第6話 マムルークの若獅子(1)

「間に合わなかったようね」


 メリッサが率いる九千のリオルディア軍がアイン・ハレドに到着した時には、村を襲っていたヴェルファリア軍は既に壊滅し、ラシードを指揮官とする六千のアラジニア軍は焼き討ちに遭って焦土と化した村の各地に散開して、今や遅しと彼女らを待ち構えていた。


「敵軍は戦意旺盛と見えますね。いかがなさいますか?」


「受けて立つわ。シュティーリケ男爵は残酷でいけ好かない人だったけど、同じロギエル教徒の情けで、せめて仇くらいは討ってあげましょう」


 アマーリアの問いに、メリッサは迷わず決戦あるのみと即答する。異教徒の殺戮を嬉々として行なうゲルトはメリッサにとっては親しみの湧く男ではなかったが、彼は同じロギエル教を信じる仲間に対しては高潔な紳士であり、また武将としての実力も確かだった。そのゲルトをたちまちの内に破ってみせた精鋭のマムルーク軍団となれば、相手に取って不足はない。


「偉大にして万能なる神ロギエルよ、我らを護り給えかし! 全騎抜剣、突撃!」


 メリッサの下知で、重装備の騎士を主力とするリオルディア軍は楔形の陣形を組んで前進し、ときの声を上げて突撃を開始した。


「来ましたね」


 砂煙を濛々と巻き上げながら猛然とこちらに向かってくる敵軍を目にして、カリームが言う。既に準備万端で敵の到来を待ち侘びていたラシードは馬上で曲刀を振り上げると、鳥の翼のように大きく広がった陣形を敷いていた配下のマムルークたちに応戦を命じた。


「奴らも餌食にしてやるまでだ。かかれ!」


 両軍の人馬の群れがぶつかり合い、叫びと血飛沫が上がる。マムルークに倒されたヴェルファリア軍の兵士と、彼らに虐殺された村人たちの骸があちこちに転がるアイン・ハレドを舞台に、第二次となる会戦がこうして始まった。


「敵の右翼をまず叩き折ってやるわ。全軍、左へ旋回!」


「左翼の兵を急いで救援に向かわせろ。敵の背後に回り込んで挟撃するんだ!」


 陣形だけで言えば、リオルディア軍を三方から囲んで攻め立てているアラジニア軍に戦術上の分があるが、数で勝っているのはリオルディア軍の方であり、九千を六千で包囲殲滅するというのはやはり容易ではない。左翼の兵を素早く右へ旋回させ、広げた翼を折り畳んで包囲を完成させようとするラシードに対し、メリッサは敵の右翼に集中攻撃を浴びせて一点突破を狙う。


「あと一息よ。私に続け!」


 敵の左翼に背後を突かれる前に、何としても右翼を攻め破らなければリオルディア軍は袋の鼠となって壊滅してしまう。速攻に全てを賭けるメリッサは自分の馬を最前線に乗り込ませ、自ら長剣を振るって敵のマムルークを次々と薙ぎ倒した。逆にアラジニア軍からすれば、左翼の援護が間に合わずに右翼が崩壊してしまえば敗北は決定的となるだけに、ラシードも後方に控えてただ命令を送っているだけでは我慢ならず、自ら前へと乗り出して曲刀でリオルディア騎士たちを斬り捨てながら配下のマムルークらを鼓舞する。


――よく鍛えられている。


 ラシードも、またメリッサも、激しく戦いながら互いに敵の部隊に対してそんな印象を抱いた。個々の質が高く、集団としてもよく統率されている精鋭軍団。これを組織し錬成できる指揮官は、明らかに並の器などではない。


――どんな人物なのか、この目で確かめて一戦交えてみたい。


 二人とも、そんな思いに駆られて敵兵の人波をかき分け、相手の大将を目指してまっしぐらに馬を突き進ませた。


「あなたが噂のアサードゥッディーン・ラシードね」


「いかにも。俺がマムルークの将軍、ラシード・アブドゥル・バキだ」


 互いに引かれ合うようにして接近したラシードとメリッサは、村の中心に建つ古びたジュシエル教の礼拝堂の前で遂に相まみえた。遥か昔、世界が一つの聖なる王国に統べられていた時代に使われていたのが起源と伝わる共通語コイネーでメリッサが問いかけると、ラシードも戸惑うことなく流暢な共通語で答える。


「私はリオルディア王国の貴族、メリッサ・ディ・リーヴィオ伯爵。いざ勝負よ」


「望むところだ。来い!」


 高らかに名乗りを上げたメリッサが馬を駆けさせて突進し、ラシードも落ち着き払った物腰で馬の手綱を操りながら悠然とそれを迎え撃つ。両軍の大将同士の一騎打ちが、こうして火蓋を切った。




「戦は一体、どうなってるんだろうな」


 太陽が既に中天を過ぎた午後。高い石の城壁に四方をぐるりと囲まれたエスティムの市内では、未明からその城壁の外で行なわれている戦について街の人々が不安げに噂し合っていた。


「どうやら、南と西の城門に攻め寄せてきた敵は昼前には全て追い払ったみたいだぞ。今は街から離れた場所で、援軍に来たマムルークの騎兵隊がアレクジェリア軍の奴らと野戦をしてるらしい」


「朝早くから戦が続いてるのに、この時間まで敵が街の中に攻め入って来ないということは、やっぱり今日も敵は城門を突破できなかったんだろう。良かったな」


「そういうことであってほしいな。そうでなきゃあ、俺たちは凶暴なロギエル教徒の奴らにまとめて斬り殺されちまうに違いないからな」


「あいつら、俺たちジュシエル教徒を神の名に懸けて皆殺しにするなんて息巻いてるらしいし、本当に大変なことになっちまったもんだよなあ……」


 古来、難攻不落と謳われてきた聖地エスティムの防備は堅く、これまでのところ、城壁の内側に立て籠もって戦うアラジニア軍は市内への敵の侵入を一歩たりとも許していない。このまま異国の侵略者たちが攻略を諦めて撤退するまで、どうにか守り切ってほしいというのが街に暮らしている民衆の切実な願いであった。


「神様、どうか私たちをお守り下さい……」


 人々が集まっている広場の片隅で、頭に青いスカーフを被った若い一人の寡婦やもめが、彼女たちアラジニア人が信じる神ジュシエルに祈りを捧げていた。今は街を守っているアラジニア軍が善戦して敵を喰い止めている模様とはいえ、戦の流れというのは水物、いつ防衛線が突破されて敵の兵士たちが街の中に雪崩れ込んできてもおかしくはないのだ。目を閉じて手を合わせ、うつむいた姿勢で天に向かって真剣に祈願していたこの女性は祈りに意識を集中する余り、背後から忍び寄っていた恐るべき瘴気と殺気には全く気づくことができなかった。


「あっ……!?」


 突然、右手に鋭い痛みが走ったのを感じて、驚いたその寡婦は祈りを中断して目を開けた。すぐに自分の手を見てみると、指先に小さな切り傷ができている。傷口には黒い粘液のようなものが付着しており、流れ出る血がそれと混ざり合って、毒々しい色の水滴となり地面にぽたぽたと滴り落ちていた。


「ううっ……!」


 一体何が起こったのか。戸惑っている間に、その寡婦は体に痺れを感じて脱力しその場に倒れ込んだ。手足が痙攣を起こし、意識が混濁して次第に遠のいてゆく。


「おい、大丈夫か? どうしたんだ? しっかりしろ!」


 広場にいた人々が驚いて駆け寄り、声をかけて必死に揺さぶり起こそうとする中、彼女は深い眠りに落ちるようにして気を失い、そのまま二度と目を覚ますことなく死亡したのであった。

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