1_夏めく日差し、その影で(IF)

「……暑いな」


 体にまとわりつくような熱気に、思わず独り言が零れた。

 

 GWが開けて数日、まだ初夏のはずなのに、ずいぶんと気温の高いある日のこと。僕は、とある事件の捜査の一環兼パトロールとして、郊外の寂れた地域を歩いていた。

 

 僕は烏宗田千蔭。警察官で、今の所属は捜査一課。つまり刑事と呼ばれる職に就いている。そんな僕ら捜査一課で現在追っているのが、四月上旬から始まった連続殺人事件だった。共通点は二つ。被害者が必ず強姦されてから絞殺され殺されていることと、被害者の傍に必ず新聞などの切り抜きで作られた名前の書いてある紙が落ちていること。既に三人の被害者が出ていて、けれど今現在、容疑者を絞ることすら出来ていない。この事件が、いつ終わるかも分からない。


 それはつまり、いつ次の被害者が出てもおかしくない、ということを示している。


 だから僕は、時間を見つけては人気の少ない場所をパトロールしているのだった。そのついでに聞き込みもしていって、もし情報が得られたら御の字である。たった一人が現場で足を動かしたところで、と思わないこともない。けれど、それでも、被害者をこれ以上出さないために、そして、万が一出てしまった被害者を、一刻も早く見つけるために、僕はこうして歩いている。

 

 ……けれど。

 

 動かし続けていた足を止める。寂れたパーキングに停めた車を降りてから、もう何分歩いただろうか。今のところ、収穫は無い。こう言った場所では事欠かないはずの不審者情報すら、得られなかった。いくらパトロールを兼ねているとは言え、これ以上は時間の無駄だろう。そう考えて、来た道を戻ろうとしたその時、どこかでガタンと、何かの落ちた音が響いた。 

 顔を上げて、音の方を見やる。視線を向けた先にあったのは、恐らくもう利用者の居ない雑居ビルだった。大きく書かれたテナント募集中の看板さえ、随分と色褪せて読み辛くなっている。

 そんな風に観察を続けながらも、僕は既に、その廃ビルに向かって歩き始めていた。


 可能性としてあり得るのは、ざっと思い付く限り三つ。

 まず一つ。中で放置されていた何かが、偶然落ちた場合。ただ屋内ならこの可能性はかなり低いだろう。あまり考えなくても良いかもしれない。

 次に、不良グループか、或いは大学生あたりの溜まり場になっている場合。この場合、注意をして、場合によっては補導もして、この辺りから立ち去らせれば良い。

 最後に、中で何かの犯罪が行われている場合。この場合がいちばん危険で、こちらもある程度警戒しなければならない。こっちだって、多少腕に覚えはあるが、向こうの人数が多ければ多勢に無勢だ。 

 考えながらも、足は止まらない。とうとう廃ビルのすぐ目の前まで辿り着いた。できる限り気配を消して、まずはビルの中を伺う。見たところ、人の気配は無かった。やや警戒を解いて、ビルの中に足を踏み入れる。


 中は、がらんとしていた。人はおろか、動物の気配すら無い。ただその割に、足元にほこりがあまりないことが気になった。

 廃ビルの中央まで足を進めて、ぐるりと見渡す。物があまりないことによって開けた視界の中でも、やはり人の気配は無かった。二階に続く階段は瓦礫で塞がれているから、このビルの中で人が立ち入れるのはこの階だけだ。

 改めて、ぐるりとあたりを見渡す。それでもやはり、特に異常は無かった。

 気のせいか、あるいは何かが落ちただけだったのだろう。そうで結論付けて、廃ビルから出ようと足を動かしたその時、靴の先に何かが引っかかった。足元を見る。

 そこには、地面と同じ色で気づかなかったものの、薄い木の板があった。それを横にずらす。ずらした先にあったのは地下へ続く階段だった。

 直感めいた確信と共に、地下に降りていく。自分の足音以外にも、薄い呼吸音が耳に入った。人が居る。自分が居ることはもう気付かれているだろう。ならば。

 警戒しながらも、足早に地下へ降りる。そこには、首に縄をかけられて倒れている青年が居た。警戒は解かないまま慌てて近寄り、脈を確認する。まだ生きている。ならさっきの呼吸音は彼のものか。


「君! 大丈夫!? 意識はある!?」


 声掛けをしながら、一一九番通報と一一〇番通報をする。呼吸は浅いが、全くないわけではない。声を掛ければ、薄いながらも反応が返ってくる。


「ごめんね、触るよ」


 首にかかった縄を解いて、呼吸のしやすい体制に変えるべく体の向きを変える。その間も、彼にずっと声を掛け続けた。


「大丈夫かい、もうすぐ救急車が来るからね」

「ち……ぁ、げ、さ……?」


 救急車が到着するまで、彼はどうにか意識を保ち続けた。救急車が到着し、彼が病院に運ばれるのとほぼ同時に同僚である捜査一課の面々や鑑識の面々が集まってくる。自分も彼らに加わり、慌ただしく捜査を進めていく。

 だから、その時の彼に対する印象は、連続殺人事件の新たな被害者、兼唯一の生き残りという認識以上にはならなかった。

 ただ、気のせいでなければ、あの時、彼が掠れた声で呟いたのは、己の名だった気がするのだ。

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