第25話 カルミアが咲く頃

 時刻は十分前に遡る。


 浦田率いる海王会の奇襲隊がMMLの前に到着した。皆、顔が見えないように黒いマスクを着用している。よく銀行強盗が身につけているあれだ。浦田曰く、マスクにこだわる必要はなくシンプルなのが一番良い、とのことだった。

浦田が外周待機班に配置に着くよう命令すると、すぐに五名が隊列後方から飛び出す。各々が所定の場所に着いたことを知らせる班長の声が浦田の無線へ入ってきた。


『配置完了』

「わかった。催眠班も準備をしておけ」

『了解』


 沈黙が訪れた。浦田や玲がいる奇襲班、配置についた待機班、共に施設内に入る催眠班はそれぞれ違う場所から集合した。玲たちはMMLの正面から少し外れた路地に身を潜めているが、催涙班はまた別の場所に隠れているのだ。


 浦田は腕時計を確認すると、無線のスイッチを入れた。


「総員突入開始」


 皆、マスクを深く被り直し、MMLのエントランスに向かって走り出す。


 先に催眠班が突入し、それに奇襲班が続く。浦田が受け付けの事務員とアイコンタクトを取ると、彼は受話器を持ち上げた。程なくして、正面の通路奥から海王会が買収した飼育員が現れた。


「それでは案内を頼むぞ」

「ええ、任せてください」


 飼育員が答える。力が必要な仕事とはいえ、レスリング選手と言われても疑わないような体つきに玲は少し慄いた。浦田のことだ。きっと、味方につける飼育員も慎重に選んだのであろう。


 飼育員を先頭に奇襲班は歩いて廊下を進む。こちらが静かに進んでいるが故に、残っていた研究員の抵抗する声が四方八方から聞こえてきた。しかし、進むに連れてその声も段々と減っていく。玲は申し訳なさでいっぱいになった。


 今日、玲はこの海王会を裏切る。そのための準備もして来ている。しかし、相手は浦田だ。玲だけでどうこうできるわけではない。網野も何か対策を練ってくれていることを祈るしかなった。


 網野の研究室の前に辿り着いた。中は暗くてよく見えない。もしかしたら、網野がいないのではないかという不安に襲われるが、玲は網野を信じていた。


 彼と出会って裏切る決意ができた。その勇気をくれた彼を信じていた。


 浦田がドアノブを引く。予想していた通り、鍵がかけられており扉は開かない。


「離れてくれ」


 と、浦田はスーツの下に隠していたホルスターから拳銃を取り出す。銃口を鍵のかかったドアノブに向けて発砲した。拳銃をしまった浦田は煙の上がるドアノブを握り、扉を押す。鍵は壊れ、軋みながら扉が開いた。


 それと同時に真っ暗な部屋の中から、銀色の大きなものが飛んでくる。


 扉を開けた浦田は持ち前の反射神経を活かし華麗に避けたが、その後ろにいた班員の顔面に見事に直撃する。かなり鈍い音がし、その班員は膝から崩れ落ちて失神した。彼にぶつかった銀色の物も床に落ち、それがタライだったとわかる。タライは紐で研究室の天井に繋がっており、扉を開くと開けた人目掛けて飛んでくるカラクリになっていたようだ。


 あまりの音の大きさに眠っていた人魚も目を覚まし、暴れ出す。


「……どういうことだ?」


 浦田は状況を理解できない様子だったが、玲は真逆だった。網野の奇想天外な対策に感心していてた。


「あっはっはっは! さすが光来! すごいや!」


 玲がそう高らかに笑っても、浦田は玲がリークしていたなど気づきもしない。


「クソ!」


 と、もう一人の班員が飛び出す。


「待て早まるな!」


 浦田の静止を聞かずに、班員は部屋の中に入り込む。しかし出入り口の下方には透明のテグスが貼られており、班員は見事に引っかかる。


 勢いよく倒れた先には小さなブロックたちが待ち構えていた。服越しでもかなり攻撃力を持つ、ブロックらに班員は悲鳴を上げる。すぐにその場から離れようとするが、洗剤が巻かれた床では簡単に立ち上がることはできない。立ち上がれたと思ったその瞬間には再び姿勢を崩し、ブロックの針山へダイブすることになるのだ。


「まさか……奇襲がバレていた?」


 浦田は動揺を隠せていない。飼育員も空いた口が塞がらずにいる。一方、玲は高揚していた。これほど興奮したのはいつぶりだろう。まるでヒーローショーを見ていた子供の頃に戻ったようだった。


「催眠班へ告ぐ。全員片付け次第、一階網野研究室前に集合しろ。繰り返す。全員片付け次第、網野研究室前に集合しろ」


 浦田はそう言って無線を切ると、自ら研究室内へ一歩踏み出す。


 入り口近くのスイッチを押し、室内の電気を付けようとするが部屋は明るくならない。


「電球を外しているというのか? 子供騙しの仕掛けしかないと思ったが、やるじゃないか」


 洗剤を避けるためか、動かなくなった班員の背中を容赦無く踏み、ティナの前に辿り着く。


「しんりゃくしゃ! しんりゃくしゃ!」


 ティナは尾鰭を器用に使い、水槽内の水を浦田に振りかける。びしょ濡れになりがらも、浦田は立ったままティナを見つめた。


「まさか本当に人語を喋るとはな。しかしマナーはなっていないようだ。大丈夫、海王会が優しく教えてあげるよ」


 と、浦田が水槽の縁に手を掛けた瞬間だった。


 水槽の目の前にあるロッカーが勢いよく開き、モップを持った網野が飛び出してきた。モップの先は浦田の顔に命中し、浦田はそのまま床に倒れ込む。


「僕の人魚に手を出すな!」

「あみの!」


 網野の姿を見た瞬間、ティナの顔が一気に明るくなる。いかに人魚が網野に愛されているか、いかに網野が人魚に愛されているか。玲にはよくわかった。


「なんだお前は! どうしてここにいる!」


 浦田は必死に抵抗するが、武器を持つ網野の方が優勢だった。馬乗りになり、浦田の顔をモップで擦り続ける。その浦田は先程のティナの水かけを受けたことを後悔していた。拳銃は湿って使えないだろう。つまり、浦田は今武器を持っていない。とはいえ、公安ともあろう人間がモップを持っただけの研究者に負けているのは浦田のプライドが許さなかった。


「おい飼育員! 何を突っ立っている、この人魚だけは必ず持ち帰るんだ! 何としてでも!」


 浦田に呼ばれ、突っ立ったままだった飼育員が研究室内に入ろうとする。玲はこの瞬間を待っていた。マスクを外しながらポケットに隠していた小さな機械を取り出し、飼育員の背中に当てる。


 一瞬呻き声を漏らした飼育員はタライにやられた班員の上に倒れ込む。


「「……玲?」」


 網野と浦田の声が重なる。


 網野は玲が人殺しをしてしまったのではないか、と心配した。


 浦田はどうして玲が味方を攻撃したのか、という疑問で頭が一杯だった。


 玲は網野の気持ちにだけ答えた。


「大丈夫。ただのスタンガンだよ」


 飼育員を仕留めた小さな機械を顔の横に掲げた玲は、年齢に相応しい屈託のない笑みを浮かべた。

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