1_それだって、結局のところ日常である。

「あら、ミケちゃん、千蔭ちゃん、いらっしゃい」

「こんにちは、お母さん」

「こんちわ」


 暖簾を潜るなり掛けられた言葉に、二人そろって挨拶を返した。

 

 いつも通りの忙しい日常の中、昼時をすっかり過ぎた午後二時。俺と千蔭さんは、遅めの昼食を取りに近所の屋台蕎麦屋に来ていた。いつの間にかすっかり馴染みの店となったそこは、店主の婆さんの人柄もありとても居心地が良い。


「日替わりで大丈夫かい?」

「うん、二人分お願い」


 婆さんからの問に俺は頷きで返して、いつもの席に二人そろって座る。蕎麦が出てくるまでの間にこれからのスケジュールを確認しておこうと、コートのポケットに入れておいたスマホとメモ帳を取り出した。


「お、スケジュール確認? 偉いねえ、関心関心」

「……っす」


 この人のこういった言動はいつものことだ。だがそう扱われると、俺のことをどこかでいつまでも新人だとか子供だとか、そんなふうに思っているのではないかと勘繰ってしまう。けれど、それをわざわざ口にするのも面倒だったから、頷きで返して視線をスマホに落とした。


「それにしても、最近忙しかったの? あんまり見かけないからわたし心配しちゃったわ」

「あー……ちょっとね。大きい事件があったから」

「あらあ、そうだったの。そう言えば確かに最近、ずっと同じニュースがテレビで流れていたものねえ」


 婆さんと千蔭さんの会話を聞き流しながら、スケジュールを確認する。


 今朝、いきなり急ぎの案件が入ってきたためばたついてしまったが、それでもなんとかやるべきことは終えることができた。まあ、その結果昼飯がこんな時間になってしまったわけだが、これぐらいで済んで良かったと思うことにしておこう。自分に言い聞かせて、昼食後のスケジュール確認に移る。

 午後四時から千蔭さんは会議が入っていて、俺はその間書類仕事と他の一課のメンバーのサポートだ。千蔭さんに目を通してもらわないといけない書類なんかは、それまでに済ませておく必要があるな、と脳内にメモ。それ以外は、今日はもう特筆するようなことはない。また何か起きなければ、これ以降は予定通り過ごせるはずである。


 考えながら、首を軽く回せば、それだけでゴキ、と音が鳴った。続くデスクワークですっかり固くなっていたらしい。


 最近やっと解決した事件の後始末に追われている今、連日書類仕事が続いている。こう事務仕事が続いてくると、仕事とは言えだんだんと気が重くなってくるもので、ため息をつきたくなった。


「でも最近、やっと解決してさあ。今は後処理中なんだけど、それはそれで忙しいんだよね」

「やっぱり刑事さんって大変なのねえ。大丈夫? ちゃんとご飯食べる? ミケちゃんも」

「……はい?」


 意識がスマホに落ちていた中、唐突に名前を呼ばれて顔を上げる。名前を呼ばれたことは分かったけれど、何を問われたのかが分からない。


「ご飯はねえ……最近は確かに、食べてはいたけど出来合いの簡単なものばっかりだったかなあ」


 千蔭さんの答えから、問われた内容を憶測する。飯をきちんと食っているか、みたいなことを聞かれんだろうかと見当をつけて口を開いた。


「確かに、最近はバタバタしてたんでその辺適当になってましたね。今日とか、帰ってからの食事、久しぶりになんか作ります?」

「お、いいねえ。楽しみにしておこっと」

「あんまり期待しすぎないでくださいよ。大したもんは作れないんですから」


 二人の反応的に、俺の憶測はあっていたらしい。それに安堵しつつ、家の冷蔵庫の中を思い出す。

 確か冷蔵庫はほぼ空だったから、帰りに買い出しに行かないと何も作れないだろう。そう考えて、それなら帰宅時までに献立を決めておく必要があるな、と続けて思考する。脳内のやることリストの上の方に、今日の夕飯の献立を決める、を追加した。


「はい、日替わり二つお待ち」


 そのタイミングで、婆さんの言葉と共にどん、と目の前の机に蕎麦が二つ置かれる。今日の日替わりは天ぷら蕎麦らしい。かき揚げとちくわ天と、大きなえび天が豪勢に乗っていた。


「今日、日替わり豪華じゃないすか?」


 いつもよりも豪華なそれに浮かんだ、純粋な疑問を投げかける。すると、婆さんはくしゃりと笑って言った。


「久しぶりに来てくれたからおまけあげちゃった。また元気な姿を見せてくれてありがとうねえ」


 親が子を見るような、慈しむような目はこういうものなんだろうかと、ふと思った。そんな目だった。


「あはは、ありがとうねお母さん」

「……うす」


 俺が何かを言うより先に、千蔭さんが笑って返す。千蔭さんみたいにさらりと返すことができないのが、少し悔しかった。けれどそれを顔には出さないよう、いつも通りを意識する。ここでそれを顔に出してしまっては、余計に千蔭さんとの差が開いてしまう気がした。

 

 そんなことを考えながらも箸を取れば、現金なもので、忙しく働いた体は食べ物を前にして思い出したかのように強く空腹を訴え始めた。まあ、今こんなことを考えても仕方ないか。その自分の体の反応と思考に内心で苦笑しつつ、手を合わせて「いただきます」を言う。

 

 特別意図したわけでもないのに、その挨拶が千蔭さんと被って、そんな些細なことが嬉しかった。

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