第2話 元婚約者とソフィア


「許しなど必要ございませんでしょう? あなた様と、わたくしには何の関係もないのですから。これからも、一切繋がりを持たずに平穏にくらしたいものですわ」


 あの婚約解消から二年。十二歳になった二人は、貴族学院に入学していた。

 何の遺恨もなく解消したはずなのに、入学式からずっとこの御仁はソフィアに絡んできている。

 侯爵と伯爵ではクラスも違うし、学ぶ教科にも差があった。食堂で使うテーブルすら違うのだ。

 なのに事あるごとに近寄ってきては声をかけてくる。目立つし、周りは遠巻きにするし、教師にも窺われるし、迷惑な事この上ない。


 ついには、帰りの馬車に連れ込まれそうになり、ソフィアは爆発した。


「何なんですの、いったいっ!」


 叫ぶソフィアに、心底情けない顔でジルベールは呟く。絞り出すように掠れた声で。


「僕が悪かった。だから、許してほしいんだ」


「は?」


 どの面下げて? あれだけ、幼い頃のわたくしを虐げておいて、よくもまあ。


 思わずひきつる口角を必死に宥め、ソフィアは張り付けた貴族の笑みで薄く微笑んだ。


「謝罪を受け入れます。なので、放っておいてくださいませ」


「許してくれるのだな? ならば、これからは、もっと親しく付き合おう。前には婚約者でもあったのだし」


 ぱあっと顔を明るくする無邪気な少年。

 それに逆鱗を撫でられて、ソフィアの笑みが辛辣に深まる。


「世迷い言を。謝罪を受け入れはしますが、許す訳ないじゃないですか。.....二度とお目にかかりたくございません」


 期待に胸を膨らませたジルベールを奈落の底に叩き落とし、ソフィアは捕まれた手を振り払って伯爵家の馬車へと歩いていった。


 ジルベールは呆然とそれを見送り、さらなる彼の付きまといが始まったのである。




「鬱陶しい.....」


 ギリギリと奥歯を噛み締めるソフィア。

 それを苦笑いで見つめ、クラスメイトのリリエナが耳元で囁いた。

 薄い茶髪に新緑の瞳。左右で編み込んだ髪を丁寧に襟足で結った、可愛らしい友達は、ソフィアの鼓膜を擽るかのように耳元へ口を寄せる。


「御執心みたいよねぇ。元婚約者なのでしょう? 復縁したいのかしら」


 リリエナの言葉に、ソフィアは本気の悪寒で全身を粟立たせた。


「冗談ではありませんわ。あの方、わたくしが気に入らなくて言いたい放題でしたのよ? 罵詈雑言で罵られ続けた三年間は拷問でしたもの。二度と御免でしてよ」


 その噂はリリエナも知っている。あまりに酷い有り様で、一時ソフィアは御茶会にも顔を出さなかったのだ。

 周囲も顔をしかめてはいたのだが、相手は侯爵令息である。下手に宥めて勘気をこうむる訳にもいかず、致し方無く適当に流された。

 結果、伯爵家が実状に気がつき、侯爵家に婚約解消を申し入れ、今にいたる。

 そのせいだろうか。ソフィアは誰にでも人当たりは良いが、眼に見えない一線を引く子供になっていた。親しく付き合ううちに、リリエナはそれを察する。

 数年に亘り行われた心無い仕打ちは、幼い少女に深い傷を負わせたのだろう。それは未だに癒えていないに違いない。

 誰にでも引かれたソフィアの一線を何時か越える事が出来たらと、リリエナは密かに願っていた。


 彼女の考えは半分正解で、半分間違いだ。ソフィアの引いた一線は、ジルベールの件も関係してはいるが、大きくは前世の記憶絡みである。

 虐待され、搾取され、最終的に死に至った経緯が今のソフィアを前と大きく変えていた。


 今度こそ、アタシは幸せに生きるんだ。


 あらゆる不幸を寄せ付けないように引かれた線。猜疑心と用心深さで固めた鉄壁の鎧。これを壊すのは至難の技である。

 その引き金がジルベールの心無い行為の数々だったのは否定出来ない。


 ガチャガチャと精神的な全身鎧で身を包み、慎重に歩き回るソフィアを、はらはら見つめるジルベール。彼は無駄な事と自覚もせずに、相変わらず彼女の周辺でまとわりついていた。


 朝は学院入り口で待ち伏せし、昼は食堂で待ち伏せし、帰りもソフィアを探して校舎を駆け回る。


 前世であれば警察に通報案件だが、今の世界では、彼の身分が全てを許していた。


 うっざあぁぁぁっ! キモいわっ、ロミオかっ! 勘弁してよぉぉぉっ!!


 挨拶だけでも良い。少しでも会話になれば嬉しい。そんな彼の切ない気持ちも空回り。ソフィアにとっては迷惑千万。

 追い回すジルベールと、逃げ回るソフィアは、入学一週間目にして貴族学院の名物と化していた。




「ふざけろよっ、ちくしょうぅぅっっ!!」


 全力で駆け回るソフィアの口からまろびる、貴族らしからぬ叫び。それを見て手を差し伸べる者もチラホラいた。


「またかよ、お姫ぃ様。こっち来い」


 半笑いで手招きするのはガック。奨学金枠で通う平民学生だ。

 少し短かめの黒髪と仕方無さげに笑う深緑の瞳。だが、そこに灯る光は面白そうに煌めいている。


「助かるっ!」


 彼の手招きに応じて、ソフィアは窓から飛び出した。彼がいたのは校舎脇に植えられている大きな楡の木。

 新緑の生い茂る枝葉は、ガックとソフィアを窓から隠してくれる。

 じっと様子を窺う二人の視界の中では、焦り顔なジルベールが通り過ぎ、しばらくして引き返してきて、各教室を覗き込みながら必死にソフィアを探していた。

 それを盗み見しつつ、彼女はうんざりと溜め息をつく。


「何をトチ狂ってんのかねぇ。終わった関係を蒸し返す意味が分かんないわ」


「ん~、あいつの中じゃ終わってないのかもなぁ。昔の噂話は聞いたけど、アレ見てると、かなりお姫ぃさんに本気に見えるぜ?」


 ガックは短めな黒髪を掻きつつ、複雑そうに呟いた。それにヒラヒラと掌を振り、ソフィアは面倒臭そうに答える。

 まるで汚物でも見るかのような渋面を隠しもせずに。


「ないない。婚約者の頃だって、わざわざ笑い者にするために、じみ~なドレス着せたり、読書制限や交遊制限してきてたのよ? 体の良い玩具にしかされてなかったのに、今さら何だってのよ。本気? 有り得ないわよ」


 ガックの座る枝の向かいに座り、ソフィアは遠い眼をする。


 よくアレに耐えてたよなぁ、アタシ。惚れた弱味というか、今、思い出してもバカだったわぁ.....


 はあ.....、と深々溜め息をつくソフィアを神妙な眼差しで見つめ、ガックは頬に指を当てて思案した。

 話を聞いた分には、たしかに遊ばれていただけのように聞こえるし、二人の経緯を知る貴族らの間の話によれば、それも真実らしい。

 だがガックは平民だった。学院に入るまでのジルベールを知らない。なので素直な直感が、今のジルベールの本心をガックに知らせていた。


 そうかなぁ。あの必死さは、けっこう本気だと思うんだけどなぁ。


 ソフィアを見失い途方にくれるジルベール。その彼が諦めていなくなるまで、ソフィアとガックは世間話に花を咲かせた。




「今日も街に行くのか?」


 ようやくジルベールがいなくなり、二人は教室の窓から中に戻る。ソフィアに手を貸しつつ、ガックは自分の席から鞄を持ち上げた。


「そうね。店の客入りも気になるし、たぶん行くと思うわ」


 ソフィアは下町で雑貨屋兼食事処を経営している。


 婚約解消をしてから、前世の記憶に後押しされ、ソフィアはやりたい事や、やるべき事を考えたのだ。

 侯爵家の不興を買った自分に、この先、良い縁談は望めまい。それなりの縁は結べるだろうが、そんなモノよりも自由生きられる人生がソフィアは欲しかった。

 貴族のアレコレに振り回されず、しきたりや身分に押さえ付けられず、自由気ままな人生が。

 どうせ末娘だ。居ても居なくても変わらない末席だ。家族の関心も薄く、愛情をもらった覚えもない。ならば返すべき恩もないだろう。


 そう思ったソフィアは、家に迷惑のかからない程度に人生を謳歌しようと思った。


 その結果、始めたのが下町の雑貨屋だ。資金は出店や冒険者で稼ぎ、家族にも内緒で始めた店。ソフィアの秘密基地的な小さなお店。


 その店の常連だったのがガックである。


 何も知らず貴族学院で初顔合わせをした時のガックの顔は、未だに忘れられない。


「は? え? フィー?」


「御初にお目もじいたします。クレメンス伯爵が娘、ソフィアと申します。以後、よしなに♪」


 語尾の音符が凶悪だった。


 呆気に取られるガックに、ふっくりと微笑み、ソフィアはそそくさと足早に立ち去っていった。

 訳が分からないまま取り残され、唖然とするガック。

 そこからガックは、学院ではソフィアの事をお姫ぃ様と呼ぶようになった。下町のフィーで慣れすぎていて、本名を呼ぶのが照れ臭いらしい。


「食事処の携帯食も好評だもんな。週末にダンジョン行くけど来るか?」


 前世の知識を総動員して始めた食事処。無難なドッグやサンドから始めて、今はランチボックスや店先での軽食など、薄く広く展開している。

 地球世界で言う、ジャンクフードだ。地味だが、手早く食べられて携帯しやすいランチは、下町の人々に好評で贔屓にしてもらっていた。


 最初は現代知識を使って、一攫千金を目指したソフィアだが、その夢は早々に挫折する。

 何故なら、前世の異世界モノで定番の技術は、あらかた存在していたからだ。

 植物由来の紙もあれば、馬車にもサスペンション的なモノやコイル類が使われており、十代中卒女子の知識で考え付くような技術は大抵揃っている。

 さすがに鉄道や飛行機みたいなモノはないが、そんな専門的な知識はソフィアにだってない。

 ベアリングすら存在する我が王国に、彼女が貢献出来そうな分野は存在しなかった。


 ならば地道にやっていくしかなく、ソフィアは前世で唯一得意だった料理に白羽の矢を立てる。

 この世界の食事事情は地球と変わらない。強いて言うなら、地球の中世同様、香辛料が高価な事だろうか。まあ、手が届かないほどではないが。

 米や発酵食品もあり、いずれは味噌や醤油を作りたいとソフィアは野望を抱く。さすがに和食的な調味料は存在していなかったからだ。


 でもバターやチーズはあるし、パンにも酵母が使われているもの。試してみる価値はあるわよね。


 前世の記憶とともに甦った和食への渇望。生粋の御嬢様でありながら、前世の記憶によって庶民感覚を持つソフィアは、すんなり下町にも馴染み、今では経営する雑貨屋の看板娘的な存在になっていた。


 ダンジョン探索に誘われ、しばし思案するソフィアを柔らかな眼差しで見つめるガック。


 このお姫ぃさんが伯爵家の御令嬢とはねぇ。立ち居振舞いが綺麗だとは思っていたが、全く信じられなかったよ。


 市井に混じり、声を張り上げる御令嬢。今の店を持つまで、一年ほどは市場の片隅でダンジョン産の戦利品や自作の薬品を売っていたソフィア。


 特に薬品に関する知識を持つのは貴族のみなので、彼女の店は市場の片隅にもかかわらず繁盛していた。

 なかには質の悪い連中もいたが、冒険者にとって薬品は命綱に近い。

 貴族公認の薬屋よりも安価で売ってくれるソフィアの店は貴重で、他の真っ当な冒険者により守られた。


「いつも助かるよ。ここのは品質も良い。安心してつかえるしな」


「ありがとうございますっ、もっと精進して、良いものを作れるよう頑張りますね」


 にぱーっと笑う少女の言葉は爆弾発言。この多くの薬品がソフィアの自作なのだと知った冒険者らと、それを利用しようとする悪辣な者の仁義なき戦いの火蓋が切ったのも今は良い思い出。

 彼女のこれからを心配して、心ある冒険者らで鍛え、一人前の冒険者にまで育て上げたのだ。

 その頃、冒険者登録したばかりの駆け出し新人冒険者だったガックと纏めてクエストに連れ回されたため、二人は顔馴染みだった。

 同期な二人は同い年&前衛、後衛という立ち位置から仲良くなり、並んで切磋琢磨してきたのである。

 当たり前に芽生える仲間意識。フィーの出店に薬草を納めるのが、ガックの毎日の日課となっていた。


 ここまで二年。


 一丁前になったソフィアがコツコツとお金を貯めて、今の店を開いて数ヶ月。

 順風満帆と言っても過言ではないだろう。


 彼は今までを思い出して、柔らかく眼を細めた。その視界の中で、可愛らしく首を傾げるソフィア。


「うーん..... 止めとくわ。薬の補充もしないとだし、まだまだ力が足りないしね。いずれ開く駄菓子屋のためにも、お金が優先だもの」


 むんっと拳を握りしめるソフィア。


 駄菓子屋..... 


 ガックは以前に聞いた彼女の野望を脳裏に浮かべた。


『御菓子や小物をクジで売るのよ。クジ? 沢山あるモノから一つを選ぶシステムなの。その中には少数の当たりと多くのハズレがあってね。運試しみたいなものかしら』


 ハズレは少ししか貰えず、当たりは沢山得られる。モノの良し悪しだったり、軽い運試しのゲームを置く御店なのだとか。

 普通に対価を払って買う事も可能。その中に遊び心のあるモノが交ざっているというだけ。

 子供のたむろう、御菓子とオモチャのお店。


『こうね..... 大きな平たい箱の中を細かく区切って、それぞれに色んなモノを入れて蓋をするの。その区切りごとに蓋が破れるようになっていてね。何処か一つを選んで、蓋を破ると中のモノがもらえるとか。色んな運試しがあるわ♪』


 千枚引きや千本引き、三角クジやめくりクジ。色んなクジの御菓子や玩具。熱心に語る少女が微笑ましく、ガックもいつの間にか引き込まれていた。


『アタシねぇ、駄菓子屋の可愛いオバちゃんになって、可愛いお婆ちゃんって呼ばれるのが夢なんだぁ』


 ほにゃりと笑う屈託の無いソフィア。


 なんと細やかで壮大な夢だろう。庶民なら誰でも目指せる夢だ。しかし貴族の御令嬢には、途方もなく遠大な野望である。


『叶うと良いな』


『うんっ!』


 本当に..... 叶うと良い。


 それが叶ったなら、その隣には俺が立ちたい。ずっと。


 いつの頃からか温度差の変わった二人の関係。お気楽暢気なソフィアは、ガックの眼差しに含まれる熱量に気がつかない。


 今は無理だ。俺はいっかいの冒険者に過ぎないし。でも、いずれは名を上げて..........


 彼女と同じく遠大な野望を胸に描き、ガックはジルベールに見つからないようソフィアを下町まで護衛していく。


 並んで歩く二人を、ジルベールが馬車の中から剣呑な眼差しで見つめていたとも知らずに。

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