魔王統譚レオサーガ・外伝 ファルハードVSザデラム ~復活の超古代怪獣~

鳳洋

第1話 竜との邂逅

 遥か遠い昔に、一匹の竜が地上に産み落とした一つの卵。運悪く、孵化する前に季節外れの猛烈な寒波に襲われてしまったその卵は、氷漬けになって土に埋もれ、そのまま冷たい地下の暗闇の中で永い時を過ごすことになった。

 いつか明るく暖かな外の世界に出られる日が来るのを、卵は氷の中でじっと静かに待っていた。永遠とさえ思えるほどの時が流れても、ずっとずっと辛抱強く待ち続けた。

 そして、ようやくその日が来たのである。崖崩れが起きて周りの土砂が剥がれるように落ち、地表に露出した氷を太陽の光が照らして溶かしてゆく。自分を閉じ込めていた氷が全て溶けると、外の暖かさに引き寄せられるようにして、卵の中の赤子は殻から出ようと懸命に小さな体を動かして目の前にある硬い壁を口でつついた。

 新しい命の誕生を祝福しているかのような心地良い陽光を浴びながら、竜の赤ん坊は殻を割って卵の中から顔を出し、青く澄んだ晴天の空を仰いで産声を上げた。




 冷たい雨が降りしきる、ある秋の日の夕刻。例年よりも一足早く北海道に上陸した寒波は、旭川の街を真冬のように凍えさせていた。


「ひどい雨だな。しかも何だよこの寒さ。今朝までは晴れてて暖かかったのに」


「こんなに寒いんなら手袋とかマフラーとか、持って来れば良かったね」


 小学四年生の杉浦拓矢すぎうらたくや栗原未玖くりはらみくは、旭川市の郊外に住んでいる同じ学校のクラスメイト。この日、北海道では午後から天気が急変し、突然の嵐に見舞われることになった。教師たちの職員会議では一時は集団下校も検討されたほどの雨と風、そして冷気の中、仲良しの二人は一緒に傘を差しながら学校からの帰り道を歩いていたのである。


「もう! ジーンズがびしょ濡れ。気持ち悪い……」


 未玖が履いている青いデニムのジーンズは横殴りの雨を浴びて冷たく濡れ、まるで湿布を貼りつけたかのように彼女の細い両脚から体温を吸い取っている。寒さと不快感とに顔をしかめながら、未玖は家に向かって歩く足を速めた。


「ん……? 何か聞こえないか。未玖」


「うん。何だろう……?」


 激しい雨音に混じって、グゥ、という、生き物の鳴き声のような小さな音が聞こえたような気がして二人はふと足を止めた。視界の邪魔になっていた傘を持ち上げ、周囲をきょろきょろと見回してみると、電信柱の下にできた水溜まりの中に、赤いトカゲに似た小さな生き物が倒れている。


「竜……?」


 信じられないものを見て、未玖と拓矢は思わず目を丸くした。それは確かに竜、もしくはドラゴンとしか呼びようのない不思議な生物だった。

 頭から足先まで、およそ二十センチメートルくらいだろうか。その全身は鮮やかな赤色の鱗で覆われていて、熱帯魚にも似た不思議な光沢を帯びて美しく輝いている。まるでトリケラトプスのような頭の二本の角は短くて先端が丸く、背中についているコウモリに似た翼も体のサイズと比べると空を飛ぶにはかなり小さい。背中に並んでいる二列の背鰭せびれも、尻尾の先についた丸いボールのような骨の塊に生えたとげもやはり小さく丸みを帯びていて、敵から身を守るための武器とするには頼りなかった。体の各部があちこち未発育なこの愛らしい外見の竜がまだ生まれたばかりの幼体だということは、一見して明らかであった。


「大丈夫? しっかりして!」


 未玖は咄嗟に傘を地面に投げ捨て、冷たい水に漬かって雨に打たれながら身を震わせているその赤い竜の子供に駆け寄った。水溜まりの中から急いで拾い上げ、懐に抱いて撫でながら揺さぶってみる。ずぶ濡れになった子竜の小さな体はすっかり冷え切ってしまっていた。グゥ、と短く弱々しい呻き声を時折上げながら、幼いドラゴンは目を瞑って苦しげに痙攣を繰り返している。


「とにかく、早く家に連れて帰ろうぜ」


「そうね。まだ生きてるみたいだし、助けてあげなきゃ」


 すぐに体を温めて看病してやれば、死なずに済むかも知れない。歩道のアスファルトの上に転がっていた傘を拾って差し直し、抱いていた子竜を雨から守ってやると、未玖は降り続ける雨の中、拓矢と共に自分の家に向かって大急ぎで走り出した。


――それが、世界を変えることになる運命の出会いだった。




 旭川の空を覆ったどす黒い雨雲は東へと流れ、遠くオホーツク海にも達しようとしている。アイヌ語でカムイヌプリ(=神の山)と呼ばれ、昔から人々に崇められてきた摩周岳の麓で発掘作業をしていた考古学者である未玖の父・柴崎宏信しばざきひろのぶは、空が急に暗くなってきたのを見て大きく嘆息し、手に持っていたスコップを地面に突き刺して額の汗を拭った。


「一雨来そうだ。ちょうどいい時間だし、そろそろ旅館に戻って休憩しようか」


 父と娘で姓が違うのは、宏信は未玖がまだ幼い頃に妻の佳那子かなこと離婚し、未玖の親権は旧姓に戻った母親が預かることになったからである。遺跡の発掘調査で世界中を忙しなく飛び回り、家を留守にすることが多かった宏信は、それが原因で家庭をおろそかにし、結婚当初には良好だった佳那子との関係に溝を作ってしまった。それについては強く後悔している宏信だったが、やはり自分は生粋の学者であり、家庭にいる時よりもこうして野外や研究室で学術的な探求に打ち込んでいる時の方がずっと充実感を味わえるというさがはどうにもならない。


「降り出す前に、急いでこいつらを片づけないとな。どれも貴重すぎる物ばかりだから、濡れたり傷んだりしないように丁寧に扱わなければ」


 青いビニールシートの上に並べられた、地中から掘り出された過去の遺物の数々を見渡して宏信が言うと、若い助手たちがすぐに彼の指示に従い、慎重な手つきでそれらを大きなケースの中に仕舞ってゆく。


「鉄製の剣や楯、農業をしていた証拠と見られる鍬や鋤などの農具、それに象形文字らしきものが記された石板や粘土板……。どれも、アイヌやモヨロや周辺の北方系民族などとは明らかに系統の異なる未知の文化の遺物です。やはり大昔に、ここに超古代文明と呼べるものが存在していたのは確かなようですね」


 助手の一人が感動したようにそう言うと、宏信は重々しくうなずいた。

 まさかこんな展開になるとは、ここに来るまでは誰一人として想像してはいなかった。既によく知られている今から千数百年前の古代オホーツク文化の遺構の一つを調べるだけのはずだった今回の発掘調査は、土をより下層へと掘り進めていく内に、予期せぬ世紀の大発見に繋がってしまったのだ。


「科学的な年代測定をしても、これはアイヌやモヨロどころか、古代エジプトやメソポタミア文明よりもずっと古い時代のものだよ。こんな大変なものがまさか北海道にあったなんて、まさに学界が引っ繰り返るくらいの大事件だぞ」


 湧き立つ興奮を抑えきれない様子で宏信は言った。超古代文明。これまでオカルトじみた空想でしかないと思われていたものが、確かな学術的証拠となって目の前に現れたのだ。この北海道に和人もアイヌもまだいなかった太古の昔、今から一万年以上前の時代に、鉄器を用いて戦や農業を行ない、文字による記録を石や粘土の板に書き残し、巨大な石造りの建造物を築いた高度な文明が存在していた。宏信らの調査隊は、その驚愕すべき事実を突き止めたのである。だが、驚くのはまだ早かった。


「柴崎先生! こっちに来て下さい! その、とんでもないものが……」


「何だ。どうしたんだ?」


 別の場所にいたスタッフが、慌てたように大声で自分を呼んだので宏信はそちらに駆け寄った。つい先刻、何か骨らしき物の断片が出土したので、それを壊してしまわないようにとハンマーと刷毛はけを使って慎重に掘り出していた班のメンバーである。


「これは……何でしょうか……?」


 地中から全貌を現わした、ほぼ完璧に全てのパーツが揃ったその生物の全身骨格を目にして宏信は息を呑んだ。超古代文明を築いた民族の遺骨かと思われていたそれは、人間のものなどではなかった。全長二十メートルを優に超える、巨大な竜の化石だったのだ。


「もしかして、恐竜の化石でしょうか? ほら、頭の角はトリケラトプスに似ていますし」


「そんなはずがあるものか」


 若い女性スタッフが口にした推測を、宏信は即座に打ち消した。


「いくら超古代と言っても、我々が発掘していたのはたかだか一万年前の人間の遺跡だぞ。恐竜が滅びたのは六千五百万年も前の白亜紀だろう。常識的に考えて、人間がいた時代の地層から恐竜の化石が見つかるはずがないじゃないか」


 よく誤解されるが、考古学というのは大昔の人類が遺した遺跡や遺物などを研究する学問であって、恐竜や猿人や三葉虫などの太古の動植物の化石を調べる古生物学とは扱う対象が異なる。あくまで古い時代の人間の営みを研究するのが専門の宏信は恐竜に関しては素人同然の知識しかないが、トリケラトプスのような前に突き出た長い角を持ちながら、アンキロサウルスのような棘の生えた球状のスパイクを尻尾の先に装備し、しかも背中にはステゴサウルスのような背鰭とプテラノドンのような翼がある恐竜など、全く前代未聞であることは明らかだった。


「これは素人目に見ても特殊な生き物ですよ」


 別の助手が、そう言ってこのドラゴンの奇異な点を指摘した。


「鳥にしてもコウモリにしてもプテラノドンにしても、普通、空を飛ぶ生き物の翼は前脚と一体化しているものでしょう。でもこの竜は、前脚とは別に背中から翼が生えています。昆虫ならともかく、大型の脊椎動物でこんな体の造りをしているのはちょっと聞いたことがありませんね」


 これまでに知られているどの種類の飛行生物とも異なる翼の構造は、このドラゴンが一体どんな進化をしてきた種族なのかを全く不可解にしている。どの生物の祖先なのか、または子孫なのかが見当もつかないのだ。これは古生物学者や進化学者たちを大いに悩ます難題になるだろうと、宏信は彼らのこれからの苦労を想像して溜息をついた。


「でもこの化石、かなり損傷が激しいですね。刺し傷のようなものがあちこちにありますし、首の骨なんて、何か強い力で押し潰されたみたいに砕けてしまっています。これはきっと、自然死ではなく戦いで殺されたものですよ」


「この巨大生物と、戦った別の何かがいるというのか」


 化石の数ヶ所にできた痛ましい傷跡に目を凝らした宏信は戦慄を禁じ得なかった。この巨大な竜の首を折って惨殺したのは、果たして同じ種族の仲間だろうか。それとも、このドラゴンと同じかそれ以上に大きく、強力な他の何者かが同じ時代に存在していたとでもいうのだろうか?


「とにかく、これは大変なことになったぞ。超古代文明のインパクトすら吹っ飛んでしまうほどの歴史的発見を、我々はしてしまったのかも知れない」


 呆然としている宏信に意味深な視線を向けているかの如く、発掘されたドラゴンの化石は巨大な頭蓋骨の口元を小さく歪ませながら、長く鋭い牙を剥いてにやりと笑っているように見えた。

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