封人演義

増黒 豊

第一章 周

呂尚、申にあり

肉を屠る

 ある木板の小屋の裏手、小川の寝息が室内を満たしている。その水がしばしば赤くなるのは、小屋で肉を切り分けるため、動物を吊るして抜いた血が流れ込むからであった。


 夜にそれをするのは、在所の者が気味悪がらぬようにという小屋の主の配慮であろう。

 しかし、その小屋は、十分にひとびとから避けられており、

呂邦りょほうの屠肉小屋」

 などと陰口されている。


 呂はともかく邦というのは、あんちゃん、という程度の意味であって固有名詞ではなく、この小屋で夜な夜な肉を切り分ける呂尚のほんとうの名を知る者は少ない。


 いや、呂というのも彼の本当の姓であるか、微妙なところである。姜というのが姓、呂という在所や氏族に縁があったからそういう氏を名乗っていたというはなしもあるが、まあ、ここでは彼のことを呂尚としてあらわしてゆく。



 小川の流れは、やはり夜にしずかに沈んでいる。見ただけでは、それが赤くなっているとは分からない。

 しかし、月が山とそれにかかる雲から顔をのぞかせ、下界を見下ろしはじめると、きらきらと秋の夜明けの水面で遊ぶ魚のように流れは起き出して、そして透き通ったうすい赤をたたえる。


 ——照らされてはじめて、見えるものもある。それが良かれ悪しかれ、だ。


 と、ときどき思う。そして、


 ——おれにも、彼にも、だれにでも、おなじ赤が流れている。しかし、ことさらに流れ出たこればかりを忌むのは、なぜなのか。


 とも。さらに、


 ——この血を忌む人も、しかし、肉をひとたび口にすればその甘露のような脂に頬を蕩かすのだから、人など、案外、そんなものなのかもしれぬ。


 と。


 肉、血、水の流れというものが、ふいに、呂尚にある記憶をもたらした。

 それは、人の手で作った池になみなみと酒が注がれ、その上に切り分けた肉が林のようにぶら下げられている光景である。

 酒池肉林。現代においては過剰に贅沢な宴会の様もそうあらわすことがあるが、呂尚は、それを目の当たりにしたことがあった。


 それだけではない。

 池のほとりでは裸の男女が無作為に交合をしており、また、おなじく裸の男同士が取っ組み合って何かを競っており、負けた方は頭を砕かれ、酒の池の上に並ぶ動物の肉とおなじように吊るされたり、ほかに何十もの無残な亡骸が放り込まれた穴を埋めるだけのために使われたりした。


 呂尚は、吐き気をもよおした。しかし、自分の周りにいたほかの者が先に腹の中のものを吐き出してしまい、そのために剣を携えた者にどこかに連れ去られ、あとに断末魔のみ聴こえてきたから、ずっと堪えていた。


「これが君主というものの有様なのであれば、おれは、二度と宮仕えはしない」

 あの酒池肉林の場にあり、人の叫びを肴に酒を食らう者が、商王であるちゅうである。



 ちなみに商というのは、日本においては殷という名で知られる、中国文明において夏王朝に次いで古い国家で、彼らは自らの国号を商としていた形跡がある。

 余談ついでではあるが夏王朝というのは日本の学会においては実在性が確証的には語られず、殷(商)王朝が創立の際に併合あるいは征服し吸収したさらに古い文明にもとづく勢力があったことが炭素十四年代測定により明かされたに過ぎない、とされるようであるが、便宜上、上のとおり表記した。


 商王朝というのはとにかく、世界史的に見ても画期的な王朝で、甲骨文字を用いて記録を残したり、占卜うらないを積極的に行ったりと、人類の文化的進歩の鋭さを現代に伝えている。

 経済という概念も彼らは待っており——経済活動をする者を『商人』とあらわすのは、彼らの醸す残り香である——、中国大陸において、ものに価値というものを定めたはじめの人々と言えるかもしれない。



 価値というものに絶対性は薄い。しかし、呂尚が目の当たりにした狂乱の宴を楽しむ商王は、まぎれもなく価値という概念に鋭敏であった。

 ふつう、人が目を背け、天すらも怒りそうな行いを自ら執りおこなう。それこそが、己の絶対性の顕示になるという確かな価値を、商王は感じていたのだろう。

 己が、地上に並ぶ者のない太極絶対の存在であるからこそ、天すらも咎めることなく鎮まり、月すらも慈愛の光を自ら手にする杯に注ぐ。


 それこそ、王。

 呂尚が見たのは、そういう、まだ価値というものの現出に慣れきってはいない人間のした、無知なる行いであった。


 呂尚自身は、そのように俯瞰的にはものを見てはいない。なにせ、彼の鼻の上、額の下にあるふたつの目でそれを見たのだから。それに、後年ならばいざ知らず、そのとき、彼は十六になったところであった。

 それから五年の月日を経た今、歳に似合わぬやつれ方をし、目の下には深い隈が張り付きっぱなしになっているが、そのときはまだ、どちからといえば色が白く、麗しいと宮中のおんなどもがひそひそと声を立てるような美男子であった。


 そもそも、その女の一人が、

「呂どの。そなた、王の姿を一目見たくはないかえ」

 と声をかけてきたのだ。

「そりゃあ、見られるものならば」

 王のある正殿も寝殿も、宮中の雑用係のようにして召し抱えられていた呂尚は立ち入ることはできない。それゆえ、王の姿など死ぬまで目にすることはないのがふつうである。しかし、王は太古の神々やその子孫である伝説の王の末裔であると宣伝のとおりに信じ込んでいたから、その姿を一目見ることができるだけでも、生涯の幸福の全てと引き換えてもまだ吊り合わぬほどのことであるという普通の感覚があった。


 その女はカンといい、いや、名はどうでもよいが、王の側室の一人の身の回りのことをする女で、ときおり見かけるその姿に、若き呂尚はかすかな恋心を抱いていた。

 実際、

「こんど、王が催す宴があるのです。贅を尽くしたものにしたいから、男女問わず見目のよいもの、歌や踊りをよくするものを大勢集めよとのことなのです」

 という誘いに乗ったのは、王を目にすることへの期待よりも、この杆とそのあとなりはしないだろうかという期待が大きかったからである。


 そして、見た。

 その場にあった杆は、彼の知る美しい娘などではなく、誰とも知らぬ男の強い責めを受けて嬌声を上げる、ただのであった。

 杆がほとんど裸のような姿で呂尚のところにやってきて、

「さ、呂どの」

 と袖を捉えたとき、彼の中で鳳仙花の実のごとく何かが弾けた。


「おれに触るな、けだもの」

 そして、二度と宮仕えはせぬ、と言い捨て、そのまま行方をくらましてしまった。



 王とは、なんなのか。あれが王なら、王は何のために。それが成す国とは。そもそも、そこにある人とは。

 五年、呂尚の頭の中から、答えの無い、取るに足らない疑問が巡り続けた。そして、自らを誘う杆の、甘い誘惑。いつも、あのほそく、白い腕が自分のもとへ伸びてくる。

 ——おれは、けだものになるところであった。いや、今なおそれを思い起こすのだ。おれもまた、けだものなのさ。


 呂尚は今、このしんという取るに足らぬ街で、家畜や人の捕らえた獣を肉に切り分ける仕事をしている。ここで屠殺するわけではないから、呂邦の屠肉場という陰口は不当なものであるわけであるが、人々がこの小屋に対して感じる不気味さから来たものであるから、正確でなくともよい。

 とにかく、彼が切り分ける肉は、人の口に入り、男が畑をする力を、女が子にやる乳を、子がやがてそうして人の営みをするための身体を作るものだ。

 おなじ、赤が流れている。それを目にするたび、ある部分で安心することができた。しかし、同時に、では、なぜ。という疑問がまた彼を襲った。


 ——王も、あの女も、おれも、誰も彼もひとたび皮を剥げば同じ肉をまとい、この赤い血を流すだけのものなのに。


 やはり、答えはない。



 彼は、暇を持て余している。こうして小屋で仕事をしている以外は、小屋の裏手の流れのもととなる黄河の支流に出かけて行って釣りをした。渭水であるとされるが、地理的な整合性の問題でここではそれを特定しない。彼が釣りをするのは、自分で口にするものは肉以外のものがよかったからである。


 あとは、彼を訪ねてくるわずかな人と、短く言葉を交わす程度。彼はその職業柄、あまり人に好まれてはいなかった。しかし、在所の中には彼の思考が意外にも深いことを知り、また、かつて宮仕えをしていたのだというような噂もあって、今はあの若者はああしているが、いずれ天下に名を成すべく隠れているのだと賛同的な見方をする者もいないではない。


「呂のあんちゃん。じつは、困ったことがあってな」

 と、釣りをしている彼に声をかける者があれば、呂尚は答えるでもなく首を水面からやや曲げる。

「うちの畑に菜を植えたんだが、妙な虫が付いてしまった。このままじゃ、せっかくの菜が台無しになっちまう。なにか、いい知恵はねえか」

瓢虫てんとうむしを放てばどうだろう」

 呂尚の言葉は、みじかい。

「なに?」

 男は虫のことで困っており、そこにまた虫を放てという呂尚の言うことがよく呑み込めない。


「瓢虫は、ほかの小さな虫を食う。あなたの畑に巣食う虫は、おそらくあなたが買ってきた苗にもともと付いていたもの。それならば、その虫を退治するため、それを食らう瓢虫を用いてみればいい。瓢虫は、ほかの虫を食うが菜は食わない。なに、五十匹も放てば、たちどころに効果が出るだろう」

 言葉がみじかいと言ったのを取り消す。はじめ端的に語り、説明を求められればそのことについて矢継ぎ早に言葉を継ぐのが彼の癖である。

「ただし、茶色の瓢虫はいけない。あれは、菜を食う。背中の斑点が多くても駄目だ。赤か黄色の甲羅のものがいい。それならば、まず間違いはない」

「よくわかった」

 こういう具合である。


 断っておくが、彼は孤独ではない。ただ、この時代のほかの一般的な青年と、ややものの見方や捉え方が違っているだけである。瓢虫のことは彼が釣りをしながら傍らの草で行われる生命の与奪のいとなみを眺めていて気付いたことで、彼は、そういう細かなことに目を向ける性質があった。

 孤独ではない証として、彼が一人暮らしではないことも付け加えておく。彼が営む肉の解体業はもともと在所の男が経営していて、流れ着いた彼がなんとなくそれを手伝いはじめたのだが、あるとき男が病を得、

「尚よ。俺は、お前をとても賢い男だと思っている。同時に、俺の息子だとも。だから、お前が欲しければ、この肉屋や俺にまつわる一切のものをくれてやりたいんだ」

 と言い残し、死んだ。

 呂尚は、男にそのように思われているというのが意外であったが、その言葉どおり店を引き継いだ。


 店や男にまつわる一切のもの、というのに、男の娘も含まれていた。それと、同居している。

「尚兄様」

 と娘は呂尚を呼び、身のまわりのことや呂尚が釣ってきた魚の調理をしてくれた。夜は呂尚は小屋で作業をするから、身辺に近付けることはなかった。

 いや、夜に作業をするのは在所の者への配慮であるとはじめに書いたが、ひとつには夜という独特の性質を持つが、自分ににんげんの営みをさせようとするのを恐れたのかもしれぬ。


 とにかく、彼は、賢者が世から隠れていずれ雄飛のときを待つだとか、人里離れた山中で修行を重ねて仙の域に達するだとか、そういうわけではなく、ただ、なぜ、という疑問と、それを常に巡回させてしまう困った思考と、それができる時間を持つだけであった。


 陽がだいぶ高くなり、呂尚はじぶんの影がみじかくなっていることを知った。これから帰り、飯を食らい、夜まで眠る。


 足音。それが誰のものなのか、呂尚は振り向かずとも分かっている。

「尚兄様、やっぱり、こちらでしたか」

「——もう、戻るよ」

 竿を引き上げ、わずかな小魚が入った篭を娘に渡す。覗き込み、娘は桃の花が開いたようにわらう。

「さ、帰りましょう、尚兄様」

 娘のあざなを、呂尚は口にして答えた。

「ああ、だつ

 この時代、女性の場合、姓をあとにあらわす。娘の父親は、といった。したがって、彼女のことを、こののち、妲己だっきとしてあらわす。

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