「賢明な判断だったね,片割れくん」


 家に着くなり彼は言った。僕は「あぁ」とも「うん」ともつかぬ返事をしながら,持っていた学生鞄を床に置き,次いで自分もその冷たく他人行儀なフローリングに腰を下ろす。

「あの──」

「ん?」

「君は,…僕なんだよね」

 答えは分かっているけれど,聞いて欲しそうに思えたので聞いてみる。彼が嬉しそうにしたのが雰囲気で分かった。

「うん,そうだよ」

「でも君は,僕じゃないよね」

 僕がそう言うと,彼は微笑むのをやめ,じっとこちらを見た。暗くて穴ぼこのような目。その目は僕と,とてもよく似ている。


「簡単に言ってしまえば,」

 彼はこちらを見つめたまま,口だけを動かして言う。

「僕は君を──心の中の君を,具現化した存在。君が表に出さない感情約8割が,僕。君はもしかすると気づいていないかも知れないけど,君の心はもうボロボロで壊れかかっている。それが,これ」

 そこまで言うと,彼は自分の右目から流れ落ち続ける黒い涙を指差した。

 僕はそれを見て,また心がざわりと揺れ動くのを感じた。一方で,ああそうかと納得もする。


 だから彼は僕のことを「片割れ2割」と呼んでいるのだと。


 彼はようやく少しだけ体を動かすと,また再びあの微笑を浮かべる。

「にしても片割れくん,えらく質素なところに住んでるんだね。家具なんか最低限のものしかないじゃないか。寂しくないのかい」


 寂しい?


「寂しいって…何が」

「だから,この部屋。こんなところに住んでるなんて知ったら,親御さんだって心配するんじゃないの」


 ──親? 何を言っているんだろう,こいつは。


「寂しいと思ったことはない。あってもいつかは無くなるものだし,生活さえ出来れば他には何もいらない。──それに,僕には心配してくれる親なんて,いない」

 淡々と,何も考えないように。今まで何度もそうしてきたように,あの人達あいつらに言ったのと,同じように。


 あの人達のことを思い出した瞬間,何かざらざらとしたもので撫で付けられたような微かな苛立ちを覚える。

 その時,彼が突然咳き込みだした。僕ははっと我に帰ると彼に駆け寄り,背中をさすってやる。「ありがと」と言ってそれからしばらく咳き込んだ後,彼は大きく深呼吸をし,僕から離れた。

「ごめんごめん。ありがとう,背中さすってくれて。楽になった」

 少し困ったように眉を寄せ,彼は謝った。僕はそんな彼を見て,ふと思う。

「もしかして,僕の所為せい?」

「え?」

「今の咳。僕が負の感情をいだいたからなんじゃ」

 彼は,困ったなぁという風に視線を横にやり,そしてまた光のない目でこちらを見る。

「あながち間違ってない…というかまぁ,その通りなんだけど。僕はさっきも言ったように,君の心を具現化した存在。君が何かを思ったり,感じたりするたびに,僕には何らかの影響が出る。ただ,負の感情だけじゃなく,喜びや幸せのような感情を抱いたとしても,僕は影響される。ま,どんな影響かはその感情の種類,想いの強さにもよるけど」

 分かった? という風にこちらを見た彼に,僕は小さく頷く。彼は微笑むと,言った。


「それじゃあ片割れくん,ちょっとをしようか」

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