第四話 『Great King』

 アイは、衆合地獄より下の層に送られた。


 八層に連なる八熱地獄は、下層に行くにしたがい拷問の強度が上がる。


 人間は死んだあと、十王と呼ばれる裁判官により裁判にかけられる。地獄へ送られる者はそのいずれかの層へ配置され、そこで服役期間が決定する。

 その審判は絶対的なもので、翻ることはない。

 

 アイという亡者の配置が変わった事。


 それは、絶対にあってはいけない事だった。

 王達の審判が間違っていた事が公になれば、亡者たちの反乱が起きる。


「無に帰せよ」


 一人の王が、獄卒たちに伝令を言い渡した。


 アイは、三層目の衆合地獄から、一気に最下層の無間(むげん)地獄に落とされた。


 しかし、アイにはその中のどんな拷問も効かなかった。

 グツグツ沸騰する大釜に入れられても、燃えたぎるマグマの河に落とされても、普通の風呂から出てきたようなサッパリした顔で出てきて、一瞬でなんでも焼きつくす熱波で濡れた髪を乾かした。

 刃物で切りつけても、鉄の釘を打ち付けても、痒そうに体をポリポリ掻くだけで、体には傷一つ入らない。


 何をしてもアイにダメージを与える事は出来ず、獄卒たちはそのうちアイを放置した。


 地獄はそれどころではなかったのだ。

 ウイルスや戦争により、ここ数年で亡者の数が急激に増加しており、それらを管理する獄卒の数が圧倒的に不足していたのだ。

 一人の亡者に構う暇はなく、現場と司令部の間に方向性の乖離が生じた。


 やる事もなくなったアイは、火を吐く狐や大きな猛犬などに餌を与え、そのうち大蛇や多頭龍までも飼い慣らすようになり、当てもなく地獄をフラフラしていた。



        ・・・



 ある日、新羅(スーツの青鬼)は、アイの処遇について上の判断を仰ぐため、アイを連れある場所に出向いた。


 そこは、東京ドームの何倍もある大きな屋敷だった。入口の観音開きの扉の高さは50m以上もあり、二人はその奥に向かい歩いていた。


「マジだりぃんだけど」

 アイは足を引きずるようにダラダラと歩きながら、隣にいた新羅に言った。

「ちゃんとしろ! いいか、よく聞け。着いたら絶対に喋るんじゃないぞ」

「なんでよ。つーか、何しに行くの?」

「貴様の今後についてだ」

「今後、って言っても、もう死んでんだから、関係なくない? それとも生き返らせてくれんの?」

「そんなことは出来ない」 

「じゃあ何なの?」

「‥‥‥まあいい。とにかく静かにしてろ」


 しばらく歩くと、また大きな扉があった。

「新羅、ただいま参りました」

 新羅がその扉に向かって言うと、ミシミシと音を立てて扉がゆっくり開いた。

 二人が中に入ると、左右の壁沿いに5m級の大鬼がズラリと整列していた。金棒を床につけ、通り過ぎる二人を表情を崩さず見ている。


 そして、その一番奥に鎮座した大きな椅子に座った人物を見たアイは息をのんだ。

 鬼ではない、人間のような姿ではあるが、二十メートルもある巨人だった。

「でっか‥‥‥」

 アイが上を見上げ呟くと、新羅が肘で小突いた。

「奈良の大仏」

「しっ!」

「ねぇ、あれもしかして閻魔大王って人?」

「黙れっ。喋るな」


 白い道服を身にまとい、正面に「王」と大きく書かれた撲頭冠を被った巨人の前で、新羅は跪き、頭を垂れた。そして、口を開けたまま唖然とした顔で突っ立っているアイを促した。

「頭を下げろ」と小声で言った。


「衆合の獄卒、新羅で御座います」

 新羅が下を向いたまま言うと、

「そいつか」と、王が言った。低い声が広間に響いた。喋っただけで空気がビリビリと震え、広間の壁がミシミシ鳴った。 

「いかなる責め苦も通用しないというのは」

「はっ」

「人間か?」

「はい、人間の亡者で御座います」

 新羅が答えると、王は「ふむ」と厳かに言い、目を伏せ、机に置かれた書簡のようなものを読み始めた。そしてゴホンと重々しい咳をし、紙を一枚めくると、そのまま動かなくなった。


 整列していた鬼たちも、新羅も微動だにせずジッと息を詰め、王の審判を待っている。

 それから何時間も時間が経過した。


「ねぇ、まだ〜?」

 突然、アイの緊張感のない声が広間に響いた。あぐらをかき、遥か上方の王の顔を見上げている。

「黙れ!」と新羅が嗜めると

「ああ?」と王はビクッと目を開き、二人を見て言った。

「誰だ?」

「‥‥‥いや、あの、この亡者の件で‥‥‥」

 王は、ぼんやりとした目で一点を見ている。

「ああ、すまん。寝ていた」

「‥‥‥」

「最近、寝不足でな」

 

 アイが小さく舌打ちした。何やら雲行きが怪しい。

 新羅は何と言っていいのか分からず、緊張したまま固まっていると「マジふざけんなよ!」と、アイが怒声を放った。「オッさん、コラ!」

「おい! 口の利き方に気をつけろ!」新羅が顔を青くしてアイを嗜めると「まあ、よい」と王はそれを制した。

「で? なんだったかの?」

「‥‥‥あ、あの、この亡者の今後の処遇についてですが」

「ふむ」と、王はアイの顔をジッと見て

「お前、一番きらいなものは何か」

「は? 嫌いなもの?」

「嫌いな事でもよい」

「うーん‥‥‥」

 アイはしばらく考え

「仕事?」と答えた。

「仕事とかマジだりぃし。バイトとかも続いたことないし。できれば今みたく何もしたくない」

「そうか」 

「そう。だから今、わりと天国」

 アイがそう言うと、王は「ブワッハッハッ!!」と、でかい声で笑い始めた。

 建物が崩壊しそうな笑い声だった。柱がグラグラ揺れ、整列していた鬼たちがざわめいた。

 そして、一頻り笑い終わると「おい、お前、名は新羅と申したか」と新羅に声を掛けた。

「はっ」

「こいつの処遇は、決まった」

「はっ」

「獄卒にしろ」

「は?」

「こいつにとって、仕事が一番の責め苦になるのならば、それしかないだろう」

「いや、しかし‥‥‥」

「ねぇ、ごくそつ、って何?」アイが口を挟んだ。

「貴様は黙ってろ! いやしかし、こいつを獄卒に?」

「もうよい! 話は以上だ! 帰れ! わしはもう眠い」

 王はそう言うと、おもむろに立ち上がった。広間に強い風が吹き、アイは風圧で、ひっくり返った。

「精進せい」

 王はそう言い残して、ドスン! ドスン! と建物を揺らしながら奥の間に消えた。

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