第16話 とある王子の話2

 伯母上は、優秀な人物だったらしい。

 彼女が男だったのなら間違いなく、誰の反対もなく、彼女が王位を継いでいただろうと父が言っていた。


 歴代の国王の中には、女王もいた。

 だから、彼女にも継承権はあった。ただ女性は男よりも、継承順位が低かった。


 継承順位は低いが、資質の高い王女。


 継承順位は高いが、資質の劣る王子。


「私は姉上に恥じぬよう、努力し続けなければならんのだ」


 祖父が身罷り、王位を継いだ父がこぼした言葉。

 父の憧れは、伯母上だということなのだろう。



 泥沼となり掛けた継承者争いが呆気なく幕を閉じたのは、伯母上が継承権を放棄し、王族から離脱したためだ。


「幼い頃のわたくしの夢は、王となり、この国のために尽くすことでした。立派な王となれる自信もあった。だが、他者の命を奪ってまで、欲するものではないわ」


 そうして伯母上は国を去り、愚かにも、我が国は優秀な人材を失った。


 貴族たちの失態だと、国民は口を揃えて批判した。

 その批判も時が経つに連れて鎮まったのは、父の努力の結果なのだろうと思う。


「俺はもしかしたら、ジェレーナと伯母上を重ねているのかもしれんな」


 腹違いの弟が産まれたがために、生まれ育った家を含めた全てを、彼女は自ら手放した。


「全てでは、ないのではなくて?」


 我が子を抱く妻の言葉に、首を傾げる。


「イグナスがいるわ。彼女がどうしても、手放せなかった人」


 確かにそのとおりだが、何だか少し、悔しいのだ。


「兄と呼んで慕うのなら、何故ジェレーナは、俺を頼ろうとしなかったのか」

「ウィルは本物の王子様だけれど、彼女の王子様ではないからよ」

「しかしだな、イグナスよりも俺のほうが上手く対処できるのだぞ? 権力の力でな」


 納得がいかないと漏らす俺に、おっとりとした笑みを浮かべて妻は言う。


「対処してほしい訳じゃなかったのよ。彼女が欲しかったのは、彼だけだった。その証拠に、彼女は帽子屋のリディアのままでいることを望んでいるのでしょう?」


 妻の言うとおり、彼女はあの晩、告げたのだ。

 ジェレーナ・ローゼンフェルドの死の真相を語った後で、望みを口にした。リディアとして生きていきたいのだと。


『ジェレーナは、自ら命を立ったの。だから、罪を犯した人間はいないわ。私が命を狙われていた証拠は、何一つ残っていないもの。罰を受けるべき人間は、存在しないの。義母は、空の棺で葬儀を行っただけ。遺産放棄の書類に、ジェレーナ・ローゼンフェルドがアリソン伯爵家の人間じゃなくなるための書類。私は私の意志で用意して、全てに正式なサインをしてきたわ。アリソン伯爵令嬢ではなくなった私が命を狙われないための手は、打ってあるのよ。……義母が、ただ私を殺したいだけなら棺はきっと、空の状態で埋められることは、なかったんじゃないかしら』


 彼女は、誰かを罰することは望んでいない。

 だけどリディアの平穏を守るためには、まだやるべきことがあるように思うのだ。


 帽子屋の周囲に護衛を配置して、イグナスが彼女にべったり張り付いて。だが、それだけでは不安は拭えない。


「ウィルがアリソン伯爵令嬢をそこまで可愛がっていたなんて、初めて知ったわ」


 妬いた訳ではなく、ただ事実を口にしたのだろう。


 妻を片手で抱き寄せ、俺は、過去へ想いを馳せる。


「俺がアリソン伯爵邸に滞在したことは、秘されていたからな。――あの頃、ただの拗ねた子供だった俺を変えたのは、ジェレーナとアリソン伯爵夫人なんだ」


 あの出会いと、あの時間がなければ俺は、王太子という役目の重圧に耐えきれなかったかもしれない。


「夫人は、的確な助言をくれる方だった」


 そんな夫人を、伯爵は心から愛していた。


「生意気な人形姫は、五つも下のくせに大人びたことを言う子供だったな。バカにされるのが悔しくて、勉強に身を入れるようになった」


 頑張れば、二人が褒めてくれた。

 ご褒美だと言って開かれるお茶会で出された、夫人とジェレーナが作ったという焼き菓子は絶品で。これのためなら、もっと頑張ってもいいかもしれないと思ったものだ。


「俺はあそこで、子供時代をやり直したような気がするんだ」


 そこまで長い時間を過ごした訳ではないのに、記憶に焼き付いて離れない。

 温かで、優しい場所。

 ジェレーナは、俺の可愛い妹だった。


 そうして、思い至る。


「俺が悔しいんだ。あの場所が、奪われたことが」


 彼女のために憤っているつもりで、真実は、俺自身の感情だったのだ。


 妻の手が伸びてきて、そっと頭を撫でられた。


「わたくしも、お会いしたいわ。貴方の大切な妹君に」

「そうだな。君に贈る帽子を注文したんだ。一緒に取りに行くか」

「ええ。喜んで」


 王太子が王太子妃を連れて来店したら、あの店主はどんな顔をするのか。今から楽しみだ。

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