フィーの駄菓子屋さん♪ ~可愛いオバちゃんと呼ばれたい~

美袋和仁

第1話 不幸は願い下げなソフィア


「うああぁ、またハズレたぁぁっ!」


 王都の片隅にある小さな店。


 色とりどりな御菓子や玩具の並ぶ慎ましやかな店先は、何時も子供らで賑わっている。

 キラキラと輝く無垢な瞳。期待に満ちた面持ちで順番待ちする子供達が微笑ましい。

 そんな中、この世の終わりのように頽おれる男の子。その手には一枚の紙が握られていた。⑤と記された薄い紙。

 オーバーなリアクションに苦笑いしつつ、店主は少年に大きなクッキーを一枚渡して頭を撫でた。

 あまりの悔しさに涙目な少年が可愛らしい。


「残念っしたーっ、はい、お次は誰かな?」


「わたしぃー、当てるわよぅっ」


 ふんぬっと腕捲りする少女は、店主に銅貨を渡して、祈るように紙束から一枚の紙を選び引き抜く。


「お? ②番だねっ! ほら、大入りクッキーだよ、持ってきなーっ!」


「わあいっ!」


 ぎっしりとクッキーの詰まった袋を受け取り、満面の笑みで跳び跳ね、喜ぶおさげの少女。


 悲喜交々が沸き起こる小さなお店。


 ここは駄菓子屋。千枚引きや、めくりクジ、三角クジなど、多くのクジ引き駄菓子が並ぶ店先で、子供らは命運をかけた銅貨を握りしめていた。

 しかも中には一回、金貨一枚の高額クジも並んでいる。景品はダンジョン産の装具や魔術具。滅多に引かれないこの高価なクジに、珍しく挑戦者が現れた。


「今日こそ一等を当ててみせるっ!」


 炯眼な眼差しで片目を剥くのはフルアーマーのゴツい冒険者。柳眉を跳ね上げて、ジャラリと金貨をカウンターに置く。


 それに、にまっとほくそ笑み、この駄菓子屋の店主であるフィーは、クジの入った箱を上下にガサガサと振って男性に差し出した。

 高い位置に結わえたポニーテールな亜麻色の髪を揺らして、大きな黄昏色の瞳を煌めかせ、茶目っ気たっぷりに微笑む少女。


「はいよっ、頑張れっ!」


 異様な緊張感を漂わせる冒険者に固唾を呑む周囲の御客達。子供らも眼を見張っている。


「どりゃああぁぁぁっ!」


 かっと眼を見開き、男は雄叫びを上げてクジを引いた。

 クジである。うっすい紙である。なのにまるで生死を賭けた一騎討ちのような雰囲気に、フィーは笑った。


 クジを前にしたら、子供も大人も変わんないね。


 ある国の下町に存在する駄菓子屋さん。ここは子供のみならず、大人にも夢を売るお店だ。


 然したる時間もおかずにフルアーマーの冒険者は青色吐息で頽おれる。戦慄く両手で顔を掴み、魂の抜けたような情けない顔で天を振り仰ぐ男性。

 どのクジも、御一人様一日十回までと決められていた。金にあかせて買い占めさせないようにの配慮だ。

 クジの箱も複数用意されており、引ける箱はランダム。そして翌日には新たなハズレクジが足されるのである。


「ハズれたぁぁぁ.....」


「はいっ、十等七枚に九等二枚、やだ、六等あるじゃないっ。ポーション七本と解毒薬二つ、それと活力剤ね、また挑戦してねっ♪」


 にっこり笑って商品を男性に手渡すフィー。


 ポーションは銀貨二枚。解毒薬は銀貨五枚。活力剤は大銀貨一枚の商品だ。トータルしたって金貨一枚にもならない。

 それでも彼は再び訪れるのだろう。金貨を握り締めつつ、一等を当てる事を夢見て。


 後に王宮からも一目置かれる駄菓子屋、《フィーの店》


 これの始まりは、十年前にまで遡る。


 普通だった貴族令嬢が、不幸な一件により普通でなくなった話。


 そこから、この駄菓子屋の伝説は始まったのだ。




「だから、謝罪は受けとりました。金輪際、わたくしに近寄らないでくださいませ」


 夕闇が落ちる学園の一角で、少女は少年を見つめ、キッパリと言った。


「しかし、そなたは許してくれておらぬではないか」


 金髪碧眼の少年は、あどけない顔に悲壮な苦悶を浮かべ、すがるように少女の手を取ろうとする。

 しかし、それを反射的に振り払い、少女は仄暗く揺れる瞳で少年を見据えた。


「.....あなたがっ! .....あなたが言ったのではないですか。面白味もなく地味で退屈な娘だと」


 途端に少年は顔を歪め、泣き出しそうに眉を固く寄せる。


 その通りだ。自分が言ったのだ。


 友人らから彼女が誉められたのが癪にさわり、あんな退屈な娘が婚約者だなんて苦痛だと。


 子供だった。愚かだった。見栄をはった。


 まさか、その話が巡りめぐって彼女の耳に届くなど思わなかったのだ。尾ひれ背びれどころが、胸びれや腹びれまでついた噂話を彼女が確認にきた時も、馬鹿な虚勢をはった。


『ああ、そうだとも。自分が面白味もない退屈な御令嬢の自覚はないのか? そんな君を婚約者として尊重する僕に感謝して欲しいね』


 いつも真面目で取り澄ました少女が珍しく狼狽え、怯えたかのような表情をしている。

 それがゾクゾクするほど心地好くて、少年は敢えて傷つけるかのように少女を扱った。


 嫌われたくない一心からだろう。少女は少年の言うことを何でも聞く。

 髪型や衣装まで。立ち居振舞いも控えめにし、読みたい本すら我慢して少年に気に入られるよう頑張ったのだ。

 なのにそれは、ただ少年を増長させるに終わる。


 明らかに要求がエスカレートしていく少年。交遊関係から季節の贈り物まで干渉され、とうとう少女が爆発した。


『理解いたしました。あなたは、わたくしの全てが気に入らないのだという事を』


 眼をすがめて凛と佇んだ彼女は、父親に頼んで、翌日、婚約解消を申し入れてきたのだ。


 青天の霹靂だった。


 従順に何でも言いなりだった少女の反乱。高位貴族である少年は、中位貴族である少女が楯突くなどと微塵も考えていなかった。

 何より彼女は少年にベタ惚れだったはず。何を言っても何をしても大人しく傍に寄り添っていたのに。


 何故?


 訳が分からないまま、二人の婚約は解消される。

 侯爵家の応接室で行われた婚約解消。御互いに書類にサインをし、それを受け取った公証人が大きく頷き、晴れて二人は無関係となった。




 悔恨に項垂れる少年とは反対に、少女は清々しい顔で広間を後にする。


 これで自由だわっ!!


 黒くほくそ笑む少女の名前はソフィア・ド・クレメンス。クレメンス伯爵の末娘で、上に歳の離れた兄が二人と姉が一人いる、ごく普通の貴族である。


 亜麻色の髪に濃い紫色の瞳。取り立てて目立つ容姿でもなく、良くも悪くも凡庸な彼女に家族の関心は薄かった。

 上の三人が適齢期で忙しい伯爵家は、ソフィアを放任で育てた。乳母やメイドに任せきりにし、家庭教師もなおざり。幸いなことは、周りの使用人に恵まれて、彼女がそれなりの環境で育てられたことくらいか。


 家族から与えられない愛情は乳母やメイドが与えてくれた。給料分しか働かない家庭教師の足りない分は執事らが教えてくれた。

 そうした色々が重なり、ソフィアは地味で引っ込み思案に育っていく。家族に省みられないことで自己主張が出来ず、教師からなおざりにされることで自信を喪失し、洗礼を受けるころには、常に壁に張り付く引きこもり気質な子供になっていた。


 そんなソフィアを見初めたのが冒頭の少年、ジルベール・ド・ソルトレイデである。


 洗礼を終えた子供達が集まる王宮の御茶会で、控えめな少女に好感を持ち、侯爵家とはいえ三男な彼は人当たり良くソフィアと交流する。

 ソフィアは地味だが博識で、話術も悪くない。聞き上手な彼女はジルベールの話を楽しそうに聞いてくれた。

 ほにゃりと笑う可愛らしい少女に一目惚れし、家督に無関係な三男であることも幸いしたジルベールは、数ヵ月後、クレメンス伯爵家へ婚約の打診を申し入れたのだ。


 伯爵家にすれば、またとない好機。無関心だった末娘に降って湧いた縁談を快く受け入れる。


 最初は良好だった二人の関係がおかしくなったのはいつ頃だっただろうか。


 何処へ行くにもソフィアを連れ歩いていたジルベールにの耳に、誰かの言葉が聞こえた。


『ソフィア様は美しい髪をされておりますね。黄昏色の瞳も神秘的です』


 うっとりと囁くのはジルベールと仲の良い貴族の子息。それに頬を染めて髪を弄るソフィアの姿に、ジルベールは頭が沸騰する。


 なぜ、そのように頬を染めている? 君は僕の婚約者ではないか。


 子供に有りがちな嫉妬心。


 そこからジルベールはソフィアを連れ歩かなくなった。彼女が誉められれば誉められるほど、その部分を改めさせて地味に誘導していく。

 そして、自ら地味にさせていったにも関わらず、彼はソフィアを罵った。


 時にはわざと人前で罵倒して、笑い者にもし、意地悪くほくそ笑む。


 周囲からの侮蔑の眼差しで萎縮して、ジルベールにすがりつくソフィアの姿が愛らしい。彼女が自分に依存すればするほど、ジルベールは昏い喜びに打ち震えた。


 そうだ。ソフィアは僕だけを見ていたら良いんだ。


 全てはジルベールの思い通りに進んでいた。そのはずだった。


 彼のその仕打ちが、彼女に己の前世を思い出させるまでは。




『みっともないっ! おまえは、ひっこんでろっ!』


『似合いもしないドレスを着て恥ずかしくないのか? しかたない。僕が似合うモノを送ろう』


『こんな成績しか取れないなんて情けないっ! 高校? そんなのお金の無駄よっ!』


『は? そんな事も知らないのか? まあ、所詮、伯爵家だしな。期待はしていないさ』


『昼飯代? 交通費? そんなもん、今まで育ててやった養育費を払ってから言えっ!』


 頭で渦を巻く前世と現世。口汚く罵られ、嘲られた数々が駆け巡り、ソフィアは絶叫を上げて意識を失った。


「う..... ぁぁああああっっ?!」


 心配する使用人に見守られるなか、彼女は自分の前世を思い出したのだ。


 幼くして両親を失い、引き取られた親戚の家で虐げられた過去を。




「.....っねーわぁ」


 うっそりと眼をすがめ、ソフィアは今と過去を整理する。


 前世には中卒で働かされ、成人するまで搾取され続けた人生。

 殴る蹴るは日常茶飯事。食事も碌にもらえず、給料は未開封で袋ごと奪われ、三駅離れた会社まで、毎日徒歩通勤。


 あげくのはて、たぶん? 栄養失調? で倒れて、その後の記憶はない。


 餓死? 衰弱死? 現代日本で? 笑えねーわ。


 そして、さらに今の境遇を顧みる。


「伯爵家かぁ。羽振りも悪くなさそうね」


 無関心な家族にしては、けっこうな設えの部屋だ。落ち着いたアンティーク調の家具が品良く配置され、寝ているベッドも慎ましやかだが天蓋のついた上質な物。


 記憶によれば、満足に御飯を食べて、教師に学び、婚約者もいるらしい。端から見ても幸せ一杯な暮らし。


 なのに、その婚約者がクズっぽい。


 ソフィアの我慢に我慢を重ねる姿が過去の自分と重なった。まだ十歳なのに、過呼吸や自家中毒を起こしかねないほどのストレスを抱える少女。


 冗談ではないっ! なんで、生まれ変わっても我慢を重ねなきゃならないのさっ!!


 かっと眼を見開き、ソフィアは己の人生を修正すべく動き出した。




 彼女の中の前世の記憶は、ただの記録でしかない。セピア色の写真のようなものだ。今の彼女を作っているのはソフィアとしての人生。

 前世の色々は、まるでアルバムを開き、覗き見ている感じで、生前の名前すら思い出せない。


 だが碌でもない人生だったことは間違いない。それを思い出した今、二度も我慢で自分を虐める人生を送る気は、さらさらないソフィア。

 今までの人生に前世の現代思考が加わっただけで、ソフィアはソフィアのままである。

 そして画策する。どうしたら、あのクズを切り捨てられるか。


「.....今度も家族には恵まれなかったっぽいけど、まあ虐待されてる訳じゃなし、無関心くらいはよくあるよね。うん」


 今のソフィアのトラウマを、現代思考であっさり捩じ伏せ、生まれ変わった新生ソフィアは考える。

 新たな人生は地球でいう中世。異世界か、過去世界か分からないが、周りにある環境的には地球と変わらない。


 ガイル王国なんて地球では聞いた事もないし、異世界だろうなぁ。前世では、何処か遠くへ逃げたいと毎日思ってたけど、まさか生まれ変わって叶うとはねぇ。


 テンプレ過ぎて乾いた笑みが浮かぶが、ある意味チャンスだ。前世で夢見た事をやれる千載一遇のチャンス。


 にっと悪い笑みでソフィアは部屋を出る。


 そして家族との夕食時に、彼女は容赦なく爆弾を叩き落とした。


「わたくし、ジルベール様との婚約を解消いたしたく存じます」


 しれっと宣う末娘に、思わず絶句する家族。即座に反応したのは上の兄である。

 如何にも有り得ないといった顔をして軽く首を振り、長男のカイールは慇懃に妹を見つめた。

 当年とって二十歳になる嫡男様である。彼にも婚約者がおり、数年後には結婚予定。もちろん政略結婚だ。

 兄は端整な顔を歪めて、若干苦虫を噛み潰したかのような口調で、諭すようにソフィアに答える。


「ソルトレイデ侯爵家との縁など滅多に結べるものではない。何を血迷っておるのだ?」


 嫡男であり跡取りなカイールにとって妹らの婚姻は政治的に重要。侯爵家に嫁ぐ末の妹は大切な駒なのだから。

 ソフィアよりも明るい髪色の兄は、黙って立っていれば極上の美男子である。冷たく冴えたアイスブルーの瞳に胸を高鳴らせる御令嬢も多い。

 おかげで兄の婚約者の方は気が気でないとも聞く。

 然もありなん。計算高い嫡男な長兄様は女性を手駒としか見ていない。

 それが家のためになるなら、その美貌をフルに活用し、御婦人方に愛想を振り撒きまくる。

 辛抱堪らず、婚約者の女性が苦言を呈せば、呆れたかのような眼差しで見据え、色恋な訳でもなし、ただの社交に悋気を起こされても困るとか、平然と宣う典型的な貴族男性だ。

 そんな兄にとって妹の反乱は想定外なのだろう。ソフィアは兄から、思った以上に辛辣な態度で忌々しげに睨み付けられた。

 前の彼女であれば、その冷徹な眼差しに怯え、押し黙ったに違いない。しかし現代地球人思考の甦った今のソフィアは、そんな兄の世迷い言をぺいっと叩き落とし、しれっと話を続ける。


「血迷ってなどおりません。あのクズに嫁げば、わたくしは不幸になります。なので、解消したいしだい」


 何事もないように、さらりとジルベールをクズ呼ばわりし、食事を続けるソフィア。

 食事の広間に不気味な沈黙が漂う。軽く瞠目し、信じられないモノを見るような眼差しの家族達。

 兄姉のみならず、父親からすらも戸惑うような動揺が感じられた。


「.....クズって。いったいどうしたの? 今日のあなた、おかしいわよ?」


 心配気に首を傾げるのはアンナマリア。ソフィアより七つ年上の姉である。

 彼女も三年後にある伯爵家へ嫁ぐ事が決まっていた。当然、政略結婚だ。


「ジルベール様の仰るとおりに地味で控えめにしておりましたが、それを罵り、嘲り、周囲の物笑いにして笑っておられる彼に、嫌気がさしただけですわ」


 過不足なく説明するソフィア。その話は家族の耳にも届いていたのだろう。複雑そうに顔を見合わせている。


 そりゃそうだ。あれだけジルベールが何処でも口にしていた罵詈雑言を、噂好きな貴族達が話題に上らせない訳がないのだ。

 たぶん、知らぬは侯爵家ばかりなり。まさか侯爵令息への悪評を、わざわざ本人らに進言する戯け者もおるまい。


 .....つまり、この人達も、ソフィアの苦しみを知っていながら、黙認してきた訳よね。


 果実水を飲みつつ、ソフィアは辛辣な眼差しを家族に向けた。その婚約者との苦い記憶も、前世を思い出したことで色褪せつつあるが、忘れらりょうはずがない。


「ジルベール様も、まだ子供なのだよ。もう少し見ていてあげてはどうだろう? 学園に通うようになれば落ち着くのではないかな」


 当たり障りない意見を述べるのはアーベル。カイールと双子の次兄だ。

 長兄と対をなすような見事な黒髪と鳶色の瞳。亡くなった御母様によく似た色合いの兄を、前のソフィアはいたく慕っていた。

 カイールと違って優しく穏やかな人柄は周囲に好まれており、周りに人の絶えない兄がソフィアには自慢だったのである。


 それも今のソフィアから見れば偽りだと見破れるが。


 派手で艶やかで冷たい長兄。柔らかく穏やかで人好きする次兄。彼等は外向けに役割分担しているに過ぎないのだ。

 カイールで落とせない相手には、正反対なアーベルが当たり、それぞれの魅力を使い分けて政治的な凋落を行っていた。結局は、どちらも貴族で、己の務めに勤しんでいるだけ。


 今の知識に前世の記憶が合わさり、ソフィアは兄達の理屈も魂胆も、いきなり理解してしまう。貴族としては、それが正しいのだろう。

 騙されていた自分が愚かだっただけなのだ。

 己の中に前世の知識と経験が増えたことにより、兄達の思惑を看破してしまい、アーベルとの今までの暖かな思い出すら色褪せてしまうソフィアだった。


 思えばアーベル兄には上手く言いくるめられてたよね。もう少し頑張ってみよう? あと暫く我慢しよう? なんてさ。


 ソフィアは兄貴ズの恫喝や甘言に踊らされ、健気に頷いていた過去の自分を慰めてやりたくなる。


「それで変わらなければ? 歳を経るごとに婚約解消は難しくなります。今ならば御互いに然したる遺恨は残らないでしょう?」


 穿った物言いの末娘に、父親は言葉もない。そんな家族を一瞥し、ソフィアはキッパリと言い切った。


「むしろ歳を重ねて、ジルベール様が他の女性を懸想なさったら? 今でも、わたくしに不満だらけなのですよ? 学園へ上がれば多くの女性らと触れ合うでしょう。それこそ、わたくしになど歯牙もかけなくなる未来が窺えるではありませんかっ」


 そうなってから婚約解消をしても遅いのだ。男性は良くとも女性にとっては致命傷。婚約解消されるような御令嬢を娶ろうなどという物好きは滅多にいない。精々、何かしら重大な問題のある御令息か、年寄りな貴族の後妻くらいしか道は残されなくなる。


「今なら、あちらに気に入って頂けなかったとの理由で婚約解消に持ち込むのも容易いでしょう。子供同士のことと、軽く御開きにも出来ます。歳を重ねてからでは遅いのです」


 事実、ジルベールがソフィアを罵る姿がそこここで目撃されていた。幼い頃なら合わない者同士の婚約が白紙にされるのは珍しくもない。

 このままいって、本当に適齢期で婚約破棄をされるより、今の婚約を解消し、分相応な相手と新たに婚約した方が良いというソフィアの言葉に、誰も反論出来なかった。


「過ぎた相手でしたのよ、わたくしには。家系の釣り合う子爵か伯爵あたりで良い方を探したいですわ」


 まるで他人事のように溜め息をつくソフィア。

 家族は、人が変わってしまったかのような末娘を、茫然と見つめるしかなかった。




 ここから改めて事の真偽を調べたクレメンス伯爵は、噂以上に酷い実情を知り、激怒する。

 地味で控えめな末娘。好きであのようなドレスをまとい、家で静かに暮らしているとばかり思っていたが、その全てはジルベールから強制されたモノだったと判明したのだ。

 七歳から十歳までの三年間、交遊関係や所持品、読む本や刺す刺繍にいたるまで全てがジルベールの指示で、その通りにしているにも関わらず、それをあげつらって笑い者にする始末。


 報告を聞いた伯爵は、微かに拳を震わせる。


 無関心だからといって、愛情がない訳ではない。気まぐれであろうと、そこそこな愛情をソフィアにも持っていた。

 貴族は家名を大切にする。ゆえに家族に対する気配りが欠ける傾向があり、末娘にまでなかなか回らなかっただけで、愛情が皆無なわけではない。


 こんな酷い状況だと気づいてもやれなかった己に自嘲気味な溜め息をもらし、伯爵は報告書を執務机に投げ捨てる。

 それを手に取り、眼を滑らせたカイールも口を一文字に引き結んだ。

 思ったより酷い有り様だと、彼も感じたのだろう。


「ソフィアが正しいようだな。後になって傷モノ扱いされるより、今のうちに解消した方がよかろうな」


 この数年、ほとんど食事以外では顔を会わせなかった末娘。だんだんと口数が減り、ここしばらくはその声も聞いた覚えが無かった。

 その原因が侯爵家との婚約だったのだと、今初めて伯爵は気がついたのだ。

 渋るカイールから少々の反対はあったが、伯爵はジルベールの素行を調べ上げて、それを送付し、侯爵家へ婚約解消の申し込みをする。


 侯爵家は寝耳に水で、慌てて同じように調べたさせたところ、流石は侯爵家。伯爵が調べたモノよりも詳細な情報が届き、侯爵はあまりの驚愕に頭を抱えた。


 まあ、一番驚いたのは当の本人であるジルベールなのだが。




「嫌ですっ! 僕はソフィアが好きです、婚約解消などしませんっ!」


 応接室へ呼び出されたジルベールは、伯爵家からの申し入れの説明をされ、眼を見開いて首を横に振る。


「寝言は寝てから言えっ! おまえの軽率な行動は婚約解消を申し込まれるに十分な愚行だっ!! 御令嬢への過ぎた干渉! 自分がそれをさせておいて、わざわざ人前で罵るなど、人としてあり得ぬ非道だっ! おまえは何を考えていたのだ? これで相手から好かれるとでも思っていたのか?」


「だって.....っ、ソフィアは何も言わなかったし..... 他の誰かが彼女に興味を持たないように..... 僕はっ!」


 切れ切れな息子の言葉から何かを察し、侯爵は大仰に天を仰いだ。


 なんと浅慮な。


「.....馬鹿なことを。悋気なら、もっとそれと分かるように..... 言っても遅いな。おまえはソフィア殿に嫌われたのだよ」


 容赦ない父親の言葉で、愕然と顔を凍りつかせるジルベール。


 こうして茫然自失のまま、彼は最愛の少女を失った。


 ちなみに、その少女は全身を歓喜に震わせて喜んでいる。


 ようやく自由だわっ! 人生、楽しまないとねっ!!


 自業自得で奈落の底に落ちた少年と、大空に羽ばたいた少女のドタバタ学園物語は、ここから始まったのだ。

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