第19話 とある子爵家を襲った青天の霹靂2

 その日は雲一つなく、気持ちのいい晴天だった。


 ウォルシュ子爵邸の門を、一台の馬車が通り抜ける。


 報せを受けた子爵邸の人々が、屋敷の前で馬車を待ち構えていた。


 止まった馬車の扉が開かれ、最初に降りてきたのは、ウォルシュ子爵。

 硬い表情をした子爵の頬がピクピク引きつっていることに気付き、夫人と息子たちは首を傾げた。


 続いて姿を現したのは、子爵夫人によく似た、三男のイグナス。

 最後に会った時と違い、あまりに柔らかな表情になっていることに誰もが驚いた。


 そのイグナスが、愛しげに手を伸ばした先。


 レースの手袋に包まれた、たおやかな指先がイグナスの手に触れる。

 ゆっくりと馬車から降りてきた女性の顔は、つば広の帽子で隠されていた。


 自然な動作で、イグナスの片手が細い腰に添えられる。


「ただいま戻りました」


 三年前に失われてしまったと思っていた柔らかな表情と声で、イグナスが告げた。

 堪えきれず、子爵夫人がハンカチで口元を覆う。


「彼女はリディア。王都の帽子屋で働いています」


 イグナスからの紹介を受け、帽子を取ろうとした女性の動きを止めたのは、ウォルシュ子爵だった。


「まずは家族だけに話がある。ハンカチを――いや、足りないか。タオルを用意してくれ」


 不可思議な命令を下したウォルシュ子爵が、それ以上は説明しないまま、視線で問い掛ける夫人を促して屋敷へ入る。

 それにイグナスと帽子を被ったままの女性が続き。

 顔を見合わせた後で、慌てて長男夫婦と次男が後を追った。

 子爵が頼んだのだろう。長男夫婦の子供たちは、乳母が別室へと連れて行った。


 命令どおりにタオルが用意された応接室。


 家族以外の人間を残らず退出させてから、ウォルシュ子爵は、満面に笑みを浮かべて帽子の女性へ頷いて見せる。


「さて。準備は万端だ」


 それを受け、帽子の奥で、くすりと女性が笑った。


「おじ様は変わらず、いたずらがお好きなのね」


 レースの手袋を嵌めた指先がつばに触れ、ゆっくりと帽子が外された。


 こぼれ落ちた、金糸の髪。

 現れたのは、大きなアメジストの瞳。


 長男と次男はあんぐり口を開け、夫人が震える声で、呟いた。


「……アマンダ?」


 それは、ジェレーナ・ローゼンフェルドの、実母の名。


「ご無沙汰しております。今はリディアと名乗っておりますが……ジョシュアとアマンダの娘、ジェレーナです。墓より這い出て参りました」


 静まり返る室内の空気を和ませようとしたのか、リディアがいたずらっぽく笑って見せた。

 そんな彼女を愛しげに抱き寄せたイグナスが、金糸の髪へキスを落とす。


 ウォルシュ子爵家の人々にとっては、それが、何よりの答えだった。


 兄二人が歓喜の声を上げながら駆け寄って、夫人がその場で泣き崩れる。長男の妻は、夫人に寄り添って成り行きを見守った。


「嘘だろう? 本当に墓場から舞い戻ったのか?」


 体温を確かめようとしたのか、リディアへ伸ばされた次男の手を、イグナスが叩き落とす。


「これはいよいよ、本物のジェレーナだ!」

「落ち着け、デンハム。死人は生き返らない。……生きていたのか? 何があった? これまで、どこにいたんだ?」

「兄さんこそ落ち着けよ! そんなに一気に答えられる訳がないだろう」


 気取った話し方など忘れ去り、少年時代へ戻ってしまったかのようなイグナスの兄達へ、両手を広げたリディアが飛び付いた。


「ロナウド、デンハム! また会えて、とっても嬉しいわ!」


 ほっそりした体を受け止めて、兄二人の目から、大粒の涙がぼろりとこぼれ落ちる。


「……ちゃんと、温かい……生きてるんだな?」

「生きてるわ、デンハム」

「生きていたのなら、何故すぐに知らせなかった。俺たちが……イグナスが、どんな思いで君の墓前に立ったと思っているんだ」

「ごめんなさい、ロナウド。泣かないで」


 この時ばかりはイグナスも、黙って涙の再会を見守った。


 そんな彼らの背後から、か細い声が、彼女を呼んだ。


 涙に濡れた夫人の声に気付き、兄二人はリディアから身を離す。

 イグナスが無言で差し出したタオルを受け取って、兄二人は笑いながら顔を拭いた。


「おば様」


 腰が抜けてしまったのだろう、床に座り込んだまま両手を伸ばした夫人へ駆け寄り、リディアは迷わずその胸へと飛び込んだ。


「ジェレーナっ」

「はい、おば様」

「あんなことになるのなら、貴女のお父様が亡くなられた時に引き取ってしまえば良かったと、どれほど後悔したことか……っ」

「……ごめんなさい。おば様」

「貴女は何も悪くないわ。不甲斐ない大人を許してちょうだい。……よく、生きていてくれたわ」

「生き延びるために、私、たくさん頑張りました。事情はちゃんと話します。でも今は、頑張ったねって、褒めて? おば様」


 甘えてすり寄ったリディアの頭を何度も撫でて、夫人は泣きながらも、彼女の望みを叶えてくれる。


「貴女のことだから、きっと、たくさん頑張ったのでしょうね。偉いわ。いい子ね……よく、頑張ったわ」


 堪えきれなくなったのか、声を上げてリディアが泣き出して、見守る誰もが涙をこぼした。


 その後、涙に濡れた応接室では、子爵が用意させたタオルが大活躍だった。

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