第5話

 ヘルハウンドが消えた後には、ゴブリンやスライムより若干純度が高そうな魔石と、運良くドロップアイテムの『ヘルハウンドの毛皮』が残った。

 毛皮の触り心地はかなり良く、いつの間になめしたんだという疑問も浮かぶが、スライムボールなんかも明らかに加工されているので今更だった。スキルやステータスと同じく、そういうもんだと思って受け入れるしかない。


 ヘルハウンドの生成コストは初級ポーションと同じく2000DP。だからヘルハウンドの毛皮はダンジョンに持ち帰ればおそらく400DPになるはずだ。これもとりあえず魔石と一緒に鞄の中に入れておく。嵩張るスライムボールを何個かDPにしたので、鞄のスペースはまだ少し余裕がある。


 足の傷は思いの外浅かったためか、一時間もしないうちに全快していた。その間、モンスターの襲撃を受けなかったのは幸運だった。無理に動いたら傷口が開いたかもしれないからな。

 初級ポーションも三分の二程度は残っている。この状態でDPに変換したらいくらになるのかも気になるところだが、これからまた使うかもしれないので今はやめておこう。


 体感的にここまでの経過時間は数時間。今日は日帰りで切り上げるつもりだが、もう少し先までは行けるだろう。


 立ち上がり、5階層の探索を再開しようと思ったところで、


「――――ッ!」


 そう遠くない場所から悲鳴のような声が聞こえた。

 場所は……突き当りを曲がった先だ。


 息を潜めながらも早足で移動し、角から小さく顔を出して様子を伺う。

 そこには、一体のモンスターと対峙する男の探索者と、その背後で倒れ伏す女の探索者がいた。おそらくは二人組のパーティだろう。対峙しているモンスターは巨大な棍棒を持ち、豚のような醜悪な面で相手を睥睨している。


 あいつは……オーク、か? 

 俺も情報として知っているだけなので、実際に見るのは初めてだ。


 オークは10階層付近によく現れるモンスターで、驚異的な膂力と、分厚い肉の鎧が特徴だ。危険度としては群れたヘルハウンドと同等。頭が良く連携もとれるヘルハウンドは、単体と群れで危険度が全く違う。それと肩を並べるオークのランクはCとされているが、幸いにして足が遅いため逃げるだけなら苦労はしない。


 あの探索者たちがこの5階層を主戦場としているとしたら、等級としてはE級前後……戦力差は明白だ。

 逃げずに足を止めて戦っている理由は、おそらく倒れている女探索者だろう。不意打ちを食らったか、それとも他に下手を打ったか。


 位置関係的に、あの探索者たちに俺の顔はまだ見られていない。

 この場から立ち去ったところで、誰にも責められることはないだろう。俺が行ったところで、この状況を切り抜けられるとも思えない。

 ……だが、それでも、なんと言うか……ここで背を向けたら、自分の中の大切な何かを失ってしまうような気がする。


 俺はダンジョンマスターになって、半分は人間じゃない生物になってしまった。それでも意識は人のつもりで生きてきた。ダンジョンを作らずに探索者としてやっていこうと決めたのも、他のダンジョンマスターを刺激したくないという理由もあったが、人の道を外れたくないという思いも確かにあった。


 だが、彼らを見捨てた瞬間、俺はきっと……。


「……ッ!」


 気が付けば、俺はオークに向かって走り出していた。


「こっちだ!」


「ブモッ!」


 俺の声に気を取られた一瞬の隙を突き、男の探索者はオークに一太刀を入れる。

 胸を薄く斬り裂いた程度だったが、オークは怯んで後退した。


「助かった! って、君は……」


 俺の顔を見るなり、やけに男前の金髪の探索者は驚いたように目を見開いた。

 俺の方は知らなかったが、相手は俺のことを知っていたらしい。……まあ万年F級が一人で5階層にいるんだ。そりゃ驚くだろうな。もしかしたら、ギルドで見かけて揶揄った経験でもあるのかもしれない。


「こいつは俺が食い止める。早くその人を診てやれ!」


「……わかった!」


 呆けていたので怒鳴りつけると、男は疑問を飲み込んで女の方に駆け寄っていった。


「リズ……おい、しっかりしろ! リズ!!」


 オークを警戒しつつ、横目でちらりと伺うが……ありゃ酷いな。

 片腕はあらぬ方向に曲がっていて、口からは吐血、腹部は大きくへこんでいる。十中八九、内臓を潰されている。……一刻も早く治療しないと命はないだろう。


「そんな……リズ……! 死ぬな、死ぬな……!!」


 男もそれを悟ったようで、涙を流しながら縋りついている。

 ……俺も、できることならどうにかしてやりたいが、手元にあるのは使いかけの初級ポーションだけで……。


「…………」


 ……いや、違う。正確には、どうにかする術を俺は持っている。


 やめろ、と、俺の中の理性が叫んでいる。

 やっちまえ、と別の何かが叫んでいる。


 こんなもんは、ほとんど自殺行為だ。オークの前に飛び出したことに比べても、遥かに非合理的な行いだ。

 生きたいなら、まだ死にたくないなら、こんなことはすべきじゃない。だから……。


 だから、俺は、溢れ出しそうな衝動に従って、メニュー画面を起動した。


「おい!」


 男に向かってを放り投げると、男は慌てて受け取り、その正体に気付いて絶句した。


「これは……」


「いいから! 早く使え!!」


 男は頷き、俺から渡されたを、リズと呼ばれた女探索者の傷口にかけた。

 淡い燐光が発生し、女探索者の表情は次第に和らいでいく。


 それを見て憤ったのか、こちらの様子を伺っていたオークが棍棒を振り上げながら突進してくる。


 ……避ければ、後ろの二人に被害が及ぶ。


「ブオオオオオオ!」


「くっ……!?」


 剣を構えて全力で応戦したが、振り下ろされた棍棒の勢いを殺しきることはできず、剣は地面に叩き落された。

 続けて横薙ぎに振られる棍棒を、間一髪のところで避ける。転がりざまに剣を回収しようとしたが、手が痺れていてできなかった。


「僕も加勢を……」


「馬鹿か! その人を連れて地上に戻れ! ポーションを使っても、危ない状態には変わりないぞ!」


 駆け寄ってこようとする男を言葉で制止する。

 正義感が強い性格なんだろう。男は唇を噛しめながら俺と腕の中の女を交互に見て、やがて「すまない……」と言って走り去っていった。


 それを追おうとするオークの前に立ちはだかると、よりご立腹になったオークは、俺めがけて棍棒を振り下ろしてくる。

 それを半身でギリギリ躱し、地面に突き刺さった棍棒に手を添える。そして――


「ブモッ!?」


 その瞬間、棍棒は光の粒子となって俺の中に取り込まれていった。

 俺が所持してなかろうと、触れたアイテムはDPに変換できるらしい。


「へへっ、ザマァ見ろ……ぐはっ!!」


 腹部にオークの拳が突き刺さり、十数メートルほど吹っ飛ぶ。壁に激突して止まったが、鞄に入れていた毛皮がクッションになった。背中の方のダメージは防げたものの、その衝撃でスライムボールと初級ポーションの瓶が割れた。くそっ、貴重なDP源を、あんにゃろう……。

 腹の痛みを堪えて立ち上がり、メニュー画面で残りのDPを確認する。


『中級ポーションを生成 -28000DP

 木の棍棒を吸収 +410(820-410)DP


 残り1209DP』


 分かってはいたが、中級ポーションを生成したのはかなりの痛手、というか致命傷だった。


 刻一刻と迫り来る、豚面の死神を睨みながらも……俺の口角は自然と上がっていた。


「……最高にハイってやつだ。絶対にブチのめしてやる」


 衝動的にやってしまった英雄じみた行いに酔ったのか、それとも久々すぎる逆境に興奮を覚えているのか。……今はどうでもいいか。

 アドレナリンでちょっとおかしくなってる自覚がありつつ、絶体絶命のピンチの中、俺はあの豚に勝つことしか頭になかった。

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