第37話 頭蓋骨が多すぎる!④

運京うんけい黒曜禁城こくようきんじょうも、長年、天原国てんげんこくの祖霊の守護を受けて繁栄してきた。霊廟を破壊することで、城の守りが弱くなるのではないかと琥珀国の王は怖れたのだろう」

 だから、天原国の王の石棺は破壊されていない。

 この祖霊はいまだに城を守っていると、城付きの道士が進言でもしたのかもしれない。

 土地と祖霊とは結びついており、国を滅ぼしたからと言ってその守護を失えば、運京も黒曜禁城もゆるやかに衰退していく――この国の人々はそう信じている。それで、昨年のような災いを避けるために、天原国の祭祀をするという話になったのだろう。

 泰山府君の近くで浮遊する霊符は、夏月が持っていた蝋燭より明るく、古めかしい頭蓋骨の特徴がよく見てとれた。

 床に転がっていた大小併せて二十一ある頭蓋骨とは、異なる特徴を見せている。

 この部屋に累々と重なっていた頭蓋骨はまだ新しい。上の階にあった太宗や世宗のものと比べても黄ばみがなく、ごく最近の白骨だとわかる。それに、すべてが女子どもの骨だった。一番小さいのは、おそらく赤子の頭蓋骨だろう。あるいは、子どもをお腹に宿したまま殺されたのかもしれないと考えると、また夏月の胸は苦しくなった。

「親より先に死んだ子どもが行く地獄があるとおっしゃいましたね。自分の咎で死んだのではなくても、子どもは罪を負うのでしょうか」

 殺されてもなお罪を負うのかと思うと、幼子が哀れでならなかった。

「それがその子が持って生まれた宿業なのだろう。どこかの輪廻転生の果てで、その罪はやがて祝福に転じるはずだ。だが……どうしてもその赤子の頭蓋骨が気になると言うなら、代書屋。おまえがその者たちを弔って、現世の無念を晴らしてやるといい」

「生まれる前に死んだ赤子の無念を晴らしてやれるものでしょうか……」

「おまえは子どもの死に思うところがあるようだが……考えてみるがいい。簡単に立ち入れないとはいえ、ここは後宮のなかだ。赤子がたくさん殺されている意味を、おまえは気づいていて見ないふりをしているだけではないのか? よく考えて申してみよ」

 ――後宮で赤子が殺される意味。それは……。

 男女の機微など詳しくない夏月でも、容易に想像がつく。

「意図せぬ妊娠……国王陛下以外の相手との密通で堕胎した……あるいは妊娠したから殺されたと言うことでしょうか」

「その可能性は高かろうな。そもそも、人間たちの作った後宮というのは、けっして開かずの匣ではない。後宮付きの女官であろうと妃嬪であろうと、外に出されることもある。褒賞として部下に与えられたり、実家に戻されたり。長らく国王の興味を引かず、とうが立った妃ならなおさら」

 後宮は外廷の権力闘争と深く関わりあっている。外戚として力をふるいたい有力氏族は自分の一族の者を後宮に入れたがり、一方で、後宮にもかぎりがあり、入る者がいれば、出る者がいる。そうやって匣のなかの均衡はひそやかに保たれているのだ。

「だが、外に出されるなら、あえて後宮の内側で赤子の死体を放置する必要はない。おまえの言うとおり、後宮というのは隙間なく管理されている。どこかに死体を放置していたら、誰かにすぐ見つかるはずだ」

「おっしゃるとおりです」

 人の目から隠して遺体を捨てるのは簡単ではない。

 池に沈めれば、池を浚ったときに見つかるかもしれない。床下なら、年末の煤払いで見つかるだろう。深井戸の場合は、遺体を投げ入れても見つからないかもしれない。その場合、井戸の水のなかで遺体が腐り、井戸の水は痛む。遺体を入れられた井戸の水を飲めば、体を壊す者が出たはずだ。

 ――去年の夏のように。

「ここにあるだけでなく、もっとたくさんの遺体がどこかに隠されているのかも……」

「その可能性は高かろうな……冥府の裁判でも、ひとりを殺すのも二十人を殺すのも変わらないという者をたくさん見てきた。これは典型的な大量殺人鬼……生きた人間の所業だ」

 ぞくり、と背筋が冷たくなる。幽鬼をたくさん見てきたはずの泰山府君の口から、殺人鬼などと言われると、言霊の力だけでこの場に殺人鬼を呼び出してしまいそうな恐ろしさがある。いま溺れ死にしかけた身の上で聞くから、なおさらだ。

 死はこの霊廟にぴったりと張りついて離れないかのようだった。 

「私は私の用向きで調査をするが、泰山府君は地上の刑罰には関わりない。仇をとってやりたいというなら、おまえがやるのだ……ただし、外に出てからだ」

 表情を曇らせた泰山府君の周囲で、身構えるように白い霊符が蠢く。

「運京の北側――黒曜禁城の周りは水源が豊富にある。風穴に流れこんだ水が一定以上たまると別な部屋へと流れこみ、また次の部屋も一定以上水がたまると、別の部屋へと流れこむ仕組みになっている。すると、何回かに一回、大量の水が流れこみ、風穴の下層全部が水没するのだ。さっきは私の術で無理やり水を押し戻したが、時間が経てば、また大量の水が流れこんでくるぞ」

 そういえば、といまさら気づく。定期的に水で洗い流されているからなのだろう。天原国の祭壇のほうは、古めかしい霊廟のわりには埃がたまっていなかった。苔すら生えていない。

「代書屋、部屋の観察ならまた今度にしろ。霊廟の出口はこっちだ」

 呆れた声とともに腕を掴んで引っ張られた。濡れて冷え切った手に触れられたからなのだろうか。冥府の主だというのに、触れている手は意外なほどあたたかい。その手に引かれたまま、部屋から部屋へと連れられていく。

 結界をひそかにすり抜けるのは難しいというのに、霊廟のなかは迷いなく歩けるらしい。

 夏月が変なことに感心していると、その奥のただ岩の陰としか見えないような隙間に、背の高い姿がするりと入っていった。

 これはよく知っている人でなければ、わからないだろう。

 狭い階段を岩にぶつかりながら上っていくうちに、唸り声のような水音が背後から響いてきた。水音を聞いているだけで、さっき体感したばかりの溺死する苦しさを思いだして、身が震える。泰山府君の手に引きずられるようにして急な階段を上っていった。

 途中から空気が代わったあたりが、少し広い踊り場になっていた。

 冥府の王が立ちどまる。

「先にも言ったとおり、私は後宮を自由に行き来できぬ。この世には陰と陽の理があり、冥府の王といえど、陽界でできることにはかぎりがある。なにせ、神というのは高みにおり、有象無象の小さきものをひとりひとり認識するのは容易ではないのだ。だが、おまえは生者の身。しかも役職でこの霊域に出入りできるであろう。だから、次にまたこの祖霊廟に来たときには、私を内側に呼ぶのだ……いいな。泰山府君の手伝いができることを光栄に思うがいい」

「それは……お断りするわけにはいかないのでしょうか」

 夏月は傲慢な神に抗うようにおうかがいを立てる。

 正直に言えば、冥府の王の物言いにはそろそろ慣れてきたし、助けてもらった恩もある。あの赤子たちの無念を晴らしてやりたいとも思っている。それでいて、後宮に来たからこそ死にそうな目に遭ったわけで、

 ――『後宮の疑問に関しては秘書省というところを、もっとよく探ってみたらどうだ』 などと、最初に水を向けてきた泰山府君に対しての疑念は持っていた。

 ――神のお役目に関わるのは、どうもよくない予感がする。

 丁寧に拱手して頭を下げたとろで、人を従わせることに慣れた声がぴしゃりと飛んでくる。

「もし、いますぐ冥籍めいせきが欲しいというなら遠慮はいらぬぞ?」

「泰山府君のご依頼、『灰塵庵』のこの藍夏月、確かに承りました」

 今度は即答だった。いますぐ冥籍に入る――つまり、死者にさせられてはたまったものではない。

「よかろう。今日のところは、城門の外に車を回しておいた。家に帰り温泉にでも浸かったあとでよい。私の名を呼ぶのだ」

 泰山府君は不意に手を伸ばし、夏月の髪をかきあげて簪を挿し直した。

「おまえがその簪を挿しているかぎり、おまえと私の間には道ができている。おまえが後宮の外で泰山府君を呼べば、私も外に出られるからな」

「承知いたしました」

 その一言で冥府の神との駆け引きは手打ちだった。夏月は深々と礼をして、泰山府君と別れたのだった。

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