シークレットガーデン

尾岡れき@猫部

シークレットガーデン

――何をしても後悔をするんだから、シークレットにするのバカらしくない?





 一つ屋根の下って、甘美な響きだ。ちょっと近しい距離の男女が、同じ君感で同じ時間を過ごす。これほど、甘い時間はない。幼馴染、同棲カップル、お隣さん、義妹等々。それこそ羅列したらキリがない。


 でも、現実には二人っきりなんてことは有り得ないと、初陽はつひは思う。


「おい、初陽! みんな腹減ったってー!」


 父――朝比奈陽日あさひなはるひの声が飛ぶ。


「お兄ちゃん、早く」


 と妹の日菜ひな


「初陽のご飯ー!」


 これは幼馴染の暮日夕奈くれひゆうな。相変わらず全員、遠慮がない。


「初陽君、何を手伝ったらいいですか?」


 唯一、優しい声を上げてくれるのは、夕奈の母、夕香ゆうか


「いやいや、夕香さん。初陽は、料理が好きなんですよ。普段、夕香さんはお仕事も家のことも大変なんですから、今日はゆっくりと――」

「お世話になるのに、そういうワケにはいきませんよ。こういう時、オール電化はいけないなぁ、って改めて思いました」


 きゅっとエプロンを結んで、初陽の横に立つ。

 暮日家のオール電化対応給湯器が故障してしまったのだ。水道も、お風呂も機能しない状況となり、修理までの3日間、朝比奈家に大集合となったわけだ。


「今日は何にするんですか?」


 夕香さんが俺の横に立つ。


「あ、その。時間がないから、本当に簡単にカレーを……」

「カレーなんて、誰でもできる料理じゃん!」


 夕奈が不満そうな声をあげた。手伝いもしないで勝手なことを言うと、ちょっとムッとする――その前に、夕香さんが声をあげた。


「手伝いもしないで、そういうこと言う子はガラムマサラだけ食べてなさい」


 と夕香さん。いや、香辛料一種類は、それは厳しい。案の定、夕奈は抗議の声を上げた。


「横暴! 香辛料だけとか、ほんなのご飯じゃなーい! 虐待はんたーい!」

「……と、とりあえず。時短で圧力鍋を使ってやっていきたいと思うので、野菜切るの手伝ってもらって良いですか?」

「了解です!」


 とふんわり微笑んで敬礼する夕香さん。38歳とは思えない可愛らしさに、思わず頬が緩んでしまう。


「よろしくお願いします!」


 初陽はジャガイモを。夕香は、人参の皮むきを。阿吽の呼吸で軽く頷き、作業に取りかかったのだ。





■■■





 もともと、お隣同士で交流の多かった朝比奈家と暮日家。


 初陽が10歳の時に、悪性リンパ腫で母が他界した。それ以降、夕香さんに教えてもらいながら、朝比奈家の家事は、初陽が切り盛りをしている。


 一方の暮日家は、大黒柱が蒸発したのだ。正確には飲み屋の店員と夜逃げをした。小学6年卒業式の日。今でも初陽は憶えている。夕奈はもともと、自分の父親のことを嫌っていた節がある。でも、夕香は夫との関係を取り戻そうと必死だった。


 正直、大人の関係はよく分からない。


 ただ夕香を励まそうと、初陽は全力を尽くした。父の陽日もそうだ。初陽から見ても、父が少なからぬ感情をもっていたのは分かる。


 二件隣で協力して、今日まで過ごしてきた。


 ベランダで、抹茶オレを飲みながら、漫然と考える。


 みんなで集まることは少なくなってきた。お盆、正月、それぞれの誕生日以外では集まることが少なくなってきた。


 大人になるって、なんだか寂しいなって思ってしまう。それでも、自分の勝手な感情で、この暖かい空間を壊したいとは思わない。


「何を黄昏れているんだか」


 突然声をかけられて、思わずマグカップを落としそうになる。

「な、なんだ……日菜かよ」


 改めて、マグカップを両手で包み込むように持ち直した。


「なんだとはヒドい。可愛い妹がやってきたのに」

「何も手伝いもしない、妹様がな」

「だってお兄ちゃんと、夕香さんの料理は鉄板なんだもん、美味しくなるの確定されているのなら、余計な手出しは無用でしょ?」

「さいですか」


 信頼ととれば良いのか。良いように使われていると取ればいいのか。苦笑しか出てこない。


「部活の遠征とか、試験とか重なって、なかなかこうやって集まらなくなったもんね」

「そうだな」


 コクンと頷く。実は一番顔を合わせるのが、夕香というのも皮肉な話だ。作ったおかずをシェアし合って、互いの食卓に出したり、一緒に買物に出たりしていたのだから。


「お兄ちゃん、あのね」

「ん?」

「ラストチャンスだと思うよ」


 予想だにしない日菜の声に思わず、ムセそうになる。


「な、何をいきなり――」

「だって、お兄ちゃんがずっと片想いをしているの、私は知っているから」

「へ?」


 初陽は目を丸くした。この話題をなんとか逸らそうとして、必死に思考を巡らすけど――。

 日奈の真剣な眼差しに、言葉が出てこない。


「いや、ダメだろ――」

「なんで?」

「いや、だって……」

「お兄ちゃんが、なんでダメって思っているのか、私にはよく分からないよ」

「いや、だってさ――」


 すぅっと日奈は息を吸い込んだ。


「何をしても後悔をするんだから、シークレットにするのバカらしくない?」

「あ……。日菜、その言葉は……」

「そうだよ、お母さんの言葉だよ」


 初陽は目を閉じる。それは、がんに侵された母の言葉だった。


 あっけらかんと、母――壹与は二人に言ったのだ。


 余命、長くて3ヶ月。実際には1ヶ月。動けたのは2週間。本当に元気だったのは1週間。その間、家族でとことん遊び回った。父、陽日は渋っていたが、初陽から見れば、失うことを恐れていたように思う。


 でも末期症状ステージⅣ。気付いた時にはベストサポートケアといわれる時期に突入していたのだ。投薬で苦痛を可能な限り抑えて過ごすことが目標。緩和治療しか選択肢はなかった。


 今だからこそ初陽は思う。言い換えたら、この時間は止まらないし――事実、下り坂を駆け降りるように、母の体調は悪くなっていった。


「何をやってもどうせ後悔するんだからさ、難しいことを考えなくてもいいんじゃない?」

「いや、でもソレで絶対に空気が悪く――」

「なっていいじゃん。一生、後悔するよりよっぽど良いよ。だってお兄ちゃん、今日だって目で追いかけていたの、知ってるよ」

「う……」

「いいじゃん、体裁とかどうだって」

「でも近すぎて、どうして良いのか俺もよく分からなくて」

「みんな納得して恋なんかするワケないよ。大丈夫だよ? 少なくとも私はお兄ちゃんのことを応援するからね」


 日菜はにぱっと笑って言う。


「夕奈は?」

「リビングにはいなかったよ。客間に戻ったのかな?」


 本当はもう一人、子どもが欲しかったんだと、母が言っていたことを初陽は思い出す。ほらね? 何をやっても後悔するんだから、やりたいことやっちゃおうよ! 


 まるで子どもように、ブンブン手を振り回しながら、ジェットコースターに乗る。


 絶叫マシーンに乗っていた方が実は痛みが紛れたのよね。寝付いた母が漏らした、唯一の弱音だった。


 言うんじゃなかった、と客間の位置に視線を向けながらペロッと舌を出した。


 でもね。

 母は言葉を続ける。

 ――何をしても後悔をするんだから、シークレットにするのバカらしくない?


 恥ずかしいとジタバタする初陽を尻目に、母は優しく、息子を抱きしめたのだった。





■■■





 グリーンハウスと二人は呼んでいた。

 もともとは単なるテラスだったのだが、母・壹与が亡くなってから、藤の花や蔦系の植物で覆い。生け垣を作ったのだ。


 陽日に協力してもらい両家の庭をぶち破って、庭を拡張した。


 改めて二人で耕して、花や野菜を植えた。周りを生け垣で囲って。初陽にとっては、彼女との秘密基地を作り上げるような感覚だった。


 初陽は時間の流れに逆らえなかった。

 彼女は、時間のなかに取り残された。一番、近くで見ていたから、彼女のことは誰よりも分かっているつもりだった。


 嬉しい時も、楽しい時も。

 そして悲しくて、辛くて、苦しい時も。


 このグリーンハウスで、二人で過ごしたのだ。


 誰よりも、寄り添ってくれた人だ。

 ずっと、初陽に寄り添ってくれた。


 この場所にいる時、普段見せる表情よりも彼女の素顔は幼く見えた。彼女が傷ついていることを知っている。オジさんは自由に恋をしたつもりだろうけど、残されて――置いていかれた人の気持ちを一切、考えていない。

 だから――。


(ダメだ、気持ちが昂ぶっている)


 そう思う。ずっと抑えていたんだ。人前では大人な表情で。でも二人きりだと、少女のようで。だから、君を守りたいと、ずっとずっと思っていた。それは叶わぬ願いと知っていたのに。


 ――何やっても後悔をするなら、シークレットにしておくのバカらしくない?


 背中を押された。


 一生後悔しても良いから、墓場までこの気持ちは持って行こうと思っていたのに。


 感情が迸って、もう止まらない。

 彼女が、いつものあの場所に座って、俺を見上げていたから。






「好きだから!」


 気持ちが溢れた。こぼれた。飲み込むことなんか、もうできなかった。


「夕香さん!」


 幼馴染の母は顔を上げた。その瞳が感情で揺れている。


 言ってしまった。

 母が亡くなってから。彼女の夫が蒸発してから。


 お互いの傷を癒やすように、土をいじって。そして耕して。


 一緒に料理をして、買い物をして。思い荷物を初陽が持った。年齢差、21歳。幼馴染の母。初陽はようやく成人したばかり。色々な感情がジャマをした。


 本音はなかなか漏らさない、彼女が土を一緒に耕す時はよく笑い、グリーンハウスのなかでだけ時々、泣いた。


「初陽君、バカ。私はそんな――」

「バカだって思っている。でも、やっぱり、溜め込んでいた気持ちにウソはつけなくて……」

「私は夕奈のお母さんだよ?」

「その前に夕香さんです」

「私、オバさんだから」

「俺はもう二十歳です。俺にとって、一番綺麗な人は夕香さんだけですから」

「そんなこと言っても。絶対若い子がきっと良く――」

「夕香さんじゃない人なんか、どうでも良いです」

「……そんなことを言うなんて、初陽君ズルい」

「狡くならないと、夕香さんは逃げちゃうから」

「に、逃げたい。今、全力で逃げたい。こんな顔を見られたくなかった。ずっと我慢していたのに。ずっと隠してきたのに――」

「夕香さん?」

「夕奈が私の背中を押すから……。でもやっぱり私は意気地なしで。それにやっぱり、初陽君の人生をメチャクチャにするなんて――」

「むしろ、夕香さんと歩きたいんですけどね。今度は堂々と」


 ダメだな、と初陽は思う。もう止まらないんだ。


「私は、結構ヤキモチ焼きなんだよ? 夫もそれで愛想をつかしたから」

「奇遇ですね。夕香さんに近づく、町内会のオジさん達をぶん殴りたいってずっと思っていたから」

「やっぱり、変になる。初陽君の前だと、私は大人じゃいられ――」


 もう、その次言葉は待てなかった。

 年齢とか。立場とか、どうでも良くて。


 誰が、とかじゃないから。

 出会って。


 この人を支えたいって思った。


 誰かが支えるんじゃなくて。

 自分が。

 自分の手で。


 あなたを抱きしめたいと思った。


 逃げる理由ならいくらでも作れるけど。

 どう選択しても、後悔をするのなら。


 心が砕けそうで、それでもこの生活を守らないと、って必死に歩き続けてきた女の子が目の前にいるだけだから。


 自分が、あなたを抱きしめたいと。心の底からそう思った。

 だから――。


 「「ずっと好きでした」」


 気持ちを込めた、言葉がようやく溶け合った。どんな選択をしても後悔するんだったら。自分の本当の感情だけは、秘密にしたくない。初陽は心の底からそう思った。少なくとも、夕香さんと作った、この秘密の花園では――。


 息が止まる。


 鼓動が暴れる。

 言葉は唇で塞がれた。





■■■




 暮日家のベランダからため息が重なった。


「初恋が、今日終わっちゃった」

「片想い、終わったか」


 そんな言葉が重なるのを、日菜は小さく肩をすくめる。みんな、納得のうえでお膳だてをしたくせに、煮え切らない。それは自分自身も、と日菜は思う。


 どんな選択をしても、後悔をする。

 そうだとしたら、消去法しかないのだ。


 兄が幼馴染の母と恋をするのか。

 妹が兄と恋をするのか。もしくは幼馴染か。

 それとも父親と、隣の幼馴染の母か。


 消去法で考えた。


 でも、秘密の庭園で笑い合う二人を、このベランダから見たら――暮日家のベランダから、見えてしまったのだ。


(かなわない)

 あんなふうに笑う二人を、これまで見たことがなかったから。


 そんな二人から幸せを略奪することなんかできない。それが、このベランダに集まった人たちのシンプルな答えだった。


 でもね、って思う。私達の大切な人を蔑ろにしたら、許さないからから。心のなかでそう呟く。

 だって、拗れた片想いをそう簡単になかったことにすることなんかできない――。


「ちょっとお母さん、初陽にくっつきすぎ!」

「初陽、ま、お前! 俺の学生時代からのアイドルに、なにを!」

「はいはい、バレるから黙ってね。お二人さん」


 二人の袖を無理やり引っ張っる。そう簡単に恋心が消火できるはずもなく。奥手な初陽と、遠慮深い夕香だ。まして世間体とかいうくだらない体裁のせいで、あと一歩を踏み込むことに、躊躇してしまうのは想像できる。


(バレバレなんだけどね)


 料理を作る時だって、肩を寄せ合って。


 買い物に行くときは、初陽が重い荷物を持って。車道側を歩くのはいつも初陽。その隣は、必ず夕香。食卓で席は必ず隣同士。


 映画を観る時も、バーベキューをする時だって。極めつけは、庭で二人で土をいじっている時も。二人はいつも寄り添っていた。


 夕香がまるで少女のように笑う姿を見たら。初陽が少年のように笑う姿を見たら。誰がその相手代わりに笑顔を引き出せるだろうか。


 誰にもそんな自信はなかったから、消去法でこの結論に至ったのだ。


 抹茶オレに再度、口をつけて。

 ほろ苦くて。

 甘い。

 口の中でまとわりついて。

 未だに感情に囚われていることを知る。



 

■■■




 仏前の前でタオルケットもかけずに、陽日は横になっていた。

 音が鳴る。

 カチカチ。

 まるで、パソコンのキーボードを入力するような音が響く。

 位牌に文字が浮かび上がっては消える。


▶本当に、仕方がない人。

▶何をやっても後悔するんだから

▶シークレットにするのバカらしくない?

▶って、散々、伝えたのに。

▶死が二人を分かつくらいで

▶私がヤキモチを妬かないとか

▶本気で思っているのかしら?


 光が浮かび上がって、まるで人のカタチを造形して。そして、のっぺりとした顔が浮かび上がって。やけに唇が生々しく、妙にリアルだった。唇を重ねる。記憶をより鮮明に。他のことは希薄に。何より私との想い出を色彩豊かに。そう淑女は妖艶に微笑む。


 ある意味、今回は夕香の今さらながらの初恋を叶えた。彼女は本当の意味で恋をしたことがなかったから。

 それは、それで良かった。初陽の初恋の人でもあったから。相思相愛だったもんね。

 でもね。次も、こんな結末を保証することなんてできないからね?


 淑女は、陽日の唇を指でなぞる。

 あまく、甘い声で陽日の耳元で囁やく。



――何をしてもどうせ後悔をするんだから、シークレットにするのバカらしくないかしら?


 だって全部、見てるんだから。

 


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