第17話 魔王、対面する

 桃田捜索隊は二手に分かれて行動することになった。


 私と鬼頭は校外で寧々子ちゃんと合流してから捜索を開始。龍之介と魔理沙は探し物が得意な須野さんに協力を仰ぎ、学校内を一通り散策してからの出発だった。


 一時間ほど街中を歩き回ったところで、寧々子ちゃんが匂いの痕跡を捉えた。


 場所は市街地の真ん中にある、ひと際大きな中央公園だ。新緑溢れる遊具広場に、野球やサッカーの練習ができる程度のグランドが併設されている。市で行われる年一の祭りでイベント会場にもなることがあり、私も何度か足を運んだことがあった。


「……広いな」


 ゆっくり歩いたところで一周十分もかからない広さだが、人探しとなれば話は別だ。


 桃田が捕らえられているであろう『空白空間』は、空間の歪みから発生する世界のバグみたいなものらしい。一枚の真っ新な紙がほんの少したわむことで生じる隙間、それが『空白空間』である。故に『空白空間』の中にある物を別の『空白空間』へ移したり、『空白空間』そのものをどこかに移動させることはできない。


 が、相手は女神。転生や召喚を経ずに世界間の移動を可能とする。なので私たちには想像もできないような細工が施されているかもしれないと、魔理沙が言っていた。


 また『空白空間』を見つける方法は、同志たちの魂を見分けるのと同じらしい。すなわち、魔力を眼球に集めて一点を凝視する。すると空間の歪みが視えてくるそうだ。そして多少なりとも魔力があれば、無理やりこじ開けられるという。


 桃田の匂いが公園内で途切れていると分かれば、あとは簡単だ。寧々子ちゃんばかりに負担はかけられない……もとい眼精疲労でやつれた寧々子ちゃんの顔など見たくもないので、ここからは私たちの出番だった。


「二手に分かれよう。鬼頭は寧々子ちゃんと一緒にグランドを頼む。私は公園の方を探す」


「承知した」


 二人と別れ、私は遊具広場の方へと足を延ばした。


 平日の夕時とあってか、人影は少ない。数人の子供が遊具で遊んでいるくらいだ。


 眼に力を入れ、ちょっと危ない顔をしたまま捜索を始める。もしかしたら子供たちの中に女神が潜んでいるかもしれないので、できるだけ近寄らないようにしよう。け、決して不審者だと思われたくないからじゃないぞ! まあ、瞼を限界まで見開いて虚空を凝視しながら彷徨う様は、端から見たら普通に不審者なんだけどさ!


 ただ独りになった途端、思考に隙間風が吹いた。ついつい足を止めて余計なことを考えてしまう。


 思い出すのは、先ほどの話し合いだ。


 結局、魔理沙の言葉は希望的観測にすぎない。女神が《勇者》候補を確保しようとすることも、まずはこの辺で活動するだろうということも、地球を滅ぼすまでに二年の準備期間が必要なことも。全部可能性が高いというだけで、何一つ確証がないのだ。


 さらに言えば、仮にすべての予測がドンピシャで当たったとして、果たして私たちは女神を止めることができるのか。


 茜色に染まり行く大空を見上げる。


 もし止められなければ、この美しい世界が滅んでしまう。私たちのせいで……。


「…………」


 冗談抜きで涙が零れそうになった。もちろん目が痛くなったとかではなくて。


 い、いかん。変なことを考えてた。どうもこの瀬良真央という少女は感傷的になりやすい。ただの少女に感情を引っ張られるなんて、《魔王》の魂も形無しだな。


 さて、感傷に浸るのは終わりだ。余計なことは考えなくていい。今は桃田を捜さないと。


「もしもし、そこの可愛らしいお嬢さん」


「?」


 自分の頬を引っ叩いて気合を入れたところで、不意に声を掛けられた。


 うん。可愛らしいって言われただけだから、別に私のこととは限らないんだけどね!


「私のことですか?」


「そうそう。目を見張るほど美しいお嬢さん。キミのことだよ」


 もう、お上手なんですからぁ。


 と、満更でもない感じで振り向いて私は顔を強張らせた。薄汚れたコートを羽織ったおっさんが地べたに座っていたからだ。どう見ても浮浪者である。


 正直、ちょっと相手にしたくない身なりだ。できれば早々に逃げ出したい。


 いや、変態的な素振りを一ミリでも見せたら一目散に逃げよう。少し走れば鬼頭が近くにいるはずだし。


 無視するのも良心が咎めたので、私は露骨な逃げ腰のまま受け答えた。


「私に何か用ですか?」


「よろしければな、水を汲んできてもらえないかね?」


「水を?」


 おっさんは紙コップを差し出しつつ、遠くを指でさした。その先には水道がある。


 いや、自分で汲んでこいよ。などと内心でツッコミを入れたが、むやみに反抗するのは逆に危ないかもしれない。まるで汚物にでも触れるように紙コップを摘まんだ私は、急いで水を汲んでおっさんに渡した。


 するとおっさんはコップの水を躊躇いもなく一気に飲み干した。


 うわぁ、ちょっと引くわぁ。一応飲めるようになってるっつっても公園の水だぞ? 手を洗うとかならともかく、コップに入れて飲む人とか初めて見たわ。


「うーん、美味い!」


 しかも絶賛である。激しい運動の後だったのかな?


「時にお嬢さん。実は水道の水は、純粋な水ではないことをご存じかな?」


「え、そうなんですか?」


「うむ。日本の水道水には、塩素という物質が含まれている」


 ああ、なんだ。そういう意味か。


 もちろん知っている。水道水に塩素が含まれているのは消毒のためだ。本来水に含まれる病原菌や微生物を殺菌し、人々が安全に飲めるよう処理されているのである。濃度については水道法で定められているらしいが、詳しいことは私も知らない。


 ……ん? もしかして今、公園の水道水を飲むための言い訳をしているのか?


「自然界の水には含まれない塩素を加えることによって、人間が安全に飲めるようになっている。そうだね?」


「……そうですね」


 私の脳内解説そのままだったな。


「で、何が言いたいんですか?」


「何事も、何がどう作用するか分からないという意味だ。この水だって、長年の研究あってこその成果なのだろう?」


「?」


 意味が分からず首を傾げる。マジで何が言いたいんだ?


 はっ、分かったぞ! このおっさん、私が美少女だから何か適当な理由をつけて会話したかっただけだ! くっそー、私はホステスじゃねえっつーの! 金取るぞ! 全っ然お金持ってるようには見えないけどさ!


「セラマオ殿」


 勝手に憤慨していると、背後から鬼頭の声が届いた。


 しかもなんと奴は一人だった!


「ちょちょちょちょい待ち。お前、寧々子ちゃんは!?」


「龍之介殿たちも合流したから預けてきた。それより桃田を見つけたぞ」


「本当か!?」


 やっぱすげえな、寧々子ちゃんは。つーか合流したってことは、須野さんも自力で桃田の居場所を突き止めたということだ。須野さんの探索能力はマジもんだったのか。


「分かった、すぐ行く。そういうわけで、おじさん……」


 振り返ったところで私は目を剥いた。そこに誰もいなかったからだ。


 え、どこ行ったんだ? ってか、今の一瞬で移動したの? 物音も立てずに? ここから目の届かない位置まで? 忍者なの?


「セラマオ殿はさっきから何をしていたんだ?」


「いや……ここに座っていたおっさんと話をしていたんだ」


「おっさん?」


 鬼頭が顔を上げる。


 だが……。


「何を言っている? 俺がセラマオ殿を見つけた時点で、すでに一人だったぞ?」


「へ?」


 んな馬鹿な。私が鬼頭に声を掛けられて振り返るまで、確かにここにいたはずだ。コイツの身長なら私の頭越しに前が見えるだろうし……。


「…………」


 そういえば、本当におっさんだったか? どんな服装してたっけ? 年齢はどれくらいだった? 顔は? 声は? 水道水の話をしていたのは間違いないんだけど……ダメだ、なにも思い出せない。


「セラマオ殿、大丈夫か? 顔が真っ青になって震えているぞ?」


「いいいいいいいや、だだだだだ大丈夫ぶぶぶぶぶ、だだだかからららら」


 きっと白昼夢だ。私の妄想だったのだろう。そうに違いない。


 だだだだって幽霊なんて存在しないんだから!


「ひ、ひとまず向かおう。桃田に意識はあるのか?」


「ああ。だが少し混乱しているみたいだ」


 鬼頭に連れられてグランドへと向かう。

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