絶対に試験に合格する俺と彼女_(2)

 東京駅という人混みの中でも、藤川の姿は一目で見つけられた。学生然とした格好。それでも彼女の持つ非凡な華は、せかせか歩く周囲と隔絶していた。

 俺を見つけると嬉しそうに微笑んで駆けてくる。無邪気な笑顔には曇りがない。


「お疲れ様。もう特に問題は無かったみたいだな」

「うん、膿は初日ですっかり出し切ったみたい」


 新幹線の券を買って、ホームに上がった。日がもう落ちていることもあり、すっかり冷え込んでいた。小さく身震いをする。ホームにはあまり人はいない。自分たちと同じ学生と思しき若者が数人いて、何かが終わったように佇んでいた。彼らも同じ会場にいたのだろうか。ぼんやりと周囲を眺めていると、藤川がすっと横に並んだ。


「大統領。昨日は本当にありがとう。結果を見ないと何とも言えないけど、実力はちゃんと出せたと思う」

「そうか。実力が出せたなら、良かった」

「ここまでしてもらって絶対に落ちることなんか出来ないって寧ろ実力以上」

「それなら、俺こそおかげさまで集中できた」


 同じように考えていたことがおかしくて、つい笑ってしまう。怪訝な表情を藤川が向けてくる。


「俺が落ちたら藤川が気にしちゃうからな」


 ふっと藤川が顔を綻ばせた。

 新幹線が定刻通りにホームに入ってくる。藤川が思わず一歩後ずさった。相変わらず都会に慣れない彼女に目を細める。

 席に座ると、藤川はぽつりぽつりと話題を振ってきた。試験の内容、帰ってからのこと。幾らでも続けられる話はなぜか二言、三言ですべて伝わり切ってしまった。今だけの無限を感じていた。余韻と希望と不安を閉じ込めることでしか成立しない無限。自覚的であることが寂しかった。

 贅沢な沈黙が空間を支配している。心地よいが、煩わしい。言うべき言葉を口の中で弄んでいた。

 沈黙を破ったのは藤川だった。ためらいがちに話題を口にした。


「あのさ、本当にありがとうね。おかげで無事受けられたという意味でもそうだし、とにかくすごく安心して……本当にさ、本当に心強かったんだ」

「気にしないでいい。俺も藤川にはずっと助けられてきたから」

「私は何も」


 謙遜ではなく、本当に自分が何かしたと思っていないようだった。それは分かっていた。無自覚に助けられることほど、救われ、そして思いを募らせるものは無い。


「俺、藤川のことが好きだ」


 ぽつりと口にしてしまった瞬間、自分が向き合っているのは彼女なのか不安になった。

 感謝とも恋慕とも不明瞭な、ただ瓶につめた水が少しの衝撃で零れたような告白だった。だがその言葉でしかこの感情を表現できないこともよく分かっていた。

 藤川の方をまるで見られない。気配でこちらをじっと見ていることは分かったが、それがいっそう恐ろしい。

 耐えきれずちらりと横目で様子を窺うと、藤川はそれに気付き、不敵に笑って言った。


「嘘つき」


 予想外の言葉に面食らってしまう。分かりやすく動揺してうろたえると、藤川はまた小さく笑った。


「……勉強部は恋愛禁止でしょ?」

「そういうことか。びっくりした」一気に脱力して、背もたれに沈み込む。「……いいんだよ。もう退部になったってさ」

「まだお疲れ様会あるじゃない。やめちゃうの?」

「いられるならいるけれど……いや、それはどうでもよくないか?」


 疲労が急に押し寄せてきて、へろへろになりながら答えた。真正面の返事が返ってこなくて不貞腐れているとも言えるかもしれない。時間が経つほどに、口にした言葉の意味が自分の中で大きくなるのを感じていた。

 藤川は何とも思っていないような顔をしていた。あるいはそう繕っているだけかもしれない。もう何も分からない。

 しばらく沈黙をひとり楽しんでいた。普段とは違う蠱惑的な笑みに目を奪われる。やがて大人びた顔に何か期待するような目で俺を見つめ、口を開いた。


「大事だよ。だって部活辞めるならさ、これからは名前で呼んでもいいってことでしょ?」


 想定通りでない藤川の言葉に、俺はまた翻弄される。

 準備のできないことは苦手なのだ。

 そして、言葉の出てこない俺の表情をゆっくり堪能してから藤川は言った。


「私も好き。これからもよろしくね」


 続けて俺の名前を大切そうに呼ぶと、藤川は顔を真っ赤にしてはにかんだ。

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