独キノコ

高巻 渦

独キノコ

 私はキノコが嫌いだ。私と同じ菌類だから。

「おい押すなよ、曽我の机に触っちまっただろ」

「きったね、曽我菌が付いた」

 私は私が嫌いだ。キノコと同じ菌類だから。

「曽我ってさぁ、このクラスの癌だよな。ウイルスだよウイルス」

「いっつも下向いててさぁ、あいつの周りだけジメジメしてんの」

「あいつさえいなけりゃ良いクラスなのにな」

 私はこのクラスが嫌いだ。みんなは私と違うから。


 中学二年になってからの新しい環境は、私以外の全員にすぐ馴染んだようだった。私以外の全員が明るく、日なたを歩いている、クソうっとうしいクラス。

「みんな仲良くやってるようで俺も嬉しいよ」

 新任の担任教師は私に一目もくれずにそう言っていた。

 クラスにも溶け込めず、存在感を完全に消して背景に溶け込むことも出来なかった私が、クラスメイトから陰口を叩かれるようになるまでそうそう時間はかからなかった。そして私自身、それは必然だと考えていた。

 教室中で上がる様々な声をすり抜けて、聴きたくもない自分の悪口だけがはっきりと私の耳に届く。

 こういうのってなに効果って言うんだっけ。確かお酒の名前が入ってた気がする。

 今日も誰かの発した毒が、誰にも発散できない私の中に、じっとりと溜まっていく。

 誰かが明るい場所から暗がりに投げつけた石は、暗がりに居る誰かに必ず当たる。

 クラスメイトから吐き出された毒は、確かに私の身体を蝕んでいたのだ。


 ある朝目を覚ますと、私の顔からキノコが生えていた。

 こめかみ辺りから生え、私の片目を隠しているそれは、いつもの私とは対照的に、しっかりと上を向いていた。鏡の前に立ち、顔を振ってみると、なびいた髪を追いかけるようにぶるんと動き、雪のような胞子を降らせた。

 柄の部分を持って強めに引っ張ると、バリ、と音がして顔から剥がれた。掌に置いて観察してみる。傘の表面は赤みがかっていて、よく見ると小さなイボのようなものがびっしりついている。傘の裏側は黄色く、無数のヒダが放射線状に広がっていた。まぎれもないキノコだ。

 ふと頰に水気を覚え、顔を上げて鏡を見直すとこめかみから血が出ていた。キノコを取る際に皮膚まで一緒に剥がしてしまったようだ。さっきまで何も感じなかったのに、傷を見た途端じくじくした痛みを覚える。でも、これで夢じゃないことは確認できた。

「感情が顔に出る」なんてよく言うけど、まさかこんな形で出てくるなんて。

 傷口に絆創膏を貼り、キノコはスカートのポケットに入れた。

 家を出る際、母親に絆創膏のことを尋ねられたので「転んだ」とだけ答えた。いじめられていると勘違いしないだろうか、いや、実際いじめられてはいるんだけど。

 登校途中、よく見かける野良猫の前に私産まれ私育ちのキノコをちぎって置くと、一口かじった後、泡を吹いて動かなくなった。やっぱり。

 このキノコはきっと、私の体内に蓄積された毒が生み出した毒キノコなのだ。毒キノコの中には触れるだけで害がある種類も存在するが、私はなんともない。直感だが、この毒は私にだけは効かないのだ。

 この恐ろしい物体を産み出したのは他ならぬ私だ、でも製作過程というものがある。私を菌扱いし、毒を注入し続けたクラスの奴らに罪はある。だから私が責任を取って、毒をもって毒を制してやるのだ。自分たちが発した毒で死ぬ気分はどうだ。

 野良猫の死骸を埋めながら、私はそんなことを考えていた。


 学校へ着いた私は、給食の献立表を見た。来月の六日、三十八日後に「キノコのスープ」が出る。

 このクラスの人数は、担任教師を含めれば三十五人。いける。

 私の毒キノコはひとかけらで小動物が死ぬくらいの毒性だ。仮に死ななくても、地獄のような苦しみを味わうはずだ。

 問題は、このキノコがどれほどのペースで生えてくるのかわからないことだ。来月までに、クラス全員が口にするくらいの量を生産できるだろうか。

「曽我、今日の給食が気になるのか?」

 突然背後から話しかけられて私は飛び上がった。日下部くんだった。言葉に詰まっている私をよそ目に日下部くんは

「俺も気になってたんだよね。お、今日ビーフシチューじゃん。やった」

 そう言って再びクラスの輪の中へ消えていった。

 日下部くん。クラスで唯一、私と普通に接してくれる人。

 日下部くんがキノコのスープを食べないようにする方法も考えないと……。


 バリ、と音を立てて毒キノコと一緒に顔の皮膚の一部が剥がれる。

 私は自分の中に溜まっていた毒の量を甘く見ていた。毒キノコはあれから毎朝、目覚めると私の顔にあった。

 両頬、顎、おでこ、鼻の頭……生傷の絶えない私の顔は絆創膏だらけになり、両親からはイジメを心配され、クラスメイトからは親に虐待されてるという噂が囁かれるようになった。

 本当のイジメにはこれっぽっちも気づかない両親と、くだらない噂で騒ぎ立てるクラスの連中に板挟みにされた怒りで、私のキノコの毒性は更に増しているように思えた。

 でも、それも明日で終わる。明日は待ちに待った「キノコのスープ」の日だから。

 この毒の源が全て消えれば、きっとキノコも生えてこなくなる。深夜の自室、買ってきた包丁で私産私育ちの毒キノコを細かく刻みながら、私はそう考えていた。


 翌日の三限目に、私は気分が悪いと言って教室を出た。切り刻んだ毒キノコの入ったタッパーを隠し持って。

 三限目の途中で給食室の側にトラックが来て、その日の給食が運ばれてくるのもリサーチ済みだ。並んで置かれている半寸胴の鍋の中から「2-3」と書かれているものを探し、蓋を開け、タッパーの中身を全部放り込んでから、保健室へ向かった。

 保健室のベッドで少し眠って目を覚ますと、時計は十二時五十分を指していた。起き上がり、教室へ向かう。


 教室の扉を開けると、そこは地獄絵図だった。いや、私にとっては天国以外の何物でもなかった。

 転がった椅子や机に、ぶちまけられた誰かの吐瀉物。ひっくり返った誰かの給食。のたうちまわる人間、人間、人間。

 小柄で可愛くクラスの人気者だった浅野は、顔面を紫色に変色させて既に動かなくなっている。塩顔でモテていたサッカー部の成田は、痙攣しながら失禁している。野球部で身体の大きい久保はうめき声を上げながら芋虫みたいに這いずっている。担任教師は黒板の横で白目を剥いて誰かの名前をうわごとのように繰り返している。

 みんな、みんな私を菌扱いした人間だ。その光景を見て、私はこれまで味わったことがないような昂ぶりを覚えていた。

 ふと教室の隅を見ると、こちらに背を向けて膝立ちのまま呆然としている男子がいた。近づいて声をかける。

「日下部くん……?」

 日下部くんが見下ろす先には、女子の中でも私のことを特に菌扱いしていた綾部の姿があった。

 私の考えを遮るように日下部くんが口を開く。

「曽我……俺、キノコが苦手でさ……今日の給食も食べられなかったんだ……でも、クラスのみんなも、綾部もこんなことになって……俺、どうしたら良い……? 俺、綾部のこと好きだったのに……」

 日下部くんのその言葉は、今までのどんな毒よりも私に突き刺さった。

 泣き腫らした顔の日下部くんが振り向いた。その表情が、みるみるうちに驚愕の色に変わる。

「曽我……お前、その顔……」

「え……?」

 触れるまで気づかなかった。毎朝目覚めると生えてくるものだと思ってたキノコが、私の顔にある。保健室で眠ったからだと理解するより先に、私の身体は動いていた。

 側にあった机から、誰かが飲みかけた「キノコのスープ」を手に取って、日下部くんの顔に思いきりかけた。




 他のクラスの生徒や教師、警察、救急隊が駆けつけた時、二年三組の教室に生きている者は一人もいなかった。ただ一本、教室の隅に、人間ほどの大きさの赤みがかったキノコが、雪のような胞子を降らせて立っていた。

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