第16話 お願い、今は見ないで

 お茶会の度に千と咲奈は口づけを交わす。

 初めてはお互い熱に浮かされたように激しく交わしたが、それ以降といえば淡白なもの。

 千が命令するかのように自分の唇を人差し指でトントンと叩くと、咲奈がそっと口付ける。触れるだけのもの。今更恥じらいも何もないというのに。

 しかし二人の間にはまだ主従といったようなものだろうか、そんな隔たりがあった。

 

 「谷崎さん、あの時のキスは・・・勘違いしそうなものだったけれど。きっと本当に私の勘違いだったのね。でも・・・。」


 それでも、咲奈はこの愛に似た愚行を続けていたかった。

 少しでも千に触れたかったから。本当の愛に変わるまで。

 そんなこと起きる訳がないのに。千の言う通り、虚しくなるだけかもしれないのに。


 「それでもいい。谷崎さんが見てくれるなら。触れてくれるなら。」


 たとえ、それが真夜中だけの関係だとしても。


 授業がある間は、決して千は咲奈を見ることなどなかった。

 それはいまだ変わることはない。

 

 ある日の体育の授業。

 千たちはフォークダンスを踊ることになった。そんなもの女子校に必要なのか。だがこれは伝統的なものらしく、いつ社交界に出てもいいようにするとのこと。社交界などとっくの昔のことなのに、この学院のしきたりは時折奇妙であった。

 

 咲奈は学校では無視される目立たない存在。

 だが、この時ばかりは目立っていた。悪目立ち・・・と言った方が正しい。

 もともと体育が苦手な咲奈であったが、フォークダンスは殊更苦手であった。一年生の時から足を引っ張っていた。

 どうしてもステップが上手く踏めないのだ。


 目立たない存在が足を引っ張ることほど苛立たしいことはない。

 ここで初めて、咲奈は目に見えて虐められるのだ。

 

 「三島さん、本当に鈍くさいのね。」

 「気が付かなかったけれど、貴女の存在って邪魔なのね。」


 悔しい?

 いや、辛い。


 こんな形でしか目立たないとは。

 泣きそうになるが、泣いたところで余計に虐められるだけだ。

 咲奈がじっとこらえて上手くいかないステップを踏んでいると、ある生徒が足を出してひっかけた。


 「きゃっ・・・!」


 咲奈は思わずこけてしまう。

 それに追い打ちをかけるように誰かが躓くふりをしながら、咲奈を蹴った。


 「・・・っ!!」

 「あら、ごめんなさい。気が付かなかった。」

 「嫌だわ、三島さん。血が出てる。こっちに寄らないで。」


 気がつけば口内を切ったらしく、血が出ている。咲奈は口を拭うと、一人水道へと向かった。


 水で口を濯ぎながら、ここで初めて咲奈は涙を流してしまった。

 ちらりと振り返ると千は何食わぬ顔でフォークダンスを踊っている。

 咲奈を虐めていた少女たちは、千と踊るのを今か今かと待っているのだ。


 「谷崎さん・・・。貴女は今までのみんなから慕われる谷崎さんでいて。こんな情けない私を今は見ないで。」


 そうか。


 咲奈は思った。

 虐められるのなんて辛くない。

 千に何と思われているかが辛いのだ。

 

 谷崎さん、谷崎さん! 谷崎さん!!


 そんな歪んだ気持ちの悪い感情を持つこともまた、辛かった。


 「今は・・・私なんて見ないで。」

 


 その日の真夜中。薔薇の温室。

 今日も二人はテーブルを囲んで紅茶を飲む。

 あれ以来の紅茶を飲む時間は静かだ。千がカップに角砂糖を落とし込む音以外は何も聞こえない。


 そして飲み終わるころ咲奈は立ち上がって千に口付けるのだ。

 今日もそれは同じ。


 ただいつもより少し違ったとことといえば、熱い紅茶を飲む時に咲奈は少し声をあげたということ。今日切った口内の傷が痛んだのだ。

 しかし、そんなことは千にとってもどうでもいいことなわけだから、咲奈はいつも通り立ち上がって千に近づく。

 すると、千は制止するようにして咲奈に手を差し出した。


 「谷崎さん・・・?」

 「早く。」

 「え・・・?」

 「早く私の手を取って。」

 「何をするの・・・?」

 

 千は少し黙り込んだ後、実に言いにくそうに口を開くのだ。

 

 「踊るの。貴女、下手なのでしょ? 一緒に練習してあげると言っているの。」

 「谷崎さん・・・どうしてそんな・・・。」

 「貴女の傷がついた口でキスなんてされたくない。次もそんな口でされたくないから。まともに踊れるようになって。じゃないとこのキスしろという命令ができない。」

 「・・・・・・。」


 これはどこまで本当と捉えたらいいのか咲奈にはわからなかった。

 

 だが。


 フォークダンスが下手なのを知っている。

 今日、口内を切ったことも知っている。

 そんな三島咲奈を谷崎千は受け入れてくれた。

 この次もキスしてくれる。


 それだけで咲奈は十分だと涙ぐみながら千の手を取ったのだった。


 すると千は咲奈をぐっと引き寄せた。そして無理矢理振り回すように踊るのだ。

 不思議なことに引っ張られながら勝手に足が動く。

 咲奈が千を蹴りそうになるとそれを読んだかのように、千は足を離す。そして手を引っ張る反動でまた咲奈の身体は勝手に動く。


 あぁ、私はちゃんと踊れている。

 谷崎さんとちゃんと踊れている。

 

 地面に散った薔薇の花びらを蹴り飛ばすと、それは舞ってく。

 体が薔薇の花に当たると薔薇は散っていく。


 薔薇の花びらを舞わせながら二人は踊り続ける。

 

 千の香りなのか薔薇の香りなのか。それを少しばかり堪能して咲奈は恍惚とした表情になった。それを近くで見た千の肩が少し動く。

 それぞれ二人の気が緩んだ瞬間、咲奈の足は千の足に絡まり咲奈が千を押し倒すようにしてこけてしまった。


 「・・・・・・っ!?」

 「・・・・・・!! 谷崎さん・・・ごめんなさい。」


 咲奈がゆっくりと顔を上げると、間近で千の顔があった。吐息の音が聞こえるくらいに。

 千はじっと咲奈を見つめていて、咲奈もまた同じ。

 

 沈黙がしばらく続いた後、二人はそのままなだれ込むように抱きしめ合うと口づけを交わした。

 何度も、何度も、何度も。

 

 千の舌が咲奈の口内の傷を舐めるようにして絡む。


 熱い。


 だが、紅茶を飲んだ時はあれほど痛かったというのに今はひどく気持ちがいい。

 そんなことを思っているとまた深く貪られる。気が付くと千の方が咲奈を押し倒していた。

 咲奈が目を逸らすと顔のすぐ横に散った赤い薔薇の花びらがあった。

 それは芳しく、今日はそういえばローズの紅茶だったと、こんな時に咲奈は思いだしたのだ。


 なんて芳しい夜だろうか。

 

 なんて芳しい。


 「谷崎さん・・・見てくれていて・・・ありがとう。」

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