〝LEDA〟

〆(シメ)

美執のアルビレオ

「流行は回帰かいきするから、私も回帰します」


 そのひと言を残して、動画配信者〝LEDAレダ〟は消息を絶った。最後にアップロードされた動画の前日まで毎日更新されていたSNSもぷつりと途絶え、音信不通になったという。


 悪い報せは重なるもので、同時期に東京都某所郊外にて女性の飛び降り自殺が報道され、実名報道こそされなかったそれとLEDAを結び付けたチャンネル登録者の一部の人々が騒ぎ立てた事で、事態は大きく尾ひれをつけて世間に拡散された。


 LEDAは淡麗たんれいな容姿を武器として、五年ほど前からファッションや美容に関する動画を配信していたが、近年の動画の視聴回数は右肩下がりの傾向にあり、最近は実況動画やバラエティ動画など様々なジャンルに手を伸ばしては迷走を続けていた。


 加えて、初めは物腰の柔らかかったSNSでも過激な発言が増えていた。意味深な詩の連投も繰り返し、悪意ある視聴者から整形を疑われた時など烈火のごとく当たり散らし何度も炎上した事がある為、この事実上の引退宣言も精神的に追い込まれていたせいではないか。というのがファンの間での通説である。


 ネットニュースはLEDAのこれまでの様々な問題発言や炎上行為を並べ立て悲劇の転落人生を演出し、それを面白がった第三者達がLEDAの印象的な言葉をもじった投稿をつらね笑い合い、ネットミームにまで発展させた。

 しくも、右肩下がりであった視聴回数は鰻登うなぎのぼりの勢いを見せていたが、LEDAのアカウントは依然として沈黙を貫き続けていた。


「はいどうも。今日はね、最近話題になってるつぶやき便をやって、僕も回帰してみようと思います」


 人気動画配信者〝すわん〟がその動画を上げた事で、事態は思わぬ方向へ転がっていく事となる。


〝つぶやき便〟とはユーザーの音声、文字投稿を印刷し、不特定多数の誰かに手紙として送るサービスである。

 文字数は二〇行五列の一〇〇文字以内に制限され、送る側も届いた相手側も互いの個人情報を知る事は出来ず、連絡先やURLを記す事も出来ないが、多彩な文字のフォント数と多様な便箋びんせんの種類を選ぶ事が出来る為、密かな人気を博していた。


「手紙っていいですよね。温かみがあるって言うか、僕も最近ハマってて。ほら、今の時代みんな年賀状くらいしか書かないじゃないですか。というか年賀状すら、へー! 綺麗な装飾! あっ見て、赤いやつまで付いてる! じゃあちょっと見てみよっか」


 すわんは赤い封蝋ふうろうをカメラに近付けながら封筒を開き始めた。取り出した手紙の内容は日常の呟きから会話文、人気のアーティストの歌詞を切り取ったものや偉人の格言、何かの詩等、様々である。


 すわんは生放送をメインに扱っており、フリートークを得意としていた。手紙を開いて読み上げて一言感想、という一連の流れを繰り返すだけの動きの少ない映像も、リアルタイムで視聴者のコメントに返事を返す日常の動画と同様で、工程がひとつ増えたようなものだ。

 時に言葉尻に抑揚をつけ、時に大袈裟なリアクションで反応しながら軽快に音読を続けていく。


「それじゃあどんどんいきましょう。次の手紙は」


 こなれた動作で折り目を開き、それまで机に置いて読んでいたすわんは、おもむろに手紙を持ち上げた。


〝私は今日も私の夢を見る。私は美しいあなたを見てる。私の仮面はいつの間にか割れていた。美しいままでいたかった。雷が落ちて気づいたの。泣き声が教えてくれたの。私が回帰するだけ。戻るだけ〟


 読み終えてからゆっくりと手紙を置いて、二〇文字ずつ詰められた文章を指で五行分、最後の一文字までなぞる。

 明らかに異質な文章だった。何かの詩の様な手紙はいくつか前にも読まれたが、それよりも、何よりも。ひとつの単語が視聴者達を惹きつけた。


「LEDAだ。間違いない。みんなわかる? LEDAだよ! これ、LEDAの言葉だよ!」


 興奮が治まらないとばかりに机から身を乗り出して、すわんは視聴者達をあおる。ありえない、釣りだろ、出来すぎだと否定的なコメントが流れる様に投稿されていくが、すわんは意にも介さない。


「いや、分かるんだよ。〝回帰します〟とか僕も使っちゃってたけど、僕はLEDAの事全部知ってる! 動画もSNSも見てた。みんなの中にもファンが居るんじゃない?」


 同様に猜疑さいぎ的なコメントも止まない。呆れ返り動画を離れる者、LEDAの過去の意味深な詩や発言と照らし合わせて考察を行う者、互いにメンションを付けて論争を始める者達がせめぎ合う中、すわんは頃合を見計って口を開いた。


「確かにこれだけじゃ分からないし、ただの僕達の思い込みかもしれない。LEDAは死んでるって話も聞いた事あるよ。でもさ」


 すわんはひと呼吸置いて、小さく笑った。


「LEDAは生きてる。僕は確信したよ」



 *



 動画配信終了後、概要欄に追記された内容は以下の通りである。


〝LEDAに関係するつぶやき便が届いた人がいたらメッセージにて連絡をお願いします。僕もつぶやき便を続けます〟


 この追記を見た視聴者達のSNSからくだんの動画に繋がり、水面下にあったつぶやき便は日の目を見る事になった。


 ある所から実は多くの有名人がひっそり使っていた、という眉唾な噂が立ち始め、またある所からはつぶやき便の音声入力時の誤変換を解消する方法等、真偽の曖昧あいまいな話題が新たな話題を呼び、ついにはTV局も朝のニュースに取り上げ始めた事で、一般人にも周知される事態にまで発展した。


 インターネット社会の現代に、空前のお手紙ブームが巻き起こされたのである。


 この流行の火付け役となったすわんは一躍いちやく時の人となり、渦中の〝LEDAの謎に迫る〟と称された動画はこれまで一週間に一度、期間にして半年の間、定期的に配信され続けていた。

 すわんの元に寄せられたメッセージは相当数であったが、その大半はLEDAの文章に似せただけの愉快犯によるもので、動画のうたい文句であり目的であるLEDAの謎に迫る事は叶わなかった。


 すわんの配信動画数が三〇の大台を超えようとしていたその時、視聴者のあるコメントが投稿されるまでは。


「LEDAってたしかアシスタントと二人で動画作ってたよね?」


 回を重ねても進展のない、半ば雑談配信の様相をていしていたすわんの生放送を覗きに来たというその視聴者は、LEDAのチャンネル登録者のひとりであったらしい。


「いや、動画見たけどずっとひとりでやってたよ」

「裏方が動画に出るわけないじゃん」

「登録者限定のプレミア配信とか?」

「プレミア配信してないよLEDAは。メイクもファッションもみんなに知ってもらいたいって本人の意向だったかで」


「私も四年くらい前からLEDAのチャンネル登録してたけど、アシスタントは一度も見た事ないな」

「外部委託で編集してるとか言ってなかった?」


 他にもLEDAのチャンネル登録者が現れたが、誰もがそのアシスタントを見た事が無いと口を並べている。

 事実、LEDAの残した動画の全てにLEDA以外の人物は映っておらず、動画内やSNSにも相方がいる等匂わせる様な発言もない。


「あれ、みんな知らない?」


 その視聴者は、既知の事実ではないという反応に驚きながらも、事も無げに続けた。


「LEDAって最初の一年間の動画全部削除して、作り直してるんだよ」


 瞬間、ドンと大きな音が響いた。自分の元に届いた大量のつぶやき便のメッセージを、淡々と機械的に処理していたすわんが机を叩いた音だった。目を大きく見開き、うっすらと笑みを浮かべている。


「君だ。君だよ君! ちょっと待って、ええっと……ここに、じゃなくて。待って、待って!」


 つぶやき便を始める前のすわんの配信部屋は、白を基調とした壁紙に机やソファ、配信中の発言を振り返り反省する為にと用意したボイスレコーダー、視聴者から贈られた白鳥のぬいぐるみが小綺麗に並べられていた。

 掃除や服装にも気を付けている様で、いつも清潔感があり爽やかな印象を与える部屋だったのだ。


 だが、つぶやき便を始めて半年後。今やすわんは机やソファに雑然ざつぜんと積まれたダンボールを引っくり返しては手紙の山に手を突っ込んで、首をかしげながらまたダンボールを引っくり返して、を繰り返している。清潔感があり爽やかな印象だった部屋は見る影も無くなっていた。


「あった! あったあった見て!」


 崩れた手紙の山から一枚の封筒を取り出し、すわんはカメラの前に掲げた。封は既に外され、欠けた赤い蝋がこびり付いている。


〝LEDAは回帰する。LEDAは死なない。

 私はLEDAのままではいられなかったけど

 それでも私はこの四年間、確かにLEDAだ

 った。それはこれからも変わらない〟


 画面に映された便箋は、最初の動画のつぶやき便と同じデザインの物だった。


「この手紙、あまりにも反応が薄かったからスルーしてたんだ。でもそれだよ〝四年〟。そのワードがあるのはこれだけなんだ!」

「神回」

「やっぱりLEDA死んでない?」


「待って、LEDAって整形疑惑あったよな。鼻の形がおかしいとか」

「あれ結局嘘だったんじゃなかった?」


 視聴者達の思い思いのコメントが流れていく中、すわんはしきりに何かを考える様に指でこめかみを叩いていた。その視線は手紙でもなくカメラでもなく、ボイスレコーダーに向いている。

 無精髭ぶしょうひげの生えた口元は小さく何かを呟いている様ではあるが、発声をしていない為に聞き取ることは出来ない。


 画面に映る部屋の様子も相まって、そこに人気動画配信者〝すわん〟の面影は全くと言っていいほど無かった。


「決めたよ」


 数分の後、指を止め、カメラに向き直った彼はそう一言、言い放った。ざわめき立つ視聴者達に向けて、彼は更に続ける。


「ただ、この話をするにはもう少し時間がほしいんだ。だから今回はこれで終わりにするね。あっそれと、LEDAの一年目を知ってる君は後で連絡をくれないかな。確認したいことがあって.....って、まず髭剃らないと、か。はは、なんだかんだ言って」


 少しだけ笑って、一息をつく。視聴者達のコメントには何も返答せず、落ち着いたそぶりで周囲を見渡しながらこぼした言葉で、彼の動画は締め括られた。


「僕も回帰しちゃったな。追っかけしてた頃に」



 *



 動画配信後の概要欄には〝待っていてください〟とだけ記されていた。それを見た視聴者達は、次回の動画でLEDAの謎が解明されるのだと沸き立っていたが、一週間後の投稿時間になってもすわんのチャンネルが更新されることはなかった。


 それはSNSアカウントも同様で、多くの視聴者がメッセージをすわんに宛てて連絡を試みるもなしつぶてであり、音信不通となったまま二週間、三週間を過ぎて一ヶ月、さらに半年が経った。


 振り返れば、LEDAの手紙が初めて見つかった日から丸一年が過ぎた事になる。


 次第に、視聴者達の関心は薄れていった。どれほど騒いでも話題に上げようとも、何も新しい情報が無いままの半年間であった為だ。

 社会現象と化していたつぶやき便も一過性の流行りであったようで、奇しくもLEDAと同じ道を辿ったすわんと共に、徐々に下火となって話題にすら上がる事はなくなっていった。


 これが〝現在までの記録〟である。


 一連の流れを大まかに記した記録ではあるが、それを前提にして先日、ついに沈黙を破って投稿された動画を確認してもらう必要がある。と私は刑事から動画配信サイトのURLを渡された。


 五年前に起きた殺人事件を追っているというその刑事がなぜ私の元に来たのかは分からないが、とにかく動画を確認してみることにした。


「皆さん、お待たせしました。すわんです。今からLEDAの手紙に関する全てをこの動画でお話します」


 白を基調とした小綺麗な部屋の中心に、白いパーカーのフードを目元まで被った青年が座っている。口元は薄らと笑みを浮かべていて、少し不気味な印象を受けた。


「初めの手紙を読み解きます。私の仮面は割れていた、というのは恐らく老化の比喩ひゆです。雷が落ちた、というのはその老化への気付きの表現で良いと思います。これは推測になりますが、彼女はある日鏡を見て、老化している自分に気づいたのでしょう」


 青年は淡々と話を続けている。どこかで聞いたような気がする声だった。


「LEDAは、美しい人でした。美容に関してとてもストイックで、妥協が無かった」


 想い人へ思いを馳せるような、上ずった声色。


「LEDAがよく使う〝回帰〟という言葉ですが、ある有名な哲学者の言葉に〝永劫回帰えいごうかいき〟というものがあります。簡単に言えば、世の中は同じ事象が永遠に繰り返している。というものです。その言葉に当てめるのならば、流行もまた回帰する、と言えるのではないでしょうか」


 極論だ。私は生粋の仕事人間であり、仕事に関係する事以外にあまりプライベートの時間を割いていない為、知見ちけんは普通の人よりも偏っていると自負しているが、それでもこの論には違和感を感じる。


「LEDAがその言葉を知ったのは配信者を始めて一年後の時です。これが二枚目の〝四年間〟に繋がります。それまでの一年間の動画を全て消して作り直したのはその為でしょう。劣化していく姿をさらし続けるよりも、完全な今を保ったまま配信を辞める事で、〝LEDA〟という存在を美しいまま残した。いつか流行が回帰して、視聴者達がまたLEDAの動画に戻ってくるその日の為に」


 一息でまくし立てた後、青年はまた笑った。

 それは、推論ではなく。独白のようだった。


「あの手紙は、その大きな決意から漏れた彼女の本音だったのかもしれません。僕は彼女の決意に感動しました。僕も配信者を始めて五年が経ちますが、こんな挑戦的な行動は起こせないですから」


 刑事が動画を止めた。ここからは少し雑談が続いて最後にゲストを紹介するらしく、早送りに切り替えるそうだ。刑事はこの間に見て欲しいものがある、と袖からボイスレコーダーと便箋を取り出して、私の机に拡げた。


 その二つは、全く同じ内容だった。


〝私は今日も私の夢を見る。私は美しいあなた

 を見てる。私の仮面はいつの間にか割れてい

 た。美しいままでいたかった。れだ。雷が落

 ちて気づいたの。鳥の鳴き声が教えてくれた

 の。私が回帰するだけ。四年前に戻るだけ〟


 私は、全身に鳥肌が立った。


 そうだ。私は数年前、無精髭の生えた男と二人連れの女性の整形施術をした。その女性は美しい女性の写真を取り出して、しきりにこの顔になりたいと訴えていた。

「無理に似せればすぐにゆがんでしまう」と伝えた時も、それでも構わないとかたくなだった女性。その声だった。なぜ今まで忘れていたのか。


 早送りが終わったらしい。そうだ、そうだ。同じ写真を見せてきた二人連れが。つい、最近。


「スペシャルゲストを紹介します。〝LEDA〟さんです!」


 動画に現れた女性は、私が半年ほど前に施術した女性だった。身震いが止まらない私へ、刑事は静かに口を開いた。


〝LEDAは、五年前に死んでいる〟と。

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〝LEDA〟 〆(シメ) @spiitas

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