幼日の姉姫③

 翌日、朱音はだがしやなとりに来ていた。昨日の続きを行うために。

 しばらくして店の施錠が開き景が出てきた。このとき景はまだ髪を結っていなかった。艷やかできめの細かい、長い黒髪が揺れ、微かに良い香りがした。


「おはようございます。お休みの日にすみません……」

「おはようございます。気にしないで下さい。私も気になってますし」


 互いに挨拶を交わす景と朱音。


「もう出発するんですか?」

「いえ、少し待ってください。もう一人来ます。時間は伝えてあるので、そろそろ来る頃だと思いますよ」


 誰が来るのだろうと疑問に感じた朱音。

 程なくして、そのもう一人の人物が現れた。


「おはようございます。お待ちしてました」


 景が挨拶をした相手は、男性であった。切り揃えられた、清潔感のある黒い短髪。シャツに軽くジャケットを羽織り、下はスキニータイプのジーンズ。耳にはピアスの跡が見えた。朱音には、この男に見覚えがあった。


「もしかして、猿渡さんですか!?」

「ああ、そうだけど」


 昨日とは反対のベクトルに振り切ったかのような変わりように、思わず啞然とする朱音。

 耳、口のピアスは全てなくなり、派手な金色の髪から、ザ真面目といった様な出で立ちに早変わりしていた。


「……すごい、変わりましたね」

「ん、ああ……。そこの店長さんが明日の朝まで身だしなみを整えろって言うからな……。つーか……名取さんの方こそ遠目で見たら誰か分かんなかったわ!」


 猿渡は髪を下ろした景の姿に、指をさして言った。


「マジで! 傍から見たら、女性同士が話してるようにしか見えねぇよ! アンタがいてくれて助かったぜ……」


 猿渡は景を認識して来たわけではなく、依頼の場にいた朱音を見て近づいたのだ。


「あー……。ふふっ、失礼しました」


 そう言うと景は、ポケットからヘアゴムを取り出し、二人の前で結ってみせた。

 髪を結う瞬間、先程店内から出てきたときに感じた香りを朱音は再び感じた。それと同時に景が髪を結ぶ仕草はとても様になっており思わず見惚れていた。


「すみません。お待たせしました。では、行きましょうか」


 景の言葉を合図に三人は借りた車へ乗り込む。道中、どうして朱音がいるのかと猿渡は景に問い、景はそれに対して、今回の依頼は人手が必要だからだと猿渡に伝えた。

 はじめは見た目が変わり、少し接しやすそうになったなと朱音は思っていたが、実際に相対して話をするとやはり少し恐かった。


「そういや、アンタ……誰なんだ? 名取さんのとこバイト?」

「ち……違います……」

「ふーん、ああそう。……彼女?」

「ち、違いますっ!」

「何だよ。うるさいなあ……」

「貴方が聞いたんでしょう!」

「朱音さん……。声が大きいですよ……」

「ごめんなさい……」

「ははっ! 怒られてやんの」

「はあ……、猿渡さんあなたもです。車の中では静かにしてください……」


 景から注意を受けた二人は、大人しく目的地への到着を待つのだった。


「さあ、着きましたよ」


 車のエンジンを切ると朱音と猿渡に到着を知らせる。

 朱音は昨日同様に車から降り、背伸びをする。


「猿渡さん、着きましたよ!」

「んぁ……」


 後部座席で寝ていた猿渡に、起きてくださいと朱音は声をかけた。寝ぼけたような眼を擦りながら、のろのろと猿渡は車から降りた。


「どこだぁ……ここは?」


 猿渡も朱音と同じように背伸びして辺りを見渡した。


「なにもないじゃねぇか?」

「いえ、ここには確かに捜し人の跡がありました。きっとこの辺りで生活をしているはずです」

「何でそんなことわかるんだ? どうやって調べたんだ?」


 猿渡は気になって然るべきことを純粋に聞いた。

 それに景は、相手の目をまっすぐ見据えて答えた。


「僕には、人や物の想いの影が視えます。僕はそれを追ってここまで来ました」

「想い……? 影……? 何いってんだ名取さん……。正気かよ……」

「信じて欲しいわけではありません。ただ、貴方がなっちゃんという方に会いたいようであれば、少し手を貸してください。ここから先は人への聴き込みをしなくてはなりません。人が多いほうが助かるんです」

「あ? なんで俺が手伝うんだよ? もう見つけたんじゃねぇのか?」

「いいえ、まだです……」


 まだ見つけていない。その言葉に猿渡の表情は一気に険しくなった。


「ふざけんじゃねぇ! なんで俺が一緒に捜すんだよ! あんだけ金払ったんだ、見つけてから報告してくれよ!」


 猿渡は凄い勢いで景の襟元を掴み詰め寄った。

 だが、それに対して景は、非常に冷めた表情で猿渡を見下ろしていた。

 一瞬、景がとてつもなく恐ろしく感じ、掴んだ手を離す猿渡。そんな彼に向かって景は、依頼を受ける時の条件を話し始めた。


「猿渡さん、依頼を引き受けるにあたって、僕から条件を出したのを覚えてますか?」

「……」

「僕の言うことに従ってください……。そう言いました。それが守れないようであれば、この依頼はここで終わりです。お金も全額返しましょう」

「なっ……!」

「いいですか……。捜し人の影は確かにここにあります。ですが、その想影が途絶え跡を辿れません。大変申し訳無いのですがここからは人海戦術になります。本当に見つけたいのであれば力を貸してくれませんか?」


 本当に見つけたいのであれば。景の言葉に思わず視線を逸らす猿渡。しかしすぐに景へと向き直ったその眼には、確かに強い意志が宿っていた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る