第24話 迎撃準備

  網野の頭はようやく冷静になっていた。もちろん、玲から聞いた話を事実として受け止められたわけではないが、今から何をすればいいか考えられるくらいには落ち着いていた。

 

  網野は駅を出た足で近くのホームセンターに向かっていた。これから得体の知れない物に襲撃されるのだ。何か護身できるものが必要である。

 

 ここのホームセンターは深夜でも空いており、なおかつ敷地面積も広いという優秀なホームセンターである。何を隠そう、ここもセイレーン社によって経営されているのだ。名前は『セイレーン+』。セイレーンガーデンでは販売していないようなコアな商品を展開という意味が込められている。そのためかこの時間でも客が多く、その客も作業員のような風貌の者ばかり。網野が凶器を買っても怪しまれることはないだろう。服装はワイシャツだが、


 しかし、問題は何を買うかだ。網野はセイレーン+に着いてもなおアイデアが浮かばずにいた。一番良いのはやはり包丁だろう。いやいや今から殺人をするわけではないのだ、と思い直す。ならば何が最適か。刺股? 小学校などにも置いてある、相手から距離も取ることができるかつ相手を傷つけることもない、理想的な武器。


 店員さんに刺股が置いてあるか尋ねると、なんと置いてあった。さすがはセイレーン+だ。心配なのは売り場まで案内してくれた店員さんが怪しげな顔をしたことだ。そのような顔をするならば、刺股なんて売らなければいいのにと思った。


 とはいえ、今は販売してくれるセイレーン+に感謝するべきだし、ただの雇われの店員は何も悪くないと考えた。


 壁に吊るされたいくつもの刺股を眺める。網野には違いがわからないが、それぞれ何か特性が異なるのだろうか。


 そこで網野は自分の致命的なミスに気がついた。


 どうやって研究室まで持っていくかだ。セイレーン+からMMLまでの道中の話をしているのではない。MMLのエントランスから自分の研究室までの道のりだ。宿直の事務員は敵だ。敵がいるエントランスを、どうすれば刺股を持った人物が通り抜けられるというのだ。至難の業どころか不可能に近い。通り抜けられたとしても、間違いなく仲間に伝えられる。最悪、こちらが奇襲を知っていることさえも知られてしまう。そうなっては最悪だ。刺股は諦めるしかない。


 竹刀? 残念なことに網野は剣道どころか武道の経験すらない。そもそも刺股と同じ理由で却下。


 縄? 絞殺でもするのか? だから殺人を犯すつもりは一切ないのだ。


 金属バットも考えたが、結局サイズの壁を超えることはできない。


 時刻は九時。時間の猶予はある。網野は一度振り出しに戻って、考え直してみることにした。入ってきた出入り口の側に立つ。近くにちょうどレジが並んでおり、電子音が絶え間なく聞こえる。他の客が買っているものでも観察しておけば何か閃くだろうか、とレジにやってくる人々の籠の中身を覗き見る。


 しかし、皆当たり障りのないものだった。シャンプー、おむつ、ネジ、クーラーボックス、洗濯籠、園芸用の土。心が諦めそうになっていた中、今までとは少し系統が違う商品に目が止まる。


「あの、お客様、先程からずっと立っておられますが……」


 網野に声をかける女性店員の声は彼に届いていない。網野が見ているのは今レジを通されたDVDだ。


 網野は幼少時代、親にホームセンターで昔の映画のDVDを買ってもらってはよく観ていたことを思い出した。今でもこのような場所でDVDを販売しているんだな、と感慨深くなっていると、今になってレジの真横にDVDを陳列している棚があることに気がついた。


「あのー、お客様? 聞こえてますか?」

「これだ」

「え?」


 数あるDVDの中に、網野が大好きだった映画のタイトルがあった。


 話しかけ続けていた店員を無視し、網野は店内へ戻る。透明のテグス、ビー玉、ミニカーのおもちゃ、洗剤、樽、LEDライト、ワイヤレススピーカー。網野の籠の中は長期休暇に得体の知れない工作をしようとする子供のそれと同じだった。


 網野が見つけた映画のタイトルはもちろん『ホームアローン』だ。




 MMLはその名の通り研究所だ。研究者によっては夜遅くまで研究室に篭ったり、泊まったり。中には何泊もする研究者もいる。そのため、研究員を含むIDカードを持つ所属者は深夜でも屋内に入ることができるのだ。


 MMLに戻ってきた網野はエントランスに入ると自分のIDカードを使ってゲートをくぐり抜けた。その際、受付にいた事務員がこちらを一瞥したことに網野は気がついていた。彼は新聞を読んでいるフリをしていたが、バレていないつもりなのだろうか。


 自分の研究室の前に辿り着き、開錠する。ティナが既に眠っているので、彼女を起こさないように静かに扉を開けた。スマホのライトを机の上にあるスタンドに立てて、部屋の中を淡く照らす。椅子に置いた買い物袋からセイレーン+での戦利品を取り出し、机に並べた。


「さてと」


 袖を捲り上げ、網野は早速仕掛け作りに取り組んだ。


 全てを終えたのは深夜一時半。玲から聞いた奇襲予定時刻まであと二時間半ある。


 このまま研究室で待機していてもいいのだが、それは受付で網野が来たと知られなかった場合だ。既にあの事務員に網野が戻ってきていることはバレている。四時までに網野が帰らなかったら、間違いなく仲間に伝えられるだろう。


 こうなることを予期していた網野は部屋の窓を開ける。幸いにも網野の研究室は一階だ。外からでも梯子を使わずに入れる。紙媒体の貴重な研究資料は金庫に閉まっておいた。


 水槽の中にある岩の上で眠るティナ。口から泡が一定のテンポで溢れる。網野はガラスに手を当て、彼女に囁きかけた。


「必ず、僕が君を守るから」


 網野はリュックを手に取り、研究室を出る。しっかりと施錠をしてから、エントランスのゲートを抜けた。事務員はまだ新聞を読んでいたが、やはり網野の姿を横目で見ていた。帰っていく彼を見て、心なしか安心しているようだった。


 一度、MMLを離れた網野は二十四時間営業のファストフード店に入った。MMLの近くにあるので、およそ二時間を潰すにはちょうど良い。それに夕食はまったく食べた気にならなかったので、少し腹ごしらえをしようと思ったのだ。腹が減っては戦ができぬ、だ。


 頼んだセットを食べ終え、追加で注文したチキンナゲットも食べ終えた。スマホで時間を確認するとちょうど三時半だった。腹も程よい満腹感である。そろそろMMLに戻る時間だ。


 トレーを下げ、店を出る。ほとんど車の通らない道に、街灯が網野の形をした長い影を作っていた。


 路地に入り込み、MMLの裏側に出ると裏口の柵を乗り越えた。刑務所や美術館ではあるまい。この程度で警報がなることはなかった。知ってはいたが、世界唯一の人魚研究専門機関である割には弱いセキュリティだと思う。


 無事に網野研究室の窓にも辿り着き、難なく中の入ることができた。今のところは順調である。


 これからは四時まで待機だ。しかも待機場所は網野研究室の中でも掃除用具ロッカー。MMLの各研究室に設置されている掃除用具ロッカーは箒だけでなくモップ、簡単な水槽清掃用の道具も入っているので、成人男性一人ならば余裕で入れる広さなのである。潜伏に最適な場所というわけだ。


 入ってきた窓を閉め、ロッカーに身を隠す。運命の時間まで残り十五分。その十五分はやけに長く感じた。


 しかしついにその時は来た。研究室の扉の鍵を無理矢理こじ開ける音が、ロッカーの中まで聞こえてきた。

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