ボクシングの日


 ~ 五月十九日(木) ボクシングの日 ~

 ※赤手空拳せきしゅくうけん

  拳ひとつで戦う事。




 男性から女性だと、『暴力』。

 女性から男性だと、『スキンシップ』。


 ぽかぽか


 そんな、男女平等を阻害する価値観の正体は。

 日本に長いこと根付いているレディーファーストという文化。


 この巨大な応援旗を折らぬまま。

 ジェンダーフリーを訴える女性に目くじらを立てる人間もいるけれど。


 女性から男性だと、『スキンシップ』。


 俺は、この件について。

 しょうがないかと甘受。

 あるいは擁護したいと思っている。


 だって。


 ぽかぽか


「ひどい……。頑張って作ったのに……」

「長さに文句があったわけじゃねえからな?」


 昨日貰った、一メートルものコック帽を突っ返したら。

 倍の長さにしてきたおバカさん。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 二メートルものコック帽は。

 昼飯の時間、テーブルクロスとして役立たせてもらったわけなんだが。


 しかしそれにしても。


 栗色の髪の絶世の美女は。

 ここ最近、たくさん食べるようになったせいだろうか。


 頬辺りのシルエットがほんのり丸みを帯びて。

 涙まじりに俺をにらむ切れ長も、少し垂れて来たような気がする。


 まあ、そんな些細な変化があったところで。

 美女は美女。


 だから。


 ぽかぽか


「むーーー」


 かわいく膨れながら。

 ぽかぽか叩くこの行為を。


 暴力だと騒ぎ立て。

 止めてしまうなんてマネはしない。


 できることなら、いつまでも。

 ぽかぽかと叩いてくれれば……。


 いや?


 ちょっと痛くなってきたな。


「作るの、大変だったのに……」

「ウソをつくな。春姫ちゃんから生地代の請求書が回ってきてるぞ?」

「春姫に作ってもらうよう説得するのが大変だった……」

「バカ野郎」


 気持ちとしては。

 腕に食らい続けたスキンシップのお礼をしたいところではあるが。


 こうおバカでは仕方ない。

 俺はぽかぽかを止めるべく。

 秋乃にチョップを一つ入れると。


「こら! 暴力を振るうとは何事だ!」

「遅いぞおまわりさん。さあ、犯人に今すぐ罰を与えてくれ」

「では、黒板に書かれた慣用句を全部使って英文を作れ!」

「ははっ。ざまを見よ」

「何をぶつぶつ言っておるか! すぐ前へ出ろ、保坂!」

「ちょっと待てこら」


 お前ら世代のせいだからな、過剰な女性擁護。

 百対一でなぜ俺だけしょっ引かれる。


 でも、昨日散々口喧嘩した手前。

 これ以上何を言っても無駄だろうな。


 俺は、仕方なしとばかりにかぶりを振って立ち上がったんだが。


 進む足を、たったの三歩でぴたりと止めた。


「いくつ書いたんだよ慣用句!」


 ひのふのみ。

 軽く三十個はあるじゃねえか。


「それ全部使うって。寿限無みたいになるぞきっと」

「保坂ちゃん! 文句言わずに頑張ってくんのよん!」


 ぽか


 激励のつもりか、ただのあおりか。

 ちょうど席の真横で足を止めたからな。

 きけ子が腕を叩いてきたんだが。


「いてえぞなにしやがる」

「なによ応援してやったのに!」

「応援って力加減じゃねえだろうが」

「こんくらいでぐずぐずうるさいわね男のくせに」


 ほら、それが都合がいいというんだ。

 先生に続いて、お前も都合よく女子の特権使うか。


 さすがにムカッと来た俺だったが。

 そんな俺の曲がった背中を。


 ぽか


「あっは! 保坂ちゃん、頑張って!」


 バシッと叩いて伸ばしてくれたのは。

 王子くんだった。


「うん……。しょうがねえなあ、頑張るか」


 ぐずぐず言う暇があったら。

 進んで立ち向かった方が気持ちよかろう。


 俺は、胸がすっとした心地と共に一歩足を前に出し。



 ……その足が地に付く前に。

 首根っこを引っ張られたもんだからすってんころりん。


 転んだ痛みもさることながら。

 締った首がげーほげほ。


「苦しいわ! なにしやがる!」


 きけ子と王子くんの間より後ろにいるのは。

 姫くんと秋乃だけ。


 姫くんがこんなことするわけ無いから。

 消去法で秋乃が黒確定。


 俺は確固たる自信を持って振り返ると。

 そこには、ちょっと引っ張ったら大変なことになっちゃったと、申し訳なさそうにする犯人が……。


「いないねどこにも」


 そこには。

 俺の奥襟をつかんだまま。


 難しい顔をして悩む秋乃の姿があった。


「ちょっと、確認……」

「おいこら。奥襟は掴んでていい時間が決まってるんだぞ?」


 あれ? それは男子柔道だけのルールだっけ。

 こんなとこにも男女不平等かよ。


 短時間で何度も不条理を押しつけられつつ。

 俺が連れていかれた先は。


 学園の人気投票で常に上位にいる。

 鈴村さんの席だった。


「え? 秋乃ちゃん、これをどうしたらいいの?」

「これとはなんだ」

「お、応援して……。叩いて送り出して欲しい……」


 なんのことかと首をひねる二人をよそに。

 秋乃は、俺の背中を鈴村さんに向ける。


 ぽか


「これでいいの?」

「お、応援メッセージも」

「…………まあ、頑張んなさいな」

「意味分からんが、応援されるのはいいもんだな」

「い、良いものだった?」

「うん。……いててててて!」


 そして間髪入れずに。

 連れていかれた先には委員長。


 こういう遊びが嫌いなタイプだからな。

 ほうら、想像通りに眉根が寄ってら。


「い、委員長も……」

「面倒だけど、秋乃ちゃんの頼みじゃしょうがないわね。……えい」


 ぽか


「いてえよ。ちょっとは加減しろ」


 そして委員長とお互いにアッカンベーしたところで。

 秋乃はやっと俺を開放すると。


 みんなに向かって声をあげたのだった。


「た、立哉君が悪いと思う人……」

「はあ!? お前がぽこぽこ殴って来たの我慢してやったのに、たった一発やり返した俺が悪いなんて思うやつがいるわけな満場一致だと!?」


 手をあげてる全員の目が。

 なにやら怒りに燃えている。


 これ、俺が秋乃を叩いた話じゃねえっぽいけど。

 一体何でみんな怒ってるんだ?


 多分、クラスの中で理解していないのは本人だけ。

 そんな俺に、秋乃は沙汰を下したのだった。


「た、立哉君の将来の仕事……。ボクサー」

「うはははははははははははは!!! そこまで殴られ強くねえ!」


 そして、さっきより口を尖らせて。

 板書する俺をぽかぽかし続けるあきのを背中に感じながら。


 俺がもし世界チャンピオンになったとして。

 秋乃が挑戦者として名乗りをあげたら。


 無条件でベルトをあげることになるんだろうなと。

 そんなことを考え続けていた。



「……いてえぞ、秋乃」

「むううううううう!!!」

「いてててててててて! なぜ火力が上がるんだ!?」

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