第26話 マツの葛藤

 マツは落ち着きなく部屋の中を動き回っていた。しゃがみ込み、立ち上がり、歩き回り、立ち止まり、またしゃがみ込む。

 ソワソワして、じっとしていることができない。


(あぁ、ダメ……ダメよ私。消えてしまいたい)


 謁見の間をあとにして自室に戻ってから、同じ考えが頭の中をグルグルと巡っている。


(どうして私が第二夫人なのよ。チヨちゃんのほうが何倍もいいに決まってるじゃない!)


 少しも慌てた様子を見せず、堂々としているチヨの姿は、肝が据わっているようにマツの目には映った。皇子の問いかけにも、きちんと対応していたのはチヨだ。

 マツは言葉を発することなく、ただ頭(こうべ)を垂れていただけ。


(それなのに第二夫人? あの皇子、頭がおかしいんじゃないの!)


 しまいには、決定を下した皇子に対する憤りまで顔を覗かせる始末だ。自分の精神状態が不安定なことは明白である。

 しかも、心を落ち着ける方法を……精神を安定させる方法が分からない。

 深呼吸して瞑想することも試みたけれど、期待したような効果は得られなかった。なぜなら、瞑想中に思い浮かぶ事柄は、身をよじって逃げ出したくなるような内容ばかり。


(あぁ、どうしよう……。絶対、チヨちゃん怒ってる……)


 皇子とアサギが謁見の間から出て行ってから、チヨのまとう雰囲気が明らかに変わった。抑えきれない憤りが噴出していることが、見ないフリを決め込んで視線を合わせないようにしていても、肌でヒシヒシと感じてしまうほどだ。

 そして、アサギも……きっと怒っている。

 美しさに磨きがかかった幼馴染みは、謁見の間でひと言も発さず、ただ、そこに存在していた。黙って皇子の隣に座っていただけなのに、圧倒的な存在感。后としての貫禄がついてきたとでも言おうか。嫁いだばかりの頃を思えば、成長度合いが計り知れない。

 侍女としてならば、喜ばしい変化だ。けれど、側室という立場でなら、機嫌を損ねてはならぬと戦々恐々してしまう。


(もう! だから、どうして私が第二夫人なのよ)


 そしてまた、思考は始まりに戻ってしまうのだ。


「百面相の練習か?」


 突然かけられた声に、動きをピタリと止める。頭を抱えたままの体勢で声がしたほうに顔を向ければ、いつから見られていたのか……出入口に、呆れた様子の皇子が立っていた。


(嫌だわ! 独り言……声に出してなかったわよね?)


 聞かれていたら一大事。マツは、さらなる挙動不審な行動をとってしまうだろう。

 平静を装って定位置に座ると、何事も無かったかのように、ゆっくり頭を下げた。


「ようこそ……お越し、くださいました」


 動揺が隠しきれず、か細く震えてしまった声に、さらなる劣等感を抱く。


(チヨちゃんなら、ちゃんとできていたはず)


 勝手に比べて、一方的に思い抱く劣等感は、どんどん肥大していきそうだ。

 皇子は別段、特になにかを気にした様子もなく、部屋の中に足を踏み入れる。マツの正面に座り、背筋を伸ばした。


「少し、話をしよう」

「……はい」


 話とは、なんだろう。

 掛けられた言葉に胃が痛む。

 皇子はマツの様子を観察するように、全体を眺める。服装や格好を確認するのではなく、雰囲気から気持ちの様子を見られている感じだ。

 これまで男性にしみじみと見られたことはなく、どこか落ち着かない。

 気恥ずかしくて、すぃと視線を逸らした。

 耳に、皇子の溜め息が届く。視線を戻せば、伸びていた背中が丸くなっていた。


「実は……アサギから、釘を刺されたのだ」

「アサギ姫から、釘……ですか?」


 いったい、どんな釘を刺されたのか……想像がつかない。


「抱き締めたいと思わぬのなら、触れてはならぬと申すのだ」

「アサギ姫が、そのようなことを……?」


 抱き締めたいと思うのは、愛しい存在だと思えるからだろう。皇子がマツを愛しいと思えないのであれば、手を出すなと言うことか。マツは、そう解釈した。


「アサギは、マツのことを心配していた」

「そんな……心配をしていただくなど……」


 マツの様子がおかしいことなど、隠せていないと自覚している。それに、アサギの観察眼の鋭さは、マツもよく知っていた。

 一を見れば十を知る。アサギは、そんな聡い頭の持ち主だ。


(見透かされている……)


 アサギには、マツの葛藤などお見通しなのだろう。

 悔しく思う感情はあるけれど、さほど嫌ではない。むしろ、心遣いをありがたく思うほどだ。


「アサギは、そなたのことがとても大切らしい。先程も、大事な幼馴染みだと言っていた」


 先程も、と言うことは……マツの元へ来る前に、アサギの所へ行っていたのだろう。

 なにもその事柄を示唆するような言い回しをしなくてもいいのに、と思うけれど、それはマツがひねくれて穿(うが)った見方をしてしまっているから感じたこと。

 皇子も、アサギも、誰も悪くない。強いて悪者を挙げるなら、それはマツ自身。自覚すると、また少しだけ暗い気持ちになる。

 皇子はポリポリと人差し指の先で髪の生え際を掻き、アサギと話したときの情景を思い出すかのように目を伏せた。


「アサギから、大事な幼馴染みを傷つけてくれるなと頼まれては、承諾するしかあるまい?」

「……そう、ですね」


 かろうじて微笑を浮かべ、同意を示す。

 でも、アサギの心遣いが……重い。

 皇子は「そうであろう」と言うように、自慢げで誇らしげな笑みを浮かべる。


「だから、安心せよ。そなたの心が落ち着くまで、我は指一本触れはせぬ」


 皇子の言葉に、マツの血の気は引いていく。


(ダメよ。それでは……子が、成せない)


 マツに対しての、思い遣りがつらい。

 アサギと皇子の発言は、余計なお世話だ。妻木の頭領から命じられている事柄が遂行できなければ、なんのために側室にさせられたのか分からなくなるではないか。よくも勝手なことをしてくれたと、なりを潜めていた憤りが顔を覗かせる。

 けれど、文句は言えない。発言を否定して、撤回して、自ら皇子を誘う勇気なんて欠片も持ち合わせていないのだから。


(どうしよう……でも、まだ機会はあるかもしれない)


 アサギと皇子がそうであったように、マツも少しずつ心の距離を縮めていけるかもしれない。そうなれば万に一つ、愛が芽生えるかもしれないではないか。


(今は、優しさに甘えることにしよう)


 焦らなくていい。いつかは、心に折り合いがつけられるはずだ。


「お心遣い……痛み入ります」

「なんの! これくらい、どうということはないさ」


 皇子は、また微笑を浮かべる。


「焦らずともよい。ゆっくりでよいのだ。アサギと同じように、いつかマツとも、仲睦まじい夫婦になろうぞ」


 皇子の言葉に、目頭が熱い。


(皇子様は、ちゃんと考えてくれていたのね)


 第二夫人とされたマツとも、夫婦として向き合っていこうとしてくれている。それは第三夫人であるチヨにも同じだろう。

 マツは、おもむろに頭を下げた。


「はい。不束者ですが、正妻であるアサギ姫と共に、チヨ姫と共に……皇子様をお支えして参ります」

「うむ。宜しく頼むぞ」


 頭を下げたまま、マツはギュッと目を閉じた。


(なんて、懐の深い方なのかしら……)


 アサギが惹かれていくのも、無理はないと思ってしまう。


(アサギちゃんはアサギちゃん。私は私で、それぞれの夫婦関係を形成していけばいいのよね)


 ふと頭に浮かんだ考えが、ストンと心に落ち着いた。

 これが答えだというように、マツの心は少しだけ軽くなる。


(一人で悶々と考えるばかりじゃなくて、やっぱり対話って大事なのね)


 皇子と話をして、勝手に抱いていたわだかまりが、少しだけ解けたような心持ちだ。

 アサギの元にも、話をしに行ってみよう。そこで昔のように接することができれば、胸に巣食う劣等感も消えて行くかもしれない。

 マツは、少しだけ希望が見い出せた気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る