時を超える女神さま

草野隼

時を超える女神さま

 僕は、山田剛。スマホも無い、携帯電話も無かった頃の小学五年生。引っ越してきて、今の学校に転校したばっかりだ。好きな教科は、美術。絵を描くのが好きだから。嫌いなのは、体育。鉄棒も跳び箱もマラソンも苦手。そして、僕は、今、クラスの男子にいじめられている。持ち物を隠されたり、プロレス技を決められたり…。今日は、床に寝かされている。ロッカーの上から、顔ギリギリの所に飛び降りてくるらしい。

「動くなよ、山田!いくぞ!」

うそだろ…やめてくれ…ッ!

僕は、目をつむり、体を固くした。

「やめなよ!」

僕は、寝転がったまま、声のする方を見た。竹内沙織さんが立っていた。

「何やってんの!危ないよ!」

竹内さんの心配そうな声。ロッカーの上に登った沢田君は、

「平気だって。ちゃんと着地するから。」

と、笑っている。

「やり過ぎだよ!上に落ちたら大変な事になるよ!」

別の女子も、止めに入ってきた。

「な、なんだよ…。わかったよ…。やめるよ…。」

沢田君と他の男子は、そそくさと教室を出ていった。

「大丈夫?」

竹内さんが、手を差し出してくれた。

「う、うん。ありがとう…。」

助けてもらったのは嬉しいけど、やっぱり情けない。それでも、僕はその手を受け入れた。あったかい手だ。

「ありがとう…。」

竹内さんは僕の手を握り、グイッと引き上げてくれた。

「ありがとう。」

僕は、またお礼を言った。

「悪ふざけにも、ほどがあるよね。あんまり酷かったら、先生に言った方がいいよ?」

竹内さんの隣にいる女子が、言った。

「うん…。」

僕は、うつむいたまま、返事をした。その女子は、小さくため息をつくと、

「行こう、沙織ちゃん。」

と、竹内さんを促し、席に戻っていった。クラスのみんなは、休み時間をそれぞれ過ごしている。みんなにとっては、僕と沢田君達との事は、教室内で悪ふざけしているようにしか見えていないんだ。沢田君達だって、軽い気持ちで僕をからかってるだけなのかもしれない。やられる方の心は……僕の心は、こんなに苦しいのに―。


 竹内さんと初めて話したのは、転校して一週間くらいたった頃だった。掃除の時間、焼却炉にごみを捨てにいく係にふたりでなった時の事。まだクラスのみんなと馴染んでいないのに、誰かとふたりきりで行動するというのは、ちょっと緊張した。校庭の隅っこにある焼却炉に向かうしばらくの間、僕らは無言で歩いていた。何か話そうと思っても、よく知らない女の子と話す話題は、そうそう浮かばなかった。どうしよう…これからみんなと仲良くなる為にも、ちょっとはうちとけないと…。そんな事を考えてうつむきながら歩いていると、竹内さんが明るい声で話しかけてきた。

「山田君の絵って、素敵だよね。」

思いがけない言葉に、僕は戸惑った。

「僕の…絵?」

「うん。この前、図工で好きな物語の絵を描いたでしょ?私、山田君の席の橫を通った時に見ちゃったんだけど、すごく綺麗な色が画用紙一杯に広がってて、わあって思ったの。」

「え…。」

「あ、ごめんね。見るつもりはなかったんだけど、目に飛び込んできちゃったの。」

「う、ううん。気にしないで。褒めてもらえて、嬉しいよ。」

「あれって、何のお話の絵なの?」

「あ、あれはね…。」

こんな感じで、僕の絵の話から話題が広がって、その後は楽しく話す事ができた。これで、新しいクラスにも馴染んでいけるかな―。そう思っていたすぐ後から、僕は沢田君達からちょっかいを出されるようになったんだ。


 引っ越してきてすぐに、僕は、お気に入りの場所を見つけた。町のはずれにある神社だ。そんなに大きくないけれど、拝む所の上の彫刻と、周りの壁の彫刻や絵が、ものすごく綺麗だ。よく見てみると、人はもちろん、魚や鳥や虎もいる。来る度に、新しい発見があって面白い。沢田君達から嫌がらせを受けるようになってからは、神社にいる時間が増えた。壁の絵を見ていると、絵に吸い込まれて、この絵が描かれた時代に行けそうな気がしてくる。こんな毎日だったら、違う時代に行ってしまった方がいいと、本気で思えるようになっていた。

「…もう…嫌だ…。」

僕は、呟いた。その時、後ろから声が聞こえた。

「こんにちは。」

僕は、ビックリして振り向いた。女の人が立っていた。

「神社が好きなの?」

女の人は、優しく笑いながら近づいてくると、僕の横に立って壁を見上げた。

「立派だよね。」

僕は、そっと、女の人の横顔を見上げた。色が白くてツルツルした肌だ。あり得ない事だけど、なんだか触りたくなる。

「何?」

女の人が、僕に笑顔を向けた。僕は、慌てて壁に視線を移した。女の人は、フッと笑って、

「学校、楽しい?」

と、聞いてきた。僕は、ドキッとした。なんでそんな事を聞いてくるんだろう。誰かの親かな?僕は、女の人の顔を見つめた。小学五年生の親にしては、若すぎるって感じがするけど。

「おば…お姉さん、誰ですか?」

「え?」

「あ、すいません…僕…引っ越してきたばかりなんで。」

「ああ、そうね。わたし…違う町に住んでるんだけど、この神社が好きなのよ。」

「え?お姉さんも、この神社、好きなんですか?」

僕は、嬉しくなった。

「うん。大好きよ。ここの神様には、とっても感謝してる。」

「え?どうして?」

僕の興味津々な質問に、お姉さんは答えてくれた。

「大切な人を、守ってくれたの。」

「大切な人?」

「そう。」

お姉さんは、嬉しそうに神社を見上げた。それから、お賽銭を入れるとじっと手を合わせた。優しくて綺麗な橫顔だった。お姉さんの周りが輝いて見えた。僕は、うっとり見つめてしまった。女神さまがいるとしたら、こんな感じなのかな、なんて考えながら。しばらくして、お姉さんは目を開けて、静かに言った。

「生きていると、辛い事って誰でもそこそこあるわよね。でも、どんなに辛くても、大概の人は頑張って乗り越えてると思うの。そして、乗り越えて、幸せになってる。」

お姉さんは、僕を見てニッコリ笑った。笑顔もやっぱり素敵だ。

「そう思わない?」

「う、うん。」

「辛くても、生きていればいい事あるってよく言うけど、あながち嘘でもないのよ。ね?」

お姉さんが、僕の目の高さに頭を下ろして、真剣な顔で言う。

「…。」

一瞬、僕は戸惑ったけれど、お姉さんの力強い目を見ていたら、なんだか力が湧いてきた。

「うん!」

僕は、強く頷いた。お姉さんは、満足した様子で、また優しい顔に戻った。そして、

「じゃ、約束!辛い事があっても負けない!って。」

と、手を差し出した。僕は、

「約束!」

と、その手を握った。お姉さんは、ギュッと握り返した。その強さに、なぜだか僕の胸はキュッとなった。

「フフフッ。」

嬉しそうに笑うお姉さん。僕も、つられて、

「ヘヘッ。」

と笑う。お姉さんの眉毛が少し下がり、ホッとしたような笑顔になった。そして、

「さてと!帰ろうかな!」

と、僕の手を離した。

「元気でね!」

石段へ向かうお姉さん。僕は、なんだかさびしいような気持ちになって、

「また、ここで会うかもしれないね!」

と、手を振った。僕の言葉に、お姉さんはニッコリ笑って頷いた。そして、威勢よく手を振ると、石段を下りて行ってしまった。僕は、少しの間、誰もいない石段をボーッと眺めていた。握手をした手が、とってもあったかかったな…と思いながら。


 それから夏休みになり、僕は静かな毎日を過ごしていた。お盆休みに、家族でお婆ちゃんの家に行った。小さい頃から知っているお婆ちゃんの家は、安心感があって落ち着いた。なんとなく新しい家に帰りたくなかった僕は、一人でお婆ちゃん家に残り、お婆ちゃん家ライフを満喫した。しばらくして、お婆ちゃん家から戻ってきた僕は、衝撃の事実に打ちのめされた。竹内沙織さんが、転校してしまったというのだ。お父さんの仕事の関係で、急に決まったらしい。大体の友達とは集まってお別れできたそうだけど、集まれなかったクラスメイトには、竹内さんが家を訪ねて、お別れの品を持ってきてくれたらしい。僕の家にも来てくれたそうだ。僕は、お婆ちゃん家に残った事を後悔した。お母さんが、竹内さんが置いていったお別れの品を渡してくれた。可愛い紙の袋の中には、綺麗な色のノートが入っていた。焼却炉に行く途中で、僕の絵を褒めてくれた竹内さんの笑顔が浮かぶ…。僕がいじめられているのを止めてくれる時の竹内さんは、いつも心配そうな顔をしていた。竹内さんが僕に笑いかけてくれたのは、あの時の一度だけだった…。僕は、唇を噛んだ。もう…竹内さんの笑顔には、会えないんだ…。僕が、もっと強かったら…竹内さんに心配そうな顔をさせる事はなかったのに…もっと笑顔が見られたかもしれないのに…。僕は、ノートを見つめた。綺麗な色のノート。僕の好きな色だ。神社の壁の絵が浮かぶ。そして、あのお姉さんの笑顔と約束が…。僕は、ハッとした。まさか…。ドキドキと波打つ心臓。僕の頭の中で、いろんな事がグルグルと回り始めた―。


 夏休みが、終わった。竹内さんのいない教室。でも、僕は、これからもこの教室で過ごしていく。

「ヨッ!やーまだ!元気だったかぁ?また、楽しく遊ぼうぜ!」

感傷に浸る間も無く、沢田君が、僕の肩に手を回してきた。

「ヘッヘェ。何して遊ぶ?」

「…僕は…。」

「ん?なんだよぉ?」

沢田君が、ニヤニヤ笑いながら顔を近づけてくる。僕は、お腹に力を込めて、沢田君を睨んだ。

「僕は!僕をいじめる奴なんかとは遊ばないッ!」

自分でも驚くくらいの声が出た。

「へ…ッ…!?」

沢田君は、目を丸くして僕から後退った―。


 「うん、今着いたところ。大丈夫だよ、松嶋屋だろ、駅前の居酒屋。一年ぶりくらいで、忘れるわけないだろ。沙織と一緒に、これから行くから。うん、じゃあ。」

僕は、携帯電話をジーパンのポケットにしまった。そして、神社の石段を駆け上がる。

「沢田君、なんだって?」

拝殿の前で、沙織が振り向いて尋ねた。

「松嶋屋の場所、覚えてるかって。」

「なにそれ。」

沙織が、吹き出した。僕も、ハハッと笑う。

「沙織に言うならまだしも、僕は毎年、ここに帰って来てるっていうのにさ。沢田のヤツ、意外と心配性なんだよ。」

そう言う僕の顔を見つめて、沙織は感慨深く呟いた。

「沢田君と、親友になるなんてね…。」

「え?ああ、うん…ちょっと、不思議。」

僕は、照れ臭くて、鼻の頭を掻いた。沙織は、嬉しそうに息を吸い込むと、

「それじゃあ、ご挨拶して行きましょうか!」

と、言った。久し振りのクラス会の為に、僕は、沙織と共に帰省した。僕は、仲間と飲む為に一年ごとくらいに帰ってきていたが、沙織は、転校以来、仲のよかった友達を除いて、クラスメイトに会うのは初めてだ。そんな沙織が、この神社に寄りたいと言った時、僕は快く頷いた。僕は、あの頃、この神社を心の拠り所にしていた。沢田と仲良くなった後も、通い続けた。僕の人生を変えてくれた神社だから。沙織が神社に行きたいという理由を、僕はわかっているつもりだ。拝殿を見上げる沙織。僕は、その隣に立つ。沙織は、お賽銭を入れると、手を合わせた。

「…ありがとうございました…。」

囁くような声。真剣に拝む横顔。

その橫顔は―ずっと僕の心の中にあった橫顔。記憶にしっかりと刻まれたあの時の橫顔と、綺麗に重なった。

「ちょっと!ちゃんと拝んだ?」

うっとりと見つめている僕を、沙織が軽く睨む。僕は、慌てて神様に手を合わせた。

「まったく、もう…。」

と、笑った後、しみじみと僕を見つめる沙織。そして、

「しっかり報告もしてね!」

と、僕の背中をポンと叩いた。

「あ、そうだった!」

僕は、コホンと咳払いをし、手を合わせた。そして、見慣れた拝殿を見上げ、高らかに言った。

「僕達、結婚します!」


 とても不思議な事なのに、すんなり受け入れることができた出来事。あの日、大人の沙織が小学生の僕を助けてくれた。僕がそれに気づいているという事を、沙織はわかっていると思う。だけど、沙織から話してくれることはなさそうだ。僕の方は、色々と聞いてみたい気持ちでいっぱいだ。けれど、沙織が話さないのなら、今はまだ聞かないでいようと思う。もう少し先―もっと二人が年をとった時、その時になれば、聞いてみてもいいんじゃないかと思っている。きっと、沙織は、嬉しそうに懐かしそうに、笑って話してくれるはずだ。

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