第23話 謁見の間に集う

 アサギの前には、それぞれ真逆の表情を浮かべている二人の幼馴染みが座っていた。

 マツの顔色は青白く、見ているこちらが哀れに思えるくらい憔悴しきっている。チヨのほうはと言えば、好戦的とも受け取れる笑みを浮かべていた。

 アサギの立ち位置を奪い取ってやるとでも言いたげな、強い意志のこもった眼差し。


(チヨって、こんな子だったかしら?)


 記憶の中にあるチヨの姿と結びつかず、全く重ならない。妻木の里に呼び戻されてから今日までの数ヶ月で、人が変わってしまったみたいだ。


(まぁ……そうなっても仕方がないわよね)


 妻木の里の頭領から、ヤマト族の皇子の側室になれと命令を受けたのだから。

 きっとアサギのときと同じで、断ることは許されなかったのだろう。

 だから、二人は今ここに居る。皇子とアサギの前で畏(かしこ)まり、静かに座しているのだ。

 皇子の様子を伺えば、退屈そうに頬杖を突いている。この場に相応しくない態度に、腹の底がムカムカとしてきた。

 沸き起こる苛立ちを眼力に込めて見詰めていると、見られている気配を察知してか、皇子の視線がアサギに向けられる。

 皇子の意識がアサギに向けられたところで、眼力を込めていた視線の先をわずかに動かす。頬杖を突く手を睨めば、皇子はアサギの意図に気付き、ゆっくりとさり気なさを装いながら姿勢を正した。

 威厳を保ちつつも、少しだけ垣間見られる叱られた子供のような表情に、アサギは小さな笑みを浮かべた。


(そう、それでいいのよ)


 ヤマト族の皇子ともあろうお人が、あんな態度をとっていては悪評が立ってしまう。そんなことは、絶対にあってはならない。

 皇子が気付かないのであれば、指摘するのは妻であるアサギの役目だ。

 最近は少しずつ、こういった意思の疎通がはかれる夫婦になってきた。初めの頃を思えば、かなりの進歩だ。

 それなのに……良好な関係を築けているのに、波が立とうとしている。いや、すでに波は立っているか。

 側室という存在を受け入れる理解と覚悟はしてきたつもりだけど、実際そのときを迎えると、向き合いたくない衝動に駆られてしまう。


(しかも幼馴染みをよこすなんて、頭がどうかしてるんじゃないの? あの頭領……)


 里を守ろうとしてのことなんだろうけど、好感は持てない。

 アサギが皇子に嫁いだことで、妻木の里に対する待遇かなにかがよくなったのだろうか。それに味をしめてマツとチヨを送り込んできたのだとしたら、反吐が出る。私腹を肥やす駒にされたとしか思えない。


(二人は、どんな葛藤を抱き、覚悟を持って今に臨んでいるのかしら)


 話がしてみたいけれど、もう昔のようには戻れない気がする。


「二人共、息災であったか?」


 アサギが物思いに耽(ふけ)っていると、皇子の声が耳に届く。マツとチヨの様子を伺えば、反応もそれぞれだった。

 マツは深く頭を下げ、チヨは心持ち身を乗り出している。


「はい! 息災でございます。皇子様にお会いできる今日という日を……今か今かと、心待ちにしておりました」


 小動物が小首を傾げているときのように、あざとさ満載の微笑みを浮かべているチヨ。


(そう言えば、男に媚びるのが得意だったわね)


 皇子に気に入られようと、特技を遺憾無く発揮している。


(チヨ……残念だけど、皇子にそれは意味を成さないわ)


 皇子はヤマトの国に居た頃、チヨのような態度の女性ばかりが周りに集まり、辟易していたらしい。その反動でか、素っ気ない態度をしてきたアサギがもの珍しかったそうだ。


「この度は、役目を負ったそうだな。まぁ……宜しく頼む」

「はい、お任せくださいませ!」


 元気よく返事をするチヨとは対照的に、マツは一言も発さずに頭を下げる。

 マツの顔色は悪いまま。きっと胃が痛むのだろうと、アサギはマツの心中を案じた。

 マツのいいところはその真面目さだけれど、今回に関しては……心を病んでしまわないかと、心配をしている。

 でも、なんと声をかければ、マツの負担を軽くしてあげられるだろう。アサギにはなんの力も無いけれど、話を聞くことはできる。もし認識が間違っていれば、心が楽になるほうに意識を向けてあげることができるかもしれない。

 だけど……アサギがどんな言葉をかけようとも、マツはその言葉の裏を想像してしまうに違いない。想像が悪いほうに傾けば、きっと心にさらなる負担をかけてしまうだろう。

 相手を想っての行動が裏目に出てしまっては、アサギ自身にも後悔の念が押し寄せる。

 けっきょくのところは、なにも行動を起こさないほうが正解なのではないかという結論に至ってしまうのだ。


「マツとチヨでは、マツのほうが生まれ月が早いらしいな」


 皇子の問いに、チヨが答える。


「はい。マツ姫は夏の頃に。チヨは秋の生まれにございます」


 皇子は「うむ」と応じ、しばし考え込む。


「ならば、マツを第二夫人に。チヨを第三夫人としよう」


 皇子の言葉に、少しだけ周囲がざわついた。

 アサギも、呆れて嘆息吐く。


(まったく……なんて安直な)


 順番が持つ意味を知らない皇子ではないだろうに。それか、もしかしたら……生まれ月を尋ねたのは、単に口実を付けるためだったのかもしれない。

 この場でとったマツとチヨそれぞれの行動が、順番の決定に繋がったのかも。

 なにも語らないマツよりも、媚びるチヨのほうが、皇子にとっては不快だったのだろう。

 そうとは知らないチヨの表情が少しだけ険しくなったことに、決定を受けてマツの顔がさらに青ざめたことに、皇子は気付いただろうか。


「では、それぞれの屋敷で気楽に過ごすように」


 以上だ、と言わんばかりに皇子は立ち上がる。そしてアサギの前に立つと、黙って手を差し伸べてくれた。

 暗に、行くぞ、と誘われている。


(気遣いはありがたいけど、この場では火に油だわ)


 恐らく、マツとチヨの心中は穏やかではないだろう。仮にアサギが逆の立場だったら、きっと嫉妬に燃えるか、自分の存在意義を疑うかしているに違いない。


(そもそも、わざわざ私まで立ち合う必要があったのかしら?)


 今さら言ったところでどうしようもないが、正妻という立場を示すためには必要だったのだろう。ならば、正妻という立場を演じきるまで。

 実際問題、お腹も大きくなり、座った状態から立ち上がることが少しだけ不便になってきている。アサギは皇子の手を取り、ゆっくりと立ち上がった。

 二人に見せつけるような格好になってしまったけれど、これが今のアサギと皇子の関係だ。側室を持つことで、アサギと皇子の間にどんな変化がもたらされるのか、今のところ分からない。

 分からないけれど、二人だけのときには、今までと同じ接し方をしてほしいと願ってしまう自分が居る。


(惚れたら負けって、こういうことかしら……)


 密かに自嘲し、アサギは皇子を見上げた。

 いつもと変わらぬ、慈しむような優しい笑みを向けてくれている。マツとチヨに向けていた態度とは、まるで違う。

 二人には申し訳ない気持ちが無いわけではないのだけれど、こういう扱いは、少しだけ嬉しかったりもするのだ。

 アサギは幼馴染みの二人に顔を向けた。マツは両手をついて頭を下げ、見送る姿勢を示している。対してチヨは、ジッと睨みつけるような眼差しをアサギに向けていた。


(もう、前には戻れないわね……)


 急速に、憂いが胸を占める。

 アサギは残念に思いながら、二人に対してなにも語らず静かに会釈をし、皇子と共に謁見の間をあとにした。

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