わたし、竜王陛下の贄でしたよね?~冷たいはずの竜王陛下に、何故か溺愛されています~

風音紫杏

第1話

(わたし…贄、なのですよね?)


 そう。

 わたしは、竜王陛下の贄としてここに送られたのです。


 ですが。


 その竜王陛下の宮殿で、何人かの侍女の方たちが、ニコニコとした笑みを浮かべてわたしの着換えのお世話をして下さっているというこの状況。

 

 わたしは何がどうなっているのか分からず、ただただ彼女たちの着せ替え人形と化していました――


**********


 わたし、凛苓りんれいは、この国、焌燕しゅんえんの第一皇女です。……名目上、は。


 わたしの母は、今の皇后陛下ではありません。――わたしの母であり前皇后は、わたしが生まれて間もなく、病気で亡くなってしまわれました。


 ですから、皇后陛下からすれば、わたしの存在は目障りでしかありません。


 その上、わたしの瞳の色は、左右で異なっているのです。


 そのためわたしは、不運をまき散らす忌子とされ、表向きは病弱と公表して、離宮に幽閉されて暮らしておりました。


 罵倒や折檻は日常茶飯事でしたし、食事を抜かれることも、週に一度や二度ではありません。


 そんなわたしが、竜神さまの贄として捨てられたことは、ある意味必然だったのかもしれません。


 ――そう。この国には、「花嫁の儀」という名の催事がございます。

 なんでも、初代皇帝陛下であらせる太陽神の御子が、竜神を味方につけてこの国を建国されたことが関係しているのだとか。


 初代皇帝陛下はそのことに深く感謝され、ご自身の妹御を花嫁としてその竜神へと嫁がせたという神話から、百年に一度、皇族の公主ひめを竜へ嫁がせる――贄として献上する催事ができたとのこと。


 わたしのことを邪魔に思っている皇后陛下からすれば、とても都合の良い催事です。


 大義名分を振りかざして、堂々とわたしのことを始末できるのですから。


 今まで、何故わたしをさっさと殺さないのか、不思議に思っていたのですが……恐らく、この催事が来るのを待っていたのでしょう、ね。


 わたし一人死んだところで病死と発表すれば済むことなのですが……きっと皇后陛下は、わたしが苦しみ抜くことを望まれたのでしょうから。


 竜神さまの花嫁と言えば、名誉なことかもしれません。ですが、戻って来た公主など、当然ですがいる筈もありません。


 きっと、何らかの形で死ぬことになるのでしょう、ね。


 わたしも、それを知っていました。


 知りながら、花嫁となることを承諾しました。


 わたしは、そのために生かされてきたの、ですから。


 この話を断れば、わたしは何の意味もなく、何らかの理由をつけられて死ぬのでしょう。

 それならば……せめて。せめて、何か“役目”が欲しかった。


 誰かのため。この国のために死にたいだなんて、綺麗な理由ではありません。


 ……あさましい、願望のためです。


 ですから、


 「お前は忌子の身でありながら、この国の役に立って死ぬことができるのです。光栄に思いなさい」


 との、国を出るときに皇后陛下からかけられたお言葉にも、迷うことなく頷きました。

 ――そう。こんなわたしが、国を守る“役目”を頂けるなんて、とても光栄なことなのですから。


 そう、思って。


 花嫁衣装である真紅の襦裙じゅくんを身に纏って、わたしは初めて、生まれ育った離宮を去りました。


 竜王陛下、翠月すいげつさまへ、嫁ぐために。


 わたし付きの侍女などいる筈もなく、身一つで。


 その後、神殿で不思議な魔法をかけていただいて、気がつけば竜国の祭壇の上でした。


 その場にいらっしゃった方々は、皆うつくしい顔かたちをしていらっしゃいましたし、神聖で澄んだ空気を醸し出されていました。


 きっとこの国でも、醜い忌子のわたしは厭われ、早々に殺されるのだと。そう、思いました。


 ですが……





 「「「か、可愛いいいいいい!!!」」」


 わたしのことを認識された皆さまは、開口一番、そう叫ばれました。


 それにしれも、可愛い、とはどなたのことを指していらっしゃるのでしょう?

 もしや、わたしがこちらに来ると同時に、たまたま傍にいた動物でも連れてきてしまったのでしょうか?


 わたしが一人混乱していると、皆さまはわたしに駆け寄り、口々にお言葉をかけて下さいました。


 「何この瞳!とっても綺麗だし、大きくてクリクリしていて、可愛い!」


 「え?ちょっとアナタ、細すぎない?もっと食べなきゃ!」


 「ヒトとはこんなに小さいのか?何やら抱擁したいような……」


 「ちょっと陛下!ヒトの女性なんか娶るのはごめんだっておっしゃってましたよね!今さらそれはないですよ!」


 「ぐっ、しかし、ここまで可愛らしいとは聞いておらぬぞ!?」


 ああだこうだと言い争う皆さま方に付いて行けず、呆然としてしまいます。


 だって、可愛らしいだなんて……初めて、言われました。


 わたしは不幸をまき散らす忌子で、誰からも嫌われる醜い存在で、誰の役にも立たない贄になるためだけに生まれてきた子で――


 ふわり。


 ひとり混乱していれば、突如として浮遊感を感じました。


 抱き上げられたのだと気づいたときにはもう、わたしを抱き上げた方――先ほど、わたしを抱きしめたいなどと申されたお方です――のお顔が目の前にありました。


 上から下にかけて、紺色から露草色へと徐々に変化してゆく長い髪が、パラリと垂れ下がります。


 その方は、整った凛々しいお顔をそっとわたしへ近づけて、そっと囁きました。


 「……大丈夫、か?」


 心から心配しているような表情に困惑し、とりあえず、必死でコクコクと頷きます。


 良かったと呟きながら、竜王陛下と呼ばれたその方は破顔されました。


 こういったものに慣れていないわたしからすれば、破壊力がすごいです。

 声が詰まって、何も言えなくなってしまいます。


 それに、やたらと頬が熱いのです。


 わたしは、どうしてしまったのでしょう。


 おろしてくださいと言う機会を失くしたわたしは、竜王陛下に抱えられたまま、別室へと運ばれました。


**********


 別室に着けば、すぐさま長椅子へとおろされました。おろされたのですが。

 何故かその後、陛下の膝の上に座らされました。


 驚いて、許可を受けることなく声を発してしまいます。


 「あ、あの。陛下」


 「何だ?我が妃よ」


 「き、きさっ…あ、の。重いので、おろしてはいただけませんか…?」


 いきなり妃だと言われたことに、またもや驚きましたが、なんとか本題を口にすることができました。  


 できたのですが。


 「却下だ。それに其方は重くなどない、逆だ。軽すぎるぞ?今にも飛んで行ってしまいそうだ」


 飛んでいかぬよう、捕まえておかねばな、なんて言葉とともに、するりと腰に手を回され、動けなくなってしまいました。

 ど、どうするのが正解なのでしょうか。



 「凛苓さま、お待たせいたしました」


 先ほど、わたしの瞳を可愛らしいと言って下さった女性が、薄桃色をしたお茶を淹れて下さいます。

 正直、とてもいたたまれなかったので、少し気持ちがほぐれました。


 ですが、陛下には良いのでしょうか?


 いえ、確かに陛下の分は用意されていますけど、この場合、わたしではなく陛下にお茶をお持ちしたと言わなくてはならないのではないでしょうか?


 ですが、どうやら杞憂だったようで、陛下は何もおっしゃることなく茶杯に手を伸ばされます。


 わたしもおずおずと茶杯を受け取り、薄桃色の液体を一口、口に含みました。


 ふわり、と、みずみずしい桃の香りに続いて、華やかな薔薇の香りが広がります。

 思わずまじまじと茶杯を見つめていれば、クスリという笑い声が降ってきました。


 ……恥ずかしいです。


 穴があったら入りたい気分ですが、陛下がわたしの腰を抱いていらっしゃるので、そうもいきません。


 もう一杯注いで頂いたお茶に口をつけていれば、陛下が真面目な顔をしてわたしの顔を覗き込みました。


 初めて見る陛下のそんな表情に首をかしげれば、陛下はふっと息を吐き、口を開きます。


 「単刀直入に聞こう。何故其方は、余の元へ寄越されたのだ?」


 ビクッと、身体が震えます。


 まさか、わたしが邪魔だったから、贄として送られただなんて、言える筈がありません。

 黙っていれば、陛下は表情を緩め、優しくこう言って下さいました。


 「なに、余も其方が望んでここへ来たわけではないことなど分かっている。その上で、問うているのだ。……其方はどのような経緯でここへ送られたのかを」


 どうやら、どこまでもお見通しだったようです。


 それなら。隠すことは何もない、と。

 そう思ったわたしは、焌燕でのことを洗いざらいお話ししました。


 母である前皇后は、もう亡くなっていること。

 皇后さまがわたしを厭うて、離宮に閉じ込められて育ったこと。

 この、不吉だとされる瞳のこと。


 そして……それらの理由から、ここへ連れてこられたこと。


 改めて並べると、我が国を守護して下さっている陛下に対する忠誠心も何もございません。


 案の定、陛下のお顔を拝見すると、翠の瞳からは、怒気が見え隠れしており、真っ赤に燃えているように見えました。


 「も、申し訳ございませんっ!わたしのことは如何様に扱われようが甘んじて受け入れます。ですが……どうか、祖国の者だけはっ、どうか……」


 必死で、そう申し上げれば。

 陛下は、わたしの向きをくるりと変えて――抱きしめたのです。


 「え?へ、へい、か?」


 混乱して上を見上げれば、陛下は笑みを浮かべています。

 どういう、ことなのでしょう。


 混乱するわたしをあやすような口ぶりで、陛下はこう語られました。


 「安心しろ。余はお前に怒っているわけではないし、焌燕の民に対して腹を立てているわけでもない」


 では、何に怒っているのですかと、問う前に、陛下はだが、と、怒りを含んだ声をあげられます。


 「其方を虐げ、あまつさえ簡単に放り出した者たちは、何があろうと赦さない」


 形の良い眉を吊り上げ、憎々しげにそう吐き捨てる陛下はとても怖くて――格好いい。

 思わずドキッとしてしまったことに、わたしが一番驚いていました。


**********


 わたしが竜国へ来てから一週間が経ちました。


 ここでは毎日、食事を三回も取っています。


 今まで、一日一食が当たり前だったので驚きましたが、そのことを陛下たちにお話しすると絶句されるか泣かれるか怒られるかされたので、それ以来は誰にも言っていません。


 ですがそのおかげで、貧相だった身体も大分ふっくらとしてきました。


 それも、陛下をはじめとした皆さまのおかげです。


 実を言うと……食事をするのは、陛下と一緒に、です。


 最初は恐れ多いからと遠慮したのですが、陛下が、「其方は余の妃だ。食卓を共に囲むことに何ら不思議なことはあるか?」とおっしゃられたため、今は大人しく従っています。


 三日ほど前からは、お、お膝に乗せて、わたしに食事を…た、た…食べさせて下さるようになりました。


 とても恥ずかしいのですが、陛下が蕩けるような笑みを浮かべていらっしゃるので、つい、口を開けてしまうのです。


 わたしたちが食事をしているとき、お部屋には誰も入ってきません。


 わたしが細すぎると心配して下さった女性曰く、部屋に入ると砂糖を吐いてしまう結界が張られていて、誰も入ることができないのだとか。


 食事を終えた後は、お城の庭園を散策しました。


 さまざまな季節のお花が一斉に咲いている庭園はとても素敵な場所で、疲れたときに休める東屋もあります。


 最近は、そちらで陛下とお茶会をすることもあります。


 庭園を散策するとき、陛下は必ず、わたしと手を繋ぐのです。指を絡めるようにして握られた手はとてもあたたかくて、安心します。


 忌子のわたしが、こんなに幸せになっていいのでしょうか。


 そんなことを考えてしまうほど、わたしは幸せでした。

 幸せだったのです。


 ――この後に起こる出来事も知っていれば、わたしはこんな風に笑うことはできなかったでしょう。


**********


 陛下は公務があるということで、わたしの自惚れでなければ、名残惜しそうなお顔をしてご自身の執務室へと向かわれました。


 天気が良かったので、わたしはこの国でわたしに付けられた侍女の方々と外でお茶を飲むことにしました。


 ほのかに林檎の香りのするお茶を楽しんでいれば、不意に空が暗い色の雲に覆われました。


 慌てて建物の中に避難しようとしたとき、凄まじい音を立てて、雷が落ち、て。


 それを最後に、雲は左右へと引いていき、元の青空が見えましたが、そのときのわたしは、そんなもの は目に入りませんでした。


 わたしの目の前には……焌燕の皇帝陛下と、皇后陛下。そして、皇后陛下がまだ側妃であらせられたころに誕生した、義兄あに君――東宮に、皇后陛下がその座に就いてから生まれた義妹いもうとがいらっしゃいました。


 どうして、この人たちがここにいるのでしょう。


 わたしを捨てたこと人たちが、な、ぜ。


「どう、して……?」


 思わず、考えていたことが零れました。


 ふと気が付けば、わたしの周りを侍女の方たちが守るように囲んでいます。


 皆さまの優しさに、一瞬だけ胸があたたまったのも束の間、皇帝陛下に、鋭い目つきで睨まれました。


 条件反射で、ビクッと震えてしまいます。


 「おい、忌子、これはどういうことだ!?お前は我が一族を反映させるための贄だろう!?何故、たった七日で我らの評判がここまで落ちるのだ!」


 え?


 わたしは、何も知らない。


 そう伝えようとした言葉は、皇后陛下の怒声によって、あっけなくしぼんでしまいます。


 「何をやっているのよ!アンタみたいな忌子でも、役に立たせてやろうと言ったのに、まんまと裏切ったわね!あの泥棒猫の娘なんか、さっさと殺してしまえばよかった!」


 違う。


 お母さまは、そんな方ではない。


 離宮の書庫には、焌燕の歴史書があったけれど、どの本にもお母さまを悪く書いた本はなかった。


 お母さまは、民のことを第一に考えて行動する、素晴らしい皇后だったと、お母さまを褒め称えるものばかりだった。


 たとえ、娘のわたしがこんな忌子だとしても、お母さまを悪く言うのだけは、許さない。


 「お母さまを悪く言わないで下さい!」


 初めて。


 皇后陛下に言い返しました。


 皇后陛下はわたしが言い返すとは思わなかったのか、しばらくは呆然としていらっしゃいました。


 ですが、時間が経つにつれ、その病的なほど白い肌が朱に染まってゆきます。


 そして皇后陛下は、手に持っていた扇を握りしめて、その腕を高く振り上げました。



 パンッッ!




 あっと思ったときにはもう遅く、わたしは力まかせに頬を叩かれていました。

 じくじくとした痛みが、頬へ広がります。


 叩かれたときの勢いで、体の均等を崩してふらついてしまい、倒れると思ったとき。


 わたしの体は、逞しい腕によって支えられていました。

 続いて、爽やかな香りが鼻孔をくすぐります。


 「遅くなって、すまなかった」


 苦しそうな声で、謝罪を口にしたのは。


 「陛下…」


 ふるふると首を振り、自分から陛下に抱き着きました。


 ぎゅっと抱きしめ返して下さる陛下の存在に、心底安心します。


 少しの間そうしていたのですが、流石に羞恥が湧いてきたため、そっと陛下から離れようとしました、が。


 すると陛下は、そっと私の前に屈んで、叩かれて赤くなってしまった私の頬に、軽く口づけたのです。


 途端に、頬の赤さなど問題にならないほど、わたしの顔は真っ赤に染まります。


 ですが同時に、頬の痛みが引いたことを感じました。


 「治癒の異能を使ったのだが、痛みは大丈夫か?」


 少し不安そうな表情でそうおっしゃる陛下に、わたしは笑みを浮かべて頷きました。


 そんなわたしたちを見る皆さまの目が、何だか生ぬるいです。



 「ちょっと、何アタクシたちを差し置いてイチャイチャしてんのよ!」


 ああ、四名ほどいらっしゃいましたね、この空気に着いて行けていない方々が。

 義妹の金切り声で、そう思い出しました。

 ですが…


 「黙れ」


 陛下が強い殺気を出して、一言で一蹴されました。

 なおも食い下がる四人に、陛下は睨みをきかせてこう申されました。


 「何だ?これ以上罪状を増やされたいのか?」


 その言葉に、四人は大げさなほど体を震わせます。


 それでも、皇帝陛下は冷や汗を流しながらも言葉を口にしました。


 「ざ、罪状でございましょうか…たたた、確かにわたくし共は、無礼を承知で忌子を竜王陛下へ送りつけましたし、無断で竜王陛下の敷地内へ侵入致しましたが、それ以外の罪状は……ヒイッッ」


 それだけで、罪状としては十分だと思うのですが……


 案の定、今までとは比べ物にならないほど恐ろしい殺気を放ち、皇帝陛下の話を遮った竜王陛下は、殺気を徐々に強めながらこう申されます。


 「ほう?我が妃を不当に虐げたことは罪ではない、とな」


 え、そこですか?


 「は?今、何と申されましたか?」


 ポカンとした面持ちで、皇帝陛下は、自身よりも頭一つ分高いところにある竜王陛下のお顔をまじまじと見つめています。


 そしてそのままの表情で、こう言ったのです。


 「あの忌子を、躾けてはいけない、と?貴方様は、あの忌子を送られたことに怒りを感じては、いらっしゃらないの、ですか?」



 ……そう、ですよね。


 所詮、わたしは忌子。

 皆から、厭われた者、なのです。



 ポロリ。


 どう、したのでしょう。

 こんなこと、日常だったはずなのに、涙、が。どんどん溢れ、て……



 ダンッッ!


 気が付けば、わたしはまた陛下の腕の中にいました。


 ふと後ろを振り返れば、皇帝陛下がお城の壁にぶつかって、目を回している姿がありました。

 他の三人も、顔を真っ青に染めています。


 あまりに驚いたためか、涙もすっかり止まっていました。


 そんなわたしを見かねてか、陛下はくるりと後ろを向いているわたしを自分の方に向けて。


 「大丈夫。大丈夫だ」


 そう口にしながら、幼子おさなごをあやすように、わたしの背中を撫でて下さいました。


 そう、わたしを慰めながらも、彼ら四人を捕らえて牢へと連れていくよう、指示を飛ばしていらっしゃるあたり、優秀な方だと思います。


 そして、少し休むといいと口にされて、わたしを侍女の方々に託して行ってしまわれました。


 侍女の方たちは、皆親身になって慰めて下さいました。

 自分たちでわたしを守ることができず、申し訳なかったとも言っていました。


 そんな彼女たちに付き添われて、わたしは自室へと戻りました。


**********


 「入るぞ」


 その短い言葉とともに、部屋の扉が叩かれます。

 どうぞ、と軽く返事をすれば、陛下が部屋へ入ってこられます。

 そして、長椅子へ腰掛けると、ポンポンと自身の膝の上を叩かれました。


 膝に乗れ、という合図です。


 おずおずと膝の上に座ると、力強く抱きしめられました。

 そして、いつもより少しだけ弱弱しい声色で、こう呟かれました。


 「今日は、すまなかった」


 「陛下のせいでは、ありませんから…むしろ、本当にわたしがここにいても、良いのでしょうか」


 ずっと、疑問に思っていました。


 わたしは、陛下のおそばにいて、良いのでしょうか、と。



 そう思うのに、望んでしまったのです。


 わたしは、この方の隣にいたいと。

 この方と共に、歩んでいきたい、と。


 そんな、分相応な願いを。


 無理やり笑顔を作って、振り向こうとしました。


 そう、すれば。




 何か、あたたかいものが、わたしのく、ち…唇に、ふれ、て。

 気が付けば、大きな、へい、かのて、手が、後頭部に回って、固定され、て。

 もう、片方の腕が腰に回って、動けなく、なって……


 わたしは……し、しばらくの間、陛下からの接吻を、受け止めて、いま、し、た。


 長い口づけが終わったとき、わたしの顔は首筋まで真っ赤に染まってしまいました。


 陛下の方を見上げれば、なんでもないというような涼やかな表情をされていました。ちょっとズルいです……と思った矢先、彼の耳の先がほんのりと赤く染まっているのを見つけて、少しだけ勝った気になりました。


 そんなわたしを腕の中に閉じ込めて、陛下はポツリと、こうおっしゃいました。


 「余は、其方が良いのだ。他の誰でもない、其方が」


 トクンと、胸が甘く高鳴ります。


 「其方は、虐げられて当然という環境で育ってきたのだから無理もないが…其方は、虐げられて当然などではない」


 その、ひと言で。


 わたしは、何かが入るべき場所にストンと落ちるような心地にさせられました。


「それに醜いなどと…その濃紫こいむらさき金糸雀カナリア色の瞳はまるで夜空と夜空に浮かぶ月のようで美しいし、漆黒の髪は絹糸のようにサラサラとしていて愛らしいし、肌は陶器のようになめらかで――」


 「わ、分かりましたから!も、もうお止めくださいませ!」


 どうしましょう、顔の熱が引いてくれるようすがないのですが……それを、心地よく思っている自分がいます。


 赤く染まりっぱなしの顔を隠すように陛下の胸元へ顔をうずめれば、そこに陛下がそっと顔を近づけてきます。


 そして、この部屋にはわたしたち二人しかいませんのに、わたしの耳元でこう囁いたのです。


 「凛苓、愛している」


 「っっ!?」


 思わず、バッと顔を上げました。


 照れたように笑う陛下は、そんな表情ですらとても美しいです。


 「今まで、余の花嫁として送られてきた者たちは、皆一様に怯えており、かと思えば直ぐに尊大な態度をとるようになると、とてもではないが妃に迎え入れることのできる器ではなかった。送り返すわけにもいかなかったゆえ、余が選んだ者へ下賜するか、宮殿を与えてある程度広い敷地で過ごさせるかしていた。…その内、余は初代竜王のように、一生添い遂げることができる相手を見つけることを諦めた。――そんなときだった。其方が、送られてきたのは」


 陛下は言葉を切り、ふっと眦まなじりを緩めてわたしを見つめました。


 「祭壇に現れた其方は、精霊と見紛うばかりに美しく、可愛らしかった…おそらく、一目惚れと言うのだろうな。それから、共に過ごすうちに愛おしさが増した」



 ――こんなに幸せで、良いのでしょうか。


 数時間前に感じていた“幸せ”よりもずっと大きな“幸せ”です。

 あまりに幸せで、涙が出てきてしまいます。


 その雫を慌てた様子で拭って下さる陛下に、笑みを浮かべて首を振り、大丈夫だと伝えます。


 ……陛下は、陛下のお気持ちを吐露して下さいました。


 ですから、今度はわたしが精一杯、わたしの気持ちを陛下へ伝える番。


 息を吸って、吐いて。


 また吸って、言葉に気持ちを乗せて、伝えます。


 「……陛下。わたしも、陛下のことが、す、す…好きです!お慕いしております」


 言えた……!


 思わずほっと息をつくと、今までで一番強く抱きしめられます。

 少しだけ苦しいのですが、それ以上の多幸感で満たされてゆくのを感じます。


 「……あ、の。陛下」


 「翠月と呼べ、凛苓」


 「そ、の。翠月さま」


 「何だ?」


 「焌燕は、これからどうなるのでしょう?」


 皇族の直系であるあの四人は、現在竜国に収容されています。

 あの四人の評判は下がっていたとはいえ、これからあの国がどうなるのかは気になります。


 「そのことなら、安心しろ。余の信頼する臣下に、皇帝の代理を務めさせるつもりだ。その内、我らの子の一人に皇位を継がせればよかろう」


 「こ、子…です、か」


 収まりかけていた熱が再び顔に集まるのを感じます。

 しかも、子の一人、ということは…


 そんなわたしを追い詰めるように、翠月さまは口角を上げながらこうおっしゃりました。


 「ああ、それならば、子作りは早い方が良いな。早速始めよう」


 「へ!?あの、その、ちょ、ま」


 なすすべもなく、ふわりと横抱きにされてしまいました。

 パチリ、と、熱を孕んだ翠月さまの瞳と、目が合いました。

 胸の鼓動がどんどん早くなって、気がつけば寝台の上におろされていました。


 そして、とんっと、軽く押し倒されます。


 ――怖くないかと聞かれれば、正直、怖いです。

 でも、嫌かと聞かれれば――否。


 ゆっくりと、陛下の顔が近づいてきます。


 それに合わせてわたしも目を閉じて――そっと、わたしと陛下の唇が重なりました。



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わたし、竜王陛下の贄でしたよね?~冷たいはずの竜王陛下に、何故か溺愛されています~ 風音紫杏 @siberiannhasuki-

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