第6話 帰り道で

 器用貧乏だね、と言われたことがある。これは、一般的に褒め言葉ではない。目立つところがない、地味だという意味がどうしても強いからだ。

 最近の社会では専門家スペシャリストよりも万能家ジェネラリストが求められるらしいが、そんなの高校1年生の世間体にはあまり関係のないことだ。

 それにそもそも俺は器用ではない。少し人とは変わった事情により、多少楽をして生きているだけだ。嫌いなものも苦手なことも多い。


「前坂くん、今日のテスト、どうでした?」

「かなり難しかったですね。初っ端からここまで難しいものが来るとは思いませんでした」

「それはそうですね。でも、その様子だと前坂くんは上手くいったんでしょう?」

「まあ、俺はそうですね。でも、これだとちょっと心配だな」


 俺は天音のことを考えていた。しっかりと教えたはずだが、結局は付け焼刃でしかない。


「遠野くんのことですか?」

「いえ、違います。あいつはどうなろうと構いませんが。天音は」

「あまね?A組の夕凪ゆうなぎ天音あまねさんですか?」

「そうです。幼馴染なので勉強を教えていたんですが」

 

 へえ、とこちらを見る篠川さんの目は少し怖かった。


「…まあ、夕凪さんが勉強が苦手だと知れただけでも良しとしましょうか」

「ちょっと、言い方良くないですよ?」

「それはそうと、楽しみですね。あなたのお家にお邪魔するの」


 やっぱり篠川さんは怒っているようだった。


「楽しみなら、そんなに怖い顔しないでくださいよ。そうだ、篠川さんの好みを知りたいんですが、饅頭は何味が好きですか?」

「お饅頭、ですか?今から買いに行くんですか?」

「はい」


 好みを直接聞くのは若干無粋な気もするが、アレルギーなんかがあった時には死ぬほど気まずくなってしまう。それだけは避けたかった。


「ふふ、それならいっしょに買いに行きましょう」

「え?いいですよ。面倒でしょう?」

「そんなことありませんよ。良いじゃないですか、デートみたいで」


 ・・・最初からだが、篠川さんは、言葉の距離感がおかしい気がする。時々予想外の方向から距離を詰めてくるので、不意を突かれて困ってしまう。


「そんな言い方したら誤解されてしまいますよ。篠川さんはそういうの気にしないんですか?」

「気にはしますよ。ですけど――、いえ、確かにそうですね。これぐらいにしておきましょうか」

「その方がいいかと」


 ようやく彼女も、周りの人の視線に気づいたようだ。少し顔を赤らめながら、下を向く。

 俺に関して言えば、彼女に向けられるものとはまた別の、類の視線が向けられていた。見世物じゃない、と口では言えるが、人間の興味はそんなもので押さえられるものではない。慣れるまでは当分知らんぷりをするしかないだろう。


「すいませんね。変に目立ってしまって」

「どうして謝るんです」

「それは、前坂くんはあまり目立つことをしたくないような方だと。違いましたか」


 こちらをチラチラと見ながら、彼女は俺の歩幅に遅れないように付いてくる。


「そうですね。なんて贅沢な悩みなんでしょうね」

「…怒ってますか?」

「いえいえ、そんな。篠川さんがあまりにも優しいので、揶揄ってみただけですよ。すいませんね、でも今回のことはこれでチャラってことで」


 校門を抜けるまでひそひそと二人で話をする。それも存分楽しかった。

 篠川さんは思っていたより感情を表に出してくれる。いや演技なのかもしれないが、それでも俺の下らない日常が、若干色づいていくのが、感じ取れた。




「――それで、ええ、私はこし餡と抹茶でお願いします」

「――毎度あり。」


 結局、好みの味は教えてくれなかった。


『私、あまり好き嫌いがないんですよね。――ええ、確かに今回みたいなときは困りますが、それでもできるだけ多くのものを美味しく感じることができる方が、お得じゃないですか』


 正直、驚いた。俺の中で、彼女のお金持ちのイメージが出来上がっていたからだろう。彼女の口から、『お得』なんて言葉が出てくることに、新鮮味を感じた。


「ねえ、前坂くん、やっぱり自分の分は払います」

「いやいや、もともと俺の家で出すものの予定でしたし、気にせず気にせず」


 細かいところを気にするのは律儀なところだなあと思う。まあ、確かに自分が選んだものを他人に買ってもらうって、なんだか変な気分だとは思うが。


「前坂くんって優しいんですね」

「そうですか?あまり言われないですが」

「それは、知られていないだけですよ」


 優しい、俺のことをそう評価する人は少ない。当然だ、俺は友達が少ないし、そもそも人に優しくない。そう、あくまで中立的だ。ただ、そういうスタンスで生きているわけではない。生き方を貫くほどの覚悟を持って生きてはいないからだ。


 つまり、篠川さんは特別だ。彼女は色んな意味で変わっていて、それでいて、よく俺に話しかけてくれる。俺みたいな、あまり面白味のない人間に話しかけることにはそれなりの労力が伴うだろう。それの恩返しをしたいという気持ちで、彼女と話したいと思っているから、彼女には俺が『優しく』見えているだけなのだろう。

 ま、要するにこれは人によって対応が違うというある種最悪な人種――。


「でも、前坂くんってオンオフありそうですよね?」

「え?」

「いや、優しすぎて、ちょっと怖いんですよ。裏表とか、ないんですか?」


 かなり直球な質問が飛んできた。結論から言うとオンオフも裏表もないのだが、それに近しいものがあるからこそ、即答することはできなかった。


「えっと――」

「冗談ですよ。誰にでも多少のオンオフはありますよね。でも私は心配してるんですよ。ストレスとか溜まってないかなって。余計なお世話かもしれませんが」


 …優しすぎるのはどちらか、よくわからなくなってきた。彼女の人を気遣う心は本物だ。俺が彼女に向けるものよりも高尚で、本当の心配から来た言葉を述べている。


「今、こうして話させていただいているじゃないですか。それで十分気が安らぎますよ。」

「そうですか、それはよかった。あら、どうしましたか」


 俺は立ち止まり、彼女の方を向き直す。


「あ、ここです。俺の家です」

「へえ、そうでしたか。お洒落なお宅ですね」


 庭の手入れは最近出来ていないが、母が次々と買ってきた花が、あちこちに植えられていて、功を奏したのだろう。彼女には洒落ているように見えたらしい。


「どうぞ、お上がりください」

「ええ、お邪魔します」


 そうして、ゆっくりと、俺たちの記念すべき第一回目隣席交流会が行われることとなった。


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