第32話 クラトさんのお願いごと①

 ふらりと戻ってきたクラトさんは、最初に見せたひょうひょうとした態度は崩さず、だけど声色だけはとても真剣味を帯びていた。


「えっと……お願いごと……というのは?」

「ん?あぁー……そうだな。おまえさんがさっき言っていた提案を先に聞こうか」


 どこか歯切れの悪いクラトさんの言葉に甘えて、私はおばあさんが座っていたテーブルとイスの出し入れについて話してみた。


「はぁ~なるほど。日向ぼっこ、ねぇ……」


 クラトさんは空を見上げながら少し考えると、私に視線を戻した。

 また片方の口角をあげてニヤッと笑う。


「いいんじゃねーの。俺も暇ならイス出してやんよ」

「ありがとうございます」


 クラトさん、いい人だと思うのだけど、ちょっと素直じゃないみたい。おばあさんに少し聞いたけど、クラトさんはふらっときてふらっと帰るけどほぼ毎日顔を出しているそう。

『合間を縫って様子を見に来てくれるのよ』なんて、おばあさんは笑っていた。


「それで、クラトさんのお願いというのは……?」

「あぁ……出来れば、あっちの兄ちゃんも交えて話してえんだが……」


 クラトさんはそう言って、ちらっと室内をのぞき込む。

 中では園生くんとおばあさんが、まだ楽しそうに何か話し込んでいる。

「ばあちゃんも楽しそうだしなぁ~。明日、わりぃんだが、うちに来てくれっか?」


 あそこだ、とクラトさんはおばあさんの家からほど近い一軒の家を指さした。

 おばあさんの家と比べると少し小さめの平屋だ。濃い青の屋根に淡いグレーの外壁がシックな雰囲気を漂わせている。住んでいるのはちょっとガサツいている人だけど。


「あ、そうそう。明日ウチへ来ることはばあちゃんには言うなよ?」


 クラトさんはまた片方の口角をあげて笑った。



 ◆ ◆ ◆



 結局、昨日はおばあさんの家の片付けをこなしたら時間が来てしまい、クラトさんとのことは園生くんに言えずじまいで、こちらへ戻ってきてしまった。

 日中だって、同じ世界にいるのだから園生くんと会うことはできる。ただ、わざわざ連絡をとってまで会う必要があるのか。

 どうせマイダの国へ行けば、すずさんの宿で一緒になるのだからその時に話せばいいのではないか。


 どうしようかな、なんてぼんやり考えてもいられず、いつも通り仕事に追われてそれどころではなくなってしまった。


 仕事は生活するために必要だけど、仕事に追われすぎて自分の中の何かを犠牲にしすぎていないかな。


 ふと、そんな考えがよぎった。


 だけどそれ以上はうまく言葉に出来ず、頭の隅の引き出しへしまわれてしまった。



 マイダの国でのクラトさんとの約束がある。


 どうにか仕事を片付けて帰宅する。一緒に残業していた後輩が「今日は先輩、何だか鬼気迫ってますね……」とびくついていた。


 後輩には悪いけど、クラトさんとの約束を破るわけにはいかない。

 それに園生くんにもまだ話を通していない。


 マイダの国にいられる時間は限られているし、その中でスムーズに動くためにはどうするべきか。

「なんでも屋」は決して生きていくために必要な仕事ではない。だけど、適当にこなしていいものでもないと思う。


 それは、自分が思っている以上にマイダの国で出会った人たちが大切なのかもしれない。

 よくまだわからないけど。


 仕事帰りに寄るいつものコンビニで、簡単につまめるものを買ってさっさと家に帰る。

 いつもより少しだけ早く帰れたけど、もうすぐ咲きそうなたんぽぽも、新しくできたお店を見る余裕がない。

 相変わらずボロボロのヒールをコンクリートにぶつけるように歩く。

 カツカツと耳障りな音をまき散らしながら、ふと視線が引き寄せられる。


 前に、園生くんと偶然会った児童公園だ。

 あの時はちょうど会いたいと思っていたら、園生くんが公園で読書をしてた。

 だけど、今夜は公園に人影はない。


 そんなに都合良く、毎回会えるわけないか。


 園生くんとは連絡先の交換をしていなかった。

 こっちの世界で偶然会えれば良かったけど、そううまくはいかないみたい。

 それなら、向こうの世界で早く合流して説明したほうが早いだろう。


「うし、がんばろっ」


 小さい声で自分に活を入れる。一際大きなヒール音を夜の街に響かせながら家路を急いだ。



 家に着いてからはさっさとメイクを落とし、お風呂で1日の疲れを取った。

 といっても、これからマイダの国でやることを考えるとあまり疲れが取れた感じはしない。


 それでも眠らなくては。


 なかなか寝付けないなぁ、とベッドに横になりながら、頭の中でシミュレーションしている内にいつの間にか眠りについていた。



 ◆ ◆ ◆



「……」


 目を開けると、まだ慣れない天井。慣れない寝心地のベッド。

 無事にマイダの国へ来られたみたい。


 何となくだけど、眠りが浅かったのか少し頭がボーッとする。

 ゆっくりと起き上がって室内を見回す。

 軽く体を伸ばして、そのままベッドから立ち上がる。


 普段が、デスクワークなせいか背中がすごく伸びる。


 ぐぐっと背中、肩周りを伸ばしたら体も頭もすっきりした。


「よしっ」


 両手で頬を軽く叩いて自分に気合いを入れて、すずさん達がいるであろう1階へ降りていく。


「お疲れ様です~」

「あら!律歌ちゃん!」


 つい口癖でお疲れ様です、と言ってしまった……。ここは会社じゃないのに……。

 すずさんのよく通る声は、今日も外から聞こえてきた。一緒にザッザッとほうきで掃くような音も聞こえる。

 その音につられるように外へ出ると、すずさんが宿屋の周りをほうきで掃除していた。

 すずさんは私に気がつくと、手をとめた。


「律歌ちゃん、今日は遅かったね。近部くんならもうタイムと一緒に散歩に行っちゃったよ」

「えっ!?そうなんですか!?」


 どうしてよりによって用事があるときに限って、園生くんの行動が早いのか。

 今日は一緒にクラトさんのところに行って欲しいのに!

 すずさんに園生くんとタイムの散歩コースを聞いて、追いかける。

 追いかけながらキョロキョロと辺りを見回す。


 よく見ると、すずさんの宿屋の他にも様々な店がある。

 右手の外壁が木を組んで作ってある爽やかな空色の屋根の建物からは、ふんわりとバターの香りが漂ってくる。

 店の出入り口は開け放されていて、この食欲をそそる匂いはこの店内からきているようだった。


 ちょうど買い物を終えた女性が店から出てきて、何とも美味しそうなフランスパンを2本抱えていた。

 フランスパンの先はすでにちぎって食べられた跡があった。


 美味しそうなパン屋の近くには新鮮な野菜とフルーツを扱った八百屋がある。

 シャキッと音が聞こえそうなくらい葉が青々としているレタス。真っ赤な宝石のように熟れてぷっくりとしているイチゴ。

 見ているだけで喉がごくりとなる。


「旬の果物があるよ~!今が食べ時だぁ~!」


 店主と思われるおじさんが片手をメガホンのように口元にあて、大きな声で呼び込みをしている。

 何となく、パンを買った女性に向けてアピールしているようだ。


 確かに新鮮な野菜を挟んだサンドイッチに、たっぷりのフルーツをデザートに添えて食べるのはきっと美味しいだろうな。


 おっと。思わず、私のほうがつられてお店に寄りそうになってしまう。今は園生くんに合流することが先だ。

 美味しそうなパンとフルーツに後ろ髪を引かれながら、園生くんたちの散歩コースを辿っていく。


 いくつかのお店を横目に通り過ぎたところで、園生くんとタイムを見つけることが出来た。


「園生くーん!タイム-!」

「わふっ」


 私は二人のいる方へ声をあげながら、近寄っていく。

 タイムも私の声に気づいて、尻尾をぶんぶんと振りながらこちらへと軽い足取りで寄ってくる。

 一方、園生くんは静かに私に片手を少しあげて佇んでいる。


 タイムのもふもふを十分に堪能して、共に園生くんの元へと向かう。全身くまなく撫でられたせいか、タイムがどこかご機嫌だ。


「やっほー、律歌ちゃん。なあに?もしかして、置いてかれたと思って追いかけてきたの~?」


 一瞬、園生くんが神妙な顔をしていた気がしたんだけど、見間違いだったかな?

 私に話しかける口調は、いつもと変わらず軽い。


「そういう訳じゃないんだけど、今日は園生くんにお願いがあったから……」

「ん?お願い?……そのまま少し首をかしげて。あごを引いて。で、そのまま僕のほう見て……うん、そのまま可愛くおねだりしてくれたら何でも聞いちゃおっかなぁ~」

「……~~っ!園生くんのバカッ!」


 真面目な声で何をさせるのかと思ったら……。

 思わずつられてしまった私のマヌケ~!


 自分のマヌケっぷりの恥ずかしさもあって、体ごとそっぽを向いてしまった。

 タイムが少し困ったように、私と園生くんの間や周りをくるくると回っていた。

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