ヒトリボシ
チフセ ハナ
第1話
「明日の準備できてる?」
「明日も早いから」
「早く、早く」
「もっと早く」
私は子どもの頃からずっとこんな言葉を耳にし、一日中、追い立てられ、毎晩日付が変わる頃までには布団に入るようにしてきた。
私は眠たいから寝ると言うことはない。
寝付きが悪く、やっと寝付いたのは良いものの今度は朝、起きられず、寝起きも悪い。
それでも、
「明日があるから」
「明日のために」
そして、
「頑張れ! もっと努力して!」
こんな言葉でグルグル巻きになりながら、一日、一日を過ごしてきた。
元々、おっとりした性格の私が、
「ボーーッとしていてはいけない」
と思うようになり、いつの間にか体に沁みついてしまっていた。
「一刻たりとも無駄にしてはいけない」
と。
※
「バス来ーーた」
「バス来ーーた」
口々に言っては幼稚園児が乗り込んでいくバスの入口で順子は両手を伸ばし、必死で掴まり、
「いやーーっ!」
と泣き叫んでいる。
そんな順子をバスの中から先生が引っ張り、外から母が押し込む。
大人が前と後ろから小さな順子をバスに乗せるのを全力で拒み、てこずらせる。これが幼稚園に通う私の毎朝。
幼稚園だけでなく、小学校も中学校も高校も環境が新しく変わる度に慣れるのに時間が掛かり、拒否反応を示し、体調も崩す。こんな調子なのに、自分で考える隙も与えられず、大学も行き、就職し、周りの友人達が皆、あれよ、あれよと結婚していくプレッシャーに押しつぶされながら、三十歳目前に。
なかなか結婚相手に巡り会えない順子に父が、
「お前は『三十娘』になるのか」
「いつまで家に居るんや」
と。
順子はそんな父の言葉を何回も耳にしながら、
「三十になっても結婚できなければ、尼寺に行こう」
と密かに考えていた。
ピンチの時に励ますことなく、ダメージを与える父。
大学入試の直前には占いの本を見ながら、
「順子の今年の運勢は努力実らずやて」
と言い、無事合格したものの、ズタズタの気持ちで入試に臨んだ。
父が不倫をした時は順子も修羅場に巻き込まれ、ついて行きたくもないのに、否応なく父の外出時の見張り役にさせられた。
いくら思い返しても、被害を受けたことの方が多いのに、順子や娘達が他人から褒められる時は、
「お父様の遺伝ね」
「お祖父さまが立派だから」
と必ず父を褒める。
順子はその度、
「またか、なんでやねん」
と心の中で口惜しさを感じながらも、耐えてその場をやり過ごしてきた。
※
「本物、見――つけた!」
平成に年号が変わった年の春、順子は父の言う「三十娘」にならず、結婚した。
健一と出会ったのは、ちょうど、「バブル」の時。世の中の「バブル期」と順子と健一のアツアツでラブラブな時期が重なった。
健一は順子の結婚条件を全てクリアしていて、尊敬できる、頼れる、甘えられる、面白い、目がキラキラ、車を運転できる。そして、
「えっ、そこまでも!」
と思うぐらい心の細かい襞を読み取れる人だった。
結婚に際し、順子が姉の佳代子と二人姉妹なもので、佳代子の時に叶わなかった養子の話を父は次男の健一に切り出した。
健一は、
「姓に拘らない」
と言ったが、健一の両親が許さない。
健一の父親は、
「田口と言っても、そんじょそこらの田口とは違いまして」
と額に入った家紋を出してきた。
そして、健一の母親は、
「養子にするつもりで育てたのではないし、養子が務まる息子ではありません」
と息子を上げたり、下げたりして断った。
結局、順子の父が折れるしかなかった。
この養子話を義父は後々になっても、
「健一を養子やなんて……」
と順子の前でこぼし、
「養子になったわけでもないのに」
「ずっと根に持っているのなら、私にだけ言うんじゃなく、私の父に直接言えば?」
その時、順子が心の中でグッとこらえた言葉。
今なら言える。
しかし、時、既に遅し。
※
そうして、やっと結婚でき、
「これから夫婦二人の生活が送れる」
と思った瞬間、なんと順子の首には首輪が二つはめられていた。そして、リードが二つ。いや、三つ、四つ……あっちに引っ張られ、こっちに引っ張られ……の日々が始まった。
一方、健一は今まで親にはめられていた首輪を喰いちぎり、放し飼い状態で飛び回っている。
お姑さんは健一に言っても、耳を貸さないことを全部順子に。
「ケンちゃん、どうしてる? 元気にしてる?」
「順子さんからケンちゃんに無理しないように、よぉーーく言ってやって」
それだけではない。
「ケンちゃんに栄養のある物、食べさせてやって頂だい」
「ケンちゃんのことをくれぐれもよろしくお願いしますね」
「順子さんのことが嫁と言うより、実の娘のように思えて。いつもいつもケンちゃんと順子さんのことを思ってて。寝ている時も気になっているのよ」
勤務時間中だろうと、休日だろうと関係なしで、しょっちゅう掛かって来るお姑さんからの電話は同じことを何回も繰り返す長電話で順子からは切りたくても切れず、生返事をしながらも相手するしかなく、やっと受話器を置くと、腕が固まってしまっていることが度々あった。
新婚旅行にヨーロッパに一週間行き、帰国した時には頼んでもなかったのに、修学旅行とでも思っているのか空港まで出迎えに来ていた姑さん。新婚旅行に付いて来る姑よりはましかもしれないが、順子は姑の顔を見た瞬間、新婚旅行の余韻が一瞬にして吹き飛んだ。
健一に後々聞いた話しだが、学生時代、合宿に泊まりがけでは行かせて貰えず、毎日、家と合宿先を一人はるばると往復したらしい。
「順子、雨降ってきたから傘持って行こうか」
と今度は父からの電話。
停めていた自転車に乗ろうとしながら、携帯をカバンの中から探し出すのに手間取り、やっと電話に出たものの、自転車は傾き、次々とドミノ倒しに。
「そんなに雨降ってないのに」
「自転車で十分帰れるのに」
父は順子達の家族旅行にも行く先々に電話してきた。
「今、何処におるん?」
「どや? ええとこか?」
「旨い物あったら、こうて来てな」
これでは旅行気分も味わえず、気分転換にもならない。
「『三十娘』と結婚できない娘をバカにしていたのに、いざ結婚したら、何なん」
「国内ではあかん」
もう旅行は海外へ行くことにした。
順子の母親もしょっちゅう電話してきた。
母の起床は五時。自分が起きたら、世の中の人は皆起きていると思っている母は朝、五時に休みの日でも娘を電話で叩き起こす。
「どうしてる?」
「何してるん?」
「まだ寝てるん?」
「さっさと起きな」
「人並みに生活せな」
子どもの家庭訪問の日も先生が来る時間を知っていながら、ちょうどその時間に電話を掛けてくる。
家庭訪問の最中に電話が鳴り、電話は鳴り止まない。話も途中で電話に出るしかない。
「先生、来た?」
「今、来られてるから」
順子は小声で応えるのに、
「えっ、来てはるん? まだ居てはるん?」
母の大きな声は全部先生に聞こえている。
長年の電話の中には、
「今から救急車で運ばれる」
や
「入院する」
と言った連絡も何度かあり、心臓が飛び上がる思いをした。
そうかと思うと、
「どうしてる?」
や
いたずら電話並みに母は掛け間違えて電話してき、順子は電話が鳴る度に青ざめたり、
「なぁんだ、そんなことか」
とうんざりしたりを繰り返した。
母の日、父の日には健一は仕事でなかなか一緒に行けず、順子が一人でプレゼントを用意した。
鞄にしたり、帽子にしたり、ネクタイやスカーフ、財布と、毎年、悩みながらデパートをグルグル見て回った。
けれど、順子は親達がそのプレゼントを使っているのを余り見たことがない。どこに仕舞い込んでいたのか、数年後に母がカビの生えた鞄を捨てているのを見た。気に入らなかったのか、使わず終いでゴミ袋に突っ込んでいた。
健一の母親はたった一度、健一が用意したカーネーションを
「ケンちゃんから貰った」
と喜んでいた。
平日は仕事で疲れ果てているのに、週末を待ち構えていたように両方の親から晩御飯に誘われる。いくらご馳走を用意してくれているとは言え、気も使うし、毎週はしんどい。
健一も少しは断ってくれれば良いものの、喜んで率先して行き、長居し、なかなか腰を上げない。
それで、
「子どもは?」
と来る。
こんな調子では新婚生活も何もあったもんじゃない。
「夫婦二人でゆっくりしたことある? 二人で家でテレビを見るとか」
「ないよね。お腹が一杯になると、すぐ寝てしまうし。よく子どもできたね。本当奇跡」
そして、一人産まれると、次は、
「二人目は?」
と。
流石に、
「三人目は?」
とまでは言われず、女の子二人を授かり、小さな命を大切に大切に育てる日々が始まった。
「ワーカホリック」の健一と共働きしながらの子育て。常に四人の親達の心のベクトルは順子に向けられている。
そして、次第に親達が言っている言葉が順子には全て
「ヤイヤイ」
としか聞こえなくなった。
「ヤイヤイ ヤイヤイ ヤイヤイ……」
「もううるさいわ!」
順子の親には言えても、健一の親には言えない。息子の健一も言えない。
そこで、何とか遠ざけようと順子は必死で距離を取ろうと、バリアを張った。
それでも誰彼なしに何度も軽――くすり抜けて入ってきた。
順子にとっては台詞のないはずのエキストラ達まで口を出す。そして、その度にどうしたら破られないか、頭を悩ませ、バリアを張って張って張り捲った。
※
在職二十年を目の前に順子は仕事を辞めた。その時には二人の娘の育児の大変な時期は過ぎ、長女の小百合は小学五年生、次女の涼音は三年生になっていた。
大抵の女性が、
「これから働こうか」
と言う頃に順子は時間の余裕ができ、
「これから友達と遊べる」
と思っていたのに、入れ違いになってしまった。
順子は勉強に関しては緩――い母親。
「勉強しろ」
と言うこともなく、クラスで塾に通ってなかったのは小百合と涼音だけ。涼音はどうしても塾へ行きたいと言うので、夏休みの夏期講習に二週間だけ通わせた。塾帰りには毎日、友達とミスドやサーティワンに寄って帰ってきた。
ただ、習い事はさせた。楽器を弾けること、体で表現することは順子ができない分、娘達には身に付けてやりたかった。
そこで、ピアノとダンスを習わせた。
小学生が秘めている力は侮れない。大人顔負けの才能を発揮する。
順子はもう夢中で小百合と涼音を週に何回もせっせとピアノ教室へ、ダンス教室へと送り迎えをした。
ところが、中学生になり部活動に入部すると、習い事との両立が難しくなっていく。そして、結局はクラブの練習や試合を優先し、習い事は辞めてしまった。
「かつての習い事で経験した発表会や舞台の良い思い出が娘達の体に残っていて、いずれ機会があれば、また表現するすばらしさを味わってくれれば」
と心の中で順子は今も願っている。
それに引き替え、父親の健一は糸の切れた凧の如く、どこへどう飛んで行っているのやら。
「どうぞお好きなように」
と全て我関せず。
ダンスの発表会の日にビデオの録画を頼んだが、自分の娘がわからず、健一の撮ったビデオには娘は映っていなかった。
三階の南向きの出窓から建物と建物の間に遠く行き交う人の姿が小さく見える。学校からの帰り、同じ高校に通う三年生と一年生だった小百合と涼音がそこから手を振り、順子は必死で手を振り返した。
雨が降ると、その日は娘達二人が雨に濡れないように、仕事を辞めてからずっと高校を卒業するまで車で通学の送り迎えをした。脚元が濡れたまま一日を過ごすのが気持ち悪かった自分自身の経験もあるが、そこまでするのは仕事をしていた時に十分世話することができなかった反動だった。
普段、切子のグラスをお茶を飲むのに使っているが、割れても良いものと違って、いつもヒヤヒヤしながら手にしている。使わず食器棚に仕舞っておく方が安心だけれど、ただ飾っておくだけではつまらない。
「箱入り娘」とはよく言ったものだが、常に「不安にさせないように」を第一に心がけ、子育てをしてきた。それでも、やりたいことはやらせ、娘達をずっと箱にただ大事に仕舞ってきたわけではない。
※
順子は電子レンジの前で見張っている。
バナナを温めるのを。
温め過ぎると、溶けてグチュグチュになる。だから集中!
テレビの健康番組で、
「朝食にバナナを食べるのが良い」
と言っていた。
そして、
「ヨーグルトと一緒に食べると更に健康効果抜群」
と。
「白いパンは良くない」
と本に書いてあったので、朝食はバナナとヨーグルトと少し高いが、全粒粉のパン。
納豆は体に良いが食べるのは苦手。そこでサプリメントで。
「もう完璧――!」
と思って、毎朝、淡々と食べていた。
が、ある日、テレビで、
「朝のバナナとヨーグルトは体を冷やし、体温低下で良くない」
と。
正解は
「どちらも温めて食べろ」
だって。
「温めたバナナ、気持ち悪い」
と思ったが、意外と悪くなかった。
バナナよりヨーグルトを温める方が抵抗がある。もう実験の域でまだ挑戦できない。
意外と「なんてことないさ」と言う実験結果が出るのかもしれないが、まだ勇気と言うか、やる気にならないこの実験。
昔、正しいと言われていたことが、今は間違い。
「昨日」を「今日」がいとも簡単に何の悪気もなく裏切る。
これからも信じていたことを裏切るのだろう。
「最近の研究結果でわかってきたことですが……」
とこの前置きを付けて。
裏切り者は誰? 何?
順子が子どもの頃、スポーツ中には水分を摂らせてもらえなかった。遠足で山に登っても、途中休憩でお茶を飲むことは禁止されていた。
スポーツの得意な健一も順子以上にこのことが体に沁みついている。将に根性でスポーツをし、それはスポーツだけでなく、仕事に置いても健一の気持ちの奥底まで沁み込んでいた。
どんなに暑くても、水を飲まない。
どんなに辛くても、休まない。
強靭な根性。
そして、
「もうそんなの時代遅れ」
「働き方改革」
「ジタハラ」
等と言っても、仕事が山積し、休みを取ることもできない過酷でブラックな職場は多い。
※
爆弾をいくつも抱えていた健一の爆弾が退職目前で突然破裂した。そして、もう取り返しがつかなくなった。
一日にして生活が変わった。
今が現実なら、今までの過去が幻と化した。人の人生はこんなにも一瞬にして変わるのか。子どもの頃からの順子と今が途切れてしまった。
それでも、幼い頃、友達と楽しく遊んでいても、ふと頭を抱え、憂いを感じることがあった。
そして、今まで思ったこともなかったのに、
「今の生活は健一が元気でいるから」
という思いがふと頭に微かによぎったりもしていた。
また、小さな二人の娘を育てながら、
「『母を尋ねて三千里』の『マルコ』のような子どもに育てたい。」
と言っていた。
まるで将来の自分を予知していたかのように。
元来、健一は面倒臭がり屋なんだ。
「終日のたりのたりかな」
健一がよく口にした言葉。本当はこんな生活を望んでいながらも、
「一度立ち止まると、もう動けなくなるのでは」
と言う強迫観念を持って、バタバタと仕事に打ち込んできた。
そう、毎日、ひたすら仕事。
「一つのことだけやっていればいいなんて、楽だよねーー」
ずっと妻や子どもはほったらかし。
「あ、行事の時だけ顔、出してたか」
「イベント夫」
「イベント親父」
準備も後片付けもほったらかし。
ほったらかし、ほったらかし、ほったらかし。
「でも、妻と子どもだけじゃなかったんだね。ほったらかしてたの」
「自分の体もほったらかしてたんだね」
そして、しっぺ返しを食らった。
妻や子どもはほったらかしてても、子どもは育つし、妻も自由に過ごす。
お一人様も楽しんで。
「結局、一番キツイよねーー 自分の体のしっぺ返しが」
もう二進も三進も。
「お医者様」「お医者さん」
「お○○様」「お○○さん」
ここまで呼ばれる職業。
ほぼ「神様」「仏様」的な。
この世の中、理不尽なことは一杯あるが、病人や患者を助けるのが「お医者様」「お医者さん」の仕事。
「救急で運ばれて、どうしてすぐ手術して下らなかったのですか? どうして一晩置いておいたのですか?」
「患者や家族のその後の辛く、過酷な人生考えてますか?」
「医者なら、罪にならない?」
精一杯力を尽くして貰ったのなら、いや、せめて納得できる説明があれば、仕方ないとも思えるけれど。
診察中、
「辞めたい」
と言う医者に二人出会った。
「患者や家族に言うか?」
一人は初対面で言った。
「他にも患者がいるので、一人にばかり構ってられない」
この言葉は何人もの医者から聞いた。
「はて、これを学校の先生が言ったら、どうなるだろうか?」
「僕が気に入らないなら、どうぞ他へ」
も医者の口から出たし、病院自体が受診を拒否した。
医者同士がかばい合い、都合の悪いことははぐらかす、「ドクハラ」横行。
そんな病院が「患者中心」を看板まで上げ、謳っている。
そして、初めて知った。病院は「急性期」病院と言って二ケ月までに「リハビリ」病院へ移らないとリハビリを受けることが出来ず、「リハビリ」病院は長くて半年。老健(介護老人保健施設)は三ケ月と。
国の決まり事云々かんぬん……
「もういい加減にしてーー」
皆、いずれ病気になる。そして、死ぬ。
明日は我が身。
たとえいくら気を付け、努力して健康を手にしていても。
健康は人を傲慢にさせる。
医者の「上から目線」、マジ勘弁!
※
健一のイビキだけが以前と変わらない。
今まで健一はリビングで、
「話すのを止めたな」
と思った次の瞬間、大きなイビキを掻き始め、結局、ベッドまで辿り着くことができず、夫婦、別々に寝てきた。
病気になってからは健一の介護ベッドの横に布団を敷いて、添い寝している。
相変わらず、先に寝てしまう健一のうるさいイビキがいつの間にか、子守唄となって毎晩、順子は眠りについた。
そして、朝もまだ寝ている健一のイビキを聞きながら、
「どうか幻でありますように」
と願って重い体を起こす。そして、残酷な現実を見る。健一は現状維持が精一杯でもう元の体に回復できる見込みはない。
こんなことなら、十年早く出逢って付き合えていたらなぁ……
私達夫婦は結婚指輪をはめていない。
私は腕時計を始め、体を縛られる物が嫌でアクセサリーも特別な時以外、身に付けない。そして、男性が指輪をはめているのも、好きではないので、健一が指輪を付けてなくても、何とも思わなかった。
結局、結婚指輪も実のところどこに行ったのかわからず、健一にプレゼントして貰ったネックレスや
「一緒にゴルフをしよう」
と買って貰ったシューズも履く機会も余りなく、いつの間にか失くしてしまっていた。
「僕のあの帽子どうしたでせうね」
と同様、
「健一からのプレゼント全部どうしたでせうね」
さっぱりわからない。
そして、
「亭主元気で留守が良い」
と言うとおり、元気な時、夫婦で一緒にいることはほとんどなかったし、たとえ、今、健一が元通りに復活できたとしても、私の元にはおらず、すぐに仕事へと戻り、同僚と楽しく飲み歩いているだろう。
つくづく縁の薄さを感じさせられる。
健一はいつも、
「なあ、なあ、なあ」
と順子の腕を肘でつつきながら、声を掛けた。
懐かしい……
順子にとって健一は何も気を使わずに気楽に遊べる遊び相手。たまに休みがあると、健一は順子が行きたい所には特に興味、関心がなくても、食べ物目当てにどこにでもついて来た。食べることが大好きで「美味しい物を食べに行く」と言うと、その夜だけは仕事を早めに終えてやって来た。
そして、
「食べられるうちに食べとかな」
「飲めるうちに飲んどかな」
が病気を予感していたのか、いつの間にか健一の口癖になっていた。
健一がそんな生活をしながら、ある時、
「俺は長生きしなくてもいい」
とポソッと言ったのを聞いて、順子は、
「何、無責任なこと言ってんの!」
と怒ったことがある。
そして、年齢とともに筋肉が脂肪へと変わっていく健一に
「どこか痛いとか、具合の悪い所はない?」
と健一の体を気遣ったことはあるが、その度、健一は、
「ない」
と返事し、順子は健一の体は根性同様、強靭な体と思い込んでしまっていた。
健一自身、無理を重ね、限界も感じ、短命を覚悟していたのだろう。
しかし、人はそんな都合良く死ねない。
健一は不自由な体で命ある限り、生きていかなければならないし、順子はそんな健一に付き合わなければならない。健一の病気を未然に防ぐことができなかったことに罪悪感を感じながら。
新婚の頃、珍しく二人でスーパーに買物に行くと、健一は、
「こんなんしたかったんやろ? なあ、結婚したら、CМの新婚夫婦みたいに夫婦でスーパーで買物するのが夢やったんやろ?」
とうるさく言ってきた。
果たして夫婦で買物等、何回したことか……
買物は大抵順子一人だった。
そして、もう二度と夫婦で買物なんて……
今、スーパーで他所の夫婦が一緒に買物しているのを目にすると、心が重く沈み、健一の元気な姿が目に浮かんでは消えていく。
そして、健一より年上の旦那がボーーッと腕組みしたり、手を後ろ手に組んでフラッと嫁さんについて買物に来ているのを見ると、
「邪魔! どいて!」
とイラッとしながらも、
「立ってる!」
「歩いてる!」
とただ立っていること、歩いていることが、
「凄――い!」
と思える。
涼音が大学を卒業し、働き出したと同時に健一の病気。
「健一の体、二人の娘を大学卒業させるまでよく頑張ったね。」
順子は「子育て」からの間髪入れない「夫の介護」に大きなショックを受けながらも、健一が「娘達が一人前になるまでは」と父親としての責任をちゃんと果たしたことに感じ入りもする。
※
男手が欲しい。
「頼りになる、優しい息子が居たらなぁ」
と健一が病気してから何回も思う。
女だけでは甘く見られる。
順子は元々、力仕事もし、庭の木の枝を払うのも梯子を掛けて一人で鋸で切ってきた。
鋸や鋏を持って木に登っている女姓等、順子は見たことがない。大抵、男性か植木屋に頼んで剪定しているが、植木屋に頼む程の庭でもないので、自分でしてきた。
ある時、健一が珍しく家に居て、剪定を頼んだことがある。
枝や葉が下に落ちても大丈夫なようにシートを広げたり、梯子の準備をするのは順子。
お膳立てが全て整ったところで、健一は渡された剪定鋏でチョッキンチョッキン切るだけ。
後片付けも順子。
そして、片付けが済んだ頃から、
「もういい」
と言うのに、庭を掃き始める。
「もういいから」
「もう終わり」
と何度言っても、止めようとしない。
万事がこの調子。仕事も他の人が、
「そろそろ終わろうか」
と言う頃から更にエンジンが掛かり始める。
「切り上げる」ことが出来ない。
しつこく、しつこく掃いて、やっと止めたかと思うと、今度は、
「どや! 俺がやったら、こんな綺麗になった」
と調子に乗り捲る。
その夜、植木屋に払うであろう剪定代で焼き肉屋に行き、二人で労をねぎらった。
「なあ、上手に切ったやろ。植木屋になったら良かった。今からでもなろうかなぁ」
何回も自慢し、健一は上機嫌だった。
しかし、その木も今では伸びに伸び、順子が手が届く所までは切れても、上の方はボウボウ。樹形がすっかり変わってしまっている。
電球を付け替える。重い物を持つ。
その度にギックリ腰に気を付けなければならず、情けなく感じる。
そして、嫌いな虫も自分で退治するしかない。
「息子は理数系の大学ですが、家では電球一つ取り替えません」
「息子は嫁さんの方に行って、何の役にも立たないよ」
「息子は虫が大の苦手で」
息子を持つ親御さんは言った。
順子もそんな息子は要らない。
欲しいのは「ここぞ!」と言う時、母親に代わって、
「僕がやるから、任せとき。」
としっかり対応してくれる頼もしい息子。
※
今までやらねばならないことをやってきた。やりたくもないのに。
人生で自分で選んだことと言えば、唯一、結婚相手。
その選択が正しかったのかどうかは兎も角、自分の人生を振り返って、親の言う通り、姉を見習って生きる以外選択肢がなかった順子が「結婚は縁」とは言うものの、結婚相手の健一は自分の意志で選んだ。
自分で選んだからには受け入れ難い現状でも受け入れるしかない。
けれど、これからやっと二人で「スローライフ」を送れると思っていた矢先、健一は介護が必要となり、在宅介護の生活となった。
思い返せば、今まで期待を持たされては、ガッカリさせられるの繰り返し。
家事、育児を妻一人に任せっきり。
一緒にいる時間は少なくても、妻や娘達のその時々の気持ちにせめて寄り添うことはできたはずなのに……
将に妻や娘に「介護保険」を払ってこなかった健一。
自分のしたいように暮らしてきた健一を全面介助する在宅介護は順子にとって毎日、血ヘドを吐くような苦行。
「妻の私が介護するのが一番」
と思いながらも、
「なんで私が?」
「なんでこんな時だけ?」
と言う思いがこみ上げてくる。
「私が望んでいたのはこんな生活ではない」
「いつも一緒にいたかった♪ 隣で笑ってたかった♪」
そう、「プリンセスプリンセス」の「М」の冒頭の歌詞。今まで何回心の中で口ずさんだことか……
やっと一緒に居れるようになっても、今の健一では……
「これで満足しろと言うのか?」
「悪魔か!」
沸々と今更口に出す必要もなかった昔の舅、姑との嫌な記憶までが蘇ってき、健一の枕元でグチグチ溢れ出し、吐き出した分、後味が悪い。
また、健一の世話をしながら、旅行先での光景が目に浮かぶ。不思議とこれはいつも同じ場面。
「退職したら、働いている時には行けなかった気候の良い春の桜や秋の紅葉の景色も見られる」
と言う期待が心の中で大きく膨らんでいただけに、
「あぁーー せめてあの時に戻りたい」
「あの呑気な自分にもう一度戻りたい」
と何度も何度も思う。
そして、
「在宅介護は私だけでなく、家に居ることに慣れていない健一にとっても苦痛なのでは?」
「私より職場の同僚に看てもらう方が健一にとっては良いのでは?」
こんな思いも常に頭の中をグルグルし、順子は上司に職場で健一の介護をお願いできないか、頼んでみた。そして、上司に会議で順子の意向を職場の同僚に伝えた貰ったものの、誰からも何の意見も返答もなかったらしい。
綺麗ごとなんかで介護はできない。
お見舞いに飛んで来てくれた同僚達も手を握ったり、涙を流したり、口では色々言えても、日々、健一の面倒を看ることは他人が手や口を出せることではなく、家族の領域で家族と言っても娘達にさえ頼みにくく、順子になる。
「ワンオペ子育て」からの「ワンオペ介護」。
子育ては祖父母や周りがいくらでも手を出したが、介護にはない。
結局、ケアマネージャーや訪問看護師、訪問リハビリにお願いしたり、デイサービスやショートステイを利用することになる。
介護サービスの利用も全て順子に掛かっている。
健一は今、順子の掌の上にいる。
※
海や山、遊園地やプール、映画、外食、ショッピング、国内だけでなく、海外旅行へと娘達が喜びそうな所へは娘達が小さな頃からどこへでも連れて行った。
そんなまるでカルガモのヒナのようにいつも順子が連れ回っていた二人の娘が順子の元から巣立って行った。
小百合は大学に入ると留学し、仕事に就いてからも転勤が何度もあり、その度、順子は断腸の思いで送り出した。
今も仕事で家から遠く離れて暮らしていた小百合が父親の病気で、家から仕事に通えるように職場に頼み、家に戻ってきた。
久しぶりに一緒に暮らせるようになり、順子も喜んだが、健一も順子が話し掛けるより、小百合が声を掛ける方がずっと顔をほころばせ、嬉しそうに反応を示した。
しかし、喜んだのも束の間。介護で全く余裕のない母親と通勤に時間が掛かり、休みも不定休の娘、生活スタイルが合わず、別々に暮らしたことも原因か、以前のように折り合い付けて生活することができない。
そんな生活を続けるうちに順子はイライラが募り、仕事で疲れている小百合に、
「気が利かん」
やら、
「手が掛かる」
「そのやり方は違う」
等と心無い言葉を一杯吐いてしまう。自分でも言わないように、と思っていながらも言ってしまい、母と娘の関係はしんどくなる一方。
そして、結局、小百合はまた家を出ることになった。
折角、一緒に暮らせるようになったのに……
引っ越す前夜、
「お互いに腐らず、発酵、熟成しよう」
なんて、小百合に言ったものの、順子の心が腐れていく。
関わった分、嫌われる順子。
そして、関わってない分、健一の方が娘達にとって「良いお父さん」になっている。
「割に合わんわ!」
そもそも健一が原因。私と娘の関係を壊し、私の人生を壊した。妻子をほったらかしで壊すだけ。
「百年早いわ!」
順子から見ると、自由を与えられ、好き勝手奔放に生きている娘。
こんな娘を作り上げた親の顔を見てみたい。
でも、自分でもわかっている。娘は自分の人生を毎日、懸命に生きている。そして、私ももう今までに一生分の面倒を看たというくらい、子育てを頑張ったと。
「子どもは親の何を見て、大きくなる?」
順子は一人、以前娘達と手を振り合った三階の出窓から遠くに目をやりながら自問する。
「後ろ姿だ」
親達に何度も何度も破られては必死でバリアを張り巡らせていた順子の後ろ姿。
そんな母親を見ながら育った娘達。
順子は遥か遠くに屏風のように連なっている山に目をやり、今はあの衝立の向こうにタンポポの綿毛のように飛んで行った娘を思いながら、
「絶対に娘が張ったバリアを破らない!」
と固く決意する。
私には必要とされてないのに、私の親達のようにしつこく口や手を出し、邪魔者になる勇気がない。娘にとって重い親にはなりたくない。
「私の親達は無神経なのだろうか?」
「鈍感なのだろうか?」
「私の気持ちに気付かなかった? 否、そんなことはない」
気付いていながらも、構わずズケズケ、グイグイ干渉してきた。
そんなこと私にはできない。
「この位の距離がある方がいい」
順子は親に張ったように娘にもバリアを張る。
「天の岩戸」のように娘が扉を自分で開けるまで。「北風と太陽」のように自ら上着を脱ぐまで。
そんな日が来るのか、来ないのか。
「来た時、どうする?」
「嫌味の一つや二つ言ってしまい、更に扉を閉められるのでは?」
順子とって「バーテンダー」は難しい。
※
娘達はそれぞれ一人身軽に自分の必要なものだけ持って家を出て行った。
「私も引っ越したい!」
「娘たちが住んでいるような部屋へ!」
ところが、三十年の間に順子は「山椒魚」(井伏鱒二)と化していた。家から出ることができない。
結婚当初、購入した時は高額だった土地は半値、いや、半値以下の値段になっている。家は大地震に耐え、いくら修繕し、工夫し大切に使ってきたとは言え、老朽化している。これで売るのは……
しかも、部屋の中には家電を始め、今や死語となった婚礼箪笥や鏡台、本棚等が鎮座していて、三階には余り使われず、場所だけ取る勉強机が二つ幅を利かせている。
そして、娘達が残していった物。サンタさんが毎年持ってきたメッセージカード。
「毎年、違うカードを用意するのに、サンタさんは結構苦労したんだよ」
プレゼントの品はいつの間にか壊れたのか、見当たらない。
小百合が大学に入学した時、期待より不安でドキドキしていた小百合に応援メッセージの手紙を渡した。小百合は一週間もすると、大学生活に溶け込み、十分に四年間を謳歌した。その手紙も机の引き出しに残っていた。
自分で考え、心を込め渡した物を自分で捨てる。
サンタのカード、要らなかったのか……
応援メッセージ、的外れだったのか……
「いずれ子どもが独立し退職したら、夫婦二人で海の見える街に引っ越そう」
と言っていた。
そんな夢も儚く消え、一人で何もかも処分し、引越準備するのはかなりのパワーがいる。その上、健一も連れて引っ越すことはとてもできない。
今では健一の行き先が一番の問題。
夫の介護と言う大きな荷を背負い、死んでも困る、生きていても困る夫の行く末、そして、離れて行った娘達には意地でも頼りたくない自分の行く末を案じながら、心震える日々。
山椒魚、
「フゥーー」
と大きなため息をつく。
※
「えらい目にあったで」
「何が?」
今までなら、こんなふうだっただろう。いや、悲鳴を上げてたなら、見に来てくれてた?
お風呂に入ろうと浴室に一歩右足を入れた瞬間、タイルが滑って足がズルーーッと伸びた。そして、次の左足も同様ツルーーッと。両足が滑った。順子は歯を食いしばって声を上げなかった。
順子は水回りはいつもきれいにしておくように気を付けている。
「じゃあ、なんで?」
「意地悪?」
「これ以上私を痛めつけたい?」
健一のために付けた手摺りはあったが、どこにどう掴まったのか、体はほぼ斜めになったが、辛うじて転ばずにふんばった。
どこも打つことなかった。
よく頑張った……
でも、明日が怖い。グーーッとふんばるのに力を入れた所が痛むのではないか。ホッとするために入ったお風呂でスリリングな思い。
「えっらい目にあったで」
順子は一人声にした。誰もそれに応えない。
「えっらい目にあったで」
もう一度今度はもっと大きな声で言ってみた。
健一がショートステイに言っている間は独居になる。大きな家ではないが、親子四人で暮らしていた家に一人ポツン。
たった一人で夜を過ごすことは今まではなかった。健一は仕事からの帰りがいくら遅くても、必ず帰ってきたし、健一が外泊の日でも娘のどちらかが居た。
今は一人。
独居には危険が潜んでいる。
気を付けている時は良い。怖いのは不意打ち。
「そんな時、誰が助けてくれるん?」
「せめて、素っ裸で倒れているのを発見されるのだけは……」
案の定、次の日、右足首やら左の腋腹やお尻が痛い。三日目には体のあちこちが悲鳴を上げ出した。湿布を張るのも手の届く所はいいが、手の届かない所が……
独り身の辛さが身に染みる。
風呂に入るのも何をするのもハラハラ、ビクビク。
自分ではまだ若いと思いながらも、老いていくことが悔しく、哀しい。一人で暮らすことは気楽ではあるが、体の芯はピリピリ常に震えている。
「慣れる?」
「いつになったら?」
もう開き直るしかない。
「ドスコイ!」
と。
そして、やっと眠りにつくと、すぐ朝が来る。容赦なく。
※
順子の楽しみは園芸。庭とも言えない西日と北風の強い狭い場所に好きな植物を植えている。
近所の通りがかったお年寄りに、
「お宅は葉っぱも花も元気やな。どないしたら、そんなふうになるん? あんた、園芸習ってるん?」
と聞かれた。
この人は以前、順子の見ている目の前で何の断りもなく、咲いている花を平気で引き抜いて行った。家に持ち帰って根付かせようと思っていたようだが、さて、上手くいったのか?
順子はこんな人を相手するのが嫌で、
「習ってませんよ」
と答えてやり過ごした。すると、その人はしばらく植物を眺め、
「ま、せいぜい頑張って」
と言ってヨボヨボと立ち去って行った。
「『せいぜい』て何よ! 『せいぜい』て!」
花を咲かせる楽しみも、上手くいけば、いったで余計な口や手を出してくる者がいる。
好きな花を咲かせたい。
重なり合う葉によって光は濃くも薄くも見える緑の葉っぱの裏から太陽の光線が差すのを仰ぎ見るのが好き。
ただそれだけなのに。
しかし、よくよく見てみると、年々枯れたり、花数が減ってきている。
健一の介護に手が掛かり、以前のように世話できないのとここ数年の夏の葉焼けするほどの暑さや虫、そして、余計な口や手を出してくる人に会うのが面倒で玄関から出るのが億劫になってきた。
ところが、なんと手を掛けなくても、咲くものは咲く。
植物のエネルギーは順子の小手先の世話など取るに足らない、余計なお世話とばかりに芽吹き、花開く。
「なぁーーんだ。良かれと思ってしていたのに。植物も子育ても同じ」
梅にしても桃にしても木蓮、バラ、紫陽花、金木犀、庭が狭い分、鉢植えが多く植物にとってはストレスが大きく、一喜一憂を繰り返してきたが、皆、それなりに育つ。
一方、健一の趣味は野球観戦。弱いチームを応援していたため、負けることが多く、その度に激怒する。血圧を気にするも何もあったものじゃない不健康な趣味。
※
唇が痛い。
食べ物が沁みる。動かすと痛い。
健一に膝蹴りを食らった。
順子の冷たい指先がほんの少しチョンと健一の体に触れた瞬間だった。
目の前が何も見えなくなり、何が何やら。床に臥せって唇を押さえ、ただ涙がこぼれた。
順子は健一が病気して以来、泣くことはなかった。泣くだけではなく、口は常に食いしばった状態で欠伸さえ出なくなった。
緊張の日々で涙が出ない。
「涙が出るうちはまだいい」
ずっと涙を流すこともなく過ごしてきた順子が唇の痛さに嗚咽している。
そして、娘達が離れて行った寂しさや憤りまで吹き出し、大声を出して子どものように泣いた。
いくら頭の中で、
「娘達はちゃんと自立できた」
と自分に思い聞かせようとしても、心や体が納得できない。
二人は私の宝物。
子育ての二十数年、自分より夫より「子どもファースト」の生活で自分のしたいことを一杯辛抱してきた。
こんな思いをするために今まで「明日のために」「明日があるから」と頑張ってきたのか。今は常に明日のための辛抱、我慢の連続でしかなかった。
健一の病気以上に娘達が離れて行ったことが寂しく、許せない。
しばらく蹲り、動けず、涙がボタボタ床に落ちた。
きっと泣き声は家の外にまで漏れてしまっていただろう。結局、道行く人、近所が気になり、泣き止み、床にこぼれ落ちた涙を拭いた。手鏡で口を見ると唇は腫れて膨れ上がっていた。涙を流した目も腫れているだろう。顔はクチャクチャだろう。そんな自分を見たくなく、すぐに鏡を置いて、健一を見た。
健一は謝りもせず、平気な顔をしている。
「病気のせい?」
いや、元々こういう人なのだ。
世話をしていて気に食わぬことがあったのだろう。健一はツバを吐いたこともある。
「天に向かってツバする者は」で順子にまでは掛からず、結局、仰向けに寝ている健一の顔にツバは落ちた。
「一生懸命やっているのに、よくも」
と健一に腹を立てながらも、拭いてやるしかなかった。
「性格を治せば、病気も治るのでは?」
そもそも健一がこんな病気になったのは、性格のせいだ。
健一は病気する前、夫婦喧嘩で口で勝てなければ、手や足を出した。力関係が逆転してしまった今でもベッドの上で動かせる限り手足を振り捲る。筋肉はすっかり落ちてしまった健一だが、骨太で鉄骨のような手足に当たるととても痛い。
「虐待」
それは「世話する者がする」とばかり思っていた順子は初めて「逆バージョン」があることを知った。
指は腱鞘炎になり、ギックリ腰の持病を持ち、何回も体にロックが掛かりながらも耐えて、健一の世話している。この上、いつ出るかわからない手足のためにマウスピースの着用も必要とは。
「どうぞリハビリよりボクシングジムへ」
順子には健一の「病気」と「性格」の境界線がわからない。自分からは謝ろうとしない健一に無理やり謝らせる。
そして、やっとしぶしぶ健一が、
「ゴメン」
と一言。
救われない。
※
健一の面倒を看ながら、いつも思う。
「夫と私がもし立場が逆だったら、私をどうしているだろう?」
と。
在宅介護と一言で言うけれど、体のケアだけでも重労働なのに、少しでもリハビリをと毎日、一緒に「パパパパパ」「タタタタタ」「カカカカカ」「ラララララ」と声を出し、舌を動かし、嚥下の練習をする。食事の用意もし、一口ずつ咽ないように健一の口に運ぶ。
そして、後片付け、洗濯、買物、掃除もある。
デイサービスやショートステイの荷造りや準備も大ごとで、送迎時には道行く知らない人までもが健一の車の乗り降りを立ち止まってまで凝視し、その都度、夫が好奇の目に晒されるのに耐えなければならない。
更に、健一にとって大の苦手の手続きや書類が山ほどある。
「それを一つひとつこなせる?」
常にアンテナを張り巡らせていないと、提出期限もあるし、知らずにいて給付して貰えるものも貰えないことが一杯ある。
「お金の管理はできる?」
健一は金銭的なことを結婚以来、全て順子に任せてきた。
「通帳がどこにあるか、暗証番号は何か知らないよね」
今まで興味、関心を示すことのない健一にわざわざ伝える機会もなかった。
健一はきっと私の枕元で
「通帳は?」
「印鑑は?」
「暗証番号、早よ言え!」
と喚き散らしているだろう。
「そもそも私を在宅で介護すること等できるだろうか?」
健一が車イスで出入りしやすいように、納戸にしていた一階の部屋に介護ベッドを入れることにした。そのために、
「この大量の荷物をどうしたものか」
と途方に暮れつつ、婚礼箪笥を三竿処分した。大切な箪笥が無残に撤去されるのを目にすると何の躊躇いも無くなり、残り全てを捨て部屋を空っぽにした。エアコンも付け、扉も引き戸に替えた。
窓の障子の張替えは小百合がした。初めてにしてはなかなかの出来栄えで日当たりの良い、こざっぱりした部屋が用意できた。
「健一さん、あなたにできる?」
決して腕力ではない。
気持ちと知恵を絞り、用意した。
「私を在宅で面倒看ようと言う気持ち、ある?」
在宅介護が一番良いとも言えないだろうけれど、
「僕が妻の面倒を看る!」
と言う気持ち。
「そんな気持ち、健一さんにある?」
健一なら、私をリハビリ病院から即、施設にほうり込んでいただろう。
他人任せで妻がほったらかしにされていようとお構いなしできっと施設のスタッフさんに、
「どうもぉーー お世話になってます」
なんて言って、愛想振り撒いているだろう。そして、スタッフさんは私に
「良いご主人ですね」
と。
笑える。
そして、施設に面会に来ることも次第に足が遠のいていって、たぶん家には女が入り込んでいるだろう。
職場で「良い人」で通っていた健一。
特にシングルマザーの女性達の面倒看が良かった。シングルマザーの悩みや子育ての相談によく乗っていたことを知っているし、健一が病気して連絡が取れなくなってからも、子どもの近況を知らせる葉書や手紙がしつこく届いた。
健一にとっては親切でしていたことでも、藁をも掴む思いのシングルマザーにとって、健一は頼りになる男性。そんな健一が一人で暮らしているとなれば、女はこれ幸いとやって来て、健一も拒むことなく、家に招き入れているだろう。私が長年掛けて築き上げて来た城に女が……
健一は私の父のように
「おい、お茶!」
「おい、飯!」
とまでは言わなかったが、結局、健一も一生家事をすることなく過ごせる人。
金持ちでも皇族でもないのに。結婚するまでは母親が。結婚したら、妻が。
そして、どこかの女が最初は遠慮しいしいだろうが、すぐに我が物顔でキッチンを使い、健一の洗濯物も喜んでやるのだろう。
ゾッとする。
今は病気でもう家事を一切することもなく、一生が終われる。
私だって、体調のすぐれない日がある。そんな日でも立ち上がるのもしんどいのに、フラフラと洗濯をし、使ったコップや皿を洗い、その合間、合間に横になり、倒れている。
健一は私なんかよりチャッカリ、よろしくやっているはず。私の想像は当たらずとも、遠からずだろう。
もうバカバカしくなってくる。
私には周りを見回しても、そんな都合の良い男性は見当たらない。それどころか、アルコールでも飲めれば良いが一滴も飲めず、好きな庭いじりも思うようにできず、ストレス発散することもなく、ただただ介護の日々を送っている。
「私は何て真面目なんだろう」
「ね!」
「クソがつくよ」
「クソ真面目、クソ真面目。何でもかんでも真に受けて。クソが付くほどクソ真面目」
一人、声に出して歌ってみる。
※
年号が令和に変わり、平成の三十年が終わった。一口に三十年と言うのは簡単だが、これからのことを考えると……
父は九十一歳、母は八十九歳。
父は退職してもまだ仕事をし、七十歳まで働き続けた。
「元気やったんやなぁ」
自分第一で何があろうと、どんな時でも自分のペースを崩さない父。そして、母も能天気な性格の分、年を取らない。
この2人のDNAを受け継いでいるなら、
「私も!」
とは思うが、そんなパワーは……
その上、今まで嘆きは順子一人のものと思っていたが、「明日は我が身」と言ったように、令和は一年にして、一瞬にして皆の嘆きになってしまった。
もう健一を在宅介護することも順子一人では不可能になった。五年は覚悟していた在宅介護から大急ぎで施設を調べ、あちこち見学し、やっと入居にこぎ着けた。
病気になった時も、まさかの突然。
施設入居も、まさかの突然。
順子は小舟に乗せられ、あっちに流されては濁流に飲まれ、こっちに流されては渦に巻かれ、ただ振り回されるままで全く気持ちが追い付かない。
無事、施設に入居できた健一に
「来たよ。誰かわかる?」
と聞いてみる。
「順子!」
「よし、よし」
「娘の名前は?」
「小百合」
「もう一人は?」
「涼音」
在宅介護ではなかなか娘の名前が出てこなかった健一を
「子育てしてないから仕方ないか」
と順子は変に納得していたが、外面の良い健一は外では気を使っているのだろう。それが良い刺激になっているのか、意識がはっきりしている。
そして、こんな施設でのやりとりもほんの最初だけですぐに面会禁止になってしまった。
※
順子が小百合と涼音と健一と四人で賑やかに生活を送っていた頃、隣は独身男性が一人で暮らしていた。やがて男性は結婚し、子どもが生まれ、四人家族で暮らしている。その隣で今は順子が一人ひっそりと暮らしている。
見事な逆転。
四人で暮らしていた時は部屋が散らかっていたり、水回りが汚れているのを見ると、順子はいつも、
「また健一が! 小百合が。涼音が」
と腹を立てていた。
三人が汚し、散らかし、片付けるのは順子だけ。これが我が家だったから。
しかし、一人になって汚れを見つけると、家族の所為にはできず、
「えっ、私が?」
と意外にも自分も汚していることに初めて気付いた。水回りや部屋に落ちている髪の毛も今や自分の髪の毛でしかない。
最初、健一が病院に入院した時、しばらく朝、健一が出勤のため大急ぎで階段を駆け降りて行く足音が聞こえた。体は病院にありながらも、仕事に行かなければと言う長年の強い思いは家にあったのか。
今は、
「コンコン、コンコン」
と健一の咳が聞こえる。健一の気持ちが家に残っているのか、それとも、私が毎朝聞いていた足音やいつも耳にしていた咳が空耳として残っているのか。この咳はいつまで聞こえるのだろう。
そして、一人、部屋の壁に掛けられたままの四人で撮った家族写真を眺めながら、改めて思う。
「結婚て、何?」
「家族て、何?」
と。
確かに長い長い独身生活を持て余してはいたが、結婚し、まさか自分の人生にこんな「氷河期」が来るとは思ってもいなかった。
「バブル期」に出会った二人の結婚生活があの華やかで誰もが浮かれて見えた「バブル期」が弾けたように、将に一瞬にして泡のごとく弾け、消えてしまった。
今まで「一人は慣れている」と思っていた。でも、夫がいて、娘達もいた。
全然違う。
今は本当に一人。
健一の介護から解放され、肉体的には楽になりはしたものの、毎日、フラフラと力なく布団から起き上がり、これと言った当てもなく、一日を過ごす。もし、施設の面会が禁止されていなければ、せっせと通い、世話を一杯しているだろう。
※
「アーーーーーー」
大きな口を開け、欠伸の練習をする。
順子の体は常に鎧を着ているように強張っている。食いしばった口同様、肩は野球ボールのように固くなり、力を入れて握りしめている手の指もグッと踏ん張っている足の指も固く曲がっている。
健一が病気する直前、一緒に食事に出掛けた時のこと。いつもなら、短気ですぐにカリカリ怒る健一が順子が出すダメ出しに文句も言わずに応じ、珍しく優しい健一に
「あれ?」
と思った。
そして、健一がトイレに行き、なかなか戻って来ないので、待ちながら、
「あれ? 私、一人で来てた?」
と不思議な錯覚を感じた。
しばらくして健一が現れたので、その錯覚は消えたが、
「ひょっとして今も錯覚の中にいるのでは?」
「健一は今、元気で職場で働いているのでは?」
そして、
「あの時、優しかったのは?」
一緒に居ることは少ない上に顔を合わせれば、ああ言えば、こう言う。こう言えば、ああ言うで、いつも喧嘩ばかりしていた。
そんな夫でも、やっぱり頼りにしていた。
「健一が元気で帰って来ない限り、もうホッとすることは一生ないのでは?」
こんなことをとり留めなく思いながら、
「アーーーーーー」
と顎が外れないよう、顎を支えながら、日に何回かやってみる。
何日か続けるうちに、欠伸が出始めた。更に繰り返し口を開けると目に涙が滲んできた。
そして、やがて涙を流すことのなかった順子の目から
「ツーーーーーーッ」
と涙が頬に流れた。
※
自分でも意識しないうちにいつの間にか部屋の色調が白くなってきた。
白い壁、白いテーブル、白い椅子、窓には薄っすら模様の入った障子紙。
その中で一番のお気に入りの白は障子紙。陽射しをうまく調節してくれる。
昼下がり、まどろむ白い世界の中に色のついた私がポツンと一人。
すると、近所の小学生が学校から帰って来る足音が聞こえる。子どもは道の真ん中なんか歩かない。溝のグレーチングの上を歩く、走る。うちの娘達もああして家に帰って来てたんだなぁ。バンバン大きな足音を踏み鳴らして。
「二人の娘には私はどんな母親に映っているのだろう?」
「二人の娘の手を引いてずっと歩いてきたと思っていたけれど、今まで手を引いて貰っていたのは私の方では?」
そんなことを思っている私に、
「毎日、一人で何してるん? 楽しい? よく生きてるね」
と嘲る声が聞こえる。そのバカにするような口調に、
「さあね。他人の不幸は蜜の味?」
と私も言い返す。
今まで
「あなたよりまし」
と何回言われてきたことか。
そう、
「よく結婚できたな」
とも言われた。
心の中で思っていても、なかなか口には出せないことを面と向かって平気で。
当時、自信のない私はずっと耐え、自分を卑下してきた。
今では「セクハラ」「パワハラ」「モラハラ」なんて言葉があり、私の味方をしてくれる。父の「三十娘」も「マリハラ」だった。
「よくも……」
仕事を辞めてからの話し相手はほとんど家族だった。
ところが、健一が病気してから専業主婦なら、そう人に頭を下げることもなく過ごしてきたのに、突然、健一の代わりに頭を一日に首が痛くなるほど何回も下げ、健一が話せない分、健一の気持ちや状況を医者や看護師さん、リハビリの先生、ケアマネさん、薬剤師さん、仕事の同僚等々、健一に関わる人達に話さなければならなくなった。
元々、健一はよく喋り、病気になる数日前もアルコールが入って、更に勢いが増してひっきりなしに喋り続ける健一に
「うるさいわ!」
と言ってしまったほど。
もう一生分喋り尽くしたかのように言葉を発しなくなった健一の代わりに必死に話し、同じ日本語を話しながらも、なかなか通じないコミュニケーションの難しさを嫌と言うほど、痛感させられた。
固定電話を置いていなかったお陰で顔の広い健一の大勢の知り合いに対応しなくて済んでいるが、健一の携帯も解約したので、介護に必要な連絡は私の携帯を介してするしかない。夫や娘達と連絡を取る「お守り」代わりに買った携帯なのに。
「こんな携帯いらんわ!」
と順子は携帯を投げ捨てる。
二人分の会話をするのにヘトヘトになっていたのに、今度は無言の生活を送ることに…… 歌でも上手く歌えるなら、歌ってもみるけど……
「もう何日、話してないだろう?」
あれだけしょっちゅう電話してきていた母からの電話も今は掛かって来なくなった。年を取ったとは言え、母は呆けてはいない。
こんな時こそ娘を思って、
「どうしてる?」
だろう。
自分の言いたいことだけ言えば、娘が言いたいことを言おうとした瞬間、電話を切る母。
母は頼んでもないことはせっせとし、頼んだことはいつも
「知らん」
「できん」
「ようせん」
の一点張り。
健一が病気になった時でさえ、母から慰められることはなかった。だから、母の前で泣くこともできず、独りで耐えるしかない。
若くして夫が病いに倒れた娘の気持ち等、母には想像することもできないのだろう。
親達はずっと自分の「都合」で自分の気の済むようにしていたわけで、娘の「都合」や「気持ち」まで考えてはいない。
ただ、そんな母でも私が跳ね飛ばして寝ている布団をきれいに掛け直してくれた。
その時の気持ちの良かったこと……
結婚してからは夫や娘達に布団を掛けることはあっても、掛けて貰ったことはない。自分で足で布団を引き寄せたり、手で手繰り寄せたりし、布団を掛けるしかない。
白い部屋で一人。
今まで手に入れたかった誰にも邪魔されない自由とはこんなに深い孤独とセットになっていたのか……
こうなったら、般若心経でも唱えてみようか。
何度か耳にしても、所々しか覚えていない般若心経。お経の内容を「有難うと言う意味」とザックリ理解している般若心経を唱えてもおかしくない年齢、状況に十分なっている。
「もっと朗らかに」
こんな声も聞こえて来た。
「笑うこともあるよ。声を上げて」
今では、ほぼ毎日取りに来るゴミの収集に合わせ、仕方なく起きるのがやっとで、そんな自分を鏡で見ては
「疲れてるなーー」
と感じる。
鏡に映る私の顔は左右の眉の高さが違う。右の眉の方が左より下がっている。
二十代の頃はこんなことはなかった。この右の眉の上には四人の親が乗っている。親に余計な干渉をされる度に右眉の上がキュッキュッと窪み、私の右眉はどんどん押し下げられていった。
そんな私の顔を見、父が
「順子は更年期ちゅう顔しとるなぁ」
と。
「はあ?」
皆、他人の顔は見られても、自分の顔は見えない。
病気してから元気な時の顔とすっかり変わってしまった健一の顔を見ては嘆いていたが、私には自分の鬼の形相や醜さが見えない。 否、見たくない。
「栄養のあるもの食べている?」
また声が聞こえた。
健一の病気以来、料理なんて名乗れる物は作れてない。それでも、在宅介護していた時は頭を捻り、毎日、おかずを作っていた。
一人となった今はたった一人分なのに、お茶を沸かすのも米を洗うのも面倒で、おかずも同じようなものになる。
そして、餅に餡子をつけて食べるのが糖分を気にしながらも、美味しく、餅米の粘りでもなければ、日々やり過ごせない。
「本当、一人でよく居るね」
感心しているのか、呆れているのか、色んな声が白い部屋のあちこちから聞こえてくる。
今まで健一の横で添い寝してきたが、今はあのうるさいイビキを聞くこともなく、一人寝る。施設に入居する前に健一のイビキを録音した。
「もう聞くことはないのかも……」
と思って。
うるさいけれど、懐かしく、ホッと安心できた健一のイビキ。けれど、録音したイビキを再生することができない。聞くと、胸が張り裂けそうで。
夜、一人で寝る部屋に小さなヤモリが出た。
虫の苦手な私だが、ヤモリは怖くない。
私はヤモリに話しかけた。
「家、守ってくれてるん? 有難う」
と。
私にはそのヤモリが可愛く、頼もしく、愛おしく思えた。
「人生は何歳からでもやり直せる。」
「本当に?」
カルガモの母鳥はヒナを大急ぎで巣立たせ、次のヒナを身籠るらしい。切り替えが早い。ここ数年、「寒い」も「暑い」も言っておられず、健一の看病、介護に明け暮れてきた。
「すっかり疲弊し、今尚、ホッと出来ずにいる私にやり直しができる?」
「明るい未来はある?」
「過去は幻?」
「いつもあるのは今だけ?」
「過去と現実は繋がっていない?」
未来に希望が持てず、現実と過去が混沌とする私。
小学生の頃、祖母と母と私が一つ部屋に居て、曇り空から雨が降り出した。窓から外の様子を見ると、辺り一面の景色が緑色に見えた。その時のことは一枚の写真のように今も記憶に残っている。外が緑色に染まり、部屋の中まで緑色に包まれ、そんな中に三人が居た。
その記憶が次第に幻か本当かわからなくなってきていたが、「緑雨」と言う言葉があることを知り、単純に字面だけ見、
「あれは幻ではなかった」
と確信した。
また、小学校の授業中、窓の外に大海原が広がっている景色が浮かんで見えた。小学校は海からかけ離れた場所にある。空に浮かび上がった海にはいくつか船も見え、生徒達は席から離れ、窓に駆け寄り、その景色を眺めた。
蜃気楼だ。
「この記憶は幻か?」
後に小学校からの友達に聞いてみたが、その時はクラスが違ったのか、覚えてないらしく、確認は取れなかったが、これも、
「絶対見た。蜃気楼を」
と確信している。
「過去があるから現実の今が存在する。過去は幻ではない。」
いくら年を重ねても、未だこの世に馴染めず、何を信じれば良いのかわからない私。ただ今まで自分が感じたことを信じるしかない。
白い部屋の中で幾日もあれこれと一人思いを巡らす私。そんな私を癒してくれるのは手に持つ飴の袋に一つひとつ書かれているメッセージ。
「ゆっくりしてね」
「気をつけてね」
「あったかくしてね」
「ほっとひとやすみ」
「無理しないでね」
家族の誰からも聞けない、そして、家族に私が一番欲している言葉。私は
「アーーーーン」
と口を大きく開け、飴を口に入れる。
※
施設に入っている健一にはヘルパーさんや看護師さんとのやりとりがある。そして、訪問診療や昼夜問わずの見守りがある。
私にはやりとりも見守りもない。
後ろ盾がない。
ふと、宮尾登美子の「一弦の琴」の蘭子の晩年の姿が頭をよぎる。二十年程前に読んだ時には、
「へぇー 何をやらせても優等生でプライドの高い人だった蘭子がこんなふうに朽ちていくのか」
と意外に感じながらも、他人事だった。それが、今では他人事には思えない。
蘭子は一弦琴で人間国宝となったが子どもがおらず、一人布団で苦しみ、もがき、糞尿垂れ流し、布団も畳みも腐り、異臭漂う中、かすかに息をしているところを弟子の一人に発見される。枕元には蘭子が何日前に食べたのやら、米粒が干からびた茶碗と箸が散らかっている。
弟子によって発見された蘭子は病院へ運ばれ、最期は国宝らしい死を迎えるが、国宝でさえ、見守る人がいなければ、一人断末魔の苦しみを味わうことになる。
※
私はいつの間にか、韓流ドラマにはまり最近は本を読むことも少なくなったが、仕事を辞めてから活字中毒になり、活字を読むことなしでは一日を終えることができなくなった。そして、たまたま本屋で手にした一冊の本をきっかけに宮尾登美子の本を読み漁るようになった。
永らく本棚に眠っていた「一弦の琴」を久しぶりに取り出してきて、ページをめくってみる。すると、女性が書いたものとは思えない凄みと迫力ある筆運びに圧倒され、
「あぁ、この感じ」
と懐かしさが蘇り、分厚い本でありながらも、何冊も読破できたリズム良く流れる文章に吸い込まれ、また読み耽ってしまう。
愛読書、宮尾登美子の本にはどの作品にも芯のある女性が描かれている。
「この芯のある女性に私は憧れ、ここ二十年近く生きてきたのではなかったか?」
サイン会が高島屋で開かれると聞けば、朝早くからいそいそと出掛け、整理券を手にした。そこまでファンだった作家の作品、本来なら血となり、肉となり、骨となってるはずが、今の私はすっかり弱気になっている。
七十歳ぐらいまで、まだ十年は娘達が結婚し、孫の顔も見、夫婦で海外旅行を等と考えていただけに年を取ること、一人で暮らすことが想像以上に重く私に圧し掛かってくる。
「今は蘭子の時代とは違う」
とは言え、自分の行く末を考えなければならない。
健一のお陰で「有料老人ホーム」「サービス付き高齢者住宅」「特別養護老人ホーム」等々、一通りの施設を見学してきた。
最初は「老人」や「高齢者」と言う言葉が付いているのに抵抗を感じた。
けれど、もう
「引っ越し先をワンルームマンションへ」
等と悠長なことを言っている場合ではない。
「最後は施設でお世話になるか。そのためにはお金が…… お金がなくては話にならない」
「施設に入ったら、今の生活を贅沢だったと思い、毎日食べているあんころ餅を懐かしく感じるのだろうか……」
と思い通りになるか、ならないか分からないエンディングをああやこうやと考える。
※
今の一人の時間は寂しいが、自分のペースで好きなように過ごせる。
「よし、もう一度宮尾登美子の本を読み返してみよう。四十歳の頃とは違う味わいや深みを感じられるのでは……」
「いつの間にか忘れていたそれぞれの小説の中に出てくる芯のある女性にもう一度出会い、その生き方を今こそ学びたい」
「好きな韓国語の勉強も少しずつやることにしよう」
「やっと真剣に韓国語を勉強することを許される時が来たのでは?」
韓国語に興味を持ったのは五年前。リズムが良いのと漢字語が面白い。韓国語のCDは何枚も買って、車の運転中が勉強の時間だった。
そして、たまに電車に乗っては、駅名がハングル文字で表記されるのを見て、
「あぁ、こう書くのか」
と考え、楽しんでいると、すぐに目的の駅に到着していた。
しかし、いつまで経っても韓国語の入口に立ち尽くしたままでなかなか奥に入ることができない。
いくら車を運転しながら、韓国語のCDをグルグルグルグル聞いていても、やっぱりハングル文字を覚えないことには韓国語は始まらない。記号のハングル文字は覚えやすい文字のはずが、テレビの「ハングル講座」に付いて行けるのは毎年、4月まで。テレビの生徒達はとても優秀で私が考える間もなく素早く、間違えることなく正解を答える。
「大学時代、第二外国語で韓国語を選択していたら……」
ヨーロッパに漠然と憧れを抱いていてフランス語を選択したものの、発音が難しく、男性名詞や女性名詞やらで、よく単位を貰えたと思うぐらい悲惨な状態で習得したのは挨拶程度だった。
「はて? そもそも私の大学時代に第二外国語の選択肢に韓国語があったのか?」
涼音は大学で韓国語を選択し、易々と韓国語を身に付けていた。
学生時代は机に縛られるのがとても苦痛だったが、五年の間に耳から覚えた言葉もあるとは言え、今は座学の大切さをひしひしと感じる。
とは言え、今更、韓国語を勉強する理由等、全くない。
しかし、一歩で良い。一歩で。そして、できるなら、二歩、三歩と。
やらされるのではなく、自分から興味を持ったことの奥へとどんどん進まないと自分の人生を生きているという実感が感じられない。
初めて書けた単語は
「어머니」
だった。
残された時間はもう少ない。悠長にやってはいられない。また力が入って、焦りと同時に諦めの気持ちが……
「韓流ドラマを見るのを楽しみながら、勉強する!」
この位の歩みで行こう。
※
ほんの時たま涼音からメールが届く。素っ気ない短いメールでも、まるで陽が射したようで順子は飛び上がるほど嬉しく、すぐに返信する。順子が送ったメールに関しては既読だけがついたり、何日か遅れてやっと短く、そっ気ない返事が返ってくる。
そんなことには、もうとっくに慣れたが、
「娘とは言え、一体どうなっているのやら? 私はどんな時でも親や姑からの電話を無視できず、嫌々でもずっと耐えて来たのに」
と娘の賢さに感心し、自分のバカさに腹を立てつつ、不思議に思う。
それぞれの生活が「同時進行」しながらも、「一方通行」「音信不通」。
打っても響かない。
誰もが持っている携帯。そして、誰もが誰かといつでもどこでも繋がっている……
私にとって携帯は今や「辞書」代わり、「新聞」代わり。
「この世にはこんな世界もあったのか……」
私は今、誰からもかけ離れた世界に一人住んでいる。奮起して興味を持ったことにチャレンジしても、なかなか埋まらない心の穴から寂しさが吹き抜け、時には胸が重く、痛む。
その傷む胸を押さえ、じっとしていると、遥か遠くから以前の私の耳には聞こえなかった夕方、五時を告げる「夕焼け小焼け」のメロディーが流れるのがはっきりと聞こえてくる。
昨日も聞いた、一昨日も。いや、毎日……
この時間、習い事の送り迎えや夕食の準備に慌ただしく過ごしていた日々を遠い昔のことに感じながら、私はメロディーに耳を傾ける。
もう今では誰一人この家に帰って来ることもなく、「お手々つないで皆帰ろ 烏と一緒に帰りましょう」と歌詞まで浮かび、夕方の寂しさを一層誘う。
そして、このメロディーが聞こえる瞬間がまた明日も来る。
毎日、ただ時間だけが虚しく過ぎて行く。
明日も明後日もその次の日も……
※
夜、ベランダで一人、空を見上げ、
「この空には星が所狭しとある」
「ほら、手が届くぐらい近くに」
と以前、旅行先で見た満天の星空を思い出す。
本当はすぐそこに無数に実在するのに、私には仲良く寄り添うように輝いている二つの星しか見えない。
「また満天の星空を見たいなぁ……」
と願いながら、二つの星を眺めていると
ふと
「私は決して一人取り残されたのではない、絡みもつれ合う今までのあらゆる関係から離れられたのでは……」
「もう娘でも妻でも嫁でも母親でもない、ただ私でさえあれば良い」
「私が考え、すること等、しれている。思い返せば、全て他力では……」
そう思うと、スーーッと体が軽くなったような気がする。そして、心も頭も空っぽになった。
しかし、それでもまた寂しさの中に引き戻され、哀しく、恨めしく思う。
そして、壁に掛けられた家族写真を横目に
「まんざら嘘でもなかったのに」
と昔のことを突き放してみる。
健一が病気してから、幾度か結婚記念日や誕生日が巡ってきた。
「目出度いのか、目出度くないのか……」
もう素直に心から祝えない記念日や誕生日。
「これからも巡ってくるその日をどう過ごしたものか……」
※
「順子――!」
母が絶叫する声が耳元で聞こえて、ハッと目が覚める。まだ暗い。時計を見ると、五時前。
胸がザワザワするのと同時に、
「どうして娘をこんなふうに呼んで育てたのかなぁ」
と思う。
その母が、
「順子――!」
と叫ぶ声は常日頃から聞き慣れた声。
「ジュンちゃん」
とは母からも家族からも一度も呼ばれたことはない。
私は娘達を
「サッちゃん。」
「スズちゃん。」
と呼んでいる。
私も少しくらい……
「ジュンちゃん、ジュンちゃん、ジュンちゃん。」
一人、心の中で繰り返す。
朝方、夢を一杯見る。
夢の中では私は必死で話していて、元気な時の健一が毎日出てきて懐かしく、胸が締め付けられ、目が覚める。
「もう夢に出て来なくてもいいから」
「もう『族』とっくに解散したんすよ。昔は皆でブイブイやってたんすけど」
一人、願ったり、ヤンキー口調で言ってみる。
そして、健一に対して、
「よくも私をひとりぼっちにしてくれたな!」
と怒りが込み上がるものの、結局、夫や娘達を忘れる方法もわからず、吹っ切ることもできない。
独身時代、私は自分の人生を他人事のように傍観して過ごしてきた。しかし、結婚してからは人生の主役となった。主役として一日、一日必死で積み重ねてきた生活をそう簡単に忘れられるわけがない。
「この結婚生活は『一炊の夢』に過ぎなかったのか?」
それなら、サッサと覚めて欲しい。全て忘れられるものなら、どんなに楽だろう。そう、全ての愛着や未練が無くなれば、思い悩むこともなく、身軽になれる。
日々、気持ちや体が重くなったり、軽くなったりを何度も何度も繰り返す。
そして、今夜も、
「これから私はどうなるのだろう……」
と夜空を眺める私に、
「ヒトリボシ」
と空から声が降ってきた。
「ひとり星……」
ハッとし、小さく呟き、空を見上げ、心の中で大きく応える。
「何度気持ちが揺れようと、私は微かにでも自らの力で輝くひとり星でありたい!」
過去は幻ではないが、過去に振り回されず、一瞬で過ぎ去る今や未知の未来に一喜一憂せず、たまにある砂粒のような小さな幸せを広い集め……
あのいつも寄り添って見える二つの星も何億光年も掛け離れているのかも。
<完>
ヒトリボシ チフセ ハナ @h-a-n-a
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