思い出屋〜あなたの願いを叶えます〜

高崎 恵

第1話

 

「……本当に良いのですね? 全てを忘れてしまっても」


「この写真さえあればあとは……」


「ではあなたの願いを叶えると約束しましょう。さぁ、目を閉じて……1、2、3――」



 ◇◇◇



「もう……全然準備終わらないんだからっ!」


 そう言って箱に荷物を詰めていくのは、東山さくら。2人子供がおり、専業主婦をしている。

 上の息子が春から小学3年生、下の娘も小学校に上がる。


「4月から2人とも小学生かぁ……。そろそろ私も働かなきゃかな。まだ怖いけど……」


 彼女は大学卒業後に就職していたのだけど、心身を病んでしまい仕事を辞めたのだ。だから夫も無理して働いて欲しいとは言わないし、彼女もいまいち積極的になれずにいるのだ。


 そんなことを思いながら箱に荷物を詰めて行く。

 あと2週間後に引越しをするのだ。念願のマイホームに移る。

 その為にこうして娘達が小学校と幼稚園に行っている間に少しでも作業を進めないといけない。2人が居る時はなかなか作業が進まないから。




「うん? これは……?」



 そう呟きながら彼女が手にしたのは古びた箱。元は白かったのか少し黄色味がかっている。持ってみた所思ったよりも軽い。

 クローゼットの奥の更に奥。ひっそりと隠れるように置かれていた。



「私のでもないし、パパのかなぁ……? パパの私物も見て仕分けして良いって言ってたし、開けて良いよね?」



 そう言いながら箱を開ける彼女。




 ――彼女はパンドラの箱を開けてしまった。





「封筒……?」



 箱を開けるとまず目に入ってくるのは白色の封筒。その封筒には宛名がなく、宛名を書くべき所へ『心の準備が出来たらご来店下さい』の文字。


 不思議に思いながらも封筒の下を覗き込む。そこには数えきれない程の写真が入っていた。




「なに……これ」




 彼女が1枚手に取り見てみると、そこにはウエディングドレスを着た彼女と、タキシードを着た見知らぬ男性とのツーショットだった。


 慌てて他の写真を手に取るが、どの写真にもその見知らぬ男性が写っている。彼とのツーショットか、彼と彼女とそして夫とのスリーショットも何枚かある。




「この人は誰なのっ!?」




 言い知れぬ恐怖が彼女を襲う。

 写真を全部ひっくり返すと、奥には何通かの手紙がある。




『さくらへ      


 今まで沢山迷惑を掛けてごめん。


 これからはさくらのことを幸せに出来るよう頑張るから、


 一緒に人生を歩んでいこうな。


 幸せにする。


 亮太より』




「りょうた……? これがこの人の名前なの?」



 名前を呟いてもやはり彼女はこの男性が誰だか思い出せない。

 手紙に書かれているのは自分の名前。



「これは何? 私がおかしいの? 私が結婚したのは圭介じゃないの?」



 言い知れぬ恐怖に血の気も引いていく彼女。

 もはや何が正しくて何が間違っているか分からない。

 彼女の記憶がおかしいのか、この目の前の写真がおかしいのか。



「私が結婚したのは圭介……」



 そう言って壁に飾ってある結婚式の写真を見る。確かにそこにはウエディングドレスを着た彼女と夫が写っている。

 結婚当初、仕事の関係で精神を病んで立ち直っている最中だった彼女のことを想い、親族だけで小さいながらも結婚式を挙げたのだ。





「ただいま〜! あれ? ママ〜?」



 息子が帰ってきた音にハッとした彼女は、全て箱の中に詰め直す。

 春休み前で、小学校は午前で終わってしまう日だった。

 箱を見つからないようにもう一度クローゼットの奥に隠すと息子の前に行く。



「あれ? 何でママ泣いてるの?」


「えっ?」



 息子にそう言われ、頬を触ると確かにそこは涙で濡れていた。何で泣いているのか自分でも分からない。ただ悲しいと言う感情だけが彼女を支配する。



「えっと……。本を読んでいたら泣いちゃったんだ」


「もう! 引越しの準備するって言ってたのにダメでしょ?」



 最近息子はお兄さんぶることにハマっているのだ。両親にもこうやってお説教モードになるのが可愛くてつい笑ってしまう。



「ごめんごめん、ほら雪乃の迎えに行こ?」


「うん!」



 息子のお陰でなんとか調子を取り戻した彼女は、次女の幼稚園にお迎えに行き、買い物に出かける。



「今日はお昼ハンバーガーにしちゃおっか!」


「「やったー!!」」



 お昼を食べ終えると買い物を済ませて帰宅する。

 なんとか夕飯の準備を終えて、お風呂に入り寝かしつけを終える。

 夫である圭介は3月の決算前でここ数日は帰りが遅く、日付が変わるギリギリに帰ってくることが多いのだ。



 子供達を寝かしつけた彼女は1人きりになると、また先程の箱を取り出し中を確認する。

 夢だったんじゃないかと期待したが、中身は変わらずそこにあった。

 訳が分からない。しかしその写真から目が離せない。ただただ座り、その写真を見つめていた。





 パタン。



 ハッと意識を取り戻す。

 どれくらい時間が経ったのだろうか。



 恐らく夫が帰ってきたのだろう。軽く2.3時間は経っていると思われる。

 早く動かなくては。心配性な彼のことだから、彼女がリビングに居なかったら様子をみにくることは目に見えているのに、動くことが出来ずにいた。

 こんな浮気の証拠のようなものを彼に見られるわけには行かない。そう思うのに体は思うように動いてはくれない。



「ママ? どうしたんだ?」



 予想通り彼が部屋へと入ってくる。

 彼の目に映ったのは、泣きながら写真を見つめる妻の姿。彼はそれを見た瞬間全てを理解したようだ。



「その箱を開けたのか……」



 そう呟く夫。



「俺も覚悟を決めなきゃいけないな。でもまだ記憶は戻ってないんだろう?」



「……どういうこと? あなた何か知ってるの!? この男の人が誰なのかも! 私とどういう関係だったのかも!!」



 普段は温厚な彼女がヒステリックに叫ぶ姿に驚くことなく、彼は至極冷静でいた。

 いや、冷静とは違う。彼は悲しい顔をするだけだった。その顔に彼女はよく見覚えがある。それは彼女が昔の思い出話をするとよく見る顔だった……。



「何で? 何を知ってるの?」



 彼女が唯一分かるのは、この男性の写真を見ると、とてつもなく寂しい気持ちが沸き起こる。それと同時にとてつもなく愛しく感じ、涙が溢れてくることだけだ。



「ねぇ、教えてよ! この人が誰なのか! 自分のことなのに何も分からないっ!!」



 そう泣き叫ぶ彼女を彼は優しく抱きしめる。



「落ち着いて、明日には全部分かるから。今日はもう寝よう」



 彼が背中をそっと撫ぜてくれる。その手がとても暖かくていつの間にか彼女は眠ってしまっていた。



「ごめんな……」



 そんな彼の小さな呟きは暗闇に消えていった。




 ◇◇◇




 翌朝私は目を覚ますと、旦那も子供の姿もなかった。少し寝坊をしてしまったようだ。



 やけに静かな家に疑問を持ちつつもリビングへ入る。

 リビングのテーブルには、旦那が作ってくれたであろう目玉焼きとベーコンの朝食が準備されており、その隣にはあの白い封筒とメッセージカードが置かれていた。



『1日子供達の面倒は見るから、しっかり大切な事を思い出してきな。 

 圭介』



「大切な事……」



 やはり圭介は全部知ってるんだ。あの男性が誰なのか、私がどうしてそのことを覚えていないのか……。



 正直食欲はない。だがこれから何が待っているか分からないから、封筒を視界に入れながらも無理やり朝食を口にする。

 これを食べ終えたら確認しに行こう。私にとって大切であるらしいことを。



 朝食を食べ着替えを終えるともう一度テーブルに着く。



「心の準備が出来たらご来店下さい……。きっとここに手掛かりがあるはず……」



 一呼吸置いてから封筒を手に取る。昨日の写真や手紙はバックの中に入れた。あとはこの封筒だけだ。



 中に何が入っているのか、緊張しながらも震える手で封を開く。



「大丈夫……。思い出して、早く子供達を迎えに行こう」



 昨日はとても動揺してしまったが、一晩経ったおかげか少し落ち着いてきた。何があったとしても私があの子達の母親であることは変わらないから。

 母は強いのだと自分に言い聞かせ、封筒の中身を確認する。



「これは……地図? ここに行けば全てが分かるのね」



 家を出て地図の場所へと向かう。

 地図には地名もないし、建物など詳しい情報はない。ただ何故だか分からないが私はその場所を知っている。地図を見なくてもどこへ行けばいいのか分かる。体が自然に動くのだ。



「ここは……」



 そこは私が通っていた大学内にある中庭の、桜の木の下だった。



「何でここに?」



 ちょうど桜が満開な時期で見事に咲いている。

 桜を見上げた瞬間突風が巻き上がり、視界が桜吹雪に包まれる。

 思わず目を瞑ったのだが、次の瞬間、私の前にあった桜の木は消え、1軒の古びた家屋が目の前に建っている。



「思い出屋?」



 家屋の上には手書きの看板で『思い出屋』と書いてある。

 こんな建物大学にはなかったはず……。


 不審に思いながらも足はその建物に近づいていく。



『思い出屋〜あなたの願いを叶えます〜』



「ここにくれば本当のことが知れるの?」


「おや、こちらに用がおありですか?」


「あっ」


 気づけば後ろに背の高い男性が立っていた。

 ここの店員だろうか。咄嗟のことに言葉が出せずにいると店員らしき男性が話しかけてくれる。



「おや、あなたは……そうですか。ご予約頂いていた方ですね?」


「え、いや、私は予約なんて」


「その封筒が何よりの証拠です。まあとりあえずお入り下さい。あなたの欲しいものがありますよ」



 そう言うと男性は私の話も聞かずに中に入ってしまう。

 どうしようかと迷う気持ちもあるが、ここで立ち止まっていても何も解決しない。男性について行くことに決め、思い出屋の敷居をまたぐ。



「ご来店頂きありがとうございます。思い出屋にようこそ」


「はい……ここは何の店なんですか?」


「ここは思い出屋ですよ。私はこの店の店主です」


「だからその思い出屋というのが何なのか分からないんです」


「まあとにかくお座り下さい。今ならお茶を一杯無料でサービス致しますから」


「お茶よりも私の話を聞いて欲しくて」



 私はそう言ったのだが、男性は店の奥に消えてしまう。仕方なく店内を見回す。

 店内には水晶玉のようなものが棚に飾られている。透明なものから、何か色がついているものまで様々だ。どれも値札などはないから、売り物なのかただの飾りなのか分からない。

 その他には大小様々な段ボールが積まれている。



「お待たせ致しました。今日は桜の香りのお茶が入手出来たのでそちらを用意しました。ぜひ春の香りを楽しんでお飲み下さい」


「……」



 本当はお茶を飲んでる余裕なんかないのに、有無を言わさない男性の様子に仕方なく飲む。



「美味しい……。何か懐かしい気がする」


「そうでしょう。あなたには桜は特別ですからね」



 うん? 少し含みのある言い方が気になるがこの香りが気になって仕方ない。

 何故だか懐かしい……何かを思い出せそうな気がする。



「それですべて思い出す覚悟は出来ましたか?」


「!!」



 やはりこの人は知っているんだ。



「覚悟……それは分からないけど、私はちゃんと本当のことを思い出したい」


「それがパンドラの箱を開けることになっても? 思い出さない方が幸せかもしれませんよ」



 そう聞く店主の目はとても暗く、一瞬恐怖に体がすくんだ。だがここで立ち止まってはきっと一生思い出すことはないんだと本能で感じる。このままでいる事は出来ない。このままもやもやしたものを抱えて過ごすことなんて無理だ。



「覚悟なら……今出来ました」


「分かりました。では思い出す前に一つ。あなたが今一番大切なものは何ですか?」


「大切なもの? それは家族に決まっているじゃない。子供と旦那が一番大切よ」


「あなたの命よりも?」


「ええ。私の命に変えても子供達を守る。まさか家族に何かする気!?」


「いえいえ、ただの確認ですよ。あなたが思い出に耐えられるかどうかの確認です。そして見事にあなたは合格しました。今のあなたなら大丈夫でしょう」



 まるで昔の私を知っているような言い方だ。



「先程の質問にお答えしましょうか。ここは思い出屋です。様々な思い出と引き換えにお客様の望みを叶えています」


「そんなこと出来るの?」


「ええ。だってあなたは以前にこちらに来てある思い出を渡してくれました。ほら、これがあの時に渡してくれたあなたのです」


「……。私の思い出玉?」


 男性は先程見ていた棚の水晶玉を1つ取り出して目の前に見せてくれる。

 それは手のひらサイズの水晶で、中は灰色に濁っている。


「あなたは思い出と引き換えに、あることを願いました。本来ならそれで取引終了なんですが、あなたの場合は前払いされていましたので、本来思い出を引き換えなくても願いを叶えられるはずだったんです」


「前払い……?」


「ええ、ですからあなたの準備が出来たらお返しすることを約束したのです。思い出返却の予約ですね。だからあなたは封筒を手にしてここに来ることが出来たでしょう?」


 男性は至極当たり前のことを話しているかのように装っているが、私にとっては全く話が分からない。


「まあ難しい話は置いときましょう。とにかくあなたは無くした記憶を思い出してもらえれば良いんですから。では心の準備は出来ましたか?」


「はい、いつでも大丈夫です」


「ではこの水晶玉に手を翳して」


 そう言われ、水晶玉の上に手を翳す。


「では目を瞑って。私が3つ数えたら記憶の渦に入ります。そこにあなたの欲しい正しい記憶がありますよ。では……1、2、3……ちゃんと思い出して下さいね。の願いとは違いますが、まあ良いでしょう。それが彼女の幸せになるなら契約違反にはならないですからね」



 ◇◇◇



「さくら、俺とこの先も一緒に居てくれ。結婚して下さい」


「亮太……。うん、ありがとう」


「それはOKってことで良いのか?」


「当たり前じゃん!!」



 そうだ。私はあの桜の木の下で亮太にプロポーズされたんだった。



 ◇◇◇



 私が亮太と出会ったのは大学のゼミ。

 そのゼミでは3、4人のチームでフィードワークをし、発表するというのが常だった。


 そして興味のある分野が被った私と亮太と圭介の3人でよくチームを組んでいたのだ。

 そう今の夫である圭介も同じゼミだった。


 一眼見た時からは私は亮太に惹かれて行ったが、なかなか告白は出来ずにいて、よくその相談相手になっていたのが圭介だった。



「ねぇ、亮太って彼女居ないよね? 彼女欲しいとか思ってんのかな? どんな子がタイプだと思う?」


「うーーん。居ないとは思うけど、好きなタイプとかは聞いたことないけど。今度聞いとこうか?」



 圭介は私の少し面倒臭いくらいの話を、いつも嫌な顔せずに聞いてくれていた。



「ねぇ! 亮太ってば! 来週発表なんだからちゃんと考えてよもう!」


「悪かったよ。バイトずっと入れてて課題なんかやる暇なかったんだって」



 そんな私は亮太の前では素直になれず、少しキツく当たってしまう。



「おーーい。また喧嘩してるのかお前達?」


「だって亮太が何もしてないんだもん! 圭介からも言ってよ!」


「まぁまぁ、3人で協力すればすぐ終わるから、ね?」



 そうやって素直になれない私と亮太の仲をいつも取り持ってくれていた。

 そのおかげか、いつも間にか3人で一緒にいるのが当たり前になって、卒業前に亮太から告白されたのだ。





 卒業してからも亮太との交際は順調だった。……喧嘩は沢山したけど、大体は亮太が謝ってくれ長引くことはなかったし、就職を機に一人暮らしを始めた彼の家で週末は毎回過ごしていた。半同棲とでも言うのだろうか。


 圭介とは会う機会が減ったが、年に数回は3人で飲んでいた。そんな付き合いが5年程続いた。



 そう、付き合ってから5回目の春。


 私は彼にプロポーズされたのだ。あの大学の桜の木の下で。



 なのに……。



 なのに何で死んじゃうのよ。



 1年後の春に結婚式を挙げる予定だった。入籍もその時期にって話だったのに。



 あの時の2人には幸せな未来しか見えてなかったのに――。




 ◇◇◇




 プロポーズされて最初の数ヶ月は忙しくも幸せだった。あの時の私は人生で今が一番幸せだと思っていたかもしれない。

 それくらい彼との明るい未来が待ってると信じて疑いもしなかった。



 両親への挨拶と、両家顔合わせ。

 結婚式場の下見に、前撮りの予約。結婚指輪の下見。

 結婚に向けて順調に準備をしていた。



 様子がおかしくなったのは夏頃からだ。

 彼の食欲が急に落ち始めた。



 最初は夏バテかなとか、職位が上がって仕事が忙しくなったからかなとか軽い気持ちで考えていた。

 彼も同じで、特に気にすることなく病院にも行かずに過ごしていた。



 でもやっぱりおかしかったのだ。

 そんなに長い距離を歩いた訳じゃないのに疲労を感じたり、息切れしたり。

 そういうサインがあったのに、私は気づかないフリをした。きっと気づきたくなかったのだ。最悪の状態から目を背けていたのだろう。



 しかし目を背けてはいられなくなった。

 彼が明らかに痩せ細って行ったのだ。

 これは絶対おかしいと思い、病院に無理やり連れて行き検査をしてもらった。



 でも彼はなかなか検査結果を教えてはくれなかった。

 しかしその日から私達の生活はガラリと変わった。



 私は彼の家に通うのではなく、病院へと通い始めた。彼が入院したのだ。


 彼は検査や治療の為だからと言っていたが、いつ退院するのかもハッキリとしない。終わりが見えない日々を過ごしていた。



 モヤモヤしたまま彼の寝顔を見て過ごす。

 あの頃の彼は面会に行っても寝てしまっていることが多かった。きっと薬の副作用か何かだったのかも知れない。



 起きてたとしても、彼は喋るのも辛そうだから私が一方的に話をしてそれに相槌を打ってくれる。

 それでも私はあの2人の時間を大切に思っていた。でもそれすら長くは続かなかったのだ。



 季節はいつの間にか秋になっていた。




 ◇◇◇




「さくら、再来週から1週間退院出来る予定だから行きたい所がある。休めるか?」


「えっ! そうなの!? 分かった! なるべく休みもらうね!!」



 一時退院が認められたのだ。夢のようだった。少しでもまた彼と病室以外で過ごせるのだ。


「それでどこに行くの? 一時退院と言っても遠出は無理だよね?」


「あぁ、ごめんな。一応許可は貰ってるからその範囲なら外出もして良いって。ほら、前撮り予約してたろう?」


「あっ!! 忘れてた!!」


 すっかり忘れていたが、再来週は前撮りの予約をしていたのだった。



 退院するも、彼が帰ったのは実家だった。

 彼の両親とも病室で何度も顔を合わせた。両親も心配しているんだろう。

 幸い彼の実家は同じ県内だったので、私も一緒に退院の日は同席させてもらった。翌日から2日間は私も仕事だから家族水入らずの時間を過ごしたのだろう。



 退院して4日目の朝、彼の実家まで迎えに行く。



「ねぇ、本当に体調大丈夫? 無理してない?」


「大丈夫だから気にするなよ。楽しみにしてただろう? 晴れて良かった」



 遠慮する私を大丈夫だからと前撮りに連れて行ってくれる彼。移動は全てタクシーだった。それだけ体が辛かったんだろう。



「実は今日お互いの両親を呼んでるんだ。2人で撮った後に家族写真を撮るのも良いなって思って」


「えっ!? そうなの? うちの親何も言ってなかったのに!」


「サプライズだからな。驚いたろ?」


「うん! ビックリだよ!」


「流石に屋外での撮影は時間も限られてるから、2人で屋外撮った後の室内撮影で合流だから。それまでは俺達だけで楽しもうな」


「うん! ありがとう亮太!」



 あぁ。この時も幸せだったな。

 撮影所に着いて、ドレスに着替えた姿を見せた時の亮太の顔を今でも思い出せる。



「……さくらキレイだ」


「ねぇ? 泣いてる?」


「……そういうさくらだって泣いてるじゃん。せっかく綺麗なのに変な顔で写真写ることになるぞ」


「もう! 失礼なんだから!」



 こんな軽口を叩くのもいつぶりだろうか。

 亮太の顔色も昔に戻ったみたく明るく、久々の笑顔も見られた。



「さくら……世界で一番大切だよ」


「私もだよ」



 2人での撮影を終えて、撮影所に戻ってくる。

 和装に着替え直して出てくると、両家のみんなが揃っていた。

 きっとみんなは亮太から全部聞かされていたのだろう。

 私たちが出てくると、みんなが目に涙を浮かべていた。



 2人の和装姿と、家族全員での写真を撮り終え帰宅する。

 家族とは分かれて、またタクシーに乗り今度は亮太の一人暮らしをしていたアパートに戻ってくる。

 彼が数ヶ月空けてたこの家も、以前と変わらない姿を保っている。私が定期的に掃除に来ていたのだ。



「さくら……色々ありがとうな」


「ううん、いつ戻ってきても大丈夫なようにちゃんと掃除しておいたから」




「……それだけじゃない。今まで本当にありがとう」


「……どうしたの? 改まって。結婚するんだから当たり前でしょ?」



 急にかしこまる彼に嫌な予感がしたが、私は気づかない振りをする。だが、きっと彼も私がそうしていることに気づいてる。だてに5年も付き合っていない。



「俺さ、もうあと3ヶ月なんだよ」


「3ヶ月で退院出来るの?」


「……さくらも気づいてるだろ? 俺は末期の癌だ。もう3ヶ月しか保たない体なんだよっ!」


「……っ!! 嘘よ! そんなの嘘!! 病院で治療だってしてるじゃん!!」


「あれは治療じゃない。……ただ痛みを逃してるだけだよ……」


「……。…………っ」



 あぁ、私は馬鹿だ。彼に言わせてはいけない言葉を言わせてしまっている。

 本人が一番辛いはずなのに。本人が一番分かってるはずなのに……。



 本当は彼の言う通り気づいてた。

 彼がどんどん衰弱していくだけだということに。回復なんかしてない。ただその時を待っている状態なんだって頭のどこかで気づいてた。ただそれを認めたくなかった、認められなかっただけで。



「だから……婚約破棄しよう」


「いやだ! いやよ!! 私は亮太と結婚するの!! 今籍を入れたって良い!!」


「もう両親にも話してる。俺と結婚してもすぐに1人になるだけなんだぞ!? だったら結婚せずに独身でいた方が次だって見つけやすいだろ?」


「……っ!! なんで亮太がそんなこと言うのよ!! 私は亮太以外と結婚なんて考えられないんだよ!?」



 亮太に怒ってはいけない。きっと亮太は私のことを考えてくれているんだから。でもだからと言ってそんなことすぐ受け入れられる訳ない。

 泣きながらそう告げる私を悲しそうな目で見る亮太。

 あぁ。そんな顔を見たい訳じゃない。そんな顔をさせたい訳じゃないのに。



「……俺が一番大切なのはさくらだよ。だからさくらにはちゃんと幸せになって欲しいんだ。俺がいなくなった後も」


「そんなこと言わないでよ。私は亮太が居なきゃ幸せになんかなれないのにっ」


「……。……。……ごめん」


「…………っ!」



 謝らせたい訳じゃないのに。謝ってなんか欲しくないのに。

 何を言えば正解なのか、どうすれば良いのか。

 頭が真っ白な私は、彼に縋り付いて泣くことしか出来なかった。



 結局私も彼も涙を枯らしてしまうのじゃないかと、一生分の涙を流したんじゃないかと思う程、お互いに縋り付いて泣いた。そしていつの間にか眠りについていた。



 彼の腕の中で寝たのはあの日が最後だった。


 朝目が覚めて横を見ると真っ青な彼の姿。



「亮太!? 亮太っ!!」



 慌てて彼を毛布に包み、彼の親と病院へ連絡をする。救急車を呼ぶように言われ、彼と共に乗り込む。

 入院していた病院へと搬送してもらい、適切な処置をしてもらえたのだが、彼はまた入院生活となった。



 後から聞いた話だが、あの一時退院は体調が良くなったからではなく、最後の思い出作りにと特別に許可が降りたものだったそうだ。



 結局彼はその年の冬。雪の日に旅立っていった――。




 ◇◇◇




 彼がなくなって、悲しくて悲しくて。私は生きる気力がなくなってしまった。



 どうやって過ごしていたのか。その時期の記憶は思い出せない。毎日目に見える物も全てがぼんやりしていて、ずっと暗い世界に居るかのようだった。



 いつの間にか会社も辞めていた。

 家から出られなくなった私の代わりに母親が退職の手続きをしたらしい。

 後から聞いたのだが、婚約者が亡くなったことも伝えていたようで、幸いにも会社の人から連絡が来ることもなかった。きっと他人から理由を聞かれただけで、心が砕けていただろう。



 彼がいなくなった世界はずっと真っ暗で、自分が生きていく意味も見出せない。

 家族や友人が心配して声を掛けても何も聞こえてこない。もう私は生き方を忘れてしまったんだ。彼を失った世界で生きていけないんだ。



 もう死んでしまおう。彼と同じところへ行こう。

 そう思い家を出た。




 ……もう季節は春になっていた。

 どうせなら彼との思い出である桜を見てから死にたい。そう思い死に場所を探していたら目の前にあの店が現れた。




 ◇◇◇




「どうかしましたか?」



 いつの間にか目の前にある古びた店。

 店の前には『思い出屋〜あなたの願いを叶えます〜』とふざけた立て札が立っていた。



 それをただ眺めていた。

 ただそれを見ても私は何も思わない。何でそんな店が突然現れたのか、ここはどこなのか。

 そんなことを思いはしても、どうでも良い。私はもう死ぬのだから。



「あの〜。私の声聞こえてます? この店に興味ありますか?」


「…………」



 この人は誰だろう。



「……とりあえず中に入りましょうか。お茶を一杯ご馳走しますよ」



 背の高く、眼鏡を掛けた男性。

 前髪が長くて顔は良く見えない。

 そんな男性に半ば強引に店内に入れられる。



 そこは不思議な空間だった。

 大小様々な水晶玉が所狭しと飾られている。



「お茶を用意するのでこちらでお待ち下さいね。気になったものがあれば見て良いですよ。ただし水晶玉には触れないで下さい。見るだけですよ」



 そう言うと奥へ入っていく男性。



 勧められた椅子に座りぼうっとする。



 …………なかなかお茶が出てこない。



 暇になってしまい、店内を見回すとある一点が気になる。

 そこにも水晶玉がたくさん並べられていたのだが、大きな丸い水晶玉が気になったのだ。



 その水晶玉は、中でピンク色の煙のようなものが渦巻いている。

 近くで見てみると、何故だか分からないが、とても懐かしい気持ちになる。



「お待たせしました」



 そう声を掛けられるが、なかなかその水晶玉の近くから離れがたくて動けない。



「……それが気になりますか?」


「……はい」


「そこに入っているのはの思い出です」


「思い出?」


「はい、ここは思い出屋なので。どうぞあちらへ」



 そう言われて今度こそちゃんと席に着く。



「今日の一杯はこちらです」


「この匂いは……」


「ラベンダーのハーブティーです。落ち着くでしょう?」



 透明なティーカップから優しい匂いが漂う。

 カップを手に取り鼻から息を吸う。



 優しい匂いに包まれ、ホッとしてしまう。

 ……いけない、私はこれから死のうとしているのに。

 そう思って飲もうとした手が止まる。



「……お気に召しませんでしたか? 今のあなたにピッタリかと思ったんですが……淹れ直しましょうか」


「いいんです。私はこれから……」



 死ぬ……そう思っているのに口に出来なかった。

 だが、その言葉は私の意志に反して続けられた。



「死のうと思っていた……ですか?」


「……何で」



 何で分かったのか。

 この人は一体何者なのか。

 一気に不信感が募り、その店主を睨んでしまう。



「……分かりますよ。ここは思い出屋ですから。それにあなたの顔を見れば誰にでも分かると思いますよ。ほら」



 そう言われて差し出された鏡を見ると、確かにそこには目元には深い隈をつけ、顔は痩せ細り、艶のないボサボサの髪の女性が映っていた。

 ……これが今の私の姿か。確かにこれを見れば、誰であろうと訳ありだと分かるだろう。



「そんな姿で会いに行ってしまうのですか?」


「……っ! あなたに何が分かるのよ!」


「さて、この思い出屋の話をしましょうか」


「ちょっと! そんなの聞いてないっ!」



 そう遮るのだが、そんな私に構わず店主は話を続ける。



「ここは思い出屋です。表の看板にもありました通り、大切な思い出と引き換えにあなたの願いを叶えます。それがこの店のルールです」


「思い出と引き換えに……願いを叶える……?」


「ええ。そうですよ。どうですか? 気になりませんか?」


「…………」



 怪しさ満点のこの店主のことを信じていいのか。

 だが店主の言葉に希望を持ってしまう。

 私のこの願いを叶えてくれるのか。

 死んで彼に会いたいと言うこの願いを。



「どうせ死ぬつもりなのでしょう? だったら思い出を捨てて願いを叶えるのはどうですか?」


「……」



 死ぬと言ったら普通止めるのじゃないか。なのにこの店主は死ぬこと前提で話してくる。なんなんだ。



「だって死ぬのを止めて欲しい訳じゃないでしょう?」


「……だから人の思考を読まないでください」


「まぁとにかく話を聞きますよ。何があったんですか?」


「……っ」



 そう聞かれると一気に涙が押し寄せてくる。



「……っ! 何で……なんで死んだのっ! まだ一緒にっ、いろんなとこに行きたかった! いろんな話をして、家族になってっ……ぜんぶこれからだったのにっ! なんでその前に私を残して死んじゃったの……っ! 亮太のばかっ……」



 溢れる気持ちを抑えることが出来なかった。

 彼が亡くなってからこんなに感情的になったことはなかったかもしれない。



 彼が悪くないことは頭では分かっている。でも感情が追いつけるはずがなかった。

 それでも、みんな同じ思いをしているんだと思うとこんな風に感情を表に出すことが出来なかった。



 亮太の両親や友達、みんな静かに彼の死を悲しんでいるのに、亮太を責めるような言い方をしちゃダメだって自分を押さえつけていた。



 見ず知らずの他人だからこんな風に言えるのかも知れない。

 彼が死んで、押さえてきた感情を全て男性に向かって話す。

 最後は支離滅裂で、嗚咽をしながらちゃんと言葉にもなっていない話をただただ聞いてくれた。



「……全部吐き出せましたか?」


「……はい。ありがとうございます」


「どうぞこちらを飲んで落ち着いて下さい」



 そう言って出されたハーブティーを飲むと、少しだけ、ほんの少しだけ心が穏やかになった気がする。



「落ち着きましたか?」


「…………はい」


「さて、あなたの気持ちは分かりました。そしてここの店の説明をもう一度致しますね。ここは思い出屋です。あなたの思い出と引き換えに願いを叶えますよ? どうしますか……?」


「願い……何でも叶えてくれるの?」



 そうであるならば、願わくばもう一度彼に会いたい、彼に生きていて欲しい。大きな代償を払ったって良い、彼ともう一度会えるならば。



「残念ながら、人を生き返らせたり、難病を治したりなど人間の摂理に反することは出来ません」


「……だったら意味がないじゃない。それができないんだったら私の願いなんてっ……!」


「……あなたはここに来る前は何を思っていたんでしたっけ?」



 そうあの怪しげな瞳に問いかけられる。

 私がここに来る前に思っていたこと……?



「それは……。……死んでしまいたい。死んで、彼に会いたいっ……! ここならその願いを叶えてくれるのっ!?」



 そんなこと出来ないと分かっているのに、初めて会ったこの人にみっともなくも詰め寄ってしまう。



「……それは出来ないですね」


「……ほら、願いを叶えてくれるなんて嘘じゃない」



 その返答に少し落ち着きを取り戻すが、絶望感が薄れたわけではない。ただやっぱり早くここを出て死に場所を探そうという思いが強くなっただけだ。



「ここは思い出屋です。あなたを殺すことは出来ませんが、……彼にもう一度会うことは出来ますよ」


「…………え?」


「ここは思い出屋ですから」



 そう言うとあの瞳で見つめてくる店主。

 そんなことが出来るはずがない。彼にもう一度会うことが出来るはずがない。それは私が一番理解しているのだから。



「そんなこと……」


「出来ますよ。ただしあなたの今までの思い出と引き換えになりますが……」


「思い出と引き換え……?」


「ええ。あなたと彼の今までの思い出と引き換えに、彼ともう一度会うことなら出来ます。さて、どうしますか?」



 そう言う店主は天使のようにも見え、それと同時に悪魔にも見える。

 私はこの良い人なのか、悪い人なのかも分からない男性に大切な思い出を託しても良いのだろうか。



「仮に死んだとしても彼にもう一度会えるかなんて分かりませんよ? ですが思い出屋ならそれが可能です」



 危ない。これは悪魔との取引だ。頭の片隅ではそう警笛を鳴らしているのに、私はその警笛が鳴っているのを無視して返事をしていた。



「……彼ともう一度会えるのなら……私は何を犠牲にしても構わない……。お願い」


「良いのですね?」


「はい……彼ともう一度会いたいっ……」


「では取引成功ということで。今から言う私との約束を守ってください。良いですね? まず……」



 ◇◇◇



「どうですか? 


「騙したのね……」


「騙してなんかいませんよ。一度あなたは彼を忘れた。再び思い出す事で彼ともう一度会うことが出来たのです」


「…………」



 怒りを込めて店主をみるが、彼は相変わらず飄々としている。



 ……あぁそうなんだな。

 きっとこの店主は最初からそのつもりだったんだ。



 私はあの悪魔の契約の後、思い出玉という水晶のようなものに彼との記憶を預けた。そして店主から渡された手紙を彼との思い出を詰めた箱の中に入れ封をした。それが彼に会う手段だと言われて。



 そしてその封をした瞬間から私の記憶の中の亮太はへと書き変わっていた。


 きっと私に催眠術か何かを施して彼との思い出を一度忘れさせたのだろう。しかしその思い出をいつかもう一度思い出させるようにあの手紙を残していたんだ。



 昔の私だったらここで怒り狂っていたかも知れない。もしくは激しく取り乱していたかも知れない。しかし今はあの頃の私とは違う。



「……これは私に取って忘れてはならない大切な思い出だったのに」



 死にたくなるくらい辛い経験だった。でも私は、今の私はこうして彼との思い出を受け止められるくらい大人になったのだ。



「時間が経つとはこう言う事なんですね……」



 そう、彼の死を今なら素直に受け入れることが出来た。

 彼のことを忘れてしまったことには思うことはあるが、昔のように死んでしまいたいとは思わない。



 もちろん悲しい気持ちはまだ胸に残っている。だが悲しい経験と同じくらい、幸せな経験をすることが出来た。そのことが私の心を穏やかにしてくれる。



 彼と過ごせなかった未来を、私は別の人と歩み、幸せを手にする事が出来ている。

 あの時彼を忘れる事が出来なかったらきっと今の私は居ないだろう……。



「私は最低ね。彼を忘れてこうしてのうのうと幸せに生きてる。あれだけ彼のことを思っていたのに。もう……あの世で彼に会っても顔向け出来ないな」



 彼を忘れてしまった私に、もう彼のことを好きだと語る資格はない。彼のことを想う資格はない。これから一生この罪を背負っていかなければならないんだ。

 そう思うのに店主から出た言葉は私の予想外だった。



「……そんなことはないと思いますよ? これはが望んだことですから」


「……どういうこと?」


「それは守秘義務というやつですからお教えすることは出来かねます」


「……教えてよ」



 しかしいくら私がしつこく尋ねても口を開くことはなかった。



「考えて下さい。あなたの中の彼の記憶は全て旦那様に変わっていたのでしょう? あなたの記憶を変えただけでは成り立たないのですよ」


「……つまり夫は全て知っていたと言う事? あの方とは夫のこと?」


「これ以上は私の口からは言えないですね。あとは本人に確認してはどうですか? 彼はまだこの世にいるのですから」


「……」


「それとも怖いのですか?」



 そう聞かれてすぐに返事をすることが出来ない。

 圭介は何で私に付き合ってくれたの?

 亮太を忘れて圭介だと思い込んでることを全て知っていて私と結婚してくれたの?



 何で?

 同情から? 

 弱っている私を見ていられなかったから?

 あの人は私と居て……幸せだった?



 そう考えてしまうと、本人から本当のことを聞くのが、この店主の言う通り怖かった。



「あなたは彼だと思っていたから旦那様と結婚したのですか? 旦那様と過ごす日々の中で結婚したいと思ったのではないですか?」


「それは……」



 確かに最初は亮太との思い出を全部圭介との思い出だと思って、私の彼は圭介だと思って過ごしていた。



 でもその後は……?


 本当に圭介と付き合い出してから時々違和感を感じていた。

 一緒に行ったことある所の話題を振っても曖昧に返される。食の好みが急に変わる。彼ならこう言うだろうなって言う時に全く別の答えが来る。そんな事が続くことがあったのだ。



 最初は違和感を感じていたが、自然と気にならなくなった。むしろ彼との時間が段々と心地よくなって……。



「あなたが結婚して家庭を一緒に築いてきたのは誰ですか? あなたが一番大切にしたい人は誰ですか? あなたが大切にしたいのは過去ですか? 未来ですか?」



 思い出屋からの一言でハッとする。

 そうだ、今の私には……。



 ◇◇◇



 思っていたよりも時間が経ってしまっていた。

 もう陽も落ち、辺は真っ暗になっている。


 思い出屋を出た私は急いで家に帰るが、そこには彼と子供の姿はなかった。

 娘のランドセルと保育園のセットもなくなってる。


 もしかして彼はわたしから離れようとしてるの!?


 もう一度リビングに戻ると、朝そこにあったはずメッセージカードはなく、代わりに記入済みの緑の用紙が置いてあった。


 慌てて彼の実家に走る。



「義母さん……。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません……」


「さくらさん……。戻って来てくれてありがとう。子供達はもう寝てるから、ここは任せて2人でちゃんと話してきなさい」


「……はい」


「私ね。最初にあの子に言ったのよ。あなたが信じる道を進みなさい、後悔しない道を選びなさいって。だからあなたも後悔しない道を選びなさいね……」



 きっと義母も全てを分かっていたのだろう。

 その上で今まで何も言わずに見守ってくれていたんだ。

 そのことに気づき涙が浮かぶが必死に耐える。まだ私にはやらなきゃいけない事があるから。

 義母から夫が1人で外に出ていると聞き、周辺を探す。



「いた……」



 彼は1人で小さな公園の、ベンチに座って桜の木を見上げていた。

 電灯に照らされた桜は幻想的な雰囲気を感じさせると同時に、少し怖くも感じた。彼が居なくなってしまいそうで。



「あなた……」


「全て思い出したんだろ?」


「うん」


「今まで騙しててごめんな」


 あぁ。私の夫はやっぱりこの人なんだ。このとんでもなくお人好しで優しい人。


 もう何年連れ添っていると思っているのか。

 いつも自分よりも私や家族のことを優先してくれる彼が、私の為にそう言ってくれてると分かる。


「ねぇ、私はもう覚悟を決めたの。だから本当のことを話して?」


 そう彼の真っ直ぐな瞳を見つめる。私の中では2回目のプロポーズ、彼にとっては初めてのプロポーズだった時と同じ瞳をしている。

 涙で潤んだ中に、ひっそりと暗い影がある。

 あの時は何でだろうって思ったけど今なら分かる。


「俺はずっとお前のことが好きだったんだ。だから……」


「全てを1人で背負う必要はないんだよ。全部私が弱かったから。あなたは私を助けようとしてくれたんでしょ?」


「さくらっ……」


 嗚咽する彼を抱きしめ、そっと背中を撫ぜる。

 プロポーズ、結婚式、子どもが生まれた日……どんなに幸せな瞬間でも、一瞬暗い表情を見せていた彼。


 全てを忘れてしまった私とは違い、彼はずっと罪悪感を背負ってきたのだろう。その全ては私が弱かったせいだ。



 もし彼が本当に私のことを好きだったとしても、私が強ければ亮太のことを乗り越えた先に、普通に恋愛して彼と結ばれた未来もあったかも知れない。

 そうすればきっとこれ程この優しい人を苦しめることはなかったのに……。



 私は何人もの人を傷つけて生きてきたのだろう。



「……俺のことを軽蔑するかも知れない。でも話を聞いてくれるか? あの冬に何があったのかさくらも知る権利がある……」


「うん。教えて」



 暫く黙って気持ちを落ち着かせ、彼は話し始めた。



「あれは俺が見舞いに行った時だった……」



 ◇◇◇



 ベットに横たわるあいつは昔の快活な様子は全くなく、見るからに病人だと分かる痩せこけた姿だった。


 はたからみても、もう手遅れなんだろうと分かってしまうくらい。



「……久しぶりだな」


「ああ。お前に会いたかった。来てくれてありがとうな」


「いや、俺こそすぐに来れなくてごめん」


「仕事休んでくれたんだろ? 悪いな」



 俺はあいつから連絡を貰ってもすぐには見舞いに行けなかった。

 あいつが時間を指定してきたから。

 最初は何でだろうと思ったが、きっとさくらに聞かせたくなかったからあの時間を狙ったのだろうと今なら分かる。



「それで、さくらにプロポーズしたんだろ? 結婚式のスピーチなら任せとけよ」



 そう言って茶化す。

 そんな未来が来ることは難しいのだろうと分かるのに、そう言わないと本当にそうなってしまいそうで怖かったのだ。



「……分かってるだろ? 俺はもうもたない」


「バカ言うなよ! そんなこと言ったら本当にそうなっちまうだろっ」


「……自分の身体のことは自分が一番よく分かってるから。嘘でもなんでもない。これは事実だ」


「……お前が居なくなったらさくらはどうするんだよ」



 プロポーズされ、幸せの真っ只中でこいつの病気が発覚したらしい。

 さくらとは直接会えて居ないが、共通の知り合いからかなり憔悴していると聞いている。



「……だからさ、お前にさくらのこと任せる」


「…………は? お前ふざけるなよ!!」


「ふざけてなんかないさ。本気だよ。マジ」


「…………」



 あいつの真剣な瞳にすぐに言葉を返せずに居た。



「お前あいつのこと、さくらのこと好きだったろ?」


「……気づいてたのかよ」


「わりぃな。でもさくらは俺のことが好きだったから遠慮なく付き合った……けど俺はこんなんになっちまった。あの時お前とさくらが付き合ってればこんな思いさせなくて済んだのにな」


「……ふざけんなよ。こんなんで譲られても嬉しくないし、さくらは物じゃない!」



 俺は確かにさくらのことを好きだったが、別に奪いたいとかそういう感情はなかった。

 さくらのことも目の前のこいつのことも好きだ。2人が幸せそうな姿を見て、俺も満足していた。



 さくらからあいつの話を聞くのは確かにしんどいこともあったけど、それもとうの昔の話だ。

 社会人になってからは、年に数回3人で会うくらい。



 俺だってその間に付き合ってた人だっているし、さくらのことは大事だけど、2人の仲を壊してまで欲しい訳じゃない。



「あいつさ、多分俺が居なくなったらダメだと思うんだ」


「……」



 そこは否定出来ない。

 大学の時から亮太一筋なのだ。

 自分のことなんかよりも亮太優先。就職だって、亮太と休みを合わせたいから今の会社に就職した位だし、今だってほとんどの時間をお見舞いに当ててるらしい。



「だからさ、あいつがもしダメになりそうなら、俺の代わりになってくれない?」


「……お前の代わりなんてなれる訳ない。お前しか無理なんだよ。分かってるだろ?」


「これ……」



 そう言って見せたのは一枚の名刺。



「思い出屋……? なんだよこれ」



 店名からしてとても怪しい。



「そこでこの前頼んできたんだ。あいつとの思い出と引き換えに、あいつが死にたいと思ってしまったら、俺との思い出を全部圭介に書き換えてくれって」


「はっ!? お前勝手にふざけるなよ!!」


「ごめんな。もう頼んじゃったから」


「そんなこと出来る訳ないだろっ!」


「出来るんだってさ。その証拠に俺はさくらとの思い出を無くしてる」


「……は?」



 真剣な様子に嘘をついている様子はない。



「思い出に全部ぼやがかかってるような感じなんだよな。詳しいことが思い出せない」


「……本当なのかよそれ」


「あぁ。ただこうして写真を見て、あぁ幸せだったんだなって思う」



 そう呟くあいつは本当に幸せそうだった。

 思い出をなくしてるとは思えない程。



「俺にとってさくらはそれ程大切なんだ。思い出を犠牲にするくらいどうってことないくらいに。……だからお前にしか託せない。お前ならさくらを幸せにしてくれるだろう?」



 ……思い出と引き換えにしてしまうくらい大切か。

 彼の相当の覚悟が伝わった。だったら俺も覚悟を決めなければならない。



「さっきの話詳しく聞かせろよ、受け入れるかどうかはそれからだ」



 彼の覚悟を聞いたら冗談で話を終わらせることは出来なかった。



 ◇◇◇



「亮太っ……。そこまで私のことを考えてくれていたなんて……。本当に私はバカだったね……」


「あぁ……。それで俺は詳しい話を聞いたんだ。さくらが死にたいと強く思った時に思い出屋が現れるってな」


「……うん」



 話を聞いて涙が止まらない私を彼が優しく背中を撫ぜてくれる。



「あいつが亡くなった後、さくらの家を訪ねた。さくらが死にたいって思わないように助けられればあいつの記憶を失わなくて済むから。でも……」


「私は誰とも会おうとしなかったもんね」


「あぁ。何回行っても会えず、両親もとても心配していたよ」



 あの頃の私は誰とも会わず、ひたすら部屋に引きこもっていたから。

 両親とすら顔を合わせたくなかった。

 誰とも会わず、スマホの電源も切って連絡を絶っていた。

 亮太からの連絡以外望んでないのだからと。



「結局亮太の予想通りになってしまった。あいつが言った通りさくらは思い出屋にたどり着いたんだろう? 見舞いに行って久々に会えたと思ったら、さくらは俺のことを恋人だと思い込んでいた。恋人が病から奇跡の生還を遂げたのだと」


「うん。そこからは覚えてるよ」


「あとは俺のことを亮太だと思い込んでしまっていることをお前の両親、俺の親、亮太の親に説明したよ」


「そっか……。色々迷惑を掛けてごめんね」


「いや……」



 暫く2人とも黙り込んでいた。

 きっと色んなことを整理しているんだ。



「今までありがとう。ごめんね。私が弱かったせいで圭介の人生を巻き込んで、めちゃくちゃにしちゃったね」


「それは違うっ! 俺は俺の意志でさくらの側にいたんだ!」


「圭介……もう良いんだよ。もう私のことは気にしないで好きに生きて良いの。もう……圭介を私から解放してあげる」


「っ! 確かに亮太に頼まれたからってのもある。最初はさくらを奪うつもりはなかった。さくらが大丈夫になったら別れる予定だったんだ。……だけど」


「……うん」


「だけど、お前と付き合ったらやっぱり好きで、嬉しくて。でも亮太への罪悪感やお前を騙してるってのもあって」


「……うん」


「だけど離れられなくて、こんなことしてもお前が好きなのはあいつだって。あいつだと思ってる俺が好きだって分かってるのに離してやれなかった」



 ごめんと呟いて黙り込む彼。

 彼はこんな思いを長い年月抱えてきたんだろう。

 申し訳なく思うと同時に愛しく思う。

 そんな彼を、この深い闇から解放してあげたい。



「ねぇ、私が好きなのは誰だと思う?」


「そんなの亮太に決まってるだろ。全部思い出したんだろ?」


「じゃあ私が結婚したのは誰?」


「それはだろう?」


「私は圭介と結婚したんだよ? 圭介のこと好きじゃなきゃ結婚しない」


「だから俺とずっと付き合ってるって勘違いしたまま、俺と結婚したんだろ?」


「あのねぇ、いくら亮太と圭介のことが混同していたからと言って、圭介のことが嫌だったらとっくに別れて結婚なんかしないよ」


「……?」



 いまいちよく分かってない彼にもう一度説明する。

 確かに亮太との記憶を圭介に変わってたからと言って、亮太と圭介は全く別人だ。



 付き合っていくうちに違和感なんて感じてたし、別人みたいだと思ったことなんて何度もある。

 それでも私を支えてくれ、付き合いを続けて結婚して、夫婦生活を続けてこれたのは圭介が相手だったからだ。



「いくら圭介が恋人だと思い込んでたからって、好きにならなきゃこんなに長い間一緒に居ないよ。いつの間にか亮太との思い出よりも、圭介と過ごす時間の方が居心地が良くなっていた。亮太としてではなくて、圭介のことが好きになって居たの」


「でも……」


「全部思い出した私とは離婚するつもりだったんでしょ?」


「ああ……」


「私は圭介のことが好きなの。家族想いで、自分のことより人のこと優先させて、いつも優しいあなたが好き。だからもう罪悪感なんて感じないでこれからも一緒に生きて欲しい」


「さくら……」



 長年一緒に居たのだ。彼が同情や義務だけで一緒に居てくれたのではないと分かる。

 ただその好きの中に罪悪感がずっと居座って居ただけで、その罪悪感を無くし、これからは心の底から幸せになって欲しい。



「まだ俺と家族で居てくれるのか?」


「うん、だって私の夫はあなただけだもの」


「さくら……ありがとう」


「私こそ、ずっとずっとありがとう」




 ◇◇◇



「ここはどこだ……?」



 彼はいつの間にか見たことのない景色の中に居た。

 先程まで病院の中庭に居たはずなのに。

 元いた場所へ帰ろうと車椅子の方向転換をしようとすると、誰かが後ろにいる気配を感じる。



「もうお帰りですか? 中に入られても居ないのに」


「……あなたは誰ですか」


「この店の店主です。この思い出屋の」


「思い出屋? 何もないじゃないか……」



 しかし瞬きした瞬間、彼の目の前には古びた1軒の店が佇んでいた。



「……」


「ほら、ここの店主です。とりあえず中へどうぞ?」



 そう言うと店主は彼の返事を待たずに車椅子を押してしまう。古びた店の割には段差もなくスムーズに入店する様子に彼は戸惑いつつも受け入れて居た。



「大体この店を始めて見た方は不審がるのですが、あなたはそうではないんですね」


「……もうすぐ迎えが来ると分かってるからな。そう思うとこんなこともあるのかと受け入れられるのかもな」



 そう自虐的に笑う姿に、店主は曖昧に微笑む。



「それなら話が早いですね。ここは思い出屋です。あなたの大切な思い出と引き換えに願いを叶えます」


「願い……」


「ええ。ですが非人道的なことや、病を治すと言った人間の摂理に反することは出来かねます」


「なんだ……。なら俺が願うことは何も……」



 そう言いながらも少し考え込む彼の様子に、店主は微笑む。



「少しお時間が必要みたいですね。お茶を用意しましょう。少々お待ち下さい」



 そう彼に告げると店の奥に消えてしまう店主。

 その間に彼は辺りを見回す。

 店の棚には大小様々な水晶玉のようなものが並べられている。

 その水晶玉は無色透明な物から、薄く色づいている物、真っ黒な色まで様々だ。



 暫くすると店主がティーカップを持って戻って来た。



「本日は特別なお茶を用意しました。是非香りをお楽しみください」


「……これは。桜の香り?」


「ええ、そうです。季節外れですが、またそこが良いでしょう?」


「……あなたは全てお見通しなんだな」


「はい?」



 そうとぼけるが、彼には伝わっていた。

 きっと彼の一番大切な彼女のことを見通してこの香りを選んだのだと。



「……思い出と引き換えに何でも出来るんだよな? 例えば彼女から俺の記憶を消すとかは?」


「完璧に消すのは……。出来ないことはないですが思い出すリスクが高いですね。無理やり0にするのは強引過ぎますから」


「……だよな」


「……ですが。例えばあなたとの思い出を全て別人との思い出と思い込むなら可能ですよ。思い出を消すのではなく書き換えるのでしたら、思い出すリスクも低くなります」


「別人に書き換える……か」



 そう言って暫く考え込む彼。



「別人と言っても全く知らない奴じゃダメだよな」


「仰る通りです。事情を知って、記憶を書き換えることを承知の上で協力してくれる方が必要ですね」


「もしそいつが協力してくれるとしたら……。俺との思い出をそいつだと思い込むってことだよな」


「ええ。あなたと彼女が恋人なら、その人と彼女が恋人だと思うようになります」



 そう答えを聞くと、暫くまた考え込む彼。



「そうか……。それでその代償は思い出?」


「ええ。思い出と言っても全てなくなる訳ではありません。詳しいことが思い出せなくなるだけですよ。彼女と付き合ってると言う事実があなたの中から消えることはありません」


「だったら……。だったら俺の願いを叶えてくれ。俺が居なくなった後も彼女には生きて幸せになってもらいたい。その為に俺との思い出が邪魔になるなら、彼女の中の俺の記憶を書き換えてくれ」


「本当にそれで良いのですか?」



 そう店主が彼に問う。本当にそれで良いのか、後悔はしないのかと。


 だが彼はすぐに答えた。



「ああ。あいつはこれまで普通に幸せに生きて来たんだ。身近な人の死も経験して居ない。その初めての身近な死が……婚約したての俺なんて。きっと彼女の心は耐えきれない。その時には俺はもう支えられないから……」



 少し言葉に詰まりながらも彼は彼女への思いを告げる。



「あいつには俺を追うなんてことして欲しくない。俺を忘れてしまっても良いから幸せになって欲しいんだ。あいつの幸せの邪魔だけはしたくない。だからあいつが幸せになれるようにしてくれ」



「彼女の幸せがあなたの願い……。では……本当に良いのですね? 全てを忘れてしまっても」



「俺にはこの写真さえあればあとは……」



 そう言うとポケットから一枚の写真を取り出す彼。そこにはタキシードを着た彼と、ウエディングドレスを着た笑顔の彼女が写っていた。



「ではあなたの願いを叶えると約束しましょう。さぁ、目を閉じて……1、2、3――」





 ――あなたの願いちゃんと叶えましたよ。あなたの願いは自分のことを忘れられることではなく、彼女の幸せ……でしたから。

 亡くなってしまったあなたは思い出の中でしか生きられない。だからあなたを思い出の中から失くすなんてこと私には出来ません。

 だって私は思い出屋ですから――。



 ◇◇◇



「ここ……か。だいぶ遅くなっちゃったね。あなたは毎年来てたんでしょ?」


「あぁ。黙っててごめんな」


「ううん。忘れてた私がいけないもの。……亮太……久しぶり。怒ってる? 暫く会わないうちに老けたなとか言わないでね」



 そう彼女が話しかけるのは彼のお墓。

 全てを思い出した彼女は夫と共に彼の墓参りに来ていた。



「……私ね。全部思い出したの。悲しすぎて亮太のことを忘れてしまったの。本当最低だよね」



 そうお墓に話しかける彼女を彼はそっと見守る。



「でも全部亮太が考えてくれてたんだね。私のことをずっと守ってくれてたんだね……。私あの時よりも強くなったよ。亮太の死をちゃんと受け入れて、思い出に出来るくらい強くなったから」



 そう言うと夫を一度見て、再び話し掛ける。



「私がこんなんだったからきっと亮太も休まれなかったよね。でももう大丈夫だから、だからもう心配しないで。私は亮太のおかげで幸せになれたよ。今までありがとう」



 そう告げる彼女の目には涙が溜まっていた。



「亮太っ……。ずっとずっと好きだったよ。死にたくなるくらいに好きだったの。でも前を向いて歩いていく。圭介と一緒に。だから……もしあの世であったら……また3人で昔話を話そうね」



「ちゃんとお前との約束守るから。だからそっちに行くまではさくらは借りとくぞ」



「もう! 私は物じゃないのに!」


「だってさ」


「もうー」


「ほら、ちゃんと笑顔を見せてやんないと安心出来ないだろ」


「うん。亮太っ! ありがとう! また来るから……」


「今度は俺たちの子供も連れてくるよ。息子のと雪乃」



 そう2人が笑顔を見せると、彼女達を包み込むように温かい風が吹く。



 ーーなぁ亮太、子供の名前はさくらが付けたんだ。きっとあいつはお前のことどこかで覚えてたんだ。じゃなきゃ亮介なんて名前付ける訳ないだろ? 俺とお前の子供みたいで笑っちまうよな。



「圭介ー? どうしたの?」


「……いや、なんでもない。行くか」


「私4月からパートに出ようと思うんだけど」


「……そっか、無理せずにな」


「うん!」



 彼女達がそこを離れた後も温かい、心地良い風が暫く漂っていた。


 ーーまたな。





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思い出屋〜あなたの願いを叶えます〜 高崎 恵 @guuchan

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