第2話 ラテの甘い香りにのせて…

「ムーンバックス・コーヒーへようこそ!」


 クリスマスのイルミネーションが煌めく店内で、多くのカップル達が仲良く話をしている姿を見ながら、今日も僕はバイトに勤しんでいる。

 大学二年になった四月から始めた人気コーヒーショップでのバイトは、想像していたより遥かに難しく、そして大変だったが、流石に九ヶ月も経つとベテランの領域に入っているらしく、昨日からは新人へのレクチャーなども受け持っている。

 

 僕は、カウンター業務をそつなくこなしながら、窓際で文庫本を読む一人の女性に目をやる。

 今日もすごく素敵な雰囲気を醸し出している彼女は、ムーンバックスラテをゆっくりゆっくりと飲みながら文庫本を読んでいる。



 それは、まだ僕が新人の頃の話だ。


「いらっしゃいませ。お決まりですか?」


【え?あっ、可愛い子だな…】


「あ、、あの、、ムーンバックスラテをください」

「サイズはどうされますか?えっと、、こちらのカップがショートで、こちらが確か、、、トールサイズだよな……」

「くすっ」

「あっ、ごめんなさい。まだ研修中でして」

「そうなんですか。頑張ってくださいね。えっと、、、、。では、トールでお願いします」


【わぁー、笑顔が可愛いなぁー!!】


「ありがとうございます。あの、今、バナナフェアーをやってまして、バナナドーナッツが美味しく焼き上がっていますがご一緒にどうですか?」

「そうなんですね。でも、今日は、大丈夫です」

「はい。是非、次回お試し下さいね。お会計は五百八十円となります」


【ごめんね。本当はこんな押し売りみたいなこと言いたくないんだけど、言わないとチーフにしかられるから】


「あの、交通系ICでお願いします」

「はい。では、こちらが光りましたら決済をお願いしますね」


【女の子のスマホケースって派手だったり、キーホルダーなどがごちゃっとついている人が多いのだけど、この子のスマホはほんとシンプルだなぁ】


「はい。ありがとうございました。あちらのカウンターからお渡しいたしますね」

「はい。どうもありがとう……」



- - - - - - - - - - -



 あの時、出会った彼女は、それからほぼ毎週金曜日の夜、僕がバイトに入っている時間にやってきた。そして、店の看板メニューのムーンバックスラテをテイクアウトで頼むのだ。


 そして、、、

 いつの間にか、僕は彼女が来ることを心待ちに思うようになっていた……。




 夏になると彼女の細いシルエットがより強調され、僕は目のやり場に困った。

 薄らと栗色に染めている長い髪と白のブラウスがとても似合っている。スカートは膝が隠れるくらいの長さで清楚な感じがする。彼女は、同じ年頃の女の子と比べるととても落ち着いて見えた。


 秋になると薄いコートを羽織った彼女はさらに輝いて見えた。

 長い髪の先の方だけクルッと巻かれている。パーマをかけたのだろうか?凄く似合っていた。


 学生なのだろうか?もしくは社会人?名前は?年齢は?……。

 彼女がこの店に来始めて、もう半年が経つのに僕は彼女のことを知らなすぎた。いや、店のスタッフとして、お客様の情報を知りたいなんて思うのは、絶対にやっては行けないことだと自分に言い聞かせてきた。だが、その我慢も限界に近づいていた。

 どうしよう?彼女が帰る時に追いかけて告白をするか…。いや、そんなことは出来ない。フラれたら彼女が楽しみにしているこの店での時間を奪ってしまうことになる……。


 このような事を、いつも自問自答しては、結局は何も出来ない日々が続いていたのだ。



 あっという間に短い秋が過ぎ、冬がやってきた。

 昨日の夜は、十年ぶりという早さで雪が舞い降りたのだ。

 その日も、彼女は、やってきた。白い息を吐きながら、頭には雪がついて寒そうだった。


「いらっしゃいませ。寒いですね。大丈夫ですか?雪が頭に付いていますよ」

「あっ、、ありがとう。本当に驚いちゃった。こんなに早く雪が降るなんて」

「どうぞ暖まって帰ってくださいね」

「はい。ありがとうございます。えっと、ムーンバックスラテのホットをトールでください」


 この日を境に、いつもテイクアウトだった彼女は、一時間ほど店の中で過ごすようになっていた。

 彼女は、その時間を凄くリラックスして過ごしているようだった。彼女は本を読むのがとても好きなようで、文庫本をめくっては真剣な表情になったり、恐らく、、楽しい場面ではクスッと笑ったり、そして悲しい場面では、ちょっと涙ぐんでいるようだった。


 僕は、カウンターで仕事をしながら、いつも目で彼女を追っていた。


 休憩に入った僕は、店で購入したドリンクを飲みながらぼんやりと彼女のことを考えていた。

 結局、恋愛においていつもヘタレな僕は、今日こそ言おうと思ったり、いや絶対に駄目だと自分に言い聞かせたりと、、毎日優柔不断に過ごしていた。


 

 そして、クリスマスイブの夜、彼女は、いつものようにやってきた。

 ベージュのコートに薄いピンクのマフラーといういでたちが、彼女の可愛いさを引き立てていた。


「いらっしゃいませ。今日はどうされますか?」


 彼女を思う余り、つい変なことを言ってしまった。


「えっと、、ムーンバックスラテのトールと、柚子ジンジャーのホットをトールで」

「えっ!!!あっ、はい。ご用意致します。店内でご利用ですか?」

「いえ、今日は、テイクアウトでお願いします」


 クリスマスイブという恋人達にはとても大事な日。

 もしかして、彼氏と飲むのだろうか?

 僕は、頑張って笑顔を作るも彼女が初めて二つのオーダーをしたことにショックを受けていた。

 

 それからは、散々だった。

 新人みたいなオーダーミスしたり、お釣りを間違えたり、クリームを添え忘れたりと…。


恭巳たかみくん、今日、調子悪かったねぇ。何かあった?」


 副リーダの町戸さんが心配そうに声をかけてきてくれた。


「すみません!明日は大丈夫です。本当にすみません!!」


 僕は、スタッフ通用口の扉を開けるともう一度「すみませんでした」と言い、とぼとぼと寂れた商店街を歩いて、駅へ向かった。


 シャッター通りと揶揄されるこの商店街もクリスマスの時だけはイルミネーションがされてとても綺麗に思えた。

 

 僕の頬を涙が伝っていた。


 どうしても、今日の彼女の姿を思い浮かべてしまう。

 もっと早く自分の気持ちを伝えていたら、こんなにも後悔することは無かったのに…。あと少しだけ、勇気があれば、こんな惨めな思いはしなかったのに…。


 その時だった…。


恭巳たかみくん」


 僕の名前を呼ぶのは、そう、あの彼女だった。

 僕の思考は停止し、ぽかんとだらしない顔をしていた。


「あの、、恭巳たかみくんって、他の方がそう呼んでいたので、、、」

「私、高坂祐未こうさかゆみって言います。四月からあのカフェへ通っていて、その、なんというか、それは、理由があって、、。実は、恭巳たかみくん目当てなんて言ったら迷惑ですか?」


 僕は、急に来た幸せが夢ではないだろうか?と思いながら彼女の真っ赤になった顔を見ながらぶるぶると顔を横に振っていた。


「迷惑なんてあるはずがないよ。実は、僕はずっと君の、、祐未ゆみさんのことを思っていたんだ。でも、勇気がなくて…」


「はい!これ!!!どうぞ」


 差し出されたのは、彼女がさっき買った柚子ジンジャーだった。


「前に、恭巳たかみくんが休憩に入る前にこれを買ってたのを見たことがあって。だから、これが好きなのかなって思って…」


 僕は、まだ暖かい柚子ジンジャーを受け取るとゆっくりと口元に運ぶ。

 なんと表現したらいいのだろうか?今まで飲んだ柚子ジンジャーとは次元の違う美味しさだった。それは、彼女の笑顔というエッセンスが入っているからだろう。


 「私、こう見えても臆病で…。積極的に動くようなタイプでは無いんです。でも、気づくと半年以上も経ってしまって、もう今日を逃すと駄目だろうなと自分にかなりのプレッシャーをかけて、店に来たんです。だから、恭巳たかみくんも私のことに気づいてくれてたって聞いて、本当にうれしい。ありが、、とう……」


 大きな瞳から涙を流す彼女の手を取る。

 近くに、居心地の良いバーがある。僕は彼女をつれてゆっくりと歩き出した。


 四月に君を見つけてこれまで僕がどんな思いで君を見ていたか、今日は時間を忘れて君への思いをゆっくりと伝えたい。


 僕と彼女の物語は、今始まった……。




第二話

終わり










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