第6話 誇りに思うこと

 部屋に戻ると、皇子はポツリポツリと自分の話をしてくれた。

 月光が室内を薄く照らす中で、アサギは静かに耳を傾けている。

 皇子が語ることをやめると、静寂が訪れた。

 月明かりに浮かび上がる皇子の姿はどこか儚げで、存在が幽鬼かなにかのように……この世在らざるもののようにも見える。


(この方は、夜になると神に変じてしまうのかしら?)


 そんな妄想を浮かべながらアサギが黙って皇子を眺めていると、不意に視線が交わった。皇子の黒い瞳に、不思議そうな表情を浮かべるアサギの姿が写っている。

 皇子は微笑を浮かべ、立てた片膝の上に腕を預けると頬杖を突いた。


「一つ、聞きたいことがある」

「はい。なんなりと」


 素直に答えるアサギから視線を逸らさず、皇子は問う。


「そなたは、我等ヤマト族のことをどのように思うておる?」

「どのよう、に……?」


 反感を持っているか、好感を抱いているかという意味だろうか。でなければ、我等という言葉は選ばないはずだ。皇子自身のことを聞きたいのなら、我と言うだろう。

 今のところ、アサギが抱くヤマト族に対する印象は、顔が薄いなということくらい。見た目の評価しかないのだ。あとは、妻木の里で耳に入ってきた噂話で知る事柄くらいで、特に伝えるような内容も無い。

 偽りを述べても、皇子にはバレてしまうみたいだから困ったものだ。

 アサギは逡巡したのち、唇を軽く噛む。皇子はわずかに目を細めた。


「答えにくいか?」

「……はい」


 皇子は姿勢を変え、指を絡めて両手を握ると少しだけ身を乗り出す。


「質問を変えよう。そなたは、イヅモ族である身をどう思うている? 誇りに思っているか?」

「イヅモ族である、誇り……ですか」


 誇りは、あるのだろうか。

 考え込むアサギに、皇子は重ねて問う。


「誇りについて考えたことは?」

「……ありません」


 なんと情けない答えだろう。イヅモ族としての自尊心もなにも無いではないか。

 それでも確かなのは、アサギだけではなくマツやチヨも、ヤマト族に対して理由のない嫌悪感を少なからず抱いている。

 里の外に居る得体の知れない敵。攻めてきて戦になったら嫌だなと、アサギはその程度の認識なのだ。

 それなのに、イヅモ族について自分の認識を問われると、たいしてなにも無いことに気付かされた。

 誇りよりも、守り伝えてきたもののほうがある。それは里に伝わる行事であったり風習だ。

 ヤマト族に従うことになってしまったら、これらのイヅモ族の文化は無くなってしまうのだろうか。


(そうなったら、嫌だな……)


 嫌だと感じてしまうということは、そこに誇りを持っているということなのかもしれない。もしくは、変化への恐怖か抵抗か。


「ヤマト族とイヅモ族の双方に、譲れない部分はもちろんある。そんな中で、それぞれを尊重する道はないものかと考えていてな……」

「共生……共存ということですか?」


 皇子は顎を引く。


「ならば今までどおり、互いに不可侵でよいではありませんか。それならば、イヅモ族とヤマト族の間に争いは起きません」


 侵略してくるから抵抗する。当たり前じゃないか。


「うん、そうなのだが……そうもいかぬ」

「なぜです?」


 不機嫌に尋ね返すと、皇子は苦笑する。


「陛下から勅命が下っている」

「それは……ヤマト族の言い分でございますね」


 今までのアサギならば、心の中で思っていても口に出さなかった内容だが、この度は皇子に言われたとおり……笑顔で誤魔化すことをしなかった。

 幾分、棘のある言葉になってしまったかもしれない。


(皇子は機嫌を損ねたかしら?)


 心配しているアサギをよそに、皇子は愉快と言わんばかりに声を立てて笑う。


「ははっ、全くもってそのとおりだ」


 だが……と、瞬時に真剣な顔付きに変わった。


「国が一つにまとまるほうが、小競り合いが起きなくてよいとは思わぬか?」

「それは、思います」


 近隣の村々で、水を巡って小競り合いが起きることはしばしばある。武器を手にして、血が流れる事態にまで発展することもあるのだ。


(国が一つになって連携が取れれば……本当に、みんな平和に暮らせるようになるのかしら?)


 妻木の頭領が言っていたように、今のイヅモ族は個々の村がそれぞれ自治をして成り立っている状態だ。それは連合という形ではなく、ほぼ独立してしまっている。

 それでも、イヅモ族であるという認識はあって、イヅモ族の王が号令を発すれば、もしかしたらまとまるかもしれなくはない。可能性としてはゼロではないが、実現性はゼロに近いだろう。


「なぜ我が、ヤマトの国の都ではなく……伯耆国の都に居を構えることができたと思う?」

「都の住人が、受け入れてくれているから……ですよね」


 アサギの答えに、皇子は嬉しそうに頷く。


「そう! ここの民に、受け入れてもらえたからだ。そしてイヅモ族でありながら、ヤマト族の王に従ってくれる」


 皇子は満足そうな微笑を浮かべる。


「それが、我の望む在り方だ」

「血は……流れなかったのですか?」


 反対する勢力はあっただろう。それを力でねじ伏せたのなら、平穏な和解ではなく、進軍して勝敗をつけての和解だ。


「血を流さぬ努力をした」

「話し合いで、双方納得したということ?」

「そうだ。力に頼らずとも、できるときもある。そして、より結束を固めるため……イヅモ族のそなたと夫婦になるのだ」


 そこで、話が戻るのか。

 アサギは頭の中で整理が追いつき、少し安堵する。話の終着点が見えないままでは、迂闊に物を言えない。

 皇子は続ける。


「婚姻で絆を強固にするのは、イヅモ族の王がしてきたのと同じ手法ぞ」


 イヅモ族の王であったスサノヲもオオクニも、婚姻関係を持つことでより強固な地盤を築いてきた。だから皇子も、同じ手段を選ぶのだと言っている。

 皇子は祈るように、握っている拳を胸に掲げた。


「我は思うのだ。我らの子が、ヤマト族とイヅモ族の希望になれぬだろうかと」

「希望……?」


 アサギが問い返せば「そう、希望だ!」と、皇子の声に熱と力がこもる。


「ヤマト族とイヅモ族であっても……共に暮らし、家族となることで、平和に、平穏に、共に過ごしていけると証明したい。この国土を作ったのは、イザナキとイザナミという二柱の男女の神。天津神と国津神に分かれ、イヅモやクマソなどの部族や勢力で分かれてはいるが……平穏な日々を願うのは皆同じ。いがみ合うなどバカバカしいと思わぬか?」


 皇子の演説に言葉を失うも、いがみ合うなどバカバカしいという気持ちはアサギも同じだ。そこは素直に、コクリと頷いた。


「我は……子が安心して、笑って暮らせる国にしたいのだ」


 皇子はアサギの手を両手で包む。


「そのためにも、そなたの協力が必要だ」

「私なんぞで、お力になれるかどうか……」


 この輿入れのために頭領の養女という立場になりはしたが、元を正せば妻木の里でのほほんと暮らしていた小娘にすぎないのだ。国がどうのと規模の大きな話をされても、これっぽっちも実感が湧かない。

 ただ、伯耆国で戦を起こさず平穏に暮らしていくには、アサギとの婚姻が不可欠であることは理解した。

 皇子の妻という立場に、どれほどの役割が期待されているのか……考え始めると溜め息が止まらなくなる。


(荷が重いなぁ)


 アサギで務まるのか、不安しかない。


「案ずることはない。そなたは、我に癒しを与えてくれれば……それで十分だ。我とそなたが、仲睦まじくしていることに意味がある」


 皇子はアサギを優しく抱き寄せ、頬に手を添える。そっと顔を自分のほうへ向けさせると、大事な物を扱うかのように、アサギの唇に軽く触れた。

 初めての口付けに、アサギは顔が熱くなる。

 身動ぎもせずに硬直していると、皇子が笑みを浮かべた。


「妻になってくれて、ありがとう」

「えっ……あ、はい……」


 まさか、礼を言われるとは夢にも思わなかった。

 なにか気の利いた返事でもできればよかっただろうけど、さすがに無理だ。初めてのことばかりで、しかも慣れない状況に置かれている。その上で考えることなど、とてもできない。

 ヤマト族の皇子ならば、もっと尊大で威張り散らし、イヅモ族のアサギなどは下に見られるものだと勝手に決めつけていた。けれど、想像していた皇子像とかけ離れていて戸惑うばかり。


「我は、そなたに惚れている。愛しいと思うておるぞ」


 皇子の浮かべるはにかんだ微笑みが、あまりにも幼く美しい。月明かりに照らされているからか、瞳がキラキラと輝き煌めいている。

 皇子の指先が頭を撫でて額に触れ、頬を辿り、再び唇に行き着く。


「白魚のように煌めきを称える美しく白い肌。黒玉(ぬばたま)のような、艶やかな黒髪。紅を取っても、なお紅い唇。長い睫毛に縁取られた愛らしい眼(まなこ)。我はそなたの全てが、愛しくてたまらない。そなたが好きだ。叶うならば、そなたにも……我に対して同じ感情を抱いてもらえるようなら、嬉しい」


 残念ながら、アサギの中にまだそんな感情は芽生えない。

 皇子はアサギの額に自らの額を当て、アサギの両頬をヒンヤリとする手の平で包んだ。


「焦らなくていい。急がなくていいから、いつか……そなたの、アサギのその可愛らしい唇から、我を好いていると言ってもらえる日を待っているよ」


 皇子の囁く低い声が、アサギの鼓膜を震わせる。刹那、全身が熱くなった。


(なんか、卑怯だ……)


 ずっとアサギのことをそなたと呼んでいたのに、急に名を呼ばれると調子が狂ってしまう。

 照れのせいなのか、恥ずかしさのせいなのか、もう皇子との距離が近過ぎて訳が分からない。

 アサギに向けられている皇子の瞳を見詰め返せば、戸惑いに表情を強ばらせる自分が映っている。


(こんな顔をしている私を愛しいだなんて……皇子は、どうかしているわ)


 吐息のような声で、皇子はアサギの名をもう一度囁く。

 アサギは近付いてくる息遣いを感じ、ギュッと目蓋を閉じた。

 感触を味わうように、何度も軽く触れる皇子の唇。


(男の人の唇って、意外と柔らかいのね……)


 ついばむように繰り返される口付けに、いつしかアサギの目蓋にこもっていた力は自然と抜けていった。

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