Ep.3 MIHO

「みんな、ここにいて。ハルナをお願いね――」


 わたしは笹岡さんにハルナの手を握らせ、階段ホールに出た。

 もちろん、せっかくのスパゲッティパーティを中断させたあの〝物音〟の正体をつきとめるため――

 さもないと、あの子たちはお盆休みの間中食堂から出てこられなくなってしまうかもしれないと、わたしにはそう思えたからだ。


 もう陽はとっぷりと暮れ、各階に灯された照明が明るさを増している。

 居残っている寮生の全員が食堂に集まっているはずだから当然なのだけれど、人気はまったく感じられなくて、完全な静寂がエルザハイツを支配していた。


 わたしが慎重な足取りで二階まで達したときだった。

「ダメよ、ハルナちゃん!」

 笹岡さんらしき声が聞こえた。

 下をふり返ると、ハルナが階段の下からこちらを見上げていた。


「ハルナ。お姉さんたちのところにもどりなさい。母さんはだいじょうぶだから――」

 だけど、ハルナはためらいもなく階段を昇りはじめた。女の子たちは怖がって、だれ一人連れもどしに来ようとしない。


 古くて段差の大きい木造の踏み段は、幼いハルナが立ったまままたぎ越えるのは無理だ。一段一段、両手をついて身体を支え、はうようにして昇ってくる。

 階段を昇るのも、きっと楽しい冒険なのだろう。わたしは最上段に腰かけ、ハルナが昇りきるのを待つことにした。


 わたしは手にしたマスターキーの束に眼を落とした。

 わたしの頃は二人部屋だったから、うっかり施錠してしまうと相部屋の生徒を締め出してしまいかねない。だから、カギなんかかけたことがないという寮生もめずらしくなかった。

 ところが、さっき聞いてみると、今では全員がつねにカギを携帯しているのが常識になっているという。わたしが気づかないところでさまざまな変化が静かに進行しているのだと、つくづく実感させられる。


 カギをかけたかどうか自信がないという生徒もいたし、どの部屋を調べることになるかもわからなかったから、わたしはカギ束を持ってきたのだ。

 ハルナがとうとうたどり着いて、その束をつかんだ。どうやらハルナには、ジャラジャラ音のするそれがめずらしかったらしい。


 食堂の真上にあるのは、207から210までの部屋と洗面所の一部だ。

 手近な洗面所から調べていく。個室もいちいちドアを開いて点検した。あれだけ大きな音がしたのだから、床に何か重いものが落ちたか倒れているはずだった。

 わたしが最初の210号室のドアにカギを差し込むと、ハルナはその手元をジッと興味深そうに見つめている。カチリと解錠される音が静寂を破った。


 部屋の主は休暇に入ってすぐに帰省したらしく、鎧戸も閉ざされていて真っ暗だ。照明のスイッチを入れ、中にだれもいないのを確認してから踏み込む。最初にドアの陰を確認し、それから床を見渡していく。念のためにベッドの下ものぞき込んでいると、戸口に待たせておいたハルナがトコトコと入ってきてわたしのまねをした。


 209は完全な空室で、ガランとしていて異常もなかった。

 次の208号室は、カギを使うまでもなくあっさりと開いた。

 異常があるかどうかよりも、まず前の二つの部屋とのあまりの違いに驚かされた。まるで、女子高生が部屋をひとつ独占したらどうなるかという見本のようだった。


 二組のベッドと机はそのまま所定の位置にあるが、自分用のベッドは寝起きのままに乱れていて、もうひとつは洗濯物や制服が乱雑に積み上げられている。一方の机は教科書や色とりどりのステーショナリーが散乱していてかろうじて学生のものらしく見えるが、もう片方の机には三面鏡が立ててあり、化粧品の小ビンが無数に林立していた。

 これが今や高校生の常識なのかと、あらためて思い知らされる。


 床に落ちている花柄の下着などをさけながら足を踏み入れると、机とそろいの木製のイスが二つ、部屋の中央に重なるように置かれていて、片方は横倒しになっている。その周りの床はなぜか水びたしだった。


 ハルナの眼にもその様子が奇妙に映るらしく、わたしの腰の後ろからおそるおそる顔をのぞかせて見つめている。

「そういうことか……ハルナ、あの音の原因はこれよ」



 わたしはハルナの手を引き、濡れたタオルだけを持って食堂へもどった。

 幽霊のしわざでも、不審な侵入者がいたのでもなかったと伝えると、七人の女の子たちの間にひとまず安堵の空気が広がった。


「こういうトリックだったの――」

 わたしは、彼女たちを納得させるため、コピー用紙にわかりやすく図を描いて説明した。

「二つのイスを不安定な形に積み重ね、上に載せたほうに氷を重り代わりにくるんだタオルをくくりつけて、かろうじてバランスが取れるようにしてあったの」


「そうか。氷がだんだん溶けていけば、どこかでかならずバランスが崩れてイスが倒れる仕掛けになっていたんですね!」

 同じ二階の部屋に住んでいる一年生が、パッと顔を輝かせて言った。


「だけど、なんでそんな手の込んだイタズラしたのかしら?」

 テーブルの上に組んだ腕にアゴをのせた三年生の子が、口をとがらせて言った。彼女はたしか、三階正面の角部屋の住人だ。


「そりゃ当然、アリバイ工作のためよ。あたしたちといっしょにスパゲッティ作ったりパーティ開いたりしているときに音がすれば、自分は無関係って顔していられるじゃない」

 生意気そうに決めつけたのは、この春から両親が海外赴任したために四階に入寮した二年生だ。

 彼女はミステリーの愛読者でもあるらしく、探偵を気取った口調でつづけた。

「氷は三階の給湯室の製氷機からいくらでも調達できるわ。となると、トリックを仕掛けることができたのはだれなのか、ってことになるわね。スパゲッティ作ることに決まってから、自分の部屋にもどったり、調理室から一度でも出たことのあった人は?」


 有無を言わせない口調で質問され、たがいに顔を見合わせながら結局全員が手を上げた。

「だって、トイレくらいならだれでも行ったでしょ。あなた、ご自分だけわかったような顔して、みんなを裁こうというつもりなの?」

 笹岡さんが、全員を代表するように冷静な口調で言い返した。


「あたしが例外だなんて言ってない。着替えのために一度部屋に帰ったわ。だけど、あたしは真実を知りたいの。じゃあ、これの持ち主は?」

 彼女は、わたしがテーブルの上に置いた濡れたタオルを指さした。

「それ、ウチの……。そやけど、わざわざ自分のタオルを使うなんて、犯人がそんなわかりやすいことすると思う?」

 自分の腕を抱きしめながら、四階の部屋に住む一年生が、か細い声で訴えるように問いかけた。


「どうかしら。自分が利用されたように装うのは、ミスリードの初歩的なテクニックよ。かえって怪しまれたってしかたないわ」

「そ、それ言うなら、トリック仕掛けられた部屋の住人がいちばん怪しいのとちゃう? だれにも疑われる心配ないんやから!」


「冗談じゃない。私は部屋を荒らされてるのよ。水びたしになってるだなんて、信じられないわ。こっちはまちがいなく被害者なんだからね!」

 あの部屋がどう荒らされたのかを説明するのはむずかしそうだけど、施錠されていなかったのだから、理屈の上ではだれでも出入り可能だったことになる。演技でないのだとしたら、彼女の言い分は十分納得できる。


 わたしは言い争いなんて嫌いだし、自分の大切な生徒たち同士がいがみ合う光景を見るのは何より耐えがたかった。

 だけど、そこまでわたしは一言も口をはさまず、じっと我慢して彼女たちの言葉に耳を傾けつづけた。

 それは、わたしがハルナを連れて最初にエルザハイツに足を踏み入れて以来ずっと気になっていることを、どうしても確かめたかったからなのだ。


「被害者? よく言うわ。きのうの夜、大浴場であたしの下着をゴミ箱の下に隠したの、あなたのしわざでしょ」

「え、何言ってるの?」

「だって、あたしが上がる前に、シャワーだけ浴びてサッサと出てったのはあなたじゃない」

「言いがかりよ。だれでも無人の脱衣室に入れたはずだもの」


「まって。そんなイタズラくらい何よ。わたし、ドライヤーを壊されたわ。きのう朝シャンしたときに使ったんだから、犯人は確実にこの中にいるのよ!」

「じゃあ……私のケータイのコードもだれかが盗んだってこと? もうすぐ充電切れしそうで困ってるのに……」

「そのとおりよ。悪意を持った人がいるにちがいないわ。舎監の先生に言いそびれてそのままになってたんだけど、わたし、彼氏にもらった手紙を読まれたみたい。だって、机の上に出しっぱなしにしとくなんてわけないのに……」

 女の子たちが堰を切ったように口々に言いたてた。


(そういうことだったのね――)

 これで、暑い日中に寮生たちが各自の部屋に閉じこもっていた意味も、パーティの途中で怪しい物音がしたときの過剰な反応の理由もわかった。

 一つ一つの出来事は事件というほどのことではないが、寮生がおたがいを疑ったり、部屋を離れるのをさけたいという気持ちになるのは理解できる。


 各自が言いたいことを一通り吐き出してしまったところで、わたしは率先して冷めてしまったソースを温め、新しいスパゲッティをゆではじめた。

 だれもが一人きりになるのはイヤなのだろう。前のようになごやかな雰囲気は皆無だったけど、食事は淡々と進んでなんとか終わった。


 だけど、バラバラになった寮生たちの気持ちをそのままにしておいては、この〝エルザハイツの憂鬱〟は晴れない。

 しばらくここを離れたいと言い出す者もいるかもしれない。そうなれば、新学期にむけて帰ってくる生徒にも不信感が伝染する恐れだってある。


 もうひとつ、学園長であるわたしがエルザハイツにいる、まさにそのときに問題が発覚したということもある。

 わたしがここで食い止められなければ、悪影響は聖エルザ全体にまで及んでいきかねないのだ。


(長い夜になりそう……)

 眠そうに眼をこすっているハルナをひざの上に抱いて、わたしは食後のコーヒーをめずらしくブラックのまますすった――

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