最終話 僕は、

 そこまで書くと、僕はふうと息をつき、椅子にもたれかかった。


 僕は胸のざわめきを感じるといつもそうするように、首元にかかるネックレスの表面を撫でる。それは彼がくれた、あの指輪をチェーンに通しただけのごく簡素な、けれどとても大切なものだった。

 しばらくそのままぼんやりしていると、控えめなノックの音が鼓膜を揺らした。「今いいかな?」

「うん。ちょうど作業終わったから」

 かちゃりとドアが開き、壁伝いに彼女はこちらへと歩いてくる。僕は左手で彼女の右手をそっと掴み、ソファまで連れて行くと二人一緒に腰を下ろした。


 彼女には僕の全てを話した。僕の両親のことも、僕の後悔のことも、そして彼のことも。彼女は僕の理解者恩人であり、そして──、僕の大切な恋人でもある。

 彼女は生まれつき、目が見えない。けれどそんなことは物ともせず、まるで見えているかのような言動を度々し、その度に僕を驚かせる。

「どうしたの。珍しいね、僕の部屋に来るの」

「なんとなく、来るべきだと思ったから来たの。──あ、"記憶"、書き終えたんだね」 

「うん。ついさっき。書き終わった後、すごく久々にざわっとしたんだ」

「そっか。私は君みたいな感覚は無かったけど、何かありそうだなぁとは」

 そこまで言って、彼女は突然口を噤んだ。それから柔らかな笑みをその顔に浮かべると、立ち上がり、言う。「今来たばかりだけど私、聴きたいラジオがあるから行くね。じゃあごゆっくり、

 この時間に彼女が聴いているラジオなんて、あっただろうか。そこまで考えて、僕はハッとする。彼女は今、僕を──。


「久しぶりだね、片割れ2割くん」

 すぐ後ろから、声が聞こえる。不思議なことに、さほど驚きはしなかった。ゆっくりと後ろを向く。


 


 あの不思議な笑みを浮かべて。僕はあの日のように、無感動に思ってもいないことを呟く。「君も成長するんだね」

 彼の外見は、今の僕とほとんど同じだった。

「当たり前でしょ。だって僕は、君なんだから」

 彼は呆れたようにこちらを見た。その顔に、あの涙はもう流れていない。そして頬の傷も、殆ど消えかかっていた。「──あ、その指輪。付けてくれてるんだ」

「そりゃあ、まあ。記憶だなんて言われたらね。それに……これは君がにいた証だし」

「何その青臭いセリフ。片割れくんのキャラじゃない。……でも、ありがと。なんか嬉しい」

 僕は嬉しそうに顔を綻ばせる彼を見て、ふと思う。ああ、きっと終わるんだと。さっきの胸のざわめきは、きっとこうなる為のものだったのだと。

「──そうだよ」

 彼は、さっきの笑顔が嘘だったかのように、真っ直ぐ僕を見つめている。

「さっき胸がざわっとしたでしょ」

「……今日なんか、前よりも心見透かされてない?」

「あは、そうかも。でもきっと、今日は特別。だって今日は、」

 

 日だから。


 そう彼は言った。つまりそれは、彼が消えてしまうということだろうか?

「消えるわけじゃない。ただ、片割れくんに、僕の姿は見えなくなる。──多分、この先ずっと」

 この先、ずっと。ぼくがよぼよぼになるまで。「そう、君がよぼよぼになるまで」

「そっ、か」

 僕は少しの落胆とともに、とても深い納得を覚える。そうだ、だって彼は、

「僕はもう、片割れくんへの役目を終えたから」

「僕を、負のエネルギーに呑まれることから助ける、役目?」

 彼はもう答えず、ただ頷いた。終わりが、近付いている。僕は直感的にそう思った。次に彼が言葉を発した時、その声は、本当に落ち着いていて、静かなものだった。

「片割れくんはもう、僕がいなくてもやっていける。絶対に。乗り越えることが出来たんだから。素敵なパートナーが見つかって、良かったね」

「うん。彼女は、彼女はいつも、僕を助けてくれる。……君みたいに」

「最後に言っておくけどさ。彼女は彼女だけど、僕は、君だよ。僕が言ったこと、したことは、君にも必然的に出来ることなんだ。それを、憶えておいて」

 分かったと言おうとして、言葉に詰まる。僕は、知らぬ間に涙を流していたことに気が付く。何だか自分が小さく感じて、ごしごしと涙を拭う。返事の代わりに、大きく頷いた。


 彼は満足げな笑みを浮かべ、僕を見た。僕はあの日出来なかった、──満面の笑みをこの顔に浮かべ、彼をしっかり見つめ返す。何だか映画みたいだな、と思いながら、僕は静かに目を閉じる。きっと次に目を開けた時、彼はもういないだろう。けれど僕は、彼女と出会えたから、彼女がいるから、やっていける。必ず。

 首元のネックレスは、彼の痕跡は、確かにここにある。涙が一筋、目尻から溢れた。僕は温かな気持ちでゆっくりと目を開ける。


 そこには、僕が立っている。

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片割れの記憶へ うるえ @Fumino319

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