第五話 『鬼化院』

「ねえ、ごくそつ、って何?」

 アイは帰り道、歩きながら新羅に尋ねた。

 しかし、新羅は何も答えず、ブツブツ独り言を言いながら、アイの顔を見ようともしない。

「おい! 聞いてんだろ? ごくそつ、って何だよ!」

「うるさい」

「ねぇ、しーんーらー。教えろよ〜。ごくそつ、って何だよ」

「やかましい! 黙れ!」

「おーい! ごーくーそーつーって、なーんーだーよー?」

「うるさい! 獄卒が貴様などに務まってたまるか!」

「それって、何する人?」

「人ではない。鬼だ」

「鬼? じゃあ、あたし無理じゃん。人、っていうか亡者だし」

「ああ、そうだな」と新羅は、めんどくさそうに適当な返事をすると、そのまま黙った。  

 そしてしばらく歩くと、ふと足を止め

「俺は獄卒になるまで、500年かかった」と、アイに言った。


「生まれてから、ずっと普通の鬼として肉体労働をしてきた。親も兄弟も、血の繋がった親戚もみんなそうだ。俺の血筋は鬼の中でも一番地位の低い青鬼だからな。青の家系で生まれてきてしまったら、その時点でもう運命は決まってしまうんだ。でも俺は諦めたくなかった。子供の頃からずっと憧れていた"十鬼"に入るという夢を。だから俺は必死に努力した。過酷な仕事が終わった後、寝ないで勉強した。そして、三流の大学に入り、ようやく出世への足掛かりを掴んだ。

 500年だ。それがどれだけの期間か分かるか? 俺がどれだけの努力をしてきたのか。だから貴様のように地獄に来たばかりのチャラついた奴を獄卒にしろなどという、上からの指示には納得できない」


 アイは、静かにその話を聞いていた。

 地獄も人間界と同じなのだと思った。

 アイにも夢はあった。でもそれは、どうしようもない夢だった。掴もうとしても、砂のように指の間からサラサラこぼれ落ちてしまう。それは、掴もうと努力した者にしか分からない苦しみだ。

 だから‥‥‥

「分かるよ」と言った。

「貴様になど分かってたまるか!」

 新羅は、声を荒げアイを睨みつけたが、その視線は簡単に跳ね返された。

 アイはその荒い語気を丸々飲み込むような静かな目で新羅を見ていた。その周りだけ空気が止まったようだった。   

 新羅は一瞬戸惑い、むりやり誤魔化すようにフンと鼻で笑うと「行くぞ」と言って、また歩き始めた。


        ・・・



 次の日、新羅はアイを連れてある場所に向かった。

 そこは、大きな総合病院のような建物で、看護師の白衣を着た女の鬼たちが忙しく動き回っていた。

 待合室には大勢の亡者がいた。いつもと同じような正気の無い亡者たちだったが、みなガタガタと震え、何かに怯えているようだった。

「ねえ新羅、ここどこ?」アイは聞いた。


「ここは、鬼化院だ」


「鬼化?」

「そうだ。ここでお前を鬼に転生させる」

「鬼に?」

「ああ。獄卒には鬼しかなれないからな」

「じゃあ、ここにいる亡者もみんな鬼になんの? めっちゃ混んでんじゃん」

「それだけ鬼になりたい亡者は多いのだろう」

「鬼になったら、どうなんの? ツノとか生えてくるの?」


 アイは、日々の生活に退屈していた。

 地獄に来てから何をするわけでもなく、動物の世話をしたり、当てもなくあちこちをブラブラしているだけだった。何でも良いから変化が欲しかった。


「ツノと牙が生え、爪も鋭くなる。個人差はあるが腕力は人間の数十倍になる。あと、飲食したり、寝たりもする」

「肌の色は? あたしピンクがいい! 絶対ピンク!」

「そんな色の鬼はいない!! 人間から転生した鬼の色は、肌色だ。だから変化はない。あとは‥‥‥」

「何?」

「鬼には寿命がある」

「死ぬの?」

「ああ。病気になる事はないが、肉体は老いていく。あと、物理的な外因によって死ぬ事もある」

「死んだらどうなんの? 亡者?」

「いや、亡者にはならない。鬼が死んだ後は、分からない。地獄を支配している"十王"と呼ばれる神しか知らない。しかし、それは聞いてはいけない事になっている」

「そうなんだ! で? 今から何すんの?」

 新羅は、受付で渡された同意書のような書類を書きながら言った。

「鍼(はり)だ」

「はり? はり、ってあの、治療とかするやつ?」

「そうだ。しかし普通の鍼ではない。強い苦しみを伴う。ほとんどの亡者は、その痛みに耐えきれずに消滅する」

「だから、みんな震えてんだ! つうか、亡者でも死ぬんだ」

「それほどの苦しみだ。今から会う"霊鬼様"が、施術してくださる。どうする? やめるなら今しかないぞ」

「ううん。やる。ヒマだし」

「お前‥‥‥恐怖心はないのか?」

「よくわかんない」

「‥‥‥まあ、いい。霊鬼様はとても偉い方だ。初代の十鬼の一人だからな。だから、失礼のないように心がけよ」

「オッケー!」


 しかし順番はなかなか回って来なかった。  

 一人ずつ呼ばれた亡者たちは、指定された個室に入っていき、しばらくすると中から悲鳴が聞こえた。それから何も聞こえなくなり、また次の亡者が呼ばれた。 

 一度、中に入ったきり、その部屋から出てくる亡者は一人もいかなった。


 そして順番が回ってきた頃には、すでに夜になっていた。アイの名が呼ばれ、立ち上がると新羅も一緒に立った。

「あんたも、来るの?」少し驚いたような口調で言った。

「ああ、見届ける義務があるからな。これも俺の仕事だ」

「あんま、ジロジロ見んなよ」

「あ!? お、お前の体などに興味はない!」


 個室に入ると、白衣を着た白鬼が椅子に座っていた。  

 顔中シワだけでガリガリに痩せた老鬼だった。産まれたての子鹿のようにプルプル震えている。

「霊鬼様、よろしくお願いいたします」と新羅が頭を下げると「じ、じゃあ、しょこに、しゅわって」と向かいの椅子を指を差した。

 歯が無いのか、発声と同時に息が漏れ、言葉が聞き取りづらい。

 

 霊鬼は鼻の下までズリ落ちた老眼鏡の上からアイの顔をジッと見た。とっぷりと時間が経過し、そしてカルテの様な紙に震える手で何かを書き込みながら、か細い声で質問を始めた。


「あ〜。なまえは?」

「渡辺アイ」

「あ?」

「渡辺アイ」

「はぁ?」

「わたなべ、あいっ!」

「はあ? ‥‥‥ああ、しゅっ、しゅまんけど、ちょっと耳が遠くての」

「わ・た・な・べっ! あいっ!」

「ああ。 かわい、しゅんいち、と」

「わっ、たっ、なっ、べっ! あーいっ!!」

「ああ。わたなべ、あい、と」

「‥‥‥」


「え〜、え〜、し、死んだ、歳は?」

「17!」

「はぁ?」

「じゅう〜! ななっ!」

「ああ? ひゃくじゅうなな?」

「じゅうううっ! な〜な〜っ!!」

「ああ、じゅう、なな、と」


「え〜と。そ、それで、な、な、なんで、死んだのかな?」

「‥‥‥転んで、頭打って」

「はい?」

「こ〜ろんだ! のっ!!」

「あんだって?」

「こ〜ろ〜ん〜だっ! つってんの」

「ああ。ふくじょうし、と」

「こ! ろ! ん! だっ!! つってんだろうが!! じじいコラ!」

「じじい、こら。っと」

「‥‥‥」


 アイは泣きそうな顔で、横に立っていた新羅を見た。

「大丈夫なの? このじいさん」

 新羅は何とも言えない顔でアイを見た。


 すると、老鬼は何も言わず突然立ち上がった。ガクガクと膝を震わせながら、近くにいた看護師鬼の近くまでヨロヨロとした足取りで行くと、顔を近づけで何かを耳打ちした。

 すると、看護師鬼の表情が急に変わった。眉間に皺を寄せ「さっき食べましたよね?」と、老鬼の耳元に向かって言った。

「はぁ?」

「さっき! 食べましたよね!?」

「あぁ?」

「夜ごはんは〜! さっき〜! 食べたでしょ!?」

「ああ‥‥‥そうじゃったかの‥‥‥」

 老鬼はそう言うと、少し悲しげな顔になり、またゆっくりと椅子に戻った。

 そしてまたアイに質問を始めた。


「え〜、な、なまえは?」

「‥‥‥」

  

 アイはもう喋りたくなかった。というか、もう帰りたかった。

 なんなんだよ! このボケ老人は!


   

 その時、スマホのバイブが震えた。

 またグループラインにメッセージが届いている。


  Lv.7「Riri」起動


画面にビー玉のような円が浮かび、

『こんにちは』と、男性の平板な声でRiriが喋った。

『何かお困りですか?』


「このジジイ、どうにかして?」

 アイは投げやりな口調でRiriに言った。


 すると、円が回転し始め

『検索結果が出ました』とRiriが答えた。


 画面の上部に『ジジイの対処法』と書かれており、その下にはいくつかのサイトやアプリが出ている。

 アイは一番上に出ていたアプリをタップした。


  写真加工アプリ

  【Beauty Face】 

思い通りの美しいあなたへ

(使用時間 一回3分)


 アプリが起動されるとカメラモードに変わった。

 寝てるのか起きてるのかよく分からない霊鬼の顔を枠内に収め、シャッターを押す。

 霊鬼の顔写真の下に、自動補正やフィルター、リムーバー、スタンプなどのいくつものボタンが出ている。

 「歯」と書かれたボタンを押すと「増やす」という項目が出た。アイがそこを押すと、写真の中の霊鬼の顔に真っ白い歯が生えた。

 すると、写真に連動する形で、目の前の霊鬼にも歯が生えた。口だけ、不自然に爽やかな白い歯がキラキラ光っている。


 顔中のシワを消し、フェイスラインを細くする。髪の毛はホストのような茶髪にして、鼻筋を入れ、目を拡大して二重に変えた。

 アイは夢中になって加工を続けた。


 そして、ふと顔を上げ霊鬼の顔を見た瞬間「ブフッ!」と噴き出した。

 背中の曲がった萎れた体の上に、妙にクッキリした顔のイケメンが乗っかっている。顔だけ一回りデカくなったような感じもする。

 アイが顔を真っ赤にして見ていると、イケメン霊鬼は「やあ」と言った。

 アイはまた噴き出し「やあ、って。だっ、だっ、だれだよ! お前!!」と、うずくまり悶えた。新羅と看護師鬼まで、顔を後ろに向けて肩を震わせている。

「ヤ、ヤバイ、ヤバイ! い、い、息できない!! 苦しい‥‥‥た、助けて!」とアイはいつまでも笑い続け、あっという間に3分が経過した。すると、霊鬼の前にポワンと煙が上がり、また元の老鬼の顔に戻った。

「あ〜、苦しかった」と、アイは涙を拭きながら言い「も一回やろ」と、またスマホを操作し始めた。

 新羅と看護師鬼は上を向き「おい!」と、心の中で同時に突っ込んだが、何かを期待している風でもあった。


 次は少し年齢を上げた。

 ロマンスグレーの渋い中年が出来上がった。顎をさすりながら、どこか遠くを見つめるような目でアイを見た。

「ブフッ!」とアイはまた笑い、新羅と看護師鬼も顔を下に向け、声を漏らしている。

「じゃあ、そろそろ始めようか。お嬢さん」と霊鬼は言った。

「クックックッ‥‥‥お嬢さんだって‥‥‥クックックッ」

「施術を始める前に体の状態を見ようか」と霊鬼は言い、アイの手を取った。

 そして、アイの手首に指を沿わせた時、霊鬼は「あれ?」と言い、訝しげに顔を上げた。

「脈がある」

「当たり前じゃん」とアイは涙を拭きながら言った。

 しばらく脈を取っていた霊鬼は「ん?」と首をかしげ、それからアイのアゴの下に手を当てた。

「あーん、してごらん」

 アイが口を開くと「ベーして」と言い、チロリと出した舌を摘んで引っ張りだした。

 ロマンスグレーの顔が近くに寄り、さっきまで爆笑していたのに、アイはちょっとドキドキし始めた。

「血色いいね」

「あ、ほうえふか(あ、そうですか)」

「変だね」

「あいが?(何が?)」

「亡者なのに」

 霊鬼はそう言うと、おもむろにアイの上唇を捲り上げた。

 そして「あれ?」と言い、それからアイの手を持った。

「これ、自分の爪?」

「そうだけど」  

「伸びるの早い?」

「まあ、割と?」


 霊鬼は腰を落ち着かせて、アイをジッと見た。

 ロマンスグレーの吸い込まれそうな瞳。なんか渋い! やだ、そんなに見つめないで! とアイがドキドキしていると、霊鬼は言った。


 「きみ、鬼だね」

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