転がるリンゴ

赤城ハル

第1話

 朝、私は少し大きくなったおなかを大事そうに腕で包み、足下に気をつけながら椅子に座る。

 するとテーブルを挟んで対面に座っていた私の旦那がゆっくりと咀嚼していた朝食を早くかきこみ始めた。

 朝食は白米とのり、みそ汁、卵焼き、タケノコの煮付け。

「ねえ、育休なんだけど取れないの?」

 私の問いに彼は明らかに嫌そうな顔をする。そして目を逸らし、口を動かす。その細くなった目はリビングのテレビに向けられている。

 そういう態度を取られると非常に腹が立つ。

 私は彼が食べ終わるのを黙って待つ。

 私達の沈黙にテレビの雑音と彼の咀嚼音が鼓膜を叩き、私の怒りとやるせなさを増幅させる。

 心を落ち着かせようと目を閉じるもざわついた心は鎮まるどころかますますとげとげしくなり、怒りとやるせなさがさらに増幅する。

 そして彼が最後にみそ汁を飲み干したのを耳にして私は顔を上げる。けど、それと同時に彼は席を立った。

「ねえ、育休なんだけど?」

 逃げる背に私はもう一度問う。

「あー、無理だ。無理無理」

 やけくそ気味に彼は答える。

「どうしても?」

 私の問いに彼は答えず、ネクタイを持って、洗面所へと向かった。

 私は溜め息を吐き、彼の残した食器を積んで台所へと持っていく。

 彼が戻ってきて、私は、

「ねえ、次の検診なんだけど一緒に来れる?」

「え?」

 すごく嫌そうな顔をする私の旦那。背を向けつつ肩と顔を動かし不機嫌な横顔をこちらへと向かせる。

「次はエコーで。ほら、男の子か女の子かわかるかもって。お義母さんも楽しみにしてたじゃない」

 なぜか彼は溜め息を吐いた。

「次っていつ?」

「次の日曜日よ」

 彼は小さく舌打ちした。

「分かった。行くよ。行けば良いんだろ」

「何よそれ。もう少しはお腹の子を気にしてくれても……」

「今、忙しいんだよ。新しいプロジェクトでさ」

「それいつまで? 産まれたら育休取れるの? できれば……」

「うるさい!」

 彼は怒鳴った。そして洗面所で整えた髪をかき上げる。

 私が怯えているのに気づき、

「……やめてくれよ。大変なんだよ。こっちは。頼むよ」

 彼は額に右手を当て、自分が一番の被害者のように言う。

「今度の検診には一緒に来てくれるよね?」

「ああ、行くよ。行く」

 彼は上着を着て、カバンを持ち、

「行ってくる」

 と言い、外に出た。

 ドアが閉まる音を聞いて私は息を吐いた。


 ◯


「双子ですね」

 女性産婦人科医がモニター画面を見て言う。モニター画面は黒で。白い靄のようなものが左右にある。

『双子!?』

 私達夫婦はハモった。ただし言葉だけでニュアンスは違う。

 私は嬉しさと驚き、彼は厄介とめんどくさいことを押し付けられたように。

「本当にですか?」

 彼は聞く。

「ええ。双子ですよ。性別は……」

 先生はモニター画面を見つつ、私のお腹にバーコードリーダーのようなエコー器を這わせます。少しくすぐったい。私の少しみじろぎで画面が乱れるのではと考え、つい身を固くしてしまう。

「ううん。性別は分かりませんね」

 私も首を伸ばしてモニター画面に目を細めて見るも性別どころか輪郭もぼやけて分からなかった。

 ちなみに性別は男性器が付いてるか付いてないかで決まる。だから付いてないから女の子と思っても産まれて出てきたら付いていて男の子だったというケースもあるとか。

「性別が分からなくとも、双子だというのは分かるんですか?」

「そりゃあ、体二つあれば双子ですよ」

 先生はおかしそうに言う。

 私も旦那がどうしてそんな発言をしたのか、全く恥ずかしい限りである。


  ◯


「お義母さんに連絡しといて」

 病院からの帰りの車で私は彼に頼んだ。

「え? 君がしなよ」

「私は実家の方に連絡するから」

「ならついでにやればいいじゃない」

「自分の母親でしょ?」

「めんどくさいよ」

「もう! 私もめんどくさいわよ」

 そこで車が急ブレーキで止まる。

「きゃあ!」

 私は反射的に左手でお腹を右手をダッシュボードに当てる。

「ちょっ! 急に止まらないでよ。お腹の子に影響を与えるでしょ?」

 急に前のめりになるだけでも駄目なのに。

 私は冷や汗をかいた。

「お前が変なことを言うから赤信号で進みそうになったんだろ」

「私のせいだって言いたいの?」

「そうだろ!」

「ええ!?」

 青信号になり、彼は機嫌悪くアクセルを踏む。

 それから家に帰るまで私達は無言だった。


  ◯


 双子と判明してから私の意識は少し変わった。

 当たり前だが双子ということは赤ちゃんが二人、私のおなかの中にいるのだ。このふっくらとしたお腹の中に。一人だけなら何も思わなかった。でも、二人となると窮屈にさせないように思ったり、互いの頭がぶつからないようにと意識してしまう。

 ちょっとした動きが二人の赤ん坊をぶつけるのではと考え、前よりも体の動きには気をつけてしまう。

 旦那にとって妊娠は腹に赤ん坊がしがみついているように考えているせいか、一人分重くなっただけだろと考えているようだ。

 私が慎重気味になればなるほど、彼とは意識が違うので衝突も多々生まれた。


  ◯


『ちょっと由美さん! どうして私に報告はないわけ?』

 双子と知ってから三日後、お義母さんから電話がきた。

 夕食の支度したく中だったので、私は支度を中断して電話に出る。

「えっ!? てっきり大輔さんが連絡したとばかり」

『きてないわよ連絡なんて。もう貴女のお母さんから連絡がきて、それで知ってびっくりなんだから。どうして実家には報告して私達には連絡してくれないのよ』

「えっ、あの、ですから大輔さんがしたものだと」

『大輔に確認したの? 連絡したって?』

「いえ、それは……」

『でしょう。もう! こういうのはきちんと確認しなきゃあ。メッセージでも良かったのよ』

 嘘だ。メッセージで報告すると絶対に『大事なことをメッセージだけなんて、これだから今時の子は』とぷりぷり文句を言うだろう。

「すみません。今度からはきちんと大輔さんに確認しておきます」

 夕食の支度中だったので、さっさと切りたかったのだが、こちらに非がある以上、切ることはできなかった。

 結局、1時間も愚痴に付き合わされた。

 しかも、『もう! こんな時間になったじゃない』なんて言われた。いやいや、そっちのせいでしょうに。

 夕食の支度を再開して、しばらくすると旦那が帰ってきた。

「なんだよ。まだ出来てないのかよ」

 不満そうに彼は言った。

「あなたのせいよ!」


  ◯


 私はテーブルに夕食の皿を置き、

「ご飯は?」

 と彼に聞く。私は彼にご飯をよそっておいてと頼んでいた。

 それがされていない。

 どうしてよ。

「え?」

 彼は何を言っているんだという面をする。

「ご飯くらいよそってよ」

 私は席を立ち、棚から茶碗を二つ取り出し、ご飯をよそう。

 彼は茶碗を受け取ってもありがとうも言わない。さも当然のように受け取るだけ。

「ねえ、今日、お義母さんから電話があったわ」

「へえ」

「双子のこと言ってなかったでしょ?」

「何で俺が言うのさ? 自分のことだろ?」

「何それ? 赤ちゃんを宿してるのは自分だから、赤ちゃんに関すること全部は私の責任って言いたいわけ?」

「何でそうなるんだよ。曲解だ。俺はただ、それはお前がやることだろってこと」

「なんでよ?」

 彼は大きく溜め息を吐いた。

「あのさ。そういうの飯の後でしてくれない? 飯がまずくなるじゃん」

 なんだろう。私が悪いみたいな言い方。

「じゃあ、逃げないでね」

 こうして無言の食事が始まった。

 …………。

 どうしてだろう。

 どうしてこんな食事になったのだろう。

 私は幸せを、明るい未来について語りあいたかっただけなのに。

 食欲がない。

 でも食べないと。

 赤ちゃんのために。

 双子のために。より多く。食べないと。


 食事が終わると言いたかったことが、風船がしぼむように抜けていった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る