可茨城ブルース

カナンモフ

夕張メロン

束縛


 朝、目覚めたら病室の中に居た。事故か何かでここに来たんだとしたら良かったのだが、生憎そうではないらしい。パラマウント製のベッドの手摺には、手錠がかちりとはめられている。目の前の椅子には淡い茶色のコートに所々が色褪せたハンチング帽を被った男がさも当然のように座っていた。


 「お目覚めの所失礼。まずは私から身分を名乗らせて頂こう。私は茨城県警から貴方の事情聴取をしに来た、田中雄三です。貴方には、2件の殺人、器物破損1件と、容疑がかけられています。今はまだ頭がぼんやりしているでしょうから、ゆっくりでいいので私の質問に答えてください」

 「はあ….?」


 か細い声は直ぐに騒がしいテレビ音声でかき消された。殺人、器物破損、人生の破滅には充分だろう。あの刑事が言っていた通り、頭がまだぼんやりしている。簡易な机の上から、水の入ったコップを持ち上げた。




 


 ビー玉を転がすと、昔の苦い記憶が蘇る。幼稚園の頃に、綺麗だったビー玉を無断で家に持ち帰ってしまったあの記憶。ラムネに入っていたこのビー玉と例のビー玉では格が文字通り違うが。今日はじめりとした熱気が鬱陶しい五月の日、旧友からのlineで、適当な田舎町を巡ることにした。


 旧友の名前は坂田源吾。本人は余り人に知られたくなかったようだが、彼の家は代々からのアスリート家系で、私が2年前に最後に会った時には、グラウ•マガの道場に通っていると言っていた。駅に一足早く着いたので、手にくっつくほどに冷やされたラムネを相棒にして奴を待っている。普段通りのカラッとした熱気であれば何かを飲めば耐えられるものだが、どうにもこの人を煽っているような湿り気混じりの熱はそう簡単にはいかない。


 ガラス製の容器を絞り尽くすように飲むが、余り緩和はされていないようだ。淡々と気温は増していくし、それに従って湿度も増えていく。五月病という言葉は有名だが、発祥も何となく予想がつく。こんな地獄が続くんだ、病気になっても仕方ない。そんなことを思っていると、ひたひたとした足音がこちらに向かって響いてきた。


 「おーい! ごめんな、待たせて!」


 現代に蘇ったミノタウルスかと見間違えてしまいそうな程の肉体、厚い革ジャンの上からも分かるほどの、を持った男が耳障りな高い声で話しかけて来た。坂田だ。


 「まあいいよ。久しぶりにラムネも飲めたし、ほら、綺麗なビー玉だって見れた」


 坂田はただでさえ大きい目を見開き、こちらを不思議そうに見た。


 「お前の妙に子供っぽいところは変わらないんだな。俺はこんなに変わったってのに」

 「そんなこと言ってる間はまだまだ昔のままだよ。簡単に自分を変えるなんて出来ないからね」


 坂田は軽い同意をした後、今回の目的地について説明し始めた。可茨城県、県とついてはいるが、その実態はカルト集団。茨城県の名前が豪華過ぎるという理由から青年たちの内輪ノリで作られた小さな町だが、直様思想家たちに目をつけられて真性のエセ宗教集団へと変化した。現在は廃墟のみが残っており、特異な観光名所となっているとのことだ。


 「廃墟巡りなんて約束した覚えはないんだけど?」

 「良いじゃないか、こんな時でもないと行かないだろ」


 目的地までは小さな山を超え、川を渡り、埋め立てられた山道を歩く。三つの試練が待っていると思うと気が遠くなった。流石にこの湿気でそれは厳しいだろう、なんとか説得をし、近辺にある桟橋町へと向かうこととした。駅から10分、周りには旧式の郵便ポストや果てしなく見える公園。ノスタルジックな町だと思う、実際にここが家だったらとすると寒気がするが。景色こそは都会の雑多な光景を圧倒しているが、よく見てみるとまともに営業している店はかなり少ないようだ。隣町までは二時間以上は掛かるだろう、住めば都、ではなく住んだら地獄だ。


 「ホテルなんてもんは豪華過ぎて無さそうだなぁ、個人経営の民宿が関の山だろ」


 彼はそう言うが、民宿と思えそうな建物も見当たらない。私としては、もうなんでも良いから休みたい気分だった。タンタンと地面を黒皮靴で弾きながら進んでいた坂田も、しばらくするとずりずりと地面を削りながら進むようになってしまった。そんな時、『温泉宿 中野』と書かれた看板が現れた。私たちは料金も見ずに颯爽と中へ駆けた。


 中は修繕で切り貼りされた木材が目につくが、一般的な温泉宿だった。木製の受付にはエラの張った顔と、剃り残しの多いスキンヘッドが特徴的な男が股を開いて座っている。男の目にはビーズを幾つも重ねて光で照らしたような輝きが詰め込まれていて、容姿とは真反対に感じた。私たちの姿を見た男は愛想良く笑顔を作り、受付の横に貼り付けられた料金表を指差した。


 『一泊で2000円、二泊で3500円、泊まり込みで一週間働くならタダ』


 泊まり込みで一週間、都合の良い恋愛漫画でしか見たことないような文字だ。しかし、今回は二泊にしておこう。何度も繰り返すようだが、こんな暑さの中で仕事なんてしたくはない。男に2人で計7000円を渡し、部屋の鍵を受け取った。男から深夜の外出は少し危険だと忠告をされ、不安になったがすぐに気にしなくなった。


 部屋に印象が残るようなものはなかった。無地の布のような至って簡単な作りの部屋だった。漆色のはんぺんのような布団が二つ雑に置かれていたが、目立って汚いところは私の卑しい目にも止まらない。脛の辺り程度の高さの机に荷物をあらかた乗せ、広げた布団へと身を投げた。


 「今思ったんだけどよ、夜の外出が危険だってのは少し変じゃないか? 田舎町で起こる危険ってのは何かね、熊でも出んのかな」

 「夜道に街灯が無いからじゃない。暗くて何にぶつかるかわからないから危険って言ってたんでしょ」


 私の回答はとてもつまらないものだったようで、坂田は無言になってしまった。スリルを求めるのも否定はしないけれど、俺としてはゆっくりとした休暇を過ごしたい。ボストンバッグのチャックを手こずりながら開き、スマートフォンを取って時刻を確認すると、まだ一時にもなっていなかった。町を歩いていた時は途方もない時間が過ぎているかのように思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。田舎というのは中々過ごしづらいものだ。


 「旅館に泊まるのは修学旅行以来だ」

 「中学? 高校?」

 「そりゃあ高校だろ。京都と奈良、鹿せんべいが高くついたな」

 「あれってタダじゃないの?」

 「世の中なんでも対価が必要なんだよ。得られたものがどんなに小さくてもな」

 「話の飛躍が凄いけど、哲学書でも読んだの?」

 「痛いところばっかり突きやがって、ああ、そうだよ、文庫本で買ったんだ」


 坂田は自分の革製のハンドバッグを開け、小さな二冊の本を指差して見せた。しおりはどちらも半分を超えてない、読み終わる頃には大学生活も終わっているだろう。ソクラテス、プラトン、哲学には余り興味がないが、名前くらいは知っている。


 「高卒の友達が急に哲学に目覚めたんでおすすめを聞いてみたら、この二冊が入門だと言われてな」

 「ふーん、良いんじゃない? 哲学者の言葉を引用する奴はモテるらしいよ」

 「あらかた読んだらまずはお前で試してやるよ」

 「顔が良いのも必須条件に入ります」

 「高望みをしやがる」


 実際のところ、坂田の顔は悪くはない。鼻筋がするりと伸びていて、眉は細く均等に整っている。堀が深く浅黒い肌は、東南アジアの失われた民族の末裔だと言われても違和感はない。しかし、積極性が余りないのが駄目なんだろう。年々別の方向性を試しているのはsnsから伝わってくるが、アピールが足りていない。あとは声の気色悪さもあるが。


 「さて、外に出て大自然を浴びるか」

 「名物でも食べに行こうよ、記念になることが一つは欲しい」


 財布とスマートフォンを手に取って宿から出た。空の色は青く、澄み切っていたがどこか目障りだった。旧世代の建物たちは意志を示さずにだらしなく立ち並んでいて、敗北者特有の一体感を出している。せめて床にゴミでも撒き散らされていたら、この気が滅入るような場所から抜け出せるんだが。幾つはあったはずの缶やボトルも跡形が無く、フローリングされた床は赤い太陽に煌々と照らされ続けていた。雑貨店の窓が中のLEDライトで照らされているのが見え、入ることにした。


 中にはバンドのtシャツを着た特徴のない老人が一人で会計に座っていて、明るく挨拶をしてくれた。飯を食べに来たのに何で土産物を先に買いに来てしまったのか、それは単純で、他に店がやっていないからだ。木刀が突き刺さったバケツ、蝙蝠の意匠が彫られたメリケンサック、どう考えても売り物じゃないだろう。いや、メリケンサックはちょっと欲しいかもしれない。


 「お、金太郎飴売ってんじゃん。美味いんだよなこれ」

 「ガラスみたいな奴? 絵が入ってる奴?」

 「こっち来て見れば分かるだろ、絵が入ってる奴だよ」

 「蝙蝠のメリケンサックに目を取られてるから、、行けない」

 「不思議ちゃんキャラで通せると思ったら間違いだぞ」

 「文節と文節の間を二拍空けるのがコツだよ」


 メリケンサックの値段は5600円、強気に出てるな。いいだろう、買ってやるよ。手に馴染むかを確認して会計に持っていった。坂田は金太郎飴と懐中電灯を買ったらしい。渋いチョイスだ。がらがらと扉を開いて外に出て、再び例の道に戻った。メリケンサックを試しに何度か素振りしていると、坂田に肩をぽんと叩かれて止められた。


 「一回駅に戻ってみるか? この町は何もないのが分かったからな」

 「それ、いいかも」


 来た道を戻って駅へ行く。駄菓子屋は既に閉店していた。あのラムネ、結構美味しかったな。


 「まあ、何もないわけだが。すまんな、こんなとこに連れてきて」

 「謝ることじゃないよ。君と久しぶりに会えただけ良かった」

 「嬉しいこと言うじゃないか、惚れてしまうかもしれん」

 「惚れて貰っても構わないんだけどね」





 ….ここまでが私の覚えている確かな記憶だ。坂田は一体何処に行ったんだ? あれから何が起こったんだ? 刑事は私の話を聞いて神妙な顔をして口を開いた。


 「どうやら、貴方は一時的な記憶喪失の状態にあるようだ。私たち警察の持っている資料によると、貴方は宿に戻った後、温泉宿の主人とバイトをしていた男性を殺害したと見られている。何も、貴方が犯人だと決めつけているわけじゃないが、現場に残っていたメリケンサックに貴方の指紋がバッチリと残っていてね。こうして話を聞くこととなっているわけだ」


 刑事は袋に入ったメリケンサックをゆらゆらと揺らし、私を煽った。記憶が少し掘り返され、流れ出る。




 旅館に戻ると、LEDライトを無理やり捻じ曲げて顔にくくりつけた二人の男が私たちを出迎えた。時刻はいつのまにか午後8時を示している。暗さなど感じなかったのに。男たちは私たちに飛びかかり、腕を捻り上げ、拘束した。坂田は何度か抵抗したが、バットで腰を何度か殴られて座り込んだ。男たちは捻じ曲がった茨のような蛍光色の間から眼を覗かせた。


 「茨城県から来た人間は、可茨城への入国を許可されていないのは当然のルールだよな?」

 「茨城県なんて県から来たやつは、殺してもいいのがルールになっている」

 

 一人が樽を運んできた。中には蠢くものがいるらしく、激しく樽を揺らしている。


 「夕張メロンのあの尊大な翠、あれの正体は人の筋繊維だ。今から貴様らには、製造過程を見てもらう。これが、可茨城県の信念だ」


 ガラス片を樽の中に男がばら撒く、蠢くものは痛みに身を悶え、更に樽を揺らした。樽に空いた小さな隙間から血が垂れる。次に、男はアルコール容器、4Lはあるだろう、を取って樽の中へ注ぎ込んだ。樽の揺れが大きくなると同時に、くぐもった悲鳴が耳に飛び込んだ。流れた血と無色透明なアルコールが混ざる。薬用品特有の鼻につく匂いが辺りに漂い、不安を増加させる。


 「熟成させる。今から体が輝くぞ」


 頭に括り付けられたLEDを素手でちぎり、樽の中に男が放り込む。ぱちぱちと火花が散って樽が赤く炎を生み出した。揺れは徐々に収まり、燃え尽きる時には同じ炭になっていた。もう一人の男が掃除機を持ってきて、その炭を吸い込む。


 「失敗だ。しかし、これで製造過程は理解できただろう。茨城県の特産品である夕張メロンは、成功した場合に出る翠色の粉末を塗されて完成する」


 男は夕張メロンを木製の箱から取り出し、私たちの目の前へ置いた。口を開かれ、メロン齧らされる。酸っぱい味と、饐えた匂いが飛び込んだ。目をメロンに向けると、うねったホースのような物体が中に入っている。恐らく….喉元から物体が跳ね返り、外に漏れた。


 「うぇ….あ….」

 「これが、真の夕張メロンだ」


 こんなのが夕張メロンであってたまるかよ。坂田を横目で見ると、今にも男へと襲いかかろうとしているようだ。


 「良し、次は新鮮な少女の肉体を使う。君のことだよ、お嬢さん」


 言葉が紡がれ、樽が置かれ、坂田が襲い掛かった。男のLEDライトが割れて顔面に突き刺さる。頬骨がやけに目立つ素顔だった。一回、二回、鷲掴みにされた頭は床に叩きつけられ、木製の板にじんわりと血が滲んだ。もう一人の男の顔面へと咄嗟に手に握っていたメリケンサックをめり込ませた。蝙蝠の意匠に血が掛かり、割れたライトの破片が手の甲を切り付ける。二人の身体は床に落ち、動かなくなった。






 「ええと、今の物語は本当の話なんですかね?」


 私の話を聞き、刑事は眉を顰めて尋ねる。


 「坂田は別の病室ですか? そいつにも聞いてみてください」

 「はあ、丁度坂田さんにも事情を伺うつもりでしたからいいですが。でもまあ、確かに辻褄は合いますねぇ…. 」

 「刑事さん、世の中には不思議なことがたくさんありますよ。まあ、私はもう田舎には行きたくありませんね」

 「茨城県のこと馬鹿にしてます?」




 可茨城ブルース 完

 

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可茨城ブルース カナンモフ @komotoki

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