学校の終わりを知らせる鐘が鳴り、生徒達は木造の床をきしませながら席を立つ。

その部屋にいる生徒達は全て男子生徒で、女子の姿はない。

教育を受けさせてもらえるような良家の女子は女学校に行き、それ以外は実業学校に行くからだ。

「ちゅーた!!」

男臭い教室で静かに帰り支度をしていた中太郎に、同じ組の少年が飛びつく。

「……いきなり飛びつくなよ」

大きくよろけた中太郎は、友達に眉をしかめる。

「この色男!!ほら、見てみろよ!!また女学校のお嬢さん方が、あそこでお前を待ってるぞ〜」

窓の外には学校の門が見えており、そこに隠れるように女子達が立っている。

「……俺とは限らないって」

「またまた〜!上等な着物をあつらえてもらって、更に男ぶりが上がったじゃないか!それ、かなりいい生地だろ?俺の目は誤魔化せないぞ」

ニヤニヤと呉服屋の息子も会話に入ってきて笑う。

中太郎は苦笑するしかない。


忠太郎は迷わず表門ではなく裏門に向かう。

そんな彼に友達二人もついて来る。

「何だよ、会わねぇのか?」

「結構可愛い子ばっかりだったぞ」

そんな事を言う友人達に中太郎は首を振る。

頬を染めて会いに来る少女達は確かに可愛いが、中太郎の心にいるのはいつも目隠しをしている変わり者のあやかしだ。

「中太郎って潔癖だよな〜」

「そうそう、どんなに可愛い子でも全然なびかねぇよな。……もしかして、もう決まった許嫁とか居るのか?」

友人の遠慮のない、好奇心に満ちた質問に中太郎はため息を零す。

「……心に決めた女性ひとがいると……言えたら良いんだけどな」

勝手にこちらが心に決めていても、相手にされていないと、迂闊に公言も出来ない。

「何だよ、意味深だなぁ〜」

「片恋か?中太郎」

そんな中太郎に友人たちは興味津々だ。

「……思いっきり片恋だよ。向こうは俺を小さくて可愛い子供と思っている」

中太郎がそう言うと、友人二人は思わず吹き出す。

細身で肉体労働に向きそうな体つきではないが、身長もあり、少し鋭い、切れ長の目が特徴的な中太郎には『可愛い子供』と言う言葉が、あまりにも似合わない。


「お前が子供!?」

「どんだけ年上なんだよ!!まさか誰かの母親じゃないだろうな!?」

明るく笑う友人に中太郎は渋い顔をする。

黒曜は、自己申告を信じるなら、今、生きている人間の誰よりも年上の女性だ。

しかし流石にそれは言えない。

自由に姿を消せる右太郎が、もう隠伏いんぷくして迎えに行きているかもしれない。

聞かれたら何と告げ口されるか、分かったものじゃない。


「怒るなよ!中太郎が……意外すぎて面白かったんだよ!」

「そうそう。年上でも何でも、お前が迫ればイチコロだろ!強気に行けよ!」

渋い顔をして黙った中太郎に、取り成すように友人たちが言う。

「迫るって……」

戸惑う中太郎を、面白がるように友人達が見る。

「そりゃあ、お前、こう、目を見て」

呉服屋の息子が片割れを見つめる。

「手を取る」

そしてその手を取る。

二人は演技がかった動きで見つめ合う。

「目を見て……手を取って?」

中太郎が真面目に頷くと、二人は中太郎を見て、再び見つめあって爆笑しだす。

「馬鹿、この後は一つしかないだろ!」

接吻せっぷんだ、接吻!!」

「そして可能そうなら流れるように押し倒す!」

完全に面白がっている。


真剣に聞いて損をした。

そう思って中太郎は大きくため息を吐く。

「何だよ、子供扱いされるなら、男だと示せば良いだろ!」

「そうそう!これぐらいしたら『男』を意識せざるをえないだろ!」

自分たちの案を一蹴した中太郎に、友人二人は口を尖らせて反論する

「……そんなことしたら、しばき倒されて逆さ吊りにされる」

黒曜のお付きの二匹が、そんな狼藉ろうぜきを許すはずがない。

中太郎の真意を知らない友人達は、驚いた顔で、『しばき倒されて逆さ吊り』にするなんて、中太郎の相手はどんな女なんだと視線で会話する。


一人重い雰囲気になってしまった中太郎の背中を、元気づけるように友人は叩く。

「ま、まぁ、女任侠おんなにんきょうでも何でも、いつか何とかなるって!!」

「そ、そう!何とかなるかは知らないけど……あ、そうだ!啓二朗けいじろうのトコにさ、凄ぇ客が泊まってるんだって!!誘われてたんだ!な、な、見に行こうぜ!!」

そして何とか明るい話題を提供してくる。

「凄ぇ客?」

「何でも当今とうぎん様ともお付き合いがあるような、お華族様が来てるんだってよ。そりゃあ豪華で、何と!『おーともーびる』に乗ってるんだって!!」

耳慣れない言葉に、中太郎ともう一人は首を傾げる。

「個人用の乗合バスみたいなヤツだと。とにかく格好いいらしいぞ!!……見たくねぇか?」

近隣よりこの街は栄えているが、地方であることには変わりなく、この田舎に自動車自体存在しない。

そもそも自動車などは商用車を除けば、超上流階級の限られた者しか持つ者がいない。

「へぇ〜、行こうぜ、中太郎!」

「女の事なんて吹っ飛んじまうぜ!」

返事も聞かずに友人達は、中太郎の手を取って走り出す。

帰り道だし、まぁ、少しくらい良いかと、中太郎は苦笑しながらそれに続く。


暫く三人が走ると、大きな旅籠屋はたごやの前で大きく手を振る少年が現れた。

「啓二朗!!」

丸刈りの少年・啓二朗は喜色満面で三人を迎える。

「よく来たな!裏に停めてあるんだ!見に行こうぜ!」

宝物を皆で共有できる高揚が、彼から溢れ出ている。

「すげぇよ。あれ、動いてる所も皆に見せたいな〜!早いし、すっごい格好いいんだぜ!」

「へぇ〜!」

少年たちは未知に目を輝かせ、熱く語り合いながら歩く。


中太郎は笑いながらそれを聞き、黒曜がそれを見たら、どんなに珍しがって喜ぶだろうかと想像する。

今の町中では完全に浮いてしまう、壷装束つぼしょうぞく被衣かつぎを被った一本歯の下駄の姿で、伸び上がって、きっと大はしゃぎするに違いない。

山から殆ど出ない彼女は、仕える妖たちの手を取って外の映像を見せてもらっては、コロコロと涼やかな声をたてて笑ったり、感心したり、楽しそうにしている。

昔は中太郎も自分の記憶を見せて黒曜を楽しませた。

『年頃のおのこは心を読まれたくない事が多いのじゃろうな。中太郎も成長しておるのじゃな』

黒曜の寂しげだが嬉しげな言葉に胸が痛む。


本当はもっと黒曜と風景を共有したい。

一緒に笑って、感心して、語り合いたい。

でも黒曜は山の外に出たがらないし、刺繍やら当て布やらで補強しながら使っている、一見華やかな衣を脱ぎたがらない。

あの女学生達のように袴にブーツを履いた黒曜を連れて、彼女にとっては珍しい物だらけの町を、共に歩いてみたい。

案内したら、きっと彼女は喜ぶだろう。

『妾は下の世と繋がり過ぎてはならんのじゃ。双方に不幸がもたらされる』

何度誘っても、寂しげに笑う彼女を思って、中太郎は切なくなる。


「中太郎?」

夢想していた中太郎は、肩を叩かれてふと現実に戻る。

「あ、あぁ?」

「お前もこんな物が動くなんて信じられないだろ、って聞いたんだよ」

友が黒塗りの『オートモービル』に目を輝かせている。

鉄でできているその車は、色も相まって重厚さがあり、昔からそこにあったような存在感がある。

確かにこれが動き回るとは、にわかに信じがたい。

「そうだな。動いたら凄いな」

動いた所を見られたなら、その映像を、久しぶりに黒曜に見せてあげたい。

そう思いながら、中太郎は初めて見る自動車を眺める。

「……………?」

そして車に入った家紋に、ふと、目が止まる。

変わった家紋だ。

三つ追いのひいらぎの中央に、二本の刀が交差している。

珍しいはずなのに、既視感がある。

この家紋、何処かで見たことがある。

しかも何か邪なイメージがある。

どこで見た物だろう。

中太郎は記憶の線を辿る。


「すげぇなぁ!!……でもこんな物に乗る、高貴なお華族様が、何でよりによってこんなひなびた所に来てんだ?」

「湯治……とか言ってたかな」

「湯治ぃ!?温泉も何にもない所に!?」

「何か病を得たとかなんとかで、この辺りで出回ってる薬を買い求めに来たって言ってたかな。凄い効く薬があるんだって」

「へぇ〜、薬なんか都会の方がよっぽど良いのがありそうだけどなぁ」

「あ、でも俺、聞いたことがある。和漢仙薬堂わかんせんやくどうの薬って凄く良いらしいぜ」

「あ、俺も、俺も!何でも噂では山の女神が作ってる妙薬みょうやくが置いてあるとか何とか!!俺んち、あそこの常連!」

記憶を辿りながら友人達の話を聞いていた中太郎は、思わず吹き出す。

和漢仙薬堂は、左太郎が黒曜の作った薬を卸しに行っている店の一つだ。


「山の女神って!!この文明開化の世の中で!!」

馬鹿にして呉服屋の息子が笑うと、真剣な顔をしてもう一人が首を振る。

「馬鹿、女神様は居るんだぞ。ばーちゃんの村で疫病が流行った時に、女神様が山から下りてきて、手ずから看病して薬を与えてくれたって話だ。ばーちゃんも助けてもらって、今でも感謝して、毎日女神様にお供え物してんだぞ」

真剣な言葉に、呉服屋の息子は眉唾、眉唾と大笑いする。


しかしその話を聞いた旅籠の息子の顔は、真顔になる。

「……それって『目隠しの鬼』の話?」

秘密の話をするように、押し殺した声で聞く。

「ばっか!!鬼じゃねぇ!山神様だ!高貴なお顔を布で隠してるんだぞ!」

明らかにムッとした顔の少年の手を、旅籠の息子が握る。

「お前、その話、詳しく聞かせてやってくれよ。その、例のお華族様が目隠しの……山神様の話を調べてるんだよ。この町の人間は、あんまり知ってる奴が居ないし、漢方屋のジジイは半分ボケてるし」

「えぇ!?」

拒否しようとする少年を、旅籠の少年が引っ張る。

「多分、金一封出るぞ。もう金に糸目はつけないって感じで探してるからな」

それを呉服屋の息子が胡散臭そうに見ている。

「馬鹿、不確かな事を言って金貰ったら、後が怖いぞ。な、そう思うだろ?中太郎」

そして中太郎に話を振る。

中太郎は唾を飲む。


『目隠しの鬼』は間違いなく黒曜の事だ。

人と関われない、と言いつつ中太郎を助けてしまう彼女だ。

きっと疫病で苦しむ村民を見捨てられなくて、山から降りてしまったのだ。

「うん。責任取れない事は言わない方が良い。大体婆様の話の又聞きなんだろう?婆様を疑えというわけじゃないけど、万が一間違ってたら何と言われるかわからないよ」

何か禍事が黒曜に迫っている気がする。

それを遠ざけようと咄嗟にそう言った中太郎は目を見開く。

『禍事』。

そう考えた瞬間、それが鍵になって、過去の記憶を呼び覚ます。



―――『依頼者』だ。



思い当たって、中太郎の背中に冷たい氷塊が流れたような感覚が湧く。

この車に描かれている家紋は確かにそうだ。

見たのは七年も昔の事。

しかもその時の中太郎は、たった八つの子供だった。

しかし珍しいその構図は、しかと見た記憶がある。

「………幸隆、知三郎、帰ろう。厄介事に巻き込まれない方が良い」

中太郎は友の手を引く。

何か良くない歯車が噛み合っている。

『呪い』を依頼した華族。

『祓い』を行わず、術者の村を滅ぼしたその華族が、重い病を患っている。

患った体を押して、こんな鄙びた田舎に滞在して、『目隠しの鬼』を探す。

そして何の因果か、依頼者の依頼した『呪い』への最後の『祓い』が目前に迫っている。


顔色を変えて帰宅を促す中太郎の肩を、旅籠の息子が掴む。

「待てよ!!ちょっとでも情報提供したいんだよ!!……うちは西に行く客の中継地って事で旅籠をやってたけど、機関車なんかが走るようになって、客足が遠のいてるんだ。……あんな上客に贔屓にされたら、それだけで箔がつくんだよ!!」

必死に訴える旅籠の息子に友人たちは戸惑って顔を見合わせ合う。

その顔に、旅籠の息子に同情する気配が生まれて、これは不味いと中太郎は判断する。

「……でもさ、間違ってる情報教えたら、尚更良くないんじゃないか?万が一情報が間違ってて、その情報を提供したのが、泊まった旅籠の息子の友達だった。そしたらその華族は媚を売りたいがために、でっち上げを掴ませたと思うかもしれないよ?」

友人が同情から黒曜の情報を漏らす前に中太郎は釘をさす。

友人を見捨てるような行為だが、『呪い』を纏った華族に贔屓にされたら、結果的に彼の旅籠にも影響が及ぶかもしれない。

「知三郎は婆様にちゃんと話を聞き直した方が良いかもしれない。情報提供ならその後でも良いだろう?」

その一言で諦めきれない様子の旅籠の息子を、中太郎は完全に抑え込む。



何かが迫っている。

その悪い予感に押されるかのように、中太郎は友人たちと別れて、家路を急ぐ。

「上手いことやったな、中太郎」

その中太郎に、何処からか声がかかる。

中太郎はその声の主を探そうとはしない。

「右太郎、聞いていたか?」

歩きながら独り言のように呟くと、

「しかと」

と、また何処からともなく声が応える。

「黒曜様を探している奴がいる。黒曜様を守らないと」

中太郎がそういうと、クククク、と、周囲に笑い声が響く。

「問題ねぇよ。ちょっくらあの坊主の家を辿って、その婆ぁの記憶を消してくれる」

「……そんな事できるのか?」

「任せとけ。お前、途中まで歩いて帰っとけ。俺は仕事をして来る」

ククククと笑う声が、中太郎から離れて行く。


中太郎は急いで庵のある山に向かって歩き出す。

とても人間の足で帰れる距離ではない。

どの道、右太郎に連れ帰ってもらわなければならない。

しかし中太郎の足はどんどん速度を上げる。

一分でも一秒でも早く黒曜の元へ帰りたい。

その思いが中太郎の足をどんどん急がせる。

もう小さな無力な子供じゃない。

そばにいて、何があっても守る。

中太郎は夢中になって走り始めた。

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