2-2

 『5』→『4』


 正義たれ、と父は言った。

 何の取り柄も持たない、平凡で普通な中学生のあたしに「正義とは何か」を説き、幼いながらも思想を植え付けられた。その価値観は今でも胸の内側にはべったりと張り付いていて、常日頃、自分という生き物は真面目で規律正しく、時には勇敢さを発揮することを強いられていた。親のエゴによる歪みなのだと理解はしていても、あたしの生き方は規律を重視させられる。朝は早いし、夜も同様。反して成績も一定のラインをキープしなければならず、友人と遊ぶ暇なんてほとんど介在しない。「厳しい両親なんだね」と人ごとのように言われることも少なくない。友人が言うからには、世間的にみてもあたしは窮屈な家庭に身を置いているのだろう。

 それでも。あたしは両親の期待に応えていたかった。

 正義の人として、できるかぎり人々の手本となる一人娘でいたかった。

 だから――ある意味コレは、必然だったのかもしれない。


『――ァ、っ、がネ、――ヂゃ』


 耳障りな奇声が途絶え、あたしは身震いした。

 埃と砂の入り込んだ用具庫は、わずかな光でも詰まった空気を反射。咳き込んでしまいそうな狭い空間だけど、すこしは動けるスペースがあることを教えてくれた。乱雑に置かれた掃除用具も、何年前のかも定かではない芝刈り機らしき物体も、ふるぼけたイラストの看板も、折りたたまれて色あせた横断幕も、総じてここには忘れ去られたものたちが捨てられている。

 重く錆びた引き戸は、斜めに日光を差し込ませる。その光の間に立ち、自分の影が入り込む。埃と砂の床に黒い輪郭が映し出されていた。

 けれど、その黒さよりも濃い色の塵に、あたしの視線は釘付けだった。

 焚き火をしたあとのごとく残骸が、ぼとりと音を立てる。

 興奮と緊張、戸惑いと混乱。思わず振るった拳のぐにょりとした感触が、頭を離れない。腕が内蔵を通り抜けた体験など、これが初めてだ。我慢しなければ、せり上がるすっぱいものが飛び出そう。


「……うぷっ、」


 口を押さえ、必死に耐える。

 人間ではないとはいえ、殺したという事実は変わらない。信じられないが、あたしは今までにないほどの未知なるチカラを宿していて、今まさにソレを公使したのだった。

 細めた目で睨む。

 倒れ込み、びりびりの体育マットで巨大な化け物が痙攣していた。胴体は穴が穿たれていて、そこから波及するように輪郭が崩れていく。崩れた部分から黒い砂状の塵となって、そこに積もっていく。

 やってしまった。

 あたしはとんでもないことをしてしまった。

 大罪を犯してしまった人間はこうも取り乱すものなのかと、我ながら場違いな学びを得ていた。そして、自分の行いを正当化するもうひとりの自分も同居していた。

 あたしは正しい行いをしたのだ。

 なぜかって、こいつは……。

 ちらりと視線を用具庫の隅に移す。そこには、この高校の女子が着る制服が脱ぎ散らかされていた。リボンもワイシャツも、スカートもボロボロ。何より無視できないのは、付着している尋常でない量の血だった。すでに乾いて赤黒くなっており、化け物の顔にも同様の汚れがある。

 何があったのか想像できてしまう自分がいやだ。さらなる吐き気を催し、あたしは強引に顔を背けた。おぼつかない足取りで、ゆっくりと用具庫から離れる。


「間違ってない……正義、これは正義の行いっ……正しかったの……!」


 そう自分に言い聞かせ、あたしは校舎の影に身を寄せた。

 何か気分を落ち着けるものはないかと懐を探り、宝石に気づいた。日の光に翳し、校舎の白い壁に数字を写す。


「――やっぱり、そういう、こと」


 昨日拾ったときは『5』だったものが、『4』という数字に置き換わっていた。

 咄嗟に突きだした拳が化け物を貫き、しかも触れたところから光が焦がしていったときは、自分でも何が起こっているのかわからなかった。今も尚、不快な叫び声が耳を離れない。非現実的な生き物と非現実的な光景が一気に襲ってきては、理解する余裕さえも残されていなかった。けれど、冷静になれと促す思考が突拍子もない答えを導き出して、あたしに教える。

 この宝石は、あたしに武器を与えてくれたのだ。

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