先輩は幸せにならない

MISAKI

第1話 人を好きになるために

「失礼しまぁああああ?!」


 希望は大慌てで手を振り上げた。部室の扉を開けた途端に、顔に向かって一直線に辞書が飛んできたからだ。凄いスピードで突っ込んできたそれを掴み取り、投げて寄越した相手を見る。目の前には自分よりも2つ年上の上級生。本来、上級生には敬意や憧れを持って接することが当たり前だが…


「遅い!今の今まで何やってた?!ホームルーム終了のチャイムが鳴って5分もオーバーだ!」

「今日は担任の話が長かったんですよ!5分くらいいいでしょ?!」

「5分くらい?!くらいだと?!渡、本気で言ってるのか?!5分もあればカップうどん一杯作ることも容易だというのに、時間がもったいないとは思わないのか?!」


放課後の部室で、こんな小学生みたいな癇癪を起こす先輩を尊敬することなど希望には無理だった。何故こんな部活に入ってしまったのかと後悔したが、今更部活を変えるなんて面倒なことをする度胸を彼は持ち合わせていなかった。床に散乱する漫画や小説を拾いながら、宥めるように希望は先輩に話題を投げた。


「今日は取材って言ってませんでした?」

「はっ、そうだった!そうだ。そうだよ!取材だよ!何してるんだ、渡。メモとペンを持て!さっさと行くぞ!目眩くネタの宝庫が私たちを待っている!」

「待ってください先輩!場所とか何も聞いてないんですけど?!」

「大丈夫、今日は遠出しないから!」

「あんたの“遠出しない“は片道2時間とかザラなんで信用できないんすよ!」

「今日は私の同級生から話を聞くだけだ。本当に遠出しない」

「そ、それなら、まぁ…」


希望はため息をつきながら、邪魔な教科書や荷物を置いて最低限のものだけ持った。意気揚々と部室を飛び出して渡を待っている先輩は、何か思い出したように後ろを振り向く。


「あっ、財布は持っていけよ」

「何でですか?」

「取材相手に喫茶でデザートを奢ることになってる」

「それ俺に関係ありますかね?」

「大いにあるよ!会計君持ちだから」

「はあ?!」

「ごめん。財布家に忘れたんだ。頼むよ、渡」


“ごめん”なんて言いながら、先輩の笑顔には罪悪感のかけらもなかった。むしろ悪意のようなものを感じる。本当に、なんで文芸部なんて入ってしまったのだろうと、改めて後悔しながら希望は自分の財産がいくらだったか考えたのだった。


 学校を出て徒歩10分ほどのところにある喫茶店。店先には、今回の取材相手だと思われる男子生徒が立っていた。短く整えた髪型や、スポーツブランドの肩掛けバッグを持っているところを見ると、部活は運動部だと見てとれる。彼は二人を見つけると、驚いた顔をして彼らに手を振った。


「お疲れ。本当に恋愛話の取材とかやってんだね」

「貴重な時間をありがとう井上。早速話を聞かせてくれ」

「いいぜ。チョコレートパフェ一つな」

「一つでいいのか?なんなら3つとかでもいいぞ?」

「勘弁してもらっていいですか、先輩」

「冗談だよ」


軽口を叩きながら、取材相手の井上と一緒に二人は店へ入った。店内は穏やかなBGMが流れ、寄り道をしている学生がまばらに席を埋めている。先輩は一番奥のボックス席を陣取り、早速メモとペンを構えて目を輝かせた。井上は彼女の様子に肩をすくめた。


「何から話せばいいんだ?」

「馴れ初めから全て話せ」

「ちょっと先輩!」

「うるさい渡。お前はさっさと注文してろ」

「まぁまぁ、渡…っていうんだな。こいつが変人なのは今に始まったことじゃない。とりあえず俺が相手するから、お前も好きなもん頼めよ」

「…お気遣い、ありがとうございます」


本来の世間一般で言う先輩像に感涙しながら、希望はウエイトレスを呼び止めた。手早く注文を済ませて、自分もメモを取ろうと道具を構えた。それを見た井上は、少し表情に影を落としながら話し始めた。


「最初はさ、遊びだったんだよ…浅倉と話をする前は」


端的に言うと、井上は遊び人だった。所謂、プレイボーイという自分とは縁遠い存在を目の前にして、希望は思わず歯を食いしばりそうになった。昔から運動ができて容姿も整っていた井上は、周りの女子から言い寄られることも多く、好みの女子に告白された時は付き合って、飽きたら別れてを繰り返していた。


そんな中、同じ部活のメンバーに賭けを持ちかけれらた。


「根暗で人付き合いが苦手な同級生の浅倉を落とせたら、次の試合までに新しいスパイクを買ってやるって言われてな。余裕だと思った俺は、賭けにのっちまったんだよ」

「ほう、それで?彼女にはどう近づいたんだ?きっかけは?」

「簡単だ。浅倉と同じクラスの女子に取りついでもらって、俺から連絡を取るようになった」

「ヒュー、流石だな。手慣れてる」

「先輩」

「あぁ、悪い。続きを…」

「…まぁ、ここからは本当にあっという間の話だ。連絡を取りあってるうちに、俺は彼女のことが気になるようになったんだ」


最初はどうして自分と話をしたがるのかと、彼女は警戒していたが、井上がただ話がしたいだけだと伝えると、次第に辿々しいメッセージが返ってくるようになったそうだ。


そうして連絡を取るようになって二週間。井上は自分の中で変化が起きていることに気がついた。今までは、相手から自分の方へ近づいてきてほとんど一方的にあれが好きやら、これが得意だとか、聞かれてもいない情報を突きつけられるだけだったが、今は全くの逆だった。


彼女は何が好きなのだろう。好きな食べ物はなんだ。好きな本は。好きなスポーツは。彼女が何に興味を持って、何に関心がないのか知りたくなり、井上は次第にメールやSNSのやり取りだけではなく、とうとう電話をかけるようになった。


「普段学校で人を避けてるあいつがさ、電話した時になんて言ったと思う?“声、変じゃないですか?聞き辛くないですか?”だってよ…普通さ、“初めまして”とか“電話ありがとう”とかさ、会話の切り出し方ってあるだろ?第一声がそれかよって思うと、もうそれがおかしくってさ!…なんか、不器用な気遣いが良いなって思ったんだ」

「本当に人と話すことが苦手なんだな、彼女は」

「先輩も、浅倉さんみたいに気遣いができたら可愛くなれるかもしれませんよ」

「必要ない。話の腰を折りにくるな。黙ってメモ取れ」


普段の仕返しをしてやろうと口を挟む希望に、苦笑いをしながら井上は続ける。彼女と電話をするようになって、さらに二週間経った頃に事件は起きた。


「浅倉に、賭けのことがバレたんだ」


井上に振られた元カノの誰かが、浅倉と彼の関係によくない感情を抱いたようで、手当たり次第に調べ上げたらしい。そして、井上と同じ部活のメンバーが世間話感覚で話をしてしまったそうだ。全てを知った元カノは、浅倉を人気のない教室に呼び出して全てをバラし…


『ご愁傷様。あんたも踊らされたんだよあのクソ野郎に。馬鹿だねぇ』


そう言って、その場を去ったそうだ。


「そんな…」

「正直、自業自得だよ。俺が今までちゃんとしてれば浅倉も傷つくことなかったんだ…俺が悪い」

「…ふむ。井上、浅倉と連絡は?」

「取れる訳無いだろう!そんな勇気、俺にはない…彼女だってもう俺と話をする気なんて」

「……不完全だ」

「…は?」

「ちょ、先輩?」


先輩は、何かが引っかかったのかいきなり機嫌を損ねた。その様子に驚いた井上は呆気にとられ、希望は慌てふためいた。希望は怯えた。この空気に。この後に起こるであろう嵐に。


「井上。お前の話はあまりにも不完全で、不透明で、未確定すぎるぞ。さっきから話を聞いていれば、“らしい”とか“そうだ”とか、まるで他人から聞き齧ったような話し方をするな。自分のことを話してるのになんだその言い方は。しかも話に出てくる彼女に対して、“好き”とか“可愛い”とか好意的に思う言葉もない。お前、本当に私の取材の相手をしているだけか?ここまで全部作り話か?だとしたら、舐められたものだな!屈辱的だ!」

「なっ、俺は!!」

「なんだ?!言ってみろ?!ここまでで、確定している情報はたった一つ!お前が、自分にも周りの人間にも身勝手で臆病な人間ってことだけだ!!」

「ーーーーっふざけんな!!」


ガタンッと激しい音を立てて井上は立ち上がった。先輩は座ったまま、微動だにしない。希望は怖くなって首をすくめた。彼は怒りで顔を真っ赤にしながら、先輩に向かって怒鳴り散らした。


「全部本当の話だ!嘘なんかついていない!」

「そうか。じゃあお前、一体どうしたいんだ?」

「はあ?!何がだ?!」

「お前、結局のところ浅倉のこと好きなのか?彼女をどうしたいんだ」

「ああ?!そんなのっ、そん、なの…え…」

「言えるか?今のお前に」

「俺、俺は、浅倉の…こと」


先輩は、ニヤリと笑った。井上は、さっきまでの勢いを殺されたのか、次第に小声になりながら席に着いた。希望はもうやめてくれという気持ちでいっぱいになりながら、巻き添えを食らわないように身を縮める。


「浅倉のことが好きかどうかわからないんだろ。お前」

「……」

「彼女に対して、良い印象は持てているな。だが、お前の中でその印象や今までの連絡のやり取りが、“相手が好きだ”というものに結びついていない…今まで周りから受けてきた好意を蔑ろにしてきたツケが回ってきた証拠だ。さっきお前自身が言ったな…自業自得だと」

「…あぁ、そうだよ…俺は、よくわからないんだ…あいつが好きかどうか」


井上はとうとう、自分の心を吐き出した。

ここまで全て実際に起こった出来事だが、井上はよく分からなかった。浅倉とのやり取りはとても楽しく、賭けなんてどうでもよくなるような高揚感があった。しかし、井上があの事件を部活動メンバーから人伝えで聞いた後、途端に怖くなったのだ。


「嫌われたかもしれない。もう、話せないかもしれない…そればっかり考えて、俺は…」

「…お前、それで私の取材を受けたな?」

「え、先輩どういうことですか」


彼はびくりと背を揺らして、怯えた目をし始めた。


「今回の取材は、こいつからの持ち込みだった。私がネタ集めに人から恋愛話やそういった類の体験談を集めていると知った井上は、私に今回の話を“過去の体験話”として話て終わりにしたかったんだ…そうすれば、けじめがついたような気がして目の前の問題から目を逸らせられると、浅ましいことを考えたんだよコイツは!!」

「先輩そんな言い方っ」

「なんだ?!馬鹿馬鹿しいだろう、こんな話!!好きかどうかわからない?嫌われたくない?馬鹿げてる!お前は、そんなことを考える土俵にすら上がっていない!!自分のことしか考えてないこいつに、私は腹が立って仕方ない!!」


そう言って怒りを激らせている先輩を見て、希望は気がついた。恋愛とは、誰か一人でするものではない。必ず相手がいて成り立つものだ。今回だって例外ではない。壁にぶつかっているのは井上だけではない。巻き込まれている浅倉も同じように、今回の事件で思うところがあるはず。それなのに、連絡を先にしかけた相手から何も動きがないとなれば、彼女はどうするだろう。井上のように、人と上手に話ができない彼女は、一方的に賭けの対象にされて、人に感情を動かされていたということになる。


これでは、彼女があんまりではないだろうか。そう思うと、希望はなんとも言えない気持ちになった。


「井上、今すぐ彼女と連絡を取れ」

「む、無理だ…話なんてできない」

「お前ができなくても、浅倉はきっと話がしたいはずだ」

「でも、」

「うるさい。責任を取れ」

「え」

「これは、お前から仕掛けた賭けだ。賭けは最後まできちんと結果を出さないと終わらない。このままだと、お前はずっとこの賭けに付け回されるぞ」

「…」

「今ここで、終わらせるか。一生賭けをし続けるか…どっちがいい?」


悪魔のような笑みを浮かべた先輩に、井上は携帯を握るしかなかった。



 結果は散々だった。取材も自分の財布の中身も。希望はげっそりとした顔で、部室の机の上で伸びていた。そこへ、労わるようにことりとマグカップが置かれた。


「…ありがとうございます、美雲さん」

「いえいえ、先輩から話は聞きましたけど…お疲れ様です」

「ほんとですよ。おかげで俺の財布はすっからかん。得をしたのは取材相手だけ…意味がわからない」


あの後、浅倉に電話をかけた井上は思わぬ展開を迎えた。半ば脅されるように電話をした彼の電話は、三コールしてすぐ繋がった。


『ぁ……い、井上くん?えぇっと…』

「…あ、浅倉…俺」

『あの、スパイク、貰えた?』

「…は?」

『ぇぇ?』

「いや、待って…なんでスパイク?」

『だ、だって…私が、えっと…井上くんのこと、好きになったら…スパイク貰えるんだよ、ね?…違った?』

「………っ、」

『い、井上くん?』

「お前、なんで…いやっ違うな…なぁ、浅倉」

『は、はい』


「俺と、付き合って」


この瞬間、希望は思い切りパフェのロングスプーンを井上の顔めがけて投げつけたのだった。先輩も目玉が飛び出そうになりながら、その場で絶叫した。そこで喫茶店のオーナーに出ていけと追い出されたのだった。


「意味がわからないッ!!」

「あらら、結局のところ両思いだったんですね」

「なんであそこまで拗れといて、あの浅倉って人平気だったんですか?!普通怒るとかあるでしょ?!」

「まぁ、結局人の心は話をしてみないと伝わりませんから」

「…はぁ〜…疲れた」


希望はため息を吐きながら、同じく自分の机で伸びている先輩を見た。何かを考えているのか、目はギラギラとしていて落ち着きがない。


「…希望、ほれ」

「え」


いきなり顔を上げたと思ったら、先輩は茶色の封筒を希望に投げた。反射的に受け取って、中身を確認すると野口さんが三人並んでいた。いっそ神々しい。驚きのあまり希望は立ち上がった。


「先輩これ」

「今回は、あんまり面白味のあるネタじゃなかったから…それでチャラな」

「あ、ありがとうございます!」

「釣りは返せよ」

「細かいなっ?!」


一瞬見直した自分を殴りたい。そう思いながらも、プラマイゼロなのだから良しとしよう。そう希望は自分に言い聞かせた。


「ま、こんな話でも書けそうだ」

「あら、先輩お茶入りますか?」

「もちろんだよ美雲ちゃん。今日は紅茶の気分」

「わかりました。お砂糖2つ入れますね」

「…俺は?」

「希望は私の横で取ったメモを見せろ」


美雲が笑顔でお茶を準備するのを見て、先輩は腕まくりをしてペンを握り、200文字の原稿用紙を手に取った。希望も、椅子を動かして彼女の隣に座る。


「さぁて…話を整理して、登場人物は全てフィクションに。頭の中でカメラが動き始めた…書くぞ、二人とも」

「「はい、先輩」」


彼女のペンが走り出した。もう誰も止められない。

タイトルは、『人を好きになるために』。

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先輩は幸せにならない MISAKI @tosanekoM

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