二章 理由は重要ではない。

オモイデ

「魔法使いはどうしてそんなデカイ帽子をかぶってるんだ?」

「魔女が魔女帽子をかぶっていて、なにかおかしい?」


 ――四年前、春先のことだった。

 中庭に備え付けられたベンチの左隣。出会ったばかりの俺と魔法使いは、人気の少ない場所を選んで昼休憩を過ごしていた。中学校ではまだ給食という文化があって、食べ終えれば真っ先に教室をあとにする。そしてひとり黄昏れて読書に耽る。それが俺の普段の動きだったのだが……気づくと、魔法使いはちゃっかり居座る野良ネコのように、となりに腰をおろすのが当たり前になっていた。

 基本的には他愛もない会話が交わされる。四角い池のほかにはこじんまりとした畑や、剪定された木々くらいしかみえない中庭のため、取り立てて挙げる話題もそこまでない。まして出会って間もない互いの興味は、必然的に相手のこととなる。

 俺は本のページに栞を挟み込んで、彼女のことを知ろうとしていた。


「いいでしょ? この帽子。大きくて真っ黒で、いかにも魔女。日除けにもなるわ」


 魔法使いはふふんと、自慢げに微笑んだ。暖かな陽気に負けず劣らずの笑みに目を細め、「目立ちすぎるけどね」と返した。制服と帽子のアンバランスは際立っている。

 魔法使いに対する興味は絶えない。その日、俺は出会ったときから気になっていたことを、はじめて話題に据え挙げていた。

 ベンチの設置されている場所は、中庭に面した技術室のテラスだ。作業服が似合う先生の自作で、けれど利用者は俺たちぐらいのものだった。コンクリートで整えられたそこは、二階から一階まで園芸ネットが斜めに張られ、巻き付いたツタが屋根となり、日陰をつくっていた。中庭を取り囲む教室からは隠れていて、ひとり――今ではふたり――の密会会場にはうってつけと言える。

 それをいいことに、魔法使いはいつも大きな魔女帽子を身につけ現れる。小柄な身体に不釣り合いなほど大きい、尖ったシルエットだった。

 今日だって魔法使いは、先に座っている俺の傍までやってきて、つばを持ち上げながら挨拶してきたのだ。「こんにちは。良い天気ね」と。

 魔法使いなだけあって、彼女は現実離れしているように思えた。休み時間に体育館で動き回っている男子とも違う。教室で恋バナに花を咲かせる女子とも異なる。そういう大衆とは纏う空気の質が根本的に合わない。大人びた雰囲気に「本当に同級生なのだろうか」と疑ってしまうことも多々あるが、二つ向こうのクラスにちゃんと在席していることは確認できていた。魔法使いは肩にかかる髪を普段はまとめ上げ、しかも伊達メガネまで掛けて正体を隠している。同一人物であると気づいたときは、度肝を抜かれたものだ。


「ぷは」

「美味しそうだな」

「あ、あげないわよ?」

「いらないよ。君と同罪になりたくないし」

「ム……気が変わった。一口あげる」

「遠慮します」


 中学校は高校ほど規則が緩やかというわけではない。義務教育の色味が濃く、給食というカタチで食べ物が支給される代わりに、飲食物を外部から持ち込むことは基本的に禁じられている。

 だが、魔法使いはいつもサイダーを飲んでいた。

 ベンチの横に居座るときは決まって、帽子から取り出した透明なペットボトルを傾ける。蒼い矢が金色の輪っかを貫くラベルが貼られた蒼矢サイダーは、どこのコンビニでもみかける品だ。ただ、この中学校ではそういった買い物を許されていない。それだけに、冷えて水滴ができる蒼矢サイダーを飲める魔法使いは、まさしく魔法使いらしい姿だった。

 大きい尖った魔女帽子に透明ボトルのサイダー一本。俺の中では、それが彼女のトレードマークと化している。

 ……その帽子の中には冷蔵庫でも入っているのだろうか? 何にせよ、魔法使いは規則なんて平気で破るに違いない。きっと誰かが見回りにでも来れば、彼女は瞬時にペットボトルと魔女帽子を消し去って、何食わぬ顔を浮かべるのだろう。


「それはそれとして、どうしていつもそのサイダーなんだ」

「え」


 ちら、と視線を向けて問うと、魔法使いがぱちくりと瞬きした。

 ちょうど口を離したボトルの口から、ツー、と水滴が伝う。向こうに見える日差しが彼女の輪郭を浮かび上がらせ、揺らぐ反射光がツバの下の頬を照らしていた。透明に気泡の音を浮かべるサイダーも、キラキラと輝いている。水晶を飲んでいるのかとでも感じさせる風柄を見つめながら、俺は答えを待った。

 魔法使いは、んー、と考え込んだ。影をつくる園芸ネットの屋根を見あげ、そしてまた視線を落とす。数秒が穏やかに流れる。喧噪から隔絶されたふたりだけの沈黙は、どうしてか心地良かったのを覚えている。

 魔法使いは「そうね、言葉にはしづらいけれど」と前置いた。

 それから手元の透明なサイダーを掲げ、こちらに見せる。なおさら遠くの景色が透けて、透明な色合いに揺らぎが混ざる。しゅわしゅわとした炭酸の音も、この静けさ、この距離であれば耳に届く。

 魔法使いは夜色の瞳を細めると、炭酸みたく透き通った、しゅわしゅわくすぐったい声音で言うのだった。


「ガラスみたいで、綺麗じゃない?」


 魔法使いの口元が、嬉しそうに笑っていた。

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