第4章 神の思惑(8)

8

 青氷竜アクエリアスは西へと疾駆した。


 やがて、国境の山脈が見えてきた。

 夏の初めのこの時期は眼下に広がる緑色の木々の絨毯が美しい。そしてそれが続いた先にそびえ立つ山脈の稜線りょうせんにかかる白銀と山肌の青が織りなす景色はこの季節の醍醐味である。

 やがて、この緑の絨毯は赤く染まり、姿を変える。何百年見てきても、こういう自然の造形は見飽きぬものである。


 そのような情景を楽しんでいるうちに、目的の地へと近づいてきた。

 そのうち彼女もやってくるだろう――。


 アクエリアスは高度を下げて、着陸態勢に入り、目指すものを視認すると急減速して、形態を変える。一度素粒子化して、周りの自然を踏み壊さぬように気を配り、地面に到達すると、普段の姿へと変化する。


 彼の目の前には、目的の小屋がある。

 それは小さな山小屋で、遠い昔二人で力を合わせて建てた質素な小屋だった。

 今となっては、つたが覆い、周りの森の草木に溶け込んでしまったが、朽ちては修復を繰り返し、今だ当時の状態を保ち続けている。

 このような場所まで人類はやってはこない。未だ空を飛べない彼らには到達できない場所なのだ。


 小屋の扉を開けると、ふわりと懐かしい香りが鼻腔びくうをくすぐる。何度いでも懐かしく感じる不思議な香りだ。とくにいい匂いというわけではないが、しばらく留守にしていた我が家へ帰ったときのようなそんな香りだ。


(ただいま……。さて、彼女が帰ってくるまでに、食事の支度したくでもしようかな――)


 なにせ、久しぶりの再会である。

 アクエリアスの心は待ち遠しさと懐かしさでいっぱいになっていた。


――――――


 やがて、食事の支度が終わりかけたころ、小屋の玄関の扉がすうっと開き、愛しい香りがそこから吹き込んできた。

 アクエリアスは振り返り、その姿を確認すると、もう待ちきれなくなって駆け出していた。


「ケラヴナシス! 会いたかったよ!」


 腰まである長い銀髪、透き通るような白い肌、切れ長の目、これも銀色の長いまつげ、薄い眉――。


 年齢のころは、20代前半にしか見えないその容姿は、素晴らしく洗練された美しい女性である。

 

 彼女もアクエリアスの顔を見てぱあっと表情を輝かせて、駆け寄ってくる愛する者を受け止めた――。


――――――


「ケラヴナシス、僕たちの計画はうまくいっていると思う?」

 アクエリアスは、彼の腕の上に横たわるケラヴナシスの頬を撫でながら聞いた。

 

 ケラヴナシスはされるがままにしながら、

「大丈夫よ、ここまではうまくいっているわ。でもね、東の国で私たちが知らないことが起き始めているの」

と返す。


「もしかしてそれって、メイシュトリンドの黒い悪魔のことかな?」


「そうね。私たちが見てきたこれまでの人類の技術では、鋼鉄製の装備が限界だったはずよ。おそらく、この世界において、それ以上の強度をもつ素材は誕生しえないと私は考えていたの。でも、人類はそれを成し遂げてしまった――」

ケラヴナシスは、やや表情を硬くして考え込んでいる様子だった。


「僕が思うに、人類の行動力というのは、ことに寿命が短い方が強いように思うね。エルフ族やドワーフ族などの亜精霊種のような比較的寿命の長いものは、好奇心や探求心は強く持っていて、その寿命を生かし長い時間をかけて研鑽けんさんを積み重ねる傾向にあるけど、人族にはそんな時間はないんだ。だから、その短い時間の中である程度結果を出さないとならないと考える傾向が強い。結果、迅速な行動力が求められるというわけだ――」

 そう言ったあたりで、こらえきれなくなったアクエリアスは、ケラヴナシスの薄い唇に自身の唇を重ねる。しばらくその感触に酔いしれたあと、名残惜しそうに離れると先を続けた。

「この二つの個性が交じり合うとき、人類は飛躍的な進化や発展を遂げるのかもしれないね。寿命の短い人族はその精神を次世代へと受けいでつむいでゆき、それはだいるごとにより強く確かなものに変わってゆく。そこに長い時間をかけて研鑽けんさんを重ねることができる種族の知識と技術が合わさることで、ときに新たな技術の発見が生まれるんだろう、そうして文明はさらに進むことになる」


 ケラヴナシスは、アクエリアスの胸に顔をうずめ、彼の愛しい香りに包まれながら、

「それにしても、私たち四聖竜が人類に干渉するようになってからまだ数年しかたっていないというのに、もうその成果をだしてしまうなんて、さすがにちょっと、予想以上だったわ。でもこの調子なら、思ってたよりも早く成し遂げられるかもしれないわね――」

とつぶやいた。


「ああ、そうしたら僕たちにも、静かな暮らしが待ってるからね――。僕はもう待ちきれないよ、ケラヴナシス――」


 アクエリアスは、そう言って体を起こすとケラヴナシスの上へと体を重ねていった――。



 


 

 

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