彼の恋愛幸福論

棗颯介

彼の恋愛幸福論

 最初に言っておく。私は変わらない。今も昔もこの先も。つまり、これから話すことについても感動的なクライマックスがあるわけではない。どこにもたどり着かない、ただただ虚しい時間を過ごすだけ。人生に余裕のない人はこの先の話は聞かなくていいと思う。

 そんな虚しい時間の使い方をする人は、こいつだけでいいんだから。


愛生あきさん、好きです。僕と付き合ってください」

「ごめんなさい」

「残念。あ、あそこの売店で飲み物でも買ってく?」


 愛の告白を断られたというのに「残念」の一言で軽く済ませた友人は、私の返事を聞くより先に足早に駆けていった。


「ほい」

「ありがとう」


 一緒に来ている都内の緑地公園。その一角にあるベンチに私達は腰を落ち着け、彼が売店で買ってくれた炭酸飲料で喉の渇きを潤していた。何が欲しいか伝えていないのに私の好きなジュースを選んで買ってくるあたり、喉が清涼になるのとは裏腹に腐りきった縁を感じる。


「今日で二百五十五回目か」

「なにが?」

「俺が愛生にフラれるの、今日で二百五十五回目なんだ」

「なんで数えて覚えてるの」

「なんとなく。でも出会ってもう七年も経つのに未だに落とせてないってさすがに自信無くすかも」

「だからさ優一ゆういち、いつも言ってるけど他にいい人探そうとか思わないの?私達もう社会人だし探せば出会いの場なんていくらでもあるじゃん」

「楽しいんだよ。愛生と一緒にいる方が」

「その諦めの悪さだけは尊敬する」

 

 どうして、彼は私にこうも一途な愛情を向けてくるのだろう。

 優一との出会いは七年前、私達が十八歳のときにネットで知り合った。好きだったアニメのコミュニティサイト、あれがSNSと呼べるものかは分からないけれど、とにかく出会いはネット。同い年で趣味が似通っていたこともあり、私達はすぐ仲良くなった。しばらくチャットで会話を続けていたのがいつからか個人のLINEでのやり取りに変わり、一年も経たないうちに直接会うようになった。元々私の方は優一のことをただの友達としか思っていなかったし、実際に顔をあわせたことで彼に対する印象が特別変わったこともない。

 最初に彼に告白されたのがいつだったか、もう何度もされているから覚えていない。ただ、鬱陶しく感じたことだけはなんとなく覚えている。

 私は恋愛に興味はない。今も昔もこれからも。恋愛に興味がないのだから家庭を持つことも当然人生計画には含まれていない。私の人生に私以外の人間は必要ないのだから。私はそういう生き方を選んだ人間だ。

 でも優一は私が何度断っても諦めずにこうして無意味な告白を続けている。脈がないと分かっている女をデートに誘い、食事をご馳走し、無駄だと分かっている次のデートの約束をする。そんなことをもう七年続けてきた。


「しかし、そっか。もう俺達七年の付き合いになるのか。時が経つのは早いもんだねぇ」

「そうだね」

「じゃあ十周年までには愛生を落とすぞ」

「なにその決意表明。十年経っても落とせなかったらどうするの?」

「その時は目標を十五年に延長するけど」

「その根性をもっと他のところで活かせばいいのに」


 別に、私は優一のことが嫌いではない。

 趣味は合うし、頻繁に告白を受ける一点を除けば概ね良識はある。口では軽いことを言っているが私に強引に迫ったりすることはこの七年一度だってなかった。気遣いも細やかだし、食事をご馳走してくれたり季節の節目に贈り物をくれることだって悪くは思っていない。有難いとすら思う。

 でもそれはあくまで友達としてであって、彼を異性として見ることはない。そう再三言っているのに。

 一体、私の何がそんなに彼を惹きつけてしまったのか。


「んじゃ、そろそろ行こうか。ここの近くに有名な神社あるんだけど知ってる?愛生、神社巡るの好きなんでしょ?」

「都内の神社はあまり行かないんだよね、気になるかも」

「なんでも良縁にご利益のあるところらしいよ。俺と愛生の恋愛成就でも祈願しに行こうか」

「はいはい」


 優一の下手な口説き文句を軽く流して、私たちは肩を並べて歩き出す。その姿だけは、道行く人の目には仲睦まじいカップルに見えていたのかもしれない。


***


「今日で三百七十八回目か」

「なにが?」

「俺が愛生にフラれるの、今日で三百七十八回目なんだ」

「まだそれカウントしてたの?さすがの私もちょっと引くかも」

「『振られた回数よりももっと覚えてなくちゃいけないことあるでしょ』って?仕方ないヤツだな~」

「誰もそんなこと言ってないんだけど」

「愛生、誕生日おめでとう」

「うん、ありがとう」


 私は今日、二十八歳になった。私達が最初に知り合ったのが十八の時だから、今年でだいたい十年が経ったことになる。私達の関係は、何も変わっていない。普段は仕事の愚痴や日常で起きた出来事なんかをLINEで語り合って、たまの休みにこうして顔を合わせて食事に行ったり遊びに行ったり。十年前から本当に何も変わっていない。優一が私に無意味な告白を続けていることも含めて。

 この日に合わせて彼が予約してくれたレストランでいつもより少し豪勢な料理に舌鼓を打っていると、思い出したように優一が口を開いた。


「しかし愛生って、社会人なのにホント酒飲まないよね。普段仕事の付き合いとかどうしてるの?」

「別にお酒が飲めないわけじゃないよ。そもそも付き合い自体が少ないし。あっても一次会しか参加しない」

「それ、社内の人付き合いとか大丈夫なの?」

「人のご機嫌取りとか顔色窺うのは苦手だし。そういうことしなくちゃいけない職場なら即辞めるよ」

「まぁ自分が気持ちよく仕事できるのが一番なんだろうけどさ。愛生ってホント今時珍しい人だよね」

「なにが?」

「我が道を行くタイプというか、生き方を曲げないとこ。割と珍しい気質なんじゃないのかなと思って」

「そうかな?」


 優一の言ったことがまったく響かなかったわけじゃない。彼の言わんとしていることはなんとなく分かったし、おおよそその通りだと自分でも思う。

 でも、それがどうした、としか思えない。

 私の生き方について他人にとやかく言われる道理なんてない。


「あーあ、にしても俺達ももう二十八か」

「そうだね」

「この間会社の同僚が結婚してさ、結婚式呼ばれたから参加したんだけど、新郎も新婦もすごい幸せそうな顔してて」

「へぇ」

「結婚ってそんなに嬉しいものなのかな?」

「———まぁ、幸せの定義は人それぞれだからね」


 てっきり、「俺達も早く結婚しようよ」とかいつもの軽口が飛び出すものと思っていたから、その後の問いに多少面食らった。


「そうだよね。十年経っても愛生のこと落とせてないけどそれはそれで悪くないって思ってるよ、俺は」

「どういうところが?というか優一もう十年もこんなこと続けてるのか。なんかすごいよね、ある意味」

「例えるなら、サービスが終わらないソシャゲをずっと遊んでるような感覚?」

「仮にも十年好きだと公言してる相手に対して『遊びと同じ感覚』って面と向かって言うのは大した度胸だね」

「おっと、こりゃ失敬」


 そうは言ったけど、私自身はさして気にしていない。結局私達が恋人同士になることはこの先もないのだから。今まで十年かけても私達の関係が何も変わらなかったことがその証明。それでいいとすら思っている。優一はちょっと困るところもあるけど付き合いが良くて趣味の合う友達。今までもこの先も、それ以上もそれ以下もない。

 それで充分。


「十五周年までには落とせるように頑張ろう」

「はいはい」


***


「今日で五百十九回目か」

「なにが?」

「俺が愛生にフラれるの、今日で五百十九回目なんだ」

「いつの間にか、五百の大台に乗ってたんだね」


 優一が私に振られた回数を数えていることすら、もはや私はなんとも思わなくなっていた。今年でもう十五年の付き合いになるんだから。


「そっちは最近仕事どうなの?新しくできた支店の店長やってるんだっけ?」

「どうもこうもないよ。もう嫌なことだらけ。代われるなら優一にだって代わってもらいたいくらいだし」

「愛生が俺と付き合ってくれるなら今すぐ会社を辞めて愛生のお店に履歴書を送ろうじゃないか」

「いやそういうのいいから」

「これで五百二十回目と」


 今年で三十三になる私達は、それぞれの職場でもそれなりのポジションを任されるようになっていた。技術職の優一はプロジェクトのリーダーを。大手の販売店に勤めている私は支店長を。若い頃と比べてお互い多忙の身になっているけど、たまの休みにこうして会って仕事の愚痴で盛り上がる時間は存外嫌いじゃない。

 優一は優しい。今も昔も。私が十五年経っても優一を嫌うことができないのは、彼が持っている不思議な居心地の良さ故なのかもしれないと最近気づいた。とりあえず私の話を聞いてくれるし、気分が悪くなるようなことも言わない。言い方は悪いが、仕事で疲れた心を慰めるには都合のいい相手だった。


「優一ってさ」

「ん?」

「私のどこがそんなに好きなの?」

「んー、内緒」

「もう」


 昔から何度聞いてもこの返事だ。いつもあけすけな態度で私に接してくるくせに、肝心なところははぐらかそうとする。


「強いて言えば面白いところかな」

「面白い?私が?」

「そう」

「私そんなに冗談言う?」

「そういう意味じゃないよ」

「じゃどういう意味さ」


 私がそう尋ねても、彼は口元に人差し指を立てて微笑むだけだった。


***


「今日は月が綺麗ですね」

「“私死んでもいいわ”とは言えない」

「残念。これで七百四十六回目か」


 私と優一が出会ってからちょうど二十回目の夏。私達は休暇を利用して一泊二日の温泉旅行に来ていた。若い頃は出不精で外出と言ったら仕事か優一と近場で会うくらいだったのに。


 ———優一、昔から私と旅行したいって五月蠅かったもんなぁ。


 私なんかと一緒に旅行して、彼は楽しいんだろうか。

 この日のために優一が苦労して予約してくれた豪勢な和室の広縁ひろえんで風呂上りのお酒を嗜みながら、私達は窓の向こうに広がる夜景と空に浮かぶ月を眺めていた。


「でも本当に綺麗だね」

「夜景より愛生の方が綺麗だよ」

「はいはい」

「相変わらずつれないなぁ」


 お酒が入っているせいかいつも以上に楽しそうに笑う優一を見て、私も思わず顔が綻びそうになる。二十年。振り返ってみると随分長い付き合いになったと思う。互いを取り巻く生活も私達の関係も、昔から何も変わってはいないけれど。


「変わらないよ、私は」

「うん、知ってる」

「これからも私が優一をそういう風に見ることはないってことでもあるんだよ」

「うん、それも知ってる」

「優一はそれで―――」


 それでいいの?そう聞こうとしたけど、言葉を飲み込んだ。聞いても無駄だと分かりきっている。どうせ今まで通り「楽しいから俺はそれでいい」の一点張り。私も変わらないが彼も変わらない。今も、きっとこの先も。


「———想うより想われる方が幸せだっていうけど、どうなんだろうね」

「それこそ人によるとしか。愛生はどうなの?俺に求愛されて」

「困ってるに決まってるじゃん」


 今更な質問に思わず私は笑ってしまった。


「最初は冗談で言ってるのかなって思ってたけど、本気でしょ?」

「うん」

「趣味は合うし良い人だと思うけどそれはあくまで友達としてだし」

「うん」

「優一が私にいろいろ良くしてくれるのは本当に嬉しいし楽しいけど、やっぱり私は優一の気持ちには応えられないかな」

「知ってるよ。ずっと昔から」

「なんかさ、本当にすごいよね優一。ここまで自分を曲げない人ってなかなかいないんじゃない?」

「愛生に言われたくないなぁ」


 そう楽しそうに笑うと、彼は持っていた缶ビールを一気に飲み干した。いい飲みっぷりだった。いつの間にか、大人の男性らしい振る舞いができるようになっていたんだ。


 ———私もか。もう三十八だし。


 負けじと、私も持っていたチューハイをグイっと喉に流し込んだ。


***


「今夜は月が綺麗ですね」

「“私死んでもいいわ”とは言えない」

「単純に綺麗だと思ったから言っただけなんだけどな」


 休日のディナーの帰り道、そう悪戯っぽく笑う彼の横顔は若い頃と比べれば精悍さが出ているというか、社会に出てそれなりに苦労を重ねてきた大人のそれになっていた。きっと私もそう。私達が出会ってから今年で三十年。もう四十八歳になる。あと二年で半世紀生きていることになるんだから。

 

「今日で千百二十八回目か」

「なにが?」


 何度も聞いていた台詞で分かりきっていたけど、なんとなくそう聞いてあげたくなった。


「俺が愛生にフラれるの、今日で千百二十八回目なんだ」

「それ、だいたい三年くらい毎日告白してたってことになるよね」

「そうなるね」

「呆れた」


 この三十年で、千百二十八回。優一が積み上げてきた無駄な行いもここまで膨れ上がればいっそ芸術か何かのように思えてくる。

 三十年経っても私達は何も変わらない。強いて変わったものがあるとすれば、職場ではお互いすっかり管理職が板についてきて、自分で手を動かすよりも部下や後輩の面倒を見てあげることの方が多くなった。

 でもこうして時々会って、とりとめのない話をして、優一が私に告白して、断る。

 それだけは本当に、何も変わらない。


「しかし、俺達ももう四十八歳かー。会ってから三十年ってすごいよな」

「優一が三十年無駄なことを続けてることについては確かにすごいと思うよ」

「愛生が優しいから続けてこれたと思ってるけどね」

「え?」


 どういう意味だろう。


「愛生が本当に嫌がったり、俺のこともう顔も見たくないってくらい拒絶してたら、さすがの俺もそこでやめてたよ。いくらなんでも嫌がる女性に強引に迫るほど俺も馬鹿になれないしそんな度胸もない」

「優一のその変に真面目というか誠実というか、そういうところは好きだよ」

「え?俺のこと好きって言った?」

「都合のいいところだけ切り取ってインプットするところは嫌いだけど」

「ガーン」


 そう大袈裟なリアクションをとって項垂れる彼を見て、私はどこか心が温かくなるのを感じた。手のかかる子供か子犬を持ったような。でも不思議と嫌いになれない。昔からそうだった。どうして私は優一のことをずっと嫌いになれないんだろう。


 ———きっと、優しいのは優一もだ。


「ほら、早くしないと置いてくよ?もう一軒、行けるよね?」

「はいはい、どこまでもお供しますともお姫様」


 ———私を変わらず好きでいてくれて、ありがとね。


 最初に言った通り、私は変わらない。今も昔もこの先も。

 そして彼も変わらない。今も昔もこの先も。

 そう信じられる相手がいることは、きっと幸福なんだと思う。


▼▼▼


「優一ってさ」

「ん?」

「私のどこがそんなに好きなの?」


 俺が愛生を好きになった理由。きっかけはほとんど直感みたいなものだった。何か明確な出来事や会話があったわけじゃない。ただ一緒に過ごすようになって、感覚的に思っただけだ。“この人は面白い人だ”と。

 より長い時間を過ごすようになって、当初に感じたそれは正解だったんだと俺は確信した。本人に直接言ったこともあるが、愛生は今時珍しい人だった。

 一言で言えば、“変わらない”。自分で決めた生き方や信念を絶対に曲げない強さを持った女性だった。この現代社会、技術も流行も人も目まぐるしく移り変わる時代の中、ずっと変わらないものを持ち続けている彼女のことを。


 ———なんてカッコいい人なんだろうと思ったんだ。


 自分にない強さを持っている彼女が眩しくて。美しくて。憧れた。

 だから、真似をしてみようと思ったのかもしれない。愛生はよく無駄だって言ってるけど、俺にとっては大きな意味のあることで、楽しいとさえ思っている。この先も続いてほしいと心から願うくらい。

 どうせ誰かを好きになるなら、尊敬できる人を好きになりたかった。想いが届かなくても。変わらない強さを持っている彼女と同じように、自分も一つだけでもいいから変わらないものを持ってみたかった。


「んー内緒」

「もう」


 俺は明日も愛生に告白するんだろう。

 愛生は明日もそれを断るのだろう。

 でも、俺達は明日も変わらず一緒にいるんだろう。その先もずっと。

 そう信じられる相手がいることは、きっと幸福なんだと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼の恋愛幸福論 棗颯介 @rainaon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ