げを伸ばすように説教をされていたようだった。拓斗は下を向いて、やや暗い表情になっていた。前髪で顔の上部が完全に隠れていた。


 「こんばんは。」

 育子がチーフに声を掛けた。

 「ようこそ!いらっしゃいませ!拓斗ですか?どうぞこちらへ!」

 チーフは育子に気付くとすぐに拓斗を付けた。


  拓斗はまだ暗い表情をしていた。


 「お姉さん、今夜も約束通り、来てくれたんですね。」


 『悠愛ゆうあい』のナンバーワンホストはしょうであり、ナンバーツーは誠也せいやであり、ナンバースリーかナンバーフォーに来るか来ないか、という位置に拓斗がいる。

 拓斗はナンバーワンになることを目指している。叱られて意気消沈いきしょうちんしてしまった拓斗を、育子は全力で応援したい衝動にられた。


 「今夜もドンペリ、頼んじゃうから!」

 拓斗の目が輝いて、育子を見た。

 「ありがとうございます!ドンペリ、いただきましたー!」

 拓斗は元気を取り戻した。

 「お姉さん、ホントいつも、ありがとう!それから、今夜もうち、来てくれるよね。」

 「今夜も、遊びに行ってもいいの?」

 「もちろん!ちゃんと掃除もしておいたよ!」


 育子は閉店まで酒と料理を頼んだ。この日はずっと拓斗を独占することができた。拓斗の横顔。サラサラな前髪。高くて綺麗な鼻筋。あごがキュッとした塩顔。穴が開くほど見つめても、見つめ足りない。本当にいい顔だと思うし、育子の愛したい心理をくすぐるような言動も、かけがえが無いのだった。


◇◇◇


 その夜もタクシーで拓斗の自宅に辿り着いた。玄関の扉を開けて鍵を閉めるや否や、拓斗は育子を酔いに任せて勢いよく抱き締めた。育子は夢見心地になり、拓斗の背中に両腕を回した。


 拓斗は急いで育子の靴を脱がせると、お姫様抱っこをしてベッドに運び、半ば犯すようにして育子の肉体をむさぼった。

 育子は、酔いの心地よさもあったが、その様になって欲しいというイメージ通りの現実が自分にプレゼントされたのかもしれないと感じて、『引き寄せの法則』なのかなあ、と漠然ばくぜんと想像しながらも、肌に感じる拓斗の愛を全身で味わっていた。


 拓斗の抱き方は、前回よりも激しかった。

 「い、痛い・・・。」

 ちょっと痛かった育子が言ってみた。

 「あ、ごめん・・・。」

 拓斗は震えていた。


 「ごめんね、さっき、少し痛かったかな・・・。」

 「あ、うん、少しね。でも、もう大丈夫。」

 「ごめん、少し寝るね。」

 「おやすみなさい。」

 拓斗はこの金曜の深夜、本当に疲れていたようであった。

 


 しばらくして拓斗が目を覚ました。

 「ん・・・。」

 「おはよう。サラダ作っておいたわよ。」

 「あ、ありがとう。」

 「ホットコーヒー、淹れるわね。」

 「ありがとう。ふぁ~あ、起きるかー・・・。」


 拓斗は前を隠し、素早く下着を身に付けてズボンを履き、Tシャツを着た。

 カッコいい男は、寝起きも爽やかでカッコいいのであった。こんなにカッコ良くて若い男と夜を過ごし、朝を迎えることが出来た喜びを、育子はこの日も噛み締めた。


 「昨日、チーフの人から、何か言われた?私が店に入った時、何か話してたでしょ。」

 育子は、拓斗が元気を無くした理由を単刀直入たんとうちょくにゅうに聞いてみた。

 「あ、いやあ、実はね。・・・ああ、あれはね、店のホスト全員への通達つうたつだったんだよ。店の売り上げにもっと貢献して欲しいってさ。ハッパをかけられたんだ。チーフは、自分の機嫌が悪いとすぐ俺たちに当たるんだ。こういうことは、今までも度々あったよ。慣れてるから、大丈夫だよ。」

 「そうだったんだ。私も、お店に行かれるときは行くようにして、拓斗だけを指名するから。私は拓斗にナンバーワンになって欲しくて応援しているから、他のホストの売り上げには貢献はできないけど。」

 「嬉しいよ。俺だけのお姉さんで居て欲しいよ。」

 拓斗は育子を抱き締めた。

 「拓斗・・・。」

 育子はまた夢見心地になった。

 

 育子を、ベランダから笑顔で見送ったあと、拓斗はダイニングテーブルに戻って座った。

 「次は国内旅行、その次は海外旅行。それからだな。」

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