婚約破棄とか隅っこでほざいている方がおりますが、世界滅亡を食い止めるのに忙しくてそれどころではありませんわ

二川よひら

本文

「サフィニア嬢、貴様との婚約を破棄ぃいいいいいーーーー!?」

 ちょっぴり顔が良いだけが取り柄の男は、強風に煽られ吹き飛んでいきました。彼の背後に金魚のフンみたいにくっついていた小柄な少女は、吹き飛ぶ彼を避けて何とかその場に踏みとどまったと言うのに、情けないお話ですわね。

「さ、サフィニア様っ、私も信じたくは無かったのですが、私へのいじめは全てあなたのしわざぁああああーーーー!?」

 あ、その少女も次の一波で吹き飛んで、先に吹き飛んだ彼の隣にべしゃっと落ちました。ドレスがめくれてあられも無い姿になっておりましてよ。

「いけませんわクォート王子、と、初めましてのお嬢様。地面にキスしている余裕など、この状況下には本来存在しないもの。わたくしの手を、あまりわずらわせないでくださいませ」

 わたくしは暇では無いの。言葉の端にストーレートにそう滲ませると、地面のおふたりは仲良くがばっと顔を上げて忌々しげにわたくしを睨みーーその視線がそのまま私を外れて上空へと向かい。やがておふたりは、顔を真っ青にしてプルプルと、生まれたての子鹿のように震え始めました。

 彼らの視線の先に、空間すら歪めるようにゆらりと現れたのは、天をつくほど巨大な、尻尾の無い蜥蜴とかげのごとき生き物。2本の脚で立ち上がり、口から蒼い炎をちろりと吐き出す黒色の巨体は確かに、世界を軽く滅する実力の持ち主です。

 でも、おかしいですわね。

 蜥蜴は今、巨体から波動のように殺意の波動を発して、いたずらに大気を掻き乱すのみ。

 確かに恐ろしい存在ではありますがーーわたくしが手を打って、何もできない状態にしております。安全は確保されておりますのに、それすらおふたりには感知できないのかしら。

 と言いますか、まさか、威圧の余波で転げるほど、クオート王子は脆弱なのでしょうか。わたくしは軽く頬に手を当てます。

「ササササフィニア嬢、ここここれはなんだぁああ!?」

「語尾を情けなく裏返らせないで下さいませ、クォート王子。あなた様は仮にも、わたくしのーーええと確か、4番目の婚約者ではありませんか」

 あ、でも先ほど、婚約破棄とかちらっと聞こえた気がいたします。どうでもいいことではございますが。

「は? えっ、何? 4番目ってどういうことだサフィニア嬢? 初耳なのだが!?」 

 地面から顔を上げた王子に、さらに強風が直撃。彼は右に左にゴロンゴロンと風に弄ばれます。わたくしは、過去、王子がわたくしに語った威勢の良い言葉の数々を思い出して、やれやれとため息をつきました。

「紳士たるもの、いたずらに地面へ膝をつくものではないと仰ったのは、確かクォート王子でございましたわよね? いつまで隙だらけの格好をされているおつもりですか?」

「質問に答えーーってうぁあああああ!?」

 とびきり大きな余波に見舞われ、クォート王子の身体は木の葉のように彼方へ吹き飛んでいきました。

「ーー4番目ってなんだぁあああサフィニアっ、この悪役令嬢めぇええええ」

 そんな捨て台詞が聞こえた気がして、わたくしは小首をかしげます。

「まあ、『悪役』ですか?」


 これから、この世界をお救いいたしますのに?


 ◇◇◇


 クォート王子を吹き飛ばした風は破壊の前兆。どうやら、わたくしが施した足止めの封魔陣が破られたようでございます。風はますます獰猛に猛り、脈打つように襲ってきます。

 わたくしは両の足でしっかりと地面に立ちます。ドレスの裾ひとつ、髪の一筋さえ。この風に弄ばせるつもりはございません。

 わたくしの心は凪いでおります。

 ただひとつ、心の片隅に引っかかるものは。

『ーーあのね、サフィニア。もしもわたくしが全く別の何者かに変われるとしたら、人の営みなどには無関係で無関心な暴虐の化身として、全世界に対し平等に災禍を振り撒く、巨大な蜥蜴になりたいですわ』

 幼い日、この世界で初めて出来たお友達が、秘密を共有すると言ってこっそりと耳打ちした言葉だけ。甘やかな記憶の1ページだけですわ。

「夢を叶えられましたのね、素晴らしいですわ。でもーー」

 あなたの存在がこの世界に興味を抱かせました。あなたの突拍子も無い言動が、わたくしをこの国に留まらせました。この世界でのわたくしの地位として、公爵家の養女を選んだのも、あなたのため。わたくしの力を望むこの国の王から、半ば強引に押しつけられた王子との婚約を飲み込んだのも、国ごと、世界ごと、あなたを守る正当な理由となるからですわ。

 それでも。

「実際に災禍を振り撒くことだけは、させるわけには参りません」

 そして私は額に意識を集中しーー自身の身体を4つに分けました。

「おいちょっと、唐突に増えるなよっ!」

 背後からの予期せぬツッコミに、わたくし達はそろって振り向きました。

「って言うか動き揃いすぎだろきっしょ、気色悪っ!」

 先ほどと違って乱暴な言葉遣いでこちらを睨み付けているのは、王子と一緒に転がっていったはずの、初めましてのお嬢様でした。軽くウェーブの掛かった艶のある赤毛はくしゃくしゃで、ドレスもお顔も土埃にまみれていらっしゃいます。先ほどまでは、少し不安げかつ可憐な、率直に言えば男好きしそうな表情を浮かべていたはずの彼女ですが、わたくしを睨み付けている目元からは、勝ち気な性格が滲み出ております。

 正直、王子の金魚の糞をしていた先ほどまでよりは、よほど見る価値のありそうな雰囲気を身に纏っていらっしゃいますわね。強くなった風に対抗するすべを見つけたところも、素直に褒めたいところです。

 わたくしはーーややこしいので、わたくしα、わたくしβ、わたくしγ、わたくしδといたしますねーーわたくしδだけをその場に残して、残る3人を蜥蜴に向かってえいやっと飛び立たせました。仕事を始めるのに、有余はあまりございません。

「ちょっ、空飛んだ!? 道具も詠唱も何も無しで、あんな綺麗に飛び立つなんて! 分身魔法なんて聞いたこともないし、あんたさっきから、高度な技を使い過ぎじゃない!?」

 あんぐりと口を開ける彼女に、わたくしは微笑んで呼びかけようとし。お名前を知らないことに気付きました。

 といいますか、わたくしと彼女は、やっぱり初対面だと思うのですが。

 魔法に造詣があるということは、わたくしが通う王立学校の生徒でしょうか。しかし、正直なところ、有象無象の顔などよく覚えておりません。

 困った末に脳裏に浮かんだのはーー先ほど彼女が転がった時にチラ見えした、乙女の秘密でございました。

「ええとーーホワイト嬢?」

「誰がホワイト嬢だ。どっから出てきたその名前。何かやな予感するんだけど?」

 わたくしは右手を軽く頬にあてて小首をかしげました。残念、物事はそれほど単純では無かったようですわね。

「あたしの名前はサンドラ。お高くとまった公爵令嬢様には、平民の特待生なんて眼中になかった訳ね、フンッ!」

 彼女の言葉で、頭の中で記憶が蘇りました。確か、向こうで破壊の波動をまき散らしているわたくしのお友達が、たいそう優秀な特待生が平民から出たと噂していたはずです。艶めく赤毛が美しい、素敵なお方だとか。あれは、目の前に居るサンドラ嬢のことでしたのね。

「それにしても、何なのよこの状況! あんたに冤罪をでっち上げてクォート王子とラブラブ成り上がり大作戦のはずが、どうしてこんなカタストロフィな化け物が突っ立ってるのよ! これ、あんたの仕業なの!? なら何とかしなさいよ!」

「わたくしのせいなど、心外でございますわ。この度の騒ぎは全て、わたくしのお友達のせいでございますの」

「はあっ!? ちょっ、友達は選べよお前!?」

「あら、選んだからこの状況になっているのでございますわ」

 口元に手を当てながら、私は微かに微笑みます。毒づきながらもわたくしに向かって忠告を発するあたりに、サンドラ嬢の善性を見たからですわ。

 何やら、冤罪をでっち上げたとも自白しておりましたが。まあ、些細な事です。

「それにーー」

 わたくしは両腕を広げます。動きに合わせて、3枚のパネルが宙に浮かび上がり、飛び立っていったわたくしα、β、γの姿を映し出します。音声感度も良好。バッチリですわね。突然現れたパネルに、サンドラ嬢がビクリと肩をふるわせたのが分かりました。

「ーー既にもう、何とかする手は打ちはじめております」

 わたくしδの役目は、ここで殺意の波動を緩和しつつ、全体の状況を俯瞰して万一の事態に備えること。既にわたくしα、β、γは所定の位置に付いて、作戦行動を開始しようとしているところでございます。

「さあ、始まりますわよ。ここはある意味、特等席でございますわね。とくとご覧下さいませ」

 わたくしの言葉に、サンドラ嬢がごくりとつばを飲み込みました。


 ◇◇◇


 わたくしαの担当は、頭部。

 地獄の業火を超えるであろう温度の炎を吐き出すであろう、禍々しく裂けた口を何とかしませんと、大陸中が火の海になってしまいますわ。何としてでも、炎を吐かれることだけは阻止しなければなりません。

 足止めの封魔陣が切れた今、彼女の口もまた自由を獲得しておりますわ。カッと開かれた口腔の奥で、莫大な魔力を秘めた魔法陣がバチバチと火花を散らして炎のブレスを生み出そうとする、その刹那。

 わたくしの妨害陣が、口腔の魔法陣と干渉。緻密にくみ上げられたブレスの魔法は霧散します。

 後に残るのは、静寂のみ。

 しかし、蜥蜴の口中では次の魔法陣が早くも展開されております。先ほどは地獄界の邪神名を元に構築した術式であったのに、今度は全く違う、外宇宙の方角に関する数理を転用した理論。もちろん、対応するわたくしも、1から対抗術式をくみ上げなければなりません。すんでのところで打ち消しが間に合い、私の額に一筋の汗が流れます。

 その後も、蜥蜴が構築する陣を解析しては破砕する、綱渡りのような時間が流れます。

 ことごとく術を邪魔された蜥蜴は、憎々しげに私を睨みます。

 彼女の理性はどこまで残っているのでしょうか。わたくしを覚えていれば良いのにと願うのは、わたくし自身の勝手な感傷に過ぎませんがーーそれでも、願わずにはいられません。

 だって、これほど高度な魔法戦は久しぶりですもの。

 はしたないことに、気分が高揚するのを抑えきれませんわ。

 この喜びを彼女にも感じて貰いたい。そう願う事くらいは許されてもいいでしょう。

 そんなわたくしの心の揺れを映し出したかのように、目の前の空間が揺らぎます。慣れた気配に、わたくしの口には自然と笑みが浮かびました。

「ーー大賢者サフィニア様、見学に参りましたよ」

 時空の歪みから現れた人影は、わたくしのかたわらに立つと、柔らかな口調でそう言いました。

「来ると思いましたわ、魔術王エメラルダス様」

「ええ。私の世界にいるあなた様に、見学を勧められましたよ。滅多に見られない魔法戦が見られるというのは、どうやら事実のようですね」

 腰まで流れる金糸の髪に、尖った耳。彼は眼鏡の奥で、目が覚めるような緑の目を細めて周囲を興味深げに眺めております。

「しかしこれはーー予想はしておりましたが、私の出る幕はなさそうですね」

 エメラルダス様は大げさな仕草で肩をすくめます。残念がっていると言うよりも、知的好奇心の方が勝っているようですわね。

「あら、分かりませんわ。わたくしの対抗術式がいつか、失敗する可能性もありますもの」

「ご冗談を」

 エメラルダス様はくつくつと笑います。

「戯れで自身の魂を我が魔術世界に転生させた大賢者。我々の魔術理論を千年先へと導いた偉大なる存在が失敗するなど、それこそ考えられませんよ。最もーー」

 エメラルダス様は言葉を切ると、優しく、そして、イタズラっぽく付け加えました。

「サフィニア様の3番目の婚約者としましては、少しくらい心配させてくれても良いのにと、邪な心を抱いてしまいそうですよ」

 そうしてエメラルダス様は、宙に浮いたまませわしなく頭を動かすわたくしを、後ろからそっと抱きしめました。

「私と婚約したのは、私の世界に転生したサフィニア様ですがーー今だけはせめて、こうさせてください」


 ◇◇◇


「美形っ! 知的ロン毛眼鏡エルフなイケメンがいきなり登場してあんたのひとりとイチャコラしてるんですけど何!? ってか大賢者!? しかも何で異世界転生してるのあんた!」

 あああああツッコミが追いつかない。と、サンドラ嬢が頭をかきむしります。

 わたくしとしては、魔力戦の感想の方をお聞きしたかったのですがーー確かに、見た目には魔法陣が現れては消えるだけですので、究極的に地味なのはいなめませんわね。

「しかも、は? 何? 3番目の婚約者? ってことはまさかーー」

「ええ、まさかですわ」

 血走った目を向けるサンドラ嬢に、わたくしは優雅に微笑み返しました。


 ◇◇◇


 わたくしβの担当は、脚部。

 天をつくほどの巨体を誇るこの蜥蜴が一歩でも足を踏み出せば、その単純な重量だけでも周囲に甚大な被害を生むに違いありませんわ。運悪く、蜥蜴の巨体が現れたのは、城下町のほど近く。その足が一歩でも市街地方面へ振り下ろされれば、どれだけの被害が生じるか、想像したくもありません。

 足止めの封魔陣が切れた今、彼女の脚部もまた自由を獲得しておりますわ。黒色の分厚い皮膚の下で、筋肉がグンとたわめられ、その脚がゆっくりと持ち上がろうとする、その刹那。

 蜥蜴の脚部の近くに降り立ったわたくしは、両手を組み合わせ、そっと、目を閉じました。

 私の祈りに呼応して、蜥蜴の足元に広がる地面がざわつき、緑が一斉に芽吹きました。今回わたくしが呼びかけたのは、主にツタを伸ばす植物たちです。彼らは一斉に伸び上がると、今にも地面から浮き上がりそうだった蜥蜴の脚を、地面に固く縫い止めました。

 再び動きを封じられた蜥蜴の足先で、鋭い爪がガリガリと、悔しそうに地面をひっかく音がします。強大な力に負けてブチブチ千切れるツタの音も。それに倍する植物の成長を鼓舞しながらも、わたくしは思わずにはいられません。

 今は蜥蜴の姿となった、わたくしのお友達。彼女は、ことのほか植物を愛しておりましたわ。その彼女がこうも無造作にツタたちの生命を手折っていく。

 私は少しだけ心を揺らします。

 あなたの理性は消えてしまったのかしら。それとも、愛しているからこそ、破壊する喜びも大きいのかしら。

 一瞬だけ、感傷の思いで祈りが揺らぎそうになり、わたくしの額に冷や汗が流れます。

 植物たちの献身に感謝しながら、わたくしは心を真っ直ぐに、身体の隅々まで白く透明な何かに包まれるようなイメージを抱き、固く、固く祈り続けます。

 極限まで研ぎ澄まされたわたくしの背後で、空間が揺らぐ音がしました。そうして、降り立つ足音も。

「ーー聖女サフィニア、見届けに来たぞ」

 目を開けなくても、声だけで分かります。

「来ると思いましたわ。冥界王ルビウス様」

「無論。聖女が起こす奇跡が見られると、我の世に滞在するお主が言ったのでな。お主の奇跡が見られるなら、どこへだって足を運んでこの目に焼き付けよう」

 クセがありあちこち跳ね飛んだ銀糸の髪に、漆黒の角。血のように赤い目をした彼は、そっと、包み込むような距離感で私の隣に立ちました。

「しかしこれは、我の出る幕は無さそうだな。まあ、予想の範疇だが」

 ルビウス様は少しがっかりした調子で言います。最も、声の響きからは、彼が少しだけ面白がって居る事が感じられますわね。

「あら、分かりませんわ。わたくしの祈りがいつか、負けてしまうかもしれませんわ」

「まさか」

 ルビウス様はクスリと笑います。

「何万年もの間実り無く、略奪しか知らなかった冥界に召喚されし清らかな聖女。不毛の地に農業を興し、真の豊かさと世界平和をもたらした大なる存在が敗北するなど、それこそ考えられぬな。最もーー」

 ルビウス様は言葉を切ると、優しく、そして、少し照れたように付け加えました。

「サフィニアの2番目の婚約者としては、我にもお主を少しくらい支えさせてくれても、バチは当たらないと思うぞ」

 そうしてルビウス様は、地に足を付け一心に祈るわたくしの隣で、そっと肩を寄せました。

「我と婚約したのは、我の世界に召喚されたサフィニアだがーー今だけはせめて、こうさせてくれ」


 ◇◇◇


「また美形っ! 威厳ある赤目角付き魔王なイケメンがまたまた登場してあんたのひとりとイチャコラしてるんですけど何!? ってか今度は聖女!? しかもどこかに召喚されてたのあんた!」

 あああああ納得できない、と、サンドラ嬢が身を悶えさせます。

 わたくしとしては、祈りと破壊の危うい綱引きに対する感想をお聞きしたかったのですがーー確かに、見た目にはほとんど動きがありませんので、またまた究極的に地味なのはいなめませんわね。

「しかも、は? 何? 2番目の婚約者? ってことはやっぱりーー」

「ええ、やっぱりですわ」

 どんよりした目を向けるサンドラ嬢に、わたくしは優しく微笑み返しました。


 ◇◇◇


 わたくしγの担当は、胸部。

 蜥蜴の胸元。分厚い筋肉層の奥に、この巨体の急所となる心臓があるはず。その動きを永久に止め、この災害に終止符を打つのがわたくしの役目ですわ。

 蜥蜴もわたくしの意図を察しているのか、先ほどから自由な前脚でわたくしを捕らえようと執拗に狙っております。意表を突く動きで空中を立体的に飛び回りながら攻撃を避けてはおりますが、相手も流石なもの。わたくしの動きを解析しているのか、妨害の精度が段々と上昇しつつありますわね。

 ひらりと、何度目かの攻撃を躱したとき、蜥蜴の腕が大きくそれて、かたわらに立つお城の塔をいくつか、ぽっきりと折り取ってしましました。

 ーーああ、王城が、往生されてしまいました。

 一瞬、淑女にあるまじき事を考えてしまい、わたくしの動きが乱れました。

 見ると、蜥蜴がなぜか目をそらしております。

 まさか、今の思考をお読みになった!?

 冷ややかな風がすうっと通り過ぎて行きましたわ。

 気を取り直そうとしたその時、目の前の空間が揺らいで人影を吐き出しました。

「ーー勇者サフィニア殿、学びに来たよ」

 現れた人影は闊達に笑いました。

「来ると思いましたわ。剣士王ダイアン様」

「ああ。そうそう見られない戦闘が行われると、俺の世界に居るサフィニア殿が仰られたんだ。弟子を自認する俺が来なくてどうするんだって話さ」

 漆黒の髪を適度に刈り込んだ彼は、金色の目を優しく緩ませながら、わたくしと共に飛び回ります。

「しかしこれは、残念だけれど俺の力じゃどうしようもないようだね。あなたの力が必要だ」

 ダイアン様は肩をすくめます。最も、その声色に悔しさは無く、ただただ技術を学びたいという、真っ直ぐな気風だけが伝わってきます。

「あら、分かりませんわ。わたくしの攻撃が及ばず、仕留め損ねてしまうかもしれませんわ」

「まさか」

 ダイアン様は爽やかに笑います。

「俺の世界がゲームなるものそのままの世界だと聞かされた時には正直驚いたが、正確に未来を予知し、時にバグなる技を駆使しつつも、その飛び抜けたパラメータで自身のみならず周囲を強固に育成し、滅びを何度も回避した勇者。あなたが負けるなどあり得ない。最もーー」

 ダイアン様は言葉を切ると、太陽のように笑いました。

「サフィニア殿の最初の婚約者として、応援くらいはさせてくれないか。心に寄り添うことなら、俺にだって出来るから」

 そうしてダイアン様は、飛び回りながら器用に、私の左手をーー攻撃に不要な、空いた方の手を握りました。暖かなぬくもりが、手の平を介して伝わってきます。

「俺と婚約したのは、俺の世界ーーゲームの世界に入り込んだサフィニア殿だけど、今だけはせめて、こうしていたいんだ」


 ◇◇◇


「はい美形っ! 爽やか黒髪金目の剣士なイケメンがまたまたまた登場してあんたのひとりとイチャコラしてるんですけど何!? ってか極めつけに勇者!? ……あと、ゲームって何よ?」

「ゲームは今から数百年後にブームとなる遊戯ですわ」

「へ? すうひゃくねんご?」

「まあ、それはどうだってよいではないですか」

「どうでもよくないっ!」

 ジト目でこちらを睨むサンドラ嬢。あら、何だかその目つき、可愛らしいですわね。

「それより今大事なのは、崩れてしまった……ごほん、王城の被害規模の確認と救助作業ですわ」

 わたくしはもうひとりのわたくしを生み出し、城の方へ向かって飛び立たせます。

「はいはいツッコまない。もうツッコミませんよー」

 サンドラ嬢は飛び去る私を見ながらぷくっと頬を膨らませておりますが。やがて、瞳を揺らして問いかけます。

「なあ。お城が派手に崩れたけど、大丈夫だと思うか? その……怪我人とかさ。城下には知り合いとか、いっぱい居るんだ」

 その素直な心配に、わたくしの胸はじーんといたします。サンドラ嬢、あなたはお優しい心をお持ちですのね。彼女の心にこたえるべく、わたくしは安心させるように言いました。

「たとえ大丈夫で無くても、大丈夫にするのがわたくしの役目です。死者蘇生は鮮度が命。現地で再分裂して、瓦礫処理班と救護班を編成、トリアージからの治癒魔法連打でございますわね」

 とっても忙しくなりそうです。あくまで、現地のわたくしが、でございますが。

「あああああ、何か聞いて損した気分だわ」

 サンドラ嬢は相変わらず頭を振っておりますが、肩からホッと力を抜いたことが分かります。

 わたくしは気を良くして、モニターに意識を集中させました。

「それよりも、今度こそ動きがあって派手ではありませんか! どうです、感想は?」

 サンドラ嬢は口を尖らせてモニターを見つめます。

「どうっていっても、飛び回ってるだけじゃない。本当にあの化け物をやっつけられるの?」

「ええ、無論です」

 わたくしは微笑んで空を仰ぎました。ここからの目視ですと、わたくしγはまるで小さな羽虫のようにしか見えませんわね。

「さあ、いよいよクライマックスですわよ」


 ◇◇◇


「俺はこの辺で。どうやらあなたの足を引っ張っているようだ」

 わたくしγの左手を握るダイアン様が、ちょっと寂しげに笑って手を離し、そのまま距離を取ります。自身の実力を正確に見据えた判断力は、賞賛に値しますわね。わたくしは彼に頷くと、ひとつ、深く息を吸い込みました。

 そのまま弾丸のような軌道を描いて蜥蜴の胸元へ急接近。引き延ばされた時間の中で、蜥蜴の両手がわたくしの影を虚しく掴むのを感じました。


 そのまま硬い皮膚に覆われた胸元へーー掌底を、たたき込む!


 ◇◇◇


「まさかのステゴローーっ!?」

 サンドラ嬢が、両手で髪を引っ張りながら絶叫します。

「まさかではございませんわ。生半可な武器も魔法も、あの質量では太刀打ちできませんもの。物理で殴るのが最適解でございますわよ」

「んな理屈が通るかぁーーっ、って、あれ? 風がやんだ?」

 サンドラ嬢がキョロキョロとあたりを見渡します。

「あの風は、蜥蜴が発する殺意の波動そのもの。それがやんだと言うことはーーそういうことでございますわね」

 わたくしはサンドラ嬢に向かって右手を差し出します。途端、ズサッと後ずさりされて、少しだけ傷付きました。

「なっ、何よ?」

「何って、ここまで見たのですから、最後まで見届けたくはありませんか?」

「最後?」

「ええ、最後です」

 私はそびえ立つ蜥蜴の身体を見上げました。それはもう、ぴくりとも動こうとはしません。

「彼女の身体をあのままにするわけにはいけませんもの。ですから、一緒に参りませんか?」

 サンドラ嬢はしばらく躊躇った後、恐る恐ると言った様子で、私の手を握り返しました。わたくしは彼女を連れて、ふわりと宙に浮かび上がります。

「……ホントに、軽々しく空飛ぶよねあんた。ハイスペックすぎて忘れそうだけど、まず、そこからしておかしいんだからね? わかってる?」

 ぶちぶち文句を言いながらも、彼女の目が眼下の景色に輝くのをわたくしは見逃しませんでした。どうやら、空の旅を楽しんで貰えているようですわね。わたくしは飛ぶスピードを少しだけ緩めました。

 世界の危機は去りました。もう、急ぐ必要はございませんもの。

 そんな私たちの方に、わたくしα、β、γが各々の方角から近づいて参りました。わたくしの第一、第二、第三婚約者とそれぞれ、仲睦まじく手を繋いでおりますわね。

 わたくしα、β、γはわたくしδの前に浮遊すると、婚約者達から手を離し、すうっとわたくしの中にその身を戻します。

 婚約者達が揃って寂しげに空いた片手を彷徨わせて居る事に、愛されている実感をちょっぴり感じますわね。

 一方、私の右手を占有しているサンドラ嬢は、融合するわたくし達を気味悪げに見つめた後ーー婚約者達の視線を浴びて、少し居心地悪そうにしておりますわね。お前だけズルいという無言の圧力を振り切るように、彼女は口を開きます。

「あ、あんた達ーーええと、魔術王に冥界王に剣士王だっけ? てか王様ばっかりかよーーええい、そうじゃなくて、あんた達はお互いライバル同士なんじゃ無いの!? ひとりの女を愛する者同士なのに、何でそんなに落ち着いてるのよ!」

「そう言われましても」

「サフィニアは」

「沢山いるからね」

 そう言って、婚約者達はサムズアップ。だがその顔には各々、自分の世界のわたくしが一番だという考えが、ありありと浮かんでおりますわ。

「あああああっ、常識人がゼロっ! というか逆ハーレムモノの大問題、結局誰とくっつくか問題をチートで解決するなっ! 増えるワカメかサフィニアはっ!」

「はっはっは、面白いお嬢さんですね」

「ではサフィニア」

「俺たちはこの辺で」

 発狂するサンドラ嬢をよそに、エメラルダス様もルビウス様もダイアン様も、揺らめく空間の向こうに消えていきました。きっと、それぞれの世界で待っているわたくしに、今回の戦いについて語りたくて仕方がないのでしょうね。その気持ちがくすぐったくて、わたくしはくすりと笑います。

 それを自分への侮辱と受け取ったのでしょうか。サンドラ嬢は、キッとわたくしを睨み付けます。

「あんたもあんただ、サフィニアっ! あんなに多くの男から愛を受け取って、恥は無いのかお前っ!」

 わたくしは空いた手をそっと頬にあてて、小首をかしげます。

「そう仰られましてもーーわたくしが歩んだどの人生でも、婚約までたどり着くには紆余曲折がございましたわ。その結果生まれた愛は全て、別の形。比べることなど出来ない、全てがかけがえのないものでございますわ」

 わたくしはじっとサンドラ嬢を見つめます。忌憚の無い視線を送ったせいでしょうか。サンドラ嬢はうっと呻いて、視線を左右に彷徨わせます。

「サンドラ嬢ーーわたくしが愛のない婚約をしたのは、この世界のみでございますわ」

「っな!? ど、どうしてなんだ?」

「わたくしの愛はクォート王子には無くーーあちらに、ありましたの」

 わたくしはそっと、動かなくなった蜥蜴に視線を移します。

「彼女ごと世界を守れるのでしたら、打算だけの婚約も苦ではありませんでしたわ。でも、それももうおしまい。ですから、サンドラ嬢ーークォート王子とお近づきになりたければ、お好きになさいませ」

 わたくしの言葉から本気を受け取ったのか、サンドラ嬢はごくりとつばを飲み込みました。

 それから、呟くような小声で言います。
「なんだよ、それ」

 それきり俯いて考え込む彼女の手を引いて、わたくしはもう少しだけ、蜥蜴にーー彼女に近づきました。

「彼女の骸を腐乱に任せる訳には参りません。さあーー新たなる輪廻の扉へ、彼女をお連れしましょう」

 わたくしが片手をかざすと、蜥蜴の黒い巨体は、端から金色に光る粒子となって、さらさらと空中に拡散し始めました。

 舞い上がる金の光を、サンドラ嬢がぽかんと口を開けて見つめます。素直なお顔も出来るのですね。わたくしは微笑ましく、その横顔を見守りました。

 すると、そんなわたくしの耳元をくすぐるように、確かに、声が聞こえました。

 ーーあーあ、予想はしておりましたが、やはりサフィニア嬢に負けてしまいましたわね。

 ああ、その声。まさか、あなたですの?

 ーーええ、そうですわ。最期にお喋りくらいはしたいと思って、少しだけ力を残しておりましたの。

 まあ、それでは、ああもあっさり勝てたのは、手加減されていたからですの?

 ーー違いますわ。サフィニア嬢が容赦なくチートだっただけですわ。

 わかりました、そういうことにしておきますわね。

 ーーそうそう、そういうことですの。それより、本当に容赦なくやっつけて下さいましたわね。災禍を振り撒くどころか、一歩も進めずに退治されるなんて。

 当たり前ですわ。わたくしはあなたに、罪を犯させるつもりなどありませんでしたとも。

 ーーそれがわたくしの望みだったのに?

 いいえ。あなたはそれを望んではおりませんでしたわ。

 ーーどうして? わたくしは、全世界に対し平等に災禍を振り撒きたいと願いましたわ。

 いいえ。あなたが望んだのは、それが出来る蜥蜴になることだけ。実際に災いを振り撒きたいとは、望んでおりませんでした。ですからわたくしは何としてでも、あなたを止める必要があったのですわ。

 ーーああ、そうね。そうでしたわね。……全く、あなたにはかないませんわ。わたくしよりもわたくしのことを、理解しているのですもの。

 当たり前ですわ。わたくしはあなたのお友達ですもの。

 ーーええそうね。お友達ですわね。……ふふっ、わたくしが残した結果は、王城を往生させたことだけだと思っておりましたけど……どうやら違ったようですわね。

 王城を往生……やはりあなたは、わたくしの最高のお友達ですわ。

 ーー駄洒落で繋がる友情……やはり、わたくしたちはとても似ていたのですわね。魂の奥底が。


 それが、わたくしに聞こえた最期の言葉。そうして全ては、目映い金色に包まれました。


 ◇◇◇


「ーーい、おい! 大丈夫か!?」

 肩を揺さぶられて、わたくしは夢から覚めた心地であたりを見回しました。心配そうな顔をしたサンドラ嬢が、わたくしの顔を覗き込んでおります。

「ええ、大丈夫。少しだけ、白昼夢の中に居たようですわ」

 気がついてみると、ほんの数秒程度しか時間が過ぎていなかったようです。わたくしは相変わらずサンドラ嬢と手を繋いだまま、空の上。金の光が舞う中で、ゆったりと浮かんでおりました。時折、金の粒がわたしにまとわりつくように飛び交っております。この光が声を届けてくれたのでしょうか。

 サンドラ嬢はしばらく、そんな私を見つめてーーぽつりと呟きました。

「そうやって光に懐かれてるあんた……なんか、まるで、女神みたいだ」

 女神? 私はぱちぱちと瞳を瞬かせます。わたくしの視線の先で、サンドラ嬢の顔がみるみるうちに赤くなっていきます。

「ち、違うっ、そうじゃなくて! あたしはただ、金の光に照らされたあんたが綺麗だからーーって、これも違うっ! だから、あたしのいいたいことはっ、そのっ!」

「サンドラ嬢、おちついてくださいませ。さあ、深呼吸です。吸ってー吐いてー」

 わたくしの言葉に合わせて、サンドラ嬢は深呼吸します。それからもごもごと口を動かしーーやがて、ガバッと頭を下げました。

「なんかその、色々、ゴメンっ!」

「まあ、いきなりどうされましたの? それに、何に対して謝られていらっしゃるのか、見当もつきませんが?」

「それはっ! 色々あるだろう! 冤罪でっち上げて婚約者を取ろうとしたり、ずっと失礼な態度を取ったり、さっきもあんたの愛をどうこう言ったりして!」

 わたくしは目を瞬きます。それらは全て、わたくしにとって些細な事ではございましたがーーまさか、それに対してサンドラ嬢が謝るとは思ってもみなかった事でもありました。

「なんかさ。あんたのその、透明な涙を見たら。あたしの全部、ちっぽけだったって思い知らされた」

 サンドラ嬢の言葉に、わたくしは頬に手を当てました。いつの間にか濡れています。

「まあ、わたくし、泣いておりましたの? 人前でお恥ずかしいですわ」

「全然恥ずかしくなんか無い! あんたは、いや……あなたは、泣いて良いんだ」

 思わぬ言葉の連続に、わたくしの心はほんのりと温かくなりました。

「その……気持ちが落ち着くように、どこかで休もうぜ。あなたには休息が必要だ。あんなすげーこと、成し遂げたんだからさ」

 サンドラ嬢の真っ直ぐな気遣いに、わたくしは微笑んで頷きました。


 ◇◇◇


 城下町を見下ろす丘の上の木陰で、わたくしとサンドラ嬢は色々なお話をいたしました。

 サンドラ嬢はクォート王子に恋心を抱いている訳では無く、その地位だけが目当てだったということ。

 しかし、わたくしの婚約者達に出会い『あれ、あの連中に比べると王子ってあきらかに格が低くない? 王子ってだけで実力も無いし、確実に王になるわけじゃないし、あたしごときに騙されて婚約破棄しようとするし。なんか、あたしの目標ってこんな小さかったっけ?』と思い至ったこと。

 婚約者達の、わたくしに寄り添う態度に『あんなチートについていこうとするなんてすげー連中だと思った』こと。

 サンドラ嬢もわたくしの存在に心惹かれ始めていたけれど、それまでわたくしに取ってきた態度が邪魔をして、素直に言い出せなかったこと。

 でも、金の光に包まれて涙を流すわたくしの美しさーーそう言われると何だか照れますねーーに感動し、自分のこだわり全てがどうでも良くなったということ。

「だから、その。サフィニア様には、あの、その……と、友達になって欲しいんだっ! それとっ、あたしに出来る範囲でいい。あなたの力の一端でもいいから、あたしはあなたから学びたいんだっ! だってあなた、大賢者で聖女で勇者なんだろ!」

 ぎゅっと目をつぶってそう叫ぶサンドラ嬢の表情は、本当に可憐で、眼福でしたわ。

 そういえば、サンドラ嬢は王立学校の特待生。向上心の塊のような存在でしたわね。わたくしの力を前にして、なお学びたいと思うその心根は、とても好ましく感じられましてよ。

「まあ、サンドラ嬢。わたくしの拙い知識でよければ、喜んで!」

 わたくしは申し出を快く了承しーーそして、ぽん、と手を叩きました。

「そうと決まれば、早速、サンドラ嬢の訓練にふさわしい地を探さねばなりませんね」

「え?」

「王立学校には休学届を出すとしてーーあ、ついでにクォート王子との婚約破棄もパパッと済ませまておきましょうね」

「婚約破棄ってパパッと済ませて良いものなのか?」

「良いものなのです。そんなことより、さーて、どこで修行するのがいいですかね? 灼熱の火山? 極寒の氷河? 原始のジャングル? それとも思い切って、宇宙の深淵ですかね?」

「は? ちょ、ちょっと意味がわかんないんだけど……」

「まあ。もしかして、全部入りがお望みですの!? サンドラ嬢、流石ですわ!」

「えっえっ、いや、あの、ちょっと待って!」

「待てませんわ! 何しろわたくしはーー」

 泡を食った表情のサンドラ嬢に、わたくしはいたずらっぽく片目をつむってみせます。

「ーーサンドラ嬢の女神、ですからね!」

「うわぁあああ、その言葉は忘れろぉおおおおお!」


 後の世に、女神を名乗る救世主と、それをそばで支える赤毛の美少女が大活躍をしたという伝説が各地に残ることとなりましたがーーそれはまた、別のお話になりますわ。

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婚約破棄とか隅っこでほざいている方がおりますが、世界滅亡を食い止めるのに忙しくてそれどころではありませんわ 二川よひら @yohira6

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