慆蟲花操

M.S.

慆蟲花操

 入学式から叢雲むらくも君を見ていた。

 端的たんてきに言ってそれは一目惚ひとめぼれだった。

 中学一年生にしては大きな一七〇センチを超えるすらりとした体躯たいく。横から見る叢雲君の顔はまるで茎から花弁までとげで出来ている雄々おおしい花のようで、鼻先と顎先は程良くとがっているものの、上顎と唇に関してはつつましやかだ。白人の血が入っているのかと思わされるくらい。小学生の頃からバレーボールをやっているらしく、そのせいか肌も屋外で部活動にはげむ他の男子のそれと比べて青白く、その事が余計に叢雲君のミステリアスさを演出している。一重のながまぶたは涼しげというよりは剣呑けんのんで、その身長と凛々りりしい顔立ちも相俟あいまって「怖い」と評する女子も多いようだが、私はその冷たさを抱える瞳に恋をしてしまったようである。

 それは一目惚れというよりかは瞳惚ひとみぼれと言うのがしっくりくる────。

 そんな事はともかく。

 問題は姉の世深よみ姉さんも、同じく叢雲君に恋をしてしまった事にある。

 私と世深姉さんは一卵性双生児いちらんせいそうせいじの姉妹で、同じ中学校に上がったものの、世深姉さんだけ叢雲君と同じクラスになってしまった。

 一卵性双生児の双子。

 姉妹。

 遺伝子がほとんど同じであれば男子の好みが似るのも必然で、世深姉さんが叢雲君にアプローチをするのも至極当然しごくとうぜんの流れだった。

 そして遂に、ある日家で言われてしまったのである。

不深ふみ、あなた、私の叢雲君に近づいては駄目よ」

 世深姉さんは母さんゆずりの切れ上がるまなじりで私をにらんでそう言った。母親譲りと言うなら双子である私にも同じ目付きが出来るのかもしれないが、幼い時から世深姉さんの陰に隠れて生きてきた私は世深姉さんにかなはずもない。

 同じ遺伝子を持って居ても、幼少期の過ごし方のツケで私は世深姉さんとは対極の性格になってしまった。

「ど、どうして......?」

「決まっているでしょう。万が一にも有り得ない事だとは思うけれど、もし私からあなたに叢雲君が目移りしたら、困るじゃない」

「っ......」

「ひょっとして、あなたも叢雲君の事を気に掛けているんじゃないでしょうね」

「べ、別に......」

「まぁ、何でも良いけど、あなたは学校で叢雲君の前に姿を見せない事。その内私の部屋にも上がってもらうけれど、あなたは自分の部屋にこもっていなさい。良いわね?」

「う、うん......」

釈然しゃくぜんとしない返事ね......、分かってる? あなたの名前は不深。ふかから。何にいても浅いのだから、全て私に任せれば良いの」


 世深姉さんの名誉のために言っておくと、世深姉さんは別に人格者とは言えないにしても無闇むやみに人に意地悪をする人間ではない。

 徹頭徹尾てっとうてつび、しっかりしているのだ。

 私が小学生の頃にいじめられていた時、相手が男子でも気後きおくれもせず盾になるようにおどり出て、取っ組み合いの喧嘩をするような人だった。宿題に困っていると「こんなのも分からないの」とあきれながらもちゃんと教えてくれた。世深姉さんの通信簿はいつもオール二重丸。私の二重丸は良くて全項目の半分くらい。

 そしてその抜かり無さは恋愛に関してもそうだったという事だろう。

 恐らく叢雲君との出逢いからそれ以降を、完璧にこなしたいという思いからの、私への忠告なのだと思う。

 仮に叢雲君が、何かのけで世深姉さんから私に気移りしたとする。まぁ、そんな都合の良い事はまず無い事だろうけれど。そうなってしまった場合、世深姉さんはこの恋愛に関して失敗したと言える。

 今まで勉強、運動、学校での人間関係で成功を続けた世深姉さんが、今更いまさら恋愛で失敗して自尊心を傷付けたくないと言うのも分かる。それも、妹に男子をられたともなれば面子めんつは丸潰れだろう。きっと勉学での失敗より余程よほどこたえるに違いない。


 中学に上がってから、叢雲君を遠目でうかがう日々が続いた。

 叢雲君を遠い所から視界に入れるだけなら、世深姉さんとの約束を反故ほごにする事にもならないだろう。

 と言っても私と、世深姉さんと叢雲君のクラスは間に教室を二つ挟んで離れている。余程の事がない限り目に入れる事も出来ない。

 全校集会などの移動の際に見掛ける事もあるが、叢雲君の横にはしっかり世深姉さんが付いている。それは世深姉さんが叢雲君の目を他へ向けさせないよう監視しているように見えた。挙句あげくの果てには私の方へくぎを刺すような一瞥いちべつ

 どうやら徹底的にを遠ざけるような、さながら番犬である。


 今の時期、男子の体育はグラウンドで行われていて、叢雲君のクラスも体力測定をしているようだった。種目は一五〇〇メートルの持久走らしく、嫌々、渋々といった男子の顔が並ぶ中、やはり叢雲君だけは尖った氷のような顔をして飄々ひょうひょうとしている。用意の構えでたたずむ、他より一回り大きな体格の叢雲君は、だが合図と共に弾丸のような初速で他をぶっちぎって走り出した。初め、一〇〇メートル走と間違えているのでは? と思わされるようなペースだったが、それは一〇〇〇メートル地点を超えた周でもおとろえる事なく疾走している。

 途中、私は意外なものを見た。

 叢雲君の一周遅れで走っていた男子生徒が、接触は無かったものの叢雲君に追い越されたあたりで転んでしまい。

 それに気付いた叢雲君は────何と脚を止めた。

 タイム計測の途中であるにも関わらず。

 次に叢雲君は転んでしまった男子生徒に近付きかがんで肩を貸した。どうやら転んでしまった男子生徒の方は足をくじいてしまったようだ。

 叢雲君は先生に何か言い、足を挫いた男子生徒を助けながら────恐らくは保健室だろう、その場を後にした。

 普通に考えれば、一五〇〇メートル走(女子は一〇〇〇メートルだが、同じ事だ)を中断して他の生徒の手助けをするなんて、とても考えられない。

 要するに叢雲君の中では体力測定より、怪我をしたクラスメイトを一刻も早く保健室に運ぶのが先決と考えたか、あの程度の一五〇〇メートル走の再測定の手間くらいは造作も無いと考えているのだろう。

 どちらにせよ、好きになってしまう理由が一つ、増えるだけだ。

 ────そして、私は転んだ男子を見た切っ掛けに、悪戯いたずら


 この日も、叢雲君のクラスでは前回に引き続きグラウンドで体力測定が行われる予定だ。叢雲君のクラスが体育であると言う事は、世深姉さんも体育であるのだが、男子と女子は別れて行い、女子は体育館で他の科目をやるという事は確認済みだ。

 叢雲君の教室からグラウンドに向かう通路と、体育館に向かう通路は異なっている。グラウンドに向かう通路で待ち伏せしていれば、私は鉢合はちあ

 やるなら、この時間程の好条件は無いだろう。

 私はグラウンドに向かって降りる階段、その途中の踊り場で待つ事にした。

 しばらくすると、廊下の向こうから足音がやってくる。

 叢雲君は、あまり他の男子とはつるまない。

 そして、聴こえる足音は一つ。

 足音の主を確信した私は、その足が段差を降り始めるのと同時くらいに。

 ────踊り場から下の階段に向かって転んだ。転んで見せた。

 大袈裟おおげさな音に気付いた足音は追うように駆け降りてきて、膝を付いてつんいに近い姿勢になっている私の横にかがむ。

「......世深?」

 待ち望んでいた叢雲君の顔が私の顔を覗き込んだ。呼び掛けが姉さんの名前なのが少々残念だが、まぎれも無くおもびとが目の前に居るという状況は変わらない。

 さて、ここからが肝心である。

 高鳴る鼓動こどうを抑え、私は世深姉さんに成り切らねばならない。

 この場面で世深姉さんが口にしそうな言葉を、世深姉さんのような玲瓏れいろう声音こわねつむがねばならない。

「ああ、叢雲君。丁度ちょうど良かった。......悪いけど、保健室まで連れてってもらえる? 足をくじいたみたい」

 おおむね、こんな所だろう。指図とお願いを六対四でブレンドしたようなぐさを、世深姉さんはするはずだ。

「分かった。......でも、どうしてここに? 女子は体育館じゃないのか?」

「体調がちょっと悪くなってきたから、体育に出るのは止めて、保健室に行く途中だったの。その途中で足を挫いてちゃ、世話ないけれどね」

「そうか。......とにかく、肩を貸すよ」

 すると叢雲君は私に右の肩を差し出した。一瞬その肩に自分の腕を回すのを躊躇ちゅうちょしたが、ここで何でもない風をよそおわないと不自然だ。実際、世深姉さんなら自分から腕を回しそうな場面である。

 少しの葛藤かっとうの後、私は腕を叢雲君の首の後ろに回して立ち上がった。

 保健室に向かう途中の廊下、私は上唇を巻き込んで頬が赤くなるのを何とか我慢する他なかった。

 肩を借りている関係で、どうしてもお互い、あばらの辺りが密着している。

 自分の心臓の拍動が肋を通して叢雲君に伝わっているかもしれない。世深姉さんであれば、これしきの事で心拍数を上げたりはしないだろう。

 叢雲君の顔をうかがう。身長の低い私に合わせるために腰を曲げている分、顔が近い。その顔はいつも通りである。今の所、私の事を世深姉さんと勘違いしたままのようだ。

 保健室の扉をノックすると養護教諭は不在だった。

「ベッドの所まで、お願いして良い?」

「ああ」

 ベッドの端に腰掛けると、私は実際には何ともなっていない右足をぶらつかせて調子を見るようにした。

「大丈夫そうか?」

「......大丈夫。そんなに酷くないみたい」

「なら、良かった......。あとは良いか?」

「うん、ありがとう」

「......それにしても、世深でも、転ぶ事があるんだな」

「えっ」

 それは予想の外からの言葉だったため、私は頓狂とんきょうな声を出してしまった。

 ────不味まずい、間違っても世深姉さんが出すような声ではない。

 けれど叢雲君は私の間の抜けた声に、ははは、と屈託くったく無く笑って見せた。


 世深姉さんは、中学に上がってバレーボール部に入部した。理由は単純、叢雲君がバレーボール部に入部するから。男子と女子でコートを分けるにしても、活動場所は体育館だから、顔を合わせる頻度も多くなる。

 帰り際、体育館を覗くと、男子の方はスパイクの練習をしていた。

 セッターの係の人がトスを何度も上げ、並んでいるスパイカーがわるわるそれを打っていく。叢雲君は自分の番が来ると、きゅっ、きゅっ、と靴を鳴らして軽快に跳び上がる。ボールを放物線の頂点で捉えたてのひらは優にネットの白帯はくたいを越え、鋭角なスパイクを叩き出す。ボールは勢いのまま、男子と女子のコートを分けるネットの幕を押し退けて、女子が使っているコートへ侵入してしまった。

 それに鋭敏えいびんに気付いた世深姉さんはそのボールを拾い、ボールを回収しに来た叢雲君へ手渡す。

 遠目では分からないが、何か言葉と────笑顔を交わしている。

 ────不意に、頭が熱くなった。

 意中の人を見て気恥ずかしくなるような前向きなものではない。

 痛み、ねたみ、そねみ、そして明確な悔しさ。

 あそこでボールを渡しているのが何故なぜ私ではないのかという疑問。

 世深姉さんは、母さんのお腹から私より先に出ただけ。順番が違うだけ。見た目は同じなのだから、あそこに居るのが私でも良いはず。良かった筈。

 世深姉さんは、叢雲君と偶々たまたま同じクラスになったというだけで、私が今日の昼間、保健室で味わった至福の何倍も濃密な時間を叢雲君と過ごしている。

 ────もし、私が叢雲君と同じクラスだったら。

 そんな寸分すうぶんの狂いの上で起こった歯車の掛け違いに、運命を呪う事を止められない。

 全く、こんな事なら同じ顔を持って生まれずに普通の姉妹として生まれれば、いくらか気持ちが楽だっただろうと思う。諦めも付いただろうと思う。なまじ見目みめが同じなせいで、私はどうにかなりそうな恋煩こいわずらいを起こしているのだから。

 この世は、姉さんに対して情が深い。

 もし名前が原因でこの状況が作り出されたというなら、今すぐに〝空深くみ〟にでも改名するのに。そしたら私と叢雲君は誰にも手の届かない場所へ一緒に、風に乗って何処どこかへ飛ばされたい。


きたい事があるんだけれど」

 世深姉さんが部活を終えて帰宅し、私の自室の扉を叩いた。おおむね理由はわかっている。

「今日叢雲君に〝足は大丈夫だったか〟って訊かれたんだけれど」

 こちらを睨む世深姉さんの瞳が〝説明をしろ〟と視線の槍を放っている。こうなる事は予想していたし、言い訳も考えてある。

「ごめんなさい。偶々叢雲君と鉢合わせしちゃって、咄嗟とっさに姉さんの振りをしたの」

「妹だって言わないだけ良かったけれど......、それでも叢雲君には階段で転ぶ鈍臭どんくさい女だと思われたじゃない。次から気を付けなさい」

「......うん」

 勢い良く扉を閉められ、けたたましい音が鳴る。何にそんなにむきになっているのかと、世深姉さんに背を向けるようにして座っていた椅子を机に向けなおすと、机の上に乗っていた手鏡に私の顔が映った。

 鏡の中の私は口角を上げ、挑戦的に、挑発的に、冷たい微笑をしていた。

 どうやら性格は対極という訳では無く、お互い違う方向性でゆがんでいるだけらしい。


 中間考査が近づき、試験週間になると、世深姉さんが叢雲君を〝一緒に勉強する〟という名目で家の自室に連れ込むようになった。

 家の二階、北側が私、南側が世深姉さんの部屋で隣り合わせとなっている。

 私は今日、部屋をへだてる壁際に耳をそばだてて、南の部屋の様子を探った。

 家の電話が、応対しようと世深姉さんが部屋を出る。しばらくして戻って来た世深姉さんは部屋で待っていた叢雲君に何かを言って再度部屋を出た。そのまま耳をませると、世深姉さんが階段を降り、続けて一階玄関の扉が開けられ、閉まる音も聞いた。

 恐らくは学校に再登校したはずである。

 ────朝の登校前に、私が世深姉さんの家庭訪問日時連絡票を、白紙のものに取りかえたせいで。

 連絡票の提出期日は今日まで。この日までに連絡票を記入して出していない生徒は強制的に再登校となる。

 大方おおかた、今頃提出された連絡票のチェックを始めた担任の先生が、世深姉さんの提出した白紙の連絡票を見て、不備ふびだと気付き電話を寄越よこしたに違いない。

 今現在、この家には私と叢雲君の二人しか居ない。両親は仕事で出払でばらっている。世深姉さんは暫く帰っては来ないだろう。

 千載一遇せんざいいちぐう好機こうき

 全て、計算通り。


 南側の部屋の扉を開けると、課題に向き合っていた叢雲君は顔を上げて私の顔を見た。

「......随分早かったね」

「忘れ物をしちゃってね」

「家庭訪問の紙か?」

「行ってらっしゃいの、キス」

 叢雲君の問いに間髪入れずに、私は答える。

 それを聞いた叢雲君は、目を見開いて真意を探るように私の顔を見つめた。

「......世深でも、面白い冗談を言う事があるんだな」

 目をらして頬をく叢雲君を見た私は、その叢雲君からは想像できなかった初々ういういしさに当てられて我慢が出来なくなる。

 ────遂に問答無用で叢雲君の唇を奪い、私は、迫った。

「......感想を、訊きたいな」

「────今日は、柔らかい感じがする」

 それが私の雰囲気の事を言っているのか、唇の事を言っているのかまでは、訊かない事にした。

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慆蟲花操 M.S. @MS018492

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