第3話 魔王、再会する1

 呆然としている間にホームルームが終わっていた。


 ざわざわと喧噪に埋もれる教室内。入学してまだ初日なので、その多くは同じ中学校の友人と話しているよう。私と同じ中学出身の生徒も何人かいるが、生憎全員男子なので声を掛けてくることはなかった。いや、あの自己紹介の後じゃあ無理もないか。


 望み通りなんだけど、なんかちょっと物寂しい。


 深く息を吐き出した私は、同志を探す次の手段を模索しようと立ち上がる。


 すると図太くもこちらに近寄ってくる影があった。


「おい。あんた、《魔王》なんだってな」


「へ?」


 顔を上げると、ヤンキーが私を見下ろしていた。


 身長は小柄な私よりも頭一個分大きいくらいで、どことなく爬虫類を想起させるような顔立ちだ。目つきは鋭く、ギョロついた三白眼は視線だけで射殺せそうなほど尖っている。


 そして何よりも注意を引き付けられるのが、スポーツ刈りのように短く刈られた淀みのない銀髪だ。よく先生に怒られなかったもんだと感心してしまうくらいに、そのヤンキーの頭はギンギンに染め上げられていた。


 ってかコイツ今、《魔王》って呼びかけてきたよな?


「えっと、お前はまさか……」


「おう。俺様の名前は雨宮あまみや龍之介りゅうのすけ。《ドラゴン》だ。久しぶりだな、《魔王》」


 口の端を吊り上げ、龍之介が不敵に笑う。


 その名を耳にした瞬間、私の胸の中で何かが弾けた。


「うおおおおおおおおおお!!! 良かったぁ! 私のセルフ拷問は無駄じゃなかった! 痛々しい黒歴史は報われたんだ!」


「うおっ、何で急に泣き出してんだよ気持ち悪い。情緒不安定か?」


 正解! ふふっ、瀬良家の情緒不安定は遺伝なんだ。


 でも今は甘えさせてくれ。心細かったんだよぉ。


「……何があったかは知らんけど、あんたも大変だったんだな」


 なんて同情しつつも、龍之介はガン泣きしながら腕に縋りつく私を無理やり引きはがした。


 まあずっとこうしていても話が進まないので、二度三度咳払いして居住まいを正す。


「にしてもお前、見た目がやんちゃすぎないか? 銀髪にピアスって……もうちょっと目立たない恰好はできなかったのかよ」


「うるせ。人間に舐められたくなかったんだよ」


 プライド高いなぁ。元からか。


「俺様の方こそ驚いたよ。勇者関連の調査だけじゃなく、まさかあんたが地球を支配しようとしていたとはな」


「やめてくれ。その攻撃は私の古傷に効く」


「?」


 感心したように言ってくるが、龍之介の言葉は会心の一撃だった。私はあの自己紹介をもうすでに過去のものとして扱うことに決めたのだ。黒歴史に触れるのはマナー違反だと思う。


「で、で、他の同志たちは? もう会ったか!?」


「いや……」


 目を輝かせて問うと、龍之介は言葉を濁した。


「体育館で《魔女》らしき女は見かけたんだけどな。《鬼》と《狼》は見つからなかった」


「え?」


 今の発言、背筋に寒気が奔ったんだけど。


 不思議そうに首を傾げながら、私は恐る恐る問いただした。


「なんで見かけただけで《魔女》って判ったんだ?」


「なに言ってんだ? 魔力を探れば一発だろ。まあ遠目だったからあんまり確信はねえし、そういう意味では《鬼》も《狼》も見逃してるかもしれんけどな」


「???」


 当然のように言い放つ龍之介を前に、私はさらに首を捻った。


 それはもう首の骨が折れるかと思うくらいに。


「ちょっと待て。《魔女》は地球に転生したら魔力は無くなるって言ってたよな?」


「言ってないぞ。能力は格段に落ちて人間の枠に収まるとは言ってたがな」


「はっ!」


 た、確かに! 十五年以上も昔の出来事なので記憶はあやふやだけど、無くなるとは言ってなかったような気がする! 地球には魔力が存在しないって言ってただけだ!


「つまり私にも魔力があるってこと!?」


「あるだろ。満足に扱えないほど微量だとは思うけどな」


 マジか。十五年生きてて初めて知った。


 あれか? 概念体の魔力が大きすぎて、今の身体にある魔力を認識できてなかったってことかな? 人間が蟻の重さを実感できないのと同じことだ。


「あんたが同志の誰かだってことは一目で判ったぜ。試しに俺様を見てみろよ」


 有るかも分からない魔力を意識して、龍之介をじっと見つめてみる。


 わぁ、本当だぁ。じっと目を凝らして集中しないと分からない程度に、龍之介から出てるオーラの色だけ違う気がするぅ。私たちって肉体は人間だけど、魂は《魔王》や《ドラゴン》だもんねぇ。そりゃ普通の人間とは違うさぁ。うふふ。


 てかさぁ……。


「魂で判別できるなら、さっきの自己紹介は私が恥かいただけやんけ!」


 古傷を自分でこじ開けてしまった。顔を覆って悶え転げ回りたくなる。


 いや、目的はもう一つあったのだ。実際に龍之介以外は誰も言い寄って来なさそうだったので、アレは無意味じゃなかったと私は自分に強く言い聞かせた。


「それで《鬼》と《狼》が見当たらないのって、まさか試験に落ちたとか?」


「いや。この高校、定員割れだったらしいぞ」


「そ、そっか……」


 合格した時はかなり喜んだんだけどなぁ。まあ、少子化のせいにしておこう。


「じゃあ願書出し忘れたとか。アイツら、私たちより頭弱いし」


「ありそうっちゃ、ありそうだよな」


「あるのか」


 あっちゃいけない話だが。


 入学してないとか、計画が破綻するぞ。まあ、集合場所を変えればいいだけの話だが……。


 さて、どうしたもんかね。


 などと悩んでいると、ふと自分の名前を呼ばれたような気がした。見れば、教室の隅でこちらを窺いながらひそひそと話し合ってる男子生徒がいた。


「なあおい、あれって竜ヶ峰中の『銀龍ぎんりゅう』だよな? なんでセラマオと話してるんだ?」


「知らねえよ。見てくれがいいからナンパしてんじゃねえの?」


 私と同じ中学の男子だ。つーか新生活が始まるのにセラマオ言うのやめろ。もっと可愛らしいあだ名で呼べや。


 悪いことに、男子たちの陰口はどうやら龍之介の耳にも入ったらしい。眉間に皺を寄せて、彼らにガンを飛ばす。


「んだ、コラ。言いたいことがあるなら面と向かってはっきり言えや」


「やめろって」


 龍之介の袖を引っ張って喧嘩の違法売買を止める。


 男子たちは「ひい」と情けない悲鳴を上げて、早々に教室から出て行った。


「あんまり目立つ行動はするなよ。というか、アイツら私の中学校の奴らだぞ。なんでお前のこと知ってるんだ? 有名人なのか?」


「言っただろ? 俺様は人間に舐められたくねえんだよ。売られた喧嘩を片っ端から買ってたら、いつの間にか他校の生徒にも知れ渡ってたってだけだ。俺様のせいじゃねえ」


《ドラゴン》の性質上、喧嘩っ早いのは仕方のないことかもしれないが、もうちょっと慎みを持ってほしいものだ。私たちは別に地球を支配しに来たわけじゃないんだからさ……私が言えたことじゃないけど!


 にしても竜ヶ峰中の『銀龍』かぁ。カッコいいなぁ。私なんてセラマオだぞ? セラマオってなんだよ。発音変えただけの単なるフルネームじゃないか。


「ん? ちょっと待て。お前、竜ヶ峰中だったのか?」


「そうだ」


「地元ぉ。めっちゃ地元ぉ!」


 全国各地で活動している同志って言ってた私がバカみたいじゃないか! 地方に残る伝承とか期待してたんだけどな。


「生まれる前から入学する高校を決めてたんだ。徒歩圏内に転生するのは当たり前だろ? あんただって実家から通ってるんじゃないか?」


「確かに!」


 盲点だった! そりゃ高校の近隣を転生場所に選ぶよな!


「ってことは他の同志もたぶん地元だよな。まだ顔も合わせてないのに不安になってきたぞ」


「こればかりは会って聞かなきゃ分かんねえよ」


「そ、そうだな。とりあえず《魔女》と合流して……」


 ……なんだ? 廊下の方から悲鳴が聞こえたぞ?


 ただ悲鳴と言っても恐怖から生まれるものではなく、単語の前に『黄色い』なんて修飾語が付きそうな明るいものだったが。


 龍之介の顔を見る。どうやら聞こえてたみたいだ。


「行ってみよう」


 教室の端へ寄った私たちは、廊下側の窓から身を乗り出した。


 長い廊下の向こうから、悠然と歩いてくる女子生徒が一人。


 明るい色でカラーリングされたナチュラルなショートボブ。甘え上手な垂れ目の下には蠱惑的な泣きホクロ。スッと通った鼻筋に、ぷりんぷりんの瑞々しい唇。一般的な女性よりはやや背が高く、モデル顔負けのくびれが腰の周りを覆っている。かといって貧相な体型ではなく、布地が硬いブレザーの上からでも形が分かるほど胸元は大きく盛り上がっていた。


 包容感すら漂わせるその姿は、まさに傾国の美女。すれ違う男子の視線を釘付けにし、女子は瞳をハート型にしながら恥も忍ばず声を上げていた。まるで今の時代を牽引するトップアイドルに出くわしたような反応だ。


 恥ずかしながら、この私ですら少しばかり見惚れてしまっていたほどだ。


「な、なんだあの美女は! とても同い年には見えないぞ!」


「あー、あれが《魔女》だ」


「マジで!?」


 目を凝らさないでも、彼女を包むオーラが視えてくるよう。いや、アレはたぶん芸能人オーラの類だとは思うが。


「にしても、すげえ美人だよな。あれが美魔女ってやつか」


「それ、意味が違うから使わない方がいいぞ。下手したら殺される」


 感心する龍之介に、私は本人の前で口を滑らさないか本気で心配になった。


 小学生の頃、純粋な誉め言葉としてママに言ったらめっちゃ睨まれたもんな。いや、笑顔だったけどまったく笑っていなかった。使い方は間違ってなかったはずなんだけどなぁ。


 不意に思い出してしまったトラウマに身を震わせている間にも、《魔女》は私たちの元までやって来た。


 彼女は窓から顔を覗かせている私たちの前で立ち止まると、聖母のような笑みを浮かべながら育ちの良さが窺えるお辞儀を披露した。


「ごきげんよう。あなた方が《魔王》様と《ドラゴン》様ですね? 私は《魔女》。この身体の名はひいらぎ魔理沙まりさと申します」


 ぷっ、ごきげんようって! 今日び漫画か小説でしか聞かないぞ!


 笑い出しそうになってしまったものの、龍之介が普通に挨拶を交わしているので何とか堪えた。続いて私も名前を名乗る。


「うむ。久しぶりだな、《魔女》よ。私は《魔王》。名前は瀬良真央だ」


「あら、では貴女様がセラマオさんだったのですね?」


「そうだけど……なんで私の中学の頃のあだ名を知ってるんだ?」


「だってクラスメイトの皆様が、口を揃えて言ってますもの。柊さんは応麻中のセラマオよりも断然美人だって」


「ぐはっ!」


 セラマオは心に100のダメージを負った。


 まあ認めるよ? 確かに魔理沙は私よりも美人だ。間違いない。どちらと交際したいか問われれば、百人中九十人が彼女を選ぶだろう。残りの十人はロリコンだ。ロリコンしか有り得ない。って、誰がロリじゃ。ほっとけ!


 でもさ、こんなこと言われたら私の黒歴史がまた蓋を開けるじゃん。


 私の自己紹介、何の成果もありませんでしたぁ!


 遅れてきた中二病を晒した、ただの痛々しい奴でしたぁ!


 頼むよ魔理沙さ~ん。男どころか女も寄ってきちゃうよぉ。


「なんでそんな美人なのさぁ」


「せっかく人間に転生するのですから、どうせなら美人に生まれたいと思って美男美女の家庭を選びました。美しくありたいと願うのは、女として当然の欲望ですからね」


「ぐがががががが」


 同じような理由で転生先を選んだ私には、これ以上彼女を責めることはできなかった。


 それにあの五名の概念体の中で、《魔女》だけが唯一最初から性別があったのだ。女性としての感性を持ってしまうのも仕方のないことだろう。


 まあいいさ。打倒勇者の調査さえしっかりやってくれれば。


 調査さえ……しっかりやってくれれば。


 …………?


 魔理沙を見つめていると、何故か違和感を覚える。


 端的に言えば、母性はあるが知性が感じられないのだ。なんでだろ。


「《魔女》よ。つかぬことを訊くが、お前の脳に詰め込まれている知識は人間に転生した今でも健在だろうな?」


「うふふ」


 なんで笑って誤魔化した?


「実のところ、魔力をほとんど失ってしまったので知能も常人並みにしか無かったりします」


「お前の知能は魔力由来のものだったのか!」


 今回の転生は調査という名目だから、一番頼りにしていたのに!


「安心してくださいな。《魔王》様に言われた通り、一通り調査はしてきましたので」


「そうは言ってもだな……」


 安心などできるはずはない。


 ヤンキーの《ドラゴン》に知性皆無の《魔女》。挙句の果てには集合場所に現れない《鬼》と《狼》。私以外、みんなポンコツではないか!


 くぅ~。ここまで予定通りに行かないと、さすがに頭を抱えたくもなる。


 なんて脱力していたその時、ふと廊下が騒がしいことに気づいた。


 聞き耳を立ててみれば、どうやら私と魔理沙が話題に上っているらしい。


 そりゃそうだ。こんな美少女と美女が和気藹々と話している現場を無視できる奴はいないだろう。同じ年、同じ学校に入学した幸運を噛みしめるんだな愚民ども!


 あっ、魔理沙の令嬢オーラにあてられて愚民とか言っちゃった。ごめんね。


「でも困りましたね。これほど注目を集めてしまっては、なかなか活動しにくいかと」


 どの口が言うか。


「なんだ、人間を遠ざければいいのか? だったら俺様に任せろ」


「喧嘩はするなよ?」


 釘を刺すと、龍之介は「分かってる」と言いながら私の袖を引っ張って廊下に出た。


 私と魔理沙を両脇に並べ、龍之介が真ん中に立つ。そして無遠慮に肩を組んでくると、騒ぎ立てる生徒たちに向けて悪い顔をしながら中指を立ててみせた。


「二人とも俺様の女ってことにしときゃ、誰も近寄って来ねえだろ」


「あらあら、まあまあ」


「そうかもしれないけどさ!」


 めっちゃ恥ずかしい!


 てかこれ、まるで怪しい雑誌の広告にある札束風呂みたいな構図になってるじゃん! 風呂でもないし札束も無いんだけどさ!


 放せ龍之介! セラマオの自尊心ライフはとっくにゼロなのよ!

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